最終話 良かった
本部近くのレストラン。
ルカが店へ入ると、すでにクロードが席についていた。
「遅い」
「まだ約束の時間前だろ」
ルカは苦笑しながら椅子へ腰掛ける。
その時だった。
店の入口から、規則正しい音が聞こえてきた。
コツ。コツ。
思わず視線を向ける。
クレアだった。
杖を突きながらこちらへ歩いてくる。
右足には仮義足。
まだ慣れていないのだろう。
歩き方にはわずかなぎこちなさが残っていた。
それでも背筋は真っ直ぐで、どこか凛とした空気は変わらない。
「お待たせしました」
クレアは静かに席へ着いた。
そして口を開く。
「候補生――」
そこで言葉を止めた。
一瞬だけ考えるように視線を伏せる。
「……もう違いますね」
ほんのわずかに口元が緩んだ。
「ルカさん。クロードさん」
ルカとクロードは思わず顔を見合わせる。
呼ばれ慣れない名前に、何だか落ち着かなかった。
「変な感じですね」
思わずルカが苦笑する。
「そうでしょうか」
クレアは平然としていた。
「本日はお祝いです。好きなものを頼んで下さい」
やがて料理が運ばれてくる。
食べ進めるうちに、店の空気にも少しずつ慣れていった。
試験の時とは違う穏やかな時間だった。
しばらくして、クロードが口を開いた。
「一つ聞いていいですか」
「何でしょう」
「最初から、合格すると思ってたんですか」
クレアはあっさり答えた。
「クロードさんは合格すると思っていました」
即答だった。
肉を切ろうとしていたクロードの手が止まる。
「そうですか」
「安定していましたから」
珍しく素直に褒められたクロードは居心地が悪そうだった。
ルカが少し笑う。
「良かったな」
「うるさい」
短く返された。
「じゃあ俺は?」
ルカが聞く。
クレアは迷わなかった。
「不適合寄りでした」
「そんなに!?」
「かなり」
クロードが吹き出す。
ルカは思わず睨んだ。
「だろうな」
「お前まで」
クレアは淡々と続けた。
「単独行動」
「独断専行」
「報告不足」
「規律意識の欠如」
「やめてください」
ルカは思わず額を押さえる。
視界の端では、クロードが肩を震わせていた。
クレアは二人のやり取りを静かに見ていた。
やがて静かに口を開く。
「ですが」
二人が顔を上げる。
「最後まで見届けたいと思ったのはルカさんでした」
ルカは目を瞬いた。
「予測がつかなかったので」
「褒めてます?」
「半分くらいは」
クロードがとうとう声を上げて笑った。
ルカは頭を抱えた。
その後も食事は続いた。
試験中の失敗談。
課題の裏話。
他愛のない話題に、時折笑い声が混じる。
こんな風に笑いながら話せる日が来るとは思わなかった。
やがて会話は自然と今後の話へ移っていく。
クレアが静かにグラスを置いた。
「私は悪魔祓いとして復帰できません」
二人が顔を上げる。
「事務官への転属を希望しています」
少しだけ沈黙が落ちた。
先に口を開いたのはルカだった。
「……寂しくなりますね」
「そうでしょうか」
クレアは首を傾げる。
「貴方達の報告書を見る機会はあるでしょう」
嫌な予感がした。
「問題を起こせばすぐ分かります」
クロードは眉を下げて笑った。
「それ、ルカに言ってます?」
「特定はしていません」
即答だった。
「絶対言ってる」
ルカは小さく抗議した。
クレアは何も言わなかった。
否定もしなかった。
―――
店を出る。
夜風が心地良かった。
クレアは杖を突きながら歩く。
慣れない仮義足のせいか、少しだけ歩みが遅い。
「それでは私はここで」
クレアが言った。
「送ります」
クロードが口を開く。
クレアは足を止めた。
「必要ありません」
「知ってます」
「では何故ですか」
クロードは言葉に詰まった。
耳が少し赤い。
「……送りたいからです」
クレアはしばらくクロードを見ていた。
やがて少し困ったように眉を下げた。
「……そうですか」
短い間を置いて続ける。
「では、お願いします」
クロードは小さく頷いた。
二人は並んで歩き出す。
ルカはその背中を見送った。
二人の背中は少しずつ夜の街へ溶けていく。
思わず口元が緩んだ。
頑張れ。
心の中だけでそう呟いた。
―――
本部へ戻る頃には、夜もすっかり更けていた。
自室へ入る。
静かな部屋だった。
鞄を机へ置いた時、一冊のスケッチブックが目に入る。
食事の帰り際に、クレアから渡されたものだ。
『ノエルの遺品整理をしていた時に見つかりました』
『貴方が持っていた方が良いと判断しました』
あの静かな声が脳裏によみがえった。
ルカはベッドへ腰掛ける。
ゆっくりと表紙を開いた。
最初のページ。
そこにはセドリックの絵が描かれていた。
懐かしさに、わずかに目を細める。
街並み。
市場。
海辺。
数ページにわたって旅先の風景が続いていた。
その中には、若いノエルの姿もあった。
穏やかに笑っていた。
さらにページをめくる。
そこでルカの手が止まった。
クレアだった。
今より幼い。
自分と同じくらいの年齢に見える。
無邪気に笑っている。
年相応の少女だった。
ルカは思わず呟く。
「……こんな風に笑ってたんだ」
今のクレアからは想像もできなかった。
ルカは小さく息を吐き、ページをめくる。
次に現れた風景は見覚えのあるものだった。
幼い頃、セドリックが見せてくれた絵だ。
『いつか連れて行ってやる』
そんな言葉を思い出す。
ルカはそっと指先で絵をなぞった。
ゆっくり、次のページを開く。
幼い自分だった。
セドリックの黒い外套を着ている。
ぶかぶかで。
全く似合っていない。
それなのに。
自分は馬鹿みたいに笑っていた。
嬉しそうに。
誇らしそうに。
眩しいくらいに。
ルカは静かに息を吐き、目を閉じた。
試験のことを思い返す。
たくさん悩んだ。
これからも悩むだろう。
答えの出ない問いもある。
背負うと決めた責任もある。
それでも、確かに思う。
あの日。
セドリックに憧れた自分は。
間違っていなかった。
ルカはゆっくりと目を開く。
スケッチブックの中で。
幼い自分が笑っていた。
だから、自然と口元が緩む。
――悪魔祓いになれて、良かった。




