ゴブリンは公爵令嬢の現状を打破することを言い放つ
リラはヴィーチェと別れて村に帰ると、すぐに頭を抱えた。自分の感情の浮き沈みに自己嫌悪したからだ。
今回、ヴィーチェが領地に滞在する期間は二週間。それを聞いた瞬間、すぐに感じたのが短いという不満。しかし毎日森に足を運ぶと聞いてすぐにその感情は嬉しいという喜びに変わったが、同時に人間の娘の存在に一喜一憂する自分が許せなかった。
ヴィーチェがいなかったらいなかったで静かで物足りないし、また俺のことを誰彼構わず吹聴してるんだろうとか考える始末。
常に頭のどこかにヴィーチェが存在する。何度頭を振っても、別のことを考えようとしても耳に残る自分の名を呼ぶ彼女の声と眩い顔が浮かんでくる。
何度気のせいだとか、気づかないフリをしようとも時折感じる胸の高鳴り。最初は病気だと思った。けれどその症状はヴィーチェと共にいたり、考えたりすると発症する。
伴侶ができた仲間達が馴れ初めを語るとよく出てくる、ときめくというものと酷似していた。
「あーーっ!! くっそ!!」
髪を掻き乱しながら鬱憤を発散するように叫んだ。村の中なので周辺の仲間達がギョッとした様子でリラへと視線を向けるも、彼はそれを気にしない。むしろ気しなければいけないことは他にあるのだから。
「随分と荒れてんなぁ、リラ。またおチヴィーチェに感情を振り回されてるのか~?」
そこへ揶揄う気満々のにやついた表情をした友人アロンがリラの前へ姿を見せる。……また面倒臭い奴に絡まれるな。そう思ったリラは嫌そうな表情を前面に出す。
「黙れ」
「まだ話し始めたばかりだろ。会話しようぜ」
「お前は最近俺を揶揄うことに生き甲斐を感じてるだろ」
「否定はしねぇな」
へらりと笑うのがまた腹立たしい。すぐにでもその顔を鷲掴みにしてやるべきか。
「ま、それよりさ、おチビちゃんに何を言われて情緒不安定になってんだ?」
「情緒不安定じゃないっ」
「いいからいいから」
とても面倒臭い。ただただ面倒臭い。なぜならアロンは面白がっているから。こいつの玩具にはなりたくないが、余計なことを言えば手を出せばいいだけか……と、結論を出したリラはさっさと解放されたいためにヴィーチェとの話を語る。もう一度改めて「情緒不安定にはなってないからな」と強調して。
「今回の休暇は二週間しかないから毎日顔を出すんだとよ。それが鬱陶しいだけだ」
「っていうのは建前でー?」
早速にやにやした顔で揶揄いモードに入るアロンの脳天にげんこつをかました。よほど響いたのか、アロンは悲痛な声を上げて頭部を押さえながらしゃがみ込んだ。
「殴るぞ」
「殴ってから言うなっての! ほんっとお前素直じゃねーのな! おチヴィーチェを見習えよ!」
「言い残したことはそれだけか?」
「息の根を止めようとすんな! ったく、相変わらずすぐに手が出る奴だなお前は……」
ぶつくさと文句を口にする友人だが、毎度のことながら学習しないそっちが悪いんじゃないのかとリラはじとっと睨みつける。
「それにしてもおチビちゃんがガッコーってのに行ってもう一年になるんだなー。何年行くんだっけ?」
「三年で卒業だとよ」
「ってことはあと二年おチビちゃんとこういう生活が続くわけね。ところでさ、純粋な疑問なんだけど卒業したあとオチヴィーチェってどうすんの?」
その質問をされてリラは考えた。学び場を卒業したらあいつはどうするんだ? 立派な淑女になるために~、と言っていたがそのあとのことは聞いていない気がする。
……そういえば村に住むのは学院を卒業するまでは我慢するとか言っていなかったか? ということは、それはつまり……。
押しかけ女房になるかもしれない。
今までのヴィーチェのことを思えば確実に実行されるだろう。……いや、さすがに家族が引き止めるよな? そもそも娘が森に住むなんて言って行方知れずとなれば、また人間共が娘を捜索しに森に立ち入るだろう。
「……知らん」
とりあえずアロンにはそう答える。相手は「なんで知らないんだよー」と不満げであった。
「知らないものは知らないんだよ。そもそも学院を卒業した貴族がどうするかなんてゴブリンがわかるわけもないだろ━━」
「婚約者のいる娘なら卒業と同時に輿入れすると聞くがねぇ」
突然の割り込む声にリラとアロンは驚きに言葉を失った。先ほどまでいなかったのにいつの間にか長老である大婆(年齢不詳)が二人の間に立っていたから。背が低いから気づかなかったのか、それとも気配を消すことができるのか、相変わらず未知で奇妙な老婆である。
「びっ、くりした~! 大婆じゃん!」
「いつから話を聞いて……いや、それよりも大婆はそこまで知っているのかよ」
「ほっほっほ。若い頃は色々と経験したものじゃ」
それは一体何年前の話になるのか。聞きたいような気もするが、それよりも気になることがある。
「……というか、大婆の話が本当ならヴィーチェは卒業後、婚約者の王子と結婚しなきゃいけないんじゃないのか?」
「婚約者なら卒業後すぐじゃなくともいつかはそうなるだろうな」
「王子の伴侶ならば妃教育もするだろうねぇ」
「勉強が終わってもまた勉強かよ? おチビちゃんも大変だなー……って、リラと結婚する気満々だから王子は捨てられるだろ?」
「アロンや、権力が強いのは王子や国王じゃ。王族が切らない限り、捨てたくても捨てられないものよ」
そう。確かヴィーチェは婚約を解消したいとずっと言っていた。どう足掻いてもヴィーチェ側から無効にはできないのだ。
それどころか婚約関係を無理やり維持しておきながら王子は別の娘に想いを寄せているという。そんな状態でヴィーチェが嫁ぐなんて……嫁ぐ。いや、本当に嫁ぐのかあいつ?
ただでさえ家でも脱走癖があってここに来るような奴だ。むしろ嫁いでからでも同じことを繰り返しかねない。しかしそうとなると王妃が一時的にでもいなくなっただけで大事になるのではないか。
想像しただけで気が滅入った。王妃の地位に着けばさらに警備が強くなるだろうし、騎士団が毎日森に足を踏み入れる可能性だってある。
「どうやって言い聞かせたらいいんだ……」
婚約が破棄にならないのなら王子との結婚は間違いないだろう。来るなと言っても反発してでも来そうなのがヴィーチェだ。どう言いくるめたら森に近寄らなくなるのか。
他の人間にこの場所が知られないように、村のみんなのために。そう考えるリラだったが、視線を感じたのでアロンに目を向けると「何言っても無駄だと思うぜ。何年おチビちゃんとつるんでるんだよ」と呆れながら言うので「うるさい」と返すしかなかった。
◆◆◆◆◆
「……お前は学院を卒業したらどうするつもりだ?」
翌日、ヴィーチェと会ったリラは尋ねるか尋ねないか考えたのち、結果として尋ねることに決めた。その問いに意味があるかはわからない。ただ本人の考えを確かめたいだけ。
「もちろんリラ様の元へ嫁ぐために村に移住するわ!」
返答に時間はかからなかった。さも突然のように語るのだからやっぱりなと思うと同時にそれを許すわけにもいかない。
「駄目だ」
「! まだリラ様に相応しくないのかしらっ?」
相応しいか相応しくないかと言えば、こっちの方が相応しくないが……と、考えたところでリラはそんなことを考えてる場合じゃないと軽く頭を振る。しかしそれを見たヴィーチェは違う意味に受け取ったようですぐに破顔した。
「相応しいって仰ってくださるのね!」
「まっ、言ってない! というか話を聞け!」
「はい! 何なりと!」
にっこにこと喜びながらリラの話に耳を傾けようとするヴィーチェ。いつものことながら調子が狂いそうになるが、リラは意を決して話す。
「そもそもお前は一国の王子と婚約関係だろう。そんな状態で村に移住なんてしてみろ。昔みたいに騎士団が森に入って捜索でもされたら仲間の命に関わるだろうが」
「そうね、王妃になる婚約者がいなくなったら国としては動かざるを得なくなるわ」
「……理解してるなら話が早い。聞いた話だと婚約者がいる女は卒業後すぐに婚姻するそうだな。そうなるとお前を村に住まわせるわけにもいかない。王族との関係を切らない限り卒業後は森にも来るな」
はっきりとした拒絶の言葉。真面目に受け取ってもらうためにも声色は冷たく。
小娘の我儘を許しすぎて仲間達の平穏を脅かすことだけはあってはならないのだ。ゴブリンを束ねる頭として責務を果たさねば。
「リラ様が不安になさるのも重々承知しているわ。リラ様はいつだって仲間を第一に考えるお方。そのためなら妻になる私と距離を取らざるを得ない決断を強いられることもあるものっ」
「……」
真面目な話をしているのに指摘したくなる言葉を言い放ってきた。それではまるで俺が苦渋の決断を下したみたいに聞こえるだろ、と。
「でも安心して、リラ様。私だって綺麗さっぱり関係を断ち切ってから嫁ぎたいもの。絶対に卒業までには婚約を解消するつもりよ。どんな手を使ってでも!」
最後の言葉を聞いて一層不安になる。ヴィーチェがどんな手を使ってでも、なんて言ったらとんでもないことをやらかすことしか想像できないのだから。
……まぁ、本人も迷惑になるということを理解しているのならあまり心配はいらないのかもしれない。
ホッとしたのもつかの間だった。リラはすぐに大事なことに気づく。
「でも婚約解消さえクリアすればリラ様の村に住んでもいいのよねっ。今から楽しみだわ!」
そう、それだ。別に認めたわけではないがヴィーチェを説得するためとはいえ、そういう意味に受け取られるような言い方をしてしまった。
ヴィーチェの興奮が凄まじい。婚約解消へのやる気が満ちているくらい。
しかし認めてはいないとはっきり言ったっていいのに、ここまで喜ぶ娘に水を差す気にもなれなかった。それと同時にヴィーチェに甘くなってしまったとリラは自己嫌悪する。
いや、例え本気で村に住み始めたとしても綺麗好きな貴族の人間が耐えられるような環境ではない。持って二日か三日で絶対に家に帰りたくなるはず。ヴィーチェだって例外ではないはずだ。ゴブリン生活を舐めるなよ。……そう、そのはずなのになぜか彼女ならそれすらも乗り越えてきそうな勢いがある。
何せ幼い頃には家出をして木の上で睡眠を取ったり、魔物と出くわしても動揺しなくなったり、魔虫を触ったり乗せたりするのも抵抗がない。……いや、たったそれだけだ。ゴブリンの生活は貴族の小娘には不便なことだらけなのは間違いない。絶対にもう暮らせないって言わせてやる。
「リラ様の村に移住することになったら私は人間という種族も公爵の娘という地位も捨ててリラ様の元へ向かうわ! だからそのときは私もゴブリンの一員として認めていただけるかしらっ?」
眩い。星屑を散らしたような瞳が真っ直ぐリラへと向けられ、思わず目を細めてしまう。本当に、なぜこうも輝かしい娘が人間に忌み嫌われるゴブリンに好意と愛情を注げるのか。
絶対にこいつの幸せはここにはないっていうのにヴィーチェの気持ちはいつだって直球で揺るぎがない。そんなのをずっと浴びさせ続けられたら、少しくらいは夢を見せてやってもいいんじゃないかという情が湧いてしまう。
「……まずは目の前の問題を片付けてからそういうことを言え」
「えぇ! 婚約なんてすぐに無効にするわ!」
本当にその自信はどこから出てくるのか。……しかし逆に頼もしいくらいだとも思ってしまい、リラは頬を僅かに緩ませた。




