兄は妹を見て母との会話を思い出す
ノーデル・ファムリアントは春季休暇中にファムリアント領地、ストブリックへと戻ってきた妹、ヴィーチェの変わらぬ様子を見て不思議で仕方なかった。
今から四ヶ月ほど前、ヴィーチェは薬学講師から緑肌病の治療法発見の手柄を奪われたのだが、どうやら講師の虚言ということが明るみになって全てが解決した……と思いきや、ヴィーチェはその功績を讃える勲章すら受け取ることなく、イマジナリーフレンドことリラ様の手柄だと主張するばかりだったそうだ。
それを侍女アグリーからの報告という名の手紙にて知ったノーデルと父フレクは頭が痛い思いだった。
国から勲章が授与されるのは誰だって光栄に思い、受け取るもの。むしろ喉から手が出るほど欲しい貴族だっている。なぜなら勲章は王家から絶大な信頼を得たと言っても過言ではないのだ。
あろうことか拒否をするとは。もしかして手柄を横取りされ、それを授与式当日まで嘘を暴くことなく間違った人物を持て囃した腹いせなのだろうか。
確かに妹の心情を考えると今さらだと言いたくもなる。それならば帰省したヴィーチェはとてもご立腹なのかもしれない。そうだとしたら彼女のために寄り添って沢山愚痴を聞こう。
━━と、思っていたのだが、里帰りしたヴィーチェの様子は今までと同じであった。日が経ったからだろうか。もう気にしてなさそうで、愚痴をこぼすこともなかった。
それはそれで兄として出る幕がないのは少し残念である。
それならばとヴィーチェに緑肌病の治療法を発見したことについて褒めようと父と共に発見に至った経緯を尋ねたが……。
「リラ様に教えていただいたのっ!」
と、予想していたとはいえ、やはりと言わざるを得ない返答だった。おそらく授与式でも同様のことを口にしていたのだろう。アグリーの報告内容と一致する。
「……それでもヴィーチェは人のために治療法を伝え回ったのはとても素晴らしいことだと思うよ」
「ふふっ、ありがとうお兄様」
リラ様の話は聞き流し、素直にヴィーチェの行動を褒める。人のために動ける妹は兄としても鼻が高い。
表情に出すのは得意ではないが、ノーデルは自然と口元が緩んだ。
「休暇を利用したのだったな? よく頑張った。しかし本来ならば新しい治療法というのは医療に携わる者達の手で問題がないか幾度も調べてもらわなければならない。今回は薬学講師が頼りにならないからお前達が動いたのだろうが、即効とはいえ元患者達には副作用等がないか経過観察をすることになっている。今後は周りが頼りにならないのなら私に相談するように」
父、フレクも褒めるが最初だけ。ヴィーチェの行動が全て正解というわけにはいかないが、しっかりと改善点を上げる。
そんな父の話を聞いて、ノーデルは少しヴィーチェに甘かったのだろうかと考えた。
どちらかと言えば甘やかすより兄として妹に優しく接しているつもりだったのだが。
「あら? 私、お父様にもお話したのだけど、信じていただけなかったわ。リラ様から教えていただいた療法でも信じていただけるのなら次回からそのようにするわねっ」
「……あぁ、その件に関しては申し訳ない。とにかく次回も何かあれば相談しなさい」
どうやらフレクは一度ヴィーチェから話を聞いていたようだ。しかしイマジナリーフレンドから教えてもらった治療法、なんて言われたから聞き流していたのだろう。
それを責めてるわけではないが不思議そうに娘から指摘されたことに父は困ったような咳払いをした。
ヴィーチェのイマジナリーフレンドの話題が出る度に苦い表情をする父を見て、存在しないゴブリンの話を突っぱねないように耐えているのだと察する。
いまだにヴィーチェの中に存在するイマジナリーフレンドのリラ。いつ、その想い人というゴブリンから卒業できるかはわからない。
このままではヴィーチェのためにならないということも理解できているが、そのリラという存在が全ての動力源となっているのも事実。
ヴィーチェが幸せだと思うのなら、生きる糧となるなら、無理にヴィーチェの中の世界を壊さない方がいいだろう。
亡くなった母だってヴィーチェの自由を望んでいたのだから。
その昔、母アンティはとある物語を何度も幼いノーデルに聞かせた。
「ノーデル。私の好きなお話を聞かせてあげるわ」
内容は王子と子爵令嬢の恋物語。貧乏で人付き合いが苦手な令嬢だが、誰よりも真面目で努力家だった。そんな彼女を最初は馬鹿にしていた王子だったが、次第に彼女に惹かれていく。
けれどそれを良しとしなかったのは王子の婚約者である公爵令嬢。嫉妬に狂い、あの手この手を使って子爵令嬢を危険な目に遭わせてしまった。
その結果、王子と子爵令嬢の距離が縮まってしまい、さらに絶望と憤怒した公爵令嬢は悪魔を呼び寄せ、子爵令嬢の命を狙った。
そんな悪しき力を前にしても子爵令嬢は諦めることはなく、王子と力を合わせて悪魔にも打ち勝つことに成功する。
こうして全てを失敗してしまった公爵令嬢を断罪して修道院送りにし、二人は晴れて結ばれることになったというありふれた内容。
けれどアンティの話はそこで終わりじゃなかった。婚約者である公爵令嬢視点による物語も語ったのだ。
曰く、公爵令嬢はただ愛されたかったのだと。彼女は自身が生まれてから一年足らずで母を亡くしてしまった。
そのせいで兄には母の命を奪った存在だと疎まれ、父はどう扱っていいのかわからないゆえに距離を取られてしまう。
そんな息苦しい中で育った公爵令嬢は家族に愛されたくて、優秀であろうといい子であろうと色んなものを我慢し、気持ちを押し殺した。
そして決まった王子との婚約。見目麗しい彼を見て公爵令嬢は一目惚れをする。この人の妻になれる未来に心躍らせた公爵令嬢は王子に愛されるため、勉学や自分磨きにより一層努めた。
しかし子爵令嬢の登場により公爵令嬢は焦燥感を抱く。他人に興味を持つことの少ない王子が子爵令嬢に興味が芽生えたのだ。
自分にさえ向けられたことのない笑顔が子爵令嬢へと向けられる度に胸が張り裂けそうだった。それを見たくなくて、子爵令嬢が王子に近づかないようにするも上手くいかない。それならばと排除しようとするも失敗に終わる。
二人を引き離そうとすればするほどその縮まる距離に、公爵令嬢は絶望と憤怒のあまり秘められた魔力が爆発し、悪魔を呼び寄せて子爵令嬢の抹殺を願った。
王子の心が子爵令嬢へ向けられるのがどうしても許せなかったのだ。今度こそ愛されるはずだと信じていたから。
結局、何一つ思い通りにいかないまま公爵令嬢は婚約破棄もされ、修道院へと送られてしまう。そして誰にも愛されることなくそこで一生を終えた。
「どうしてお母様はその話ばかりするの?」
当時、ノーデルは三歳でアンティのお腹はすでに新しい命が宿っているため膨らんでいた。
いつもいつも母が語るのは同じ話。王子と子爵令嬢の話を聞くと平和に終わっていい話と思える一方、公爵令嬢の話を聞くと何とも言えない気持ちになるのを幼い頃ながら感じていた。
「……どうしたら公爵令嬢を幸せにできるかノーデルにも考えてほしいのよ」
「悪い人の幸せ?」
「そうね、結果的には悪い人になってしまったのだけど、そうなってしまったのは周りの影響も少なからずあるわ」
「ん~?」
幼子ゆえに母の言葉はよくわからなかった。それでもアンティはにっこりと笑いながら話を続ける。
「兄に嫌われて、父にも相手にされない公爵令嬢について、ノーデルはどう思うかしら?」
「なんか、可哀想……」
「そうね。公爵令嬢の家族がもっと歩み寄れば彼女も王子だけに執着することがなかったかもしれないわ」
「?」
「少し難しかったかもね。でも覚えておくのよ、ノーデル。もしこの先、私が二度と会えなくなってもヴィーチェのせいにしてはダメよ?」
「ヴィーチェ?」
「生まれてくる子の名前よ」
その頃は気にもしていなかったが、なぜか母は生まれてもいない子供の名前をもう決めていたのだ。生まれるまで性別もわからないから、普通は生まれてから名前を決めるものである。
男女によってふたつ名前を考えていた可能性もあるが、おそらく母は第二子の性別はわかっていたのだろう。
「ノーデル。妹が生まれたら優しくしてあげるのよ。感情や正論を押し付けないで、ヴィーチェの自由にさせてあげて」
そう願うアンティの言葉に幼いノーデルは何度も頷いた。そうすると母は嬉しそうに笑ったのだ。幼い頃の記憶なのになぜか印象がとても強かった。
そして妹ヴィーチェが生まれ、彼女が一歳になる前にアンティは病によって帰らぬ人となる。
悲しくて悲しくてノーデルは何度も泣いた。ヴィーチェが生まれたせいで……と考えることはなかった。母にヴィーチェのせいにしてはダメだと言われていたことを胸に刻んでいたから。
むしろ母と接することが少ないヴィーチェの方が母親を恋しく思うのかもしれない。だからヴィーチェが泣くと、ノーデルは優しく撫でてあげた。優しく、いい兄になろうと思って。
大きくなった頃、ノーデルはふと気づいた。母が語っていた物語に出てくる可哀想な悪役公爵令嬢とはヴィーチェのことだったのではないか、と。
母は先見の明があると言われていた人だ。何かしらのきっかけでヴィーチェの未来が見えたのではないだろうか? 娘のそんな結末を変えたくて、愛に飢えさせないように動いたのだろう。
その結果、父フレクは育児放棄することなく、アンティ亡き後もヴィーチェの世話もしっかりとこなし、ノーデルもヴィーチェを嫌うことはなく優しく接して兄妹仲を深めた。
そしてヴィーチェの好きなことを尊重させたおかげもあってか愛に餓えることもなければ第二王子エンドハイトに執着することもなかった。
これならば母が語ったような可哀想な結末にはならないだろう。……だが、それと引き換えでイマジナリーフレンドに執着するのははたして幸せと言えるのだろうか。ノーデルはそれだけが気になって仕方なかった。
亡き母に問いたい。はたしてこれで良かったのだろうか、と。
「今日はリラ様と将来について語ったわ。リラ様の元へ嫁ぐためには学院卒業までにエンドハイト様との婚約を解消しなきゃいけないからそろそろエンドハイト様と真面目に話し合いをしようと思うの」
夕飯にて本日の出来事を語るヴィーチェ。父は気難しい表情でその話に耳を傾けつつ聞き流しているようだ。
ノーデルもヴィーチェの夢物語を話半分に聞くも、活き活きとした顔で話す彼女から目が離せなかった。
「ヴィーチェ。毎日楽しいかい?」
問うつもりはなかったが、気づけば口が勝手に動いた。
「えぇ、もちろん! 特に今はリラ様と毎日お会いできるからとても楽しくて仕方がないわっ」
返答に時間はかからなかった。当然と言わんばかりの返事である。その言葉に嘘は微塵も感じられないので心からそう思っている証拠だろう。あまりにも純粋で自信に満ちた笑顔。
今のヴィーチェなら絶望と憤怒の感情に支配されることはないと断言できる気がした。
記憶が朧げではあるが母と同じような、いやそれ以上と言えるほどの眩しい笑顔を見せるから。
「そうか。……じゃあ次にリラ様と会うときには『いつもヴィーチェを笑顔にさせてくれてありがとう』と伝えてくれるかな?」
そう伝言を頼むと父だけでなくヴィーチェも驚くような表情を見せた。それもそうだろう。イマジナリーフレンドに対して言付けなんて今までなかったのだから。
「えぇ、えぇ! ちゃんとお伝えするわ! お兄様とリラ様が言葉を交わしているみたいで嬉しいわねっ」
よほど嬉しいのか、ヴィーチェは食事中常にご機嫌の様子だった。妹にとって大きな存在になっているリラ様とやらが一体どんな姿をしているのか、一度ヴィーチェの頭の中を覗いてみたいものだとノーデルはぼんやりと考えた。




