公爵令嬢は抗議活動を行いながら第二王子と男爵令嬢の関係に満足する
薬学講師リュゼートによる緑肌病の治療法発見の手柄を奪われてしまったヴィーチェは真実を訴えるために、学院内で幾度も真相を告げる活動を一人で始めた。
「リュゼート先生は嘘をついておられるのっ」
ある時は事実を書いたビラを配り回り。
「本当はリラ様の寛大なお心によって治療法を教えていただいたの!」
またある時は学院内の掲示板という掲示板にビラを貼り回り。
「そして病気を治すために各地へ足を運んだのは私とライラとスティルトン様のみでリュゼート先生は何もしておられないわ!」
そしてまたある時は大きな看板を持ってあちこちに触れ回った。
しかし配り回ったビラはすぐに捨てられ、掲示板に貼り付けた物も教師達によって全て剥がされ、看板も取り上げられただけでなく、学院長室にまで呼び出されてしまう。
それでもヴィーチェは怯まなかったし、信じてはもらえないだろうと理解してても学院長にも同じことを訴えた。
読み通り相手は頭を横に振ってヴィーチェの言葉を少しも聞き入れてはくれない。頭が痛いと言わんばかりに頭を抱えるくらいにはリュゼートの肩を持っている。
抗議活動を始めて一週間。誰もヴィーチェの訴えを聞いてくれる者はいなかった。ゴブリンの妄言をする令嬢がまたゴブリン絡みの嘘を振り撒いていると思われているのだろう。
「みんなリュゼート先生を信じてらっしゃるのね」
残念だわ、と小さな溜め息を吐いたヴィーチェは学院内にある庭園にて一人でベンチに腰掛けていた。
近くを通り過ぎる生徒や遠巻きでこちらを見る生徒にちらちらと目を向けられているようで「ほら、あれが噂の……」とか「いつも飽きないわね……」と小声で何か話しているのが僅かに聞こえてくる。
何もせずとも注目をされるなんて……と呟いたのちにヴィーチェは嬉しげに笑った。
注目をされる=ゴブリンの話をする人物として認知される=リラ様の知名度も爆上がり。という方程式が出来上がるから注目される分には問題ない。むしろリラ様のことを理解してもらうためにも注目はされたいところだった。
「あら?」
すると庭園にて見覚えのある人物達の姿が見えた。婚約者であり、王位継承権第一位の第二王子エンドハイト・オーブモルゲと男爵令嬢リリエル・キャンルーズである。
ヴィーチェと顔を合わせる度に顔を顰めるエンドハイトだったが、リリエルと二人で並んでいる現在のその表情はとても柔らかく微笑んでいた。
仲睦まじい様子で何よりだわとヴィーチェも喜ばしく思う。しかし未だに婚約の撤回に関する連絡はない。
(あんなに仲がいいのにまだ想いは通じ合っていないのかしら? エンドハイト様ってばシャイなのね)
意外にも奥手なのかもしれない。けれどそれではいつまで経ってもヴィーチェはエンドハイトとの婚約状態が続いてしまう。
未来の旦那様を待たせるわけにはいかないのでヴィーチェとしては早く解放されたいが、やはり王家との婚約解消はそう簡単にはいかないのかもしれない。
けれどそれをどうにかしてもらわないと。元はと言えばエンドハイトが言い出した婚約なのである。公爵家がどれだけ反対しても権力を振りかざして結んだのだから。
それともリリエルと付き合えるようになってから婚約解消するのだろうか。リリエルの返事がどうであれ本気で好いているのなら婚約は早々に白紙にするべき。
ヴィーチェだってリラと共に過ごせるのなら爵位も種族もいつだって捨てる覚悟を持って生きている。全ては愛するリラ様のために。そう思うとエンドハイトは……。
「意気地無しだわ」
ぽつりと声が出てしまった。静かな庭園に漏れた声は呟いただけの声量とはいえ、内容まで理解できなくとも聞こえる者には聞こえただろう。
目視できる距離のエンドハイトとリリエルもその声で気づいたのか、それともその前から気づいたのかはわからないが、視線をヴィーチェに向けていた。
エンドハイトのことだからすぐに顔を逸らしてどこかに行ってしまうだろう。二人の雰囲気を邪魔するわけにはいかないのでここでは挨拶もせずに気づかないフリをするのが一番だとヴィーチェは考えた。
しかしエンドハイトはヴィーチェから離れるどころか、こちらへと向かって歩いてくるではないか。
「ごきげんよう、エンドハイト様」
珍しく相手からこちらに目掛けて来たので気づかないフリをするわけにもいかないため、ヴィーチェはベンチから立つとスカートの裾を摘んで挨拶をする。
「今回は随分と盛大なホラを吹いてるようだな」
相変わらずヴィーチェを小馬鹿にするような言葉。いや、あまり会話を交わすことが少なくなったのでこのように面と向かって馬鹿にされるのはむしろ久々であった。
「あら、何のことか心当たりがないわ」
「哀れな女だ。まぁいい、お前のやらかしが大きければ大きいほど、落ちぶれていくのは愉快だからな」
「エンドハイト様は何を勘違いなさっているのかわからないわ。私は間違っていることを間違っていると訴えているだけなんだもの」
「はぁ……相変わらず話にならないな、お前は。薬学講師の手柄を妄想上のゴブリンのものにしたいだけだろ。誰がそんな馬鹿げた世迷言を信じるんだか。貴様は頭の病気だな」
侮蔑した物言いには優しさの欠片もない。きっぱりと断言するエンドハイトの言葉はまるで刃のようだ。
「ご心配をしてくださるのはありがたいのだけど、お医者様でもないのに病気だと判断するのはよろしくないわ」
「ッ!」
しかしその刃はヴィーチェの心には効かなかった。エンドハイトはそういう人間だということをヴィーチェはよく知っているし、そのような言葉で傷つくほどメンタルは弱くない。
そんなことで落ち込んでいたらリラ様のことを考える時間がなくなってしまうから。
ヴィーチェは常に愛する人のことを考えたいので人の言葉で傷つく暇なんてないのだ。
そんな彼女の返しにエンドハイトは眉間に皺を寄せて不愉快だと言わんばかりに顔に出した。
「私に口答えするな! 王妃になったつもりでいるのも今のうちだからな!」
まるで絵に描いたような暴君の台詞だ。王妃になるつもりなんてこれっぽっちもないのに、なぜそれくらいで癇癪を起こされるのかヴィーチェには理解できなかったが、それを問いかける前にエンドハイトはヴィーチェに背を向け立ち去ってしまった。
もしかして彼はヴィーチェが王妃になりたいと勘違いしているのかもしれない。今のエンドハイトにとってはその座はリリエルに相応しいと思うのも不思議ではないので、彼の逆鱗に触れたのだろう。
しかし何度もリラ様が一番だと言っているのにどうして信じてくれないのか。
もう少し話す隙があれば「王妃になったつもりもなるつもりもないわ。安心して」と伝えられたのに、とヴィーチェはほんの僅かだが後悔した。その後悔はすぐに気にしなくなるけれど。
「あら? キャンルーズ様、エンドハイト様とご一緒しなくてよろしいのです?」
ふと、気づいた。ずっとエンドハイトの後ろに立っていたリリエルがまだ残っていたことに。俯き気味でその表情は見えない。
「そういえば休暇中にお送りしたお手紙は届いていたかしら? あれからちゃんとお話できなかったので改めてお礼を言わせてちょうだい。ありがとう、リラ様に会わせていただいて」
「……」
あれから、というのはゴブリンに会わせてあげると言ったリリエルによって魔物の森へと転移された日のこと、そして落とし穴に落ちた日のこと。
リラに助けられ、リリエルの言葉通り会うことができた。手紙にもしたためたが、特に返事もなかったのでもう一度そのお礼を告げるも相手は黙ったまま。
「キャンルーズ様?」
どこか具合でも悪いのかしら? そう思い顔を覗いた瞬間、大きくカッと開いた目と合った。殺気がこもり、酷く血走っている。
「……どうやって、あそこから出たのよっ……」
ぼそりと呟く言葉には恨めしそうなドスの利いた声。怒っているのは間違いないだろう。
不慮の事故で自分が落ちたからリリエルが助けようと必死に動いていたのかもしれない。いざ助けようとしたら穴の中はもぬけの殻だったから、無駄になったとお怒りなのかも。しかし抜け出した理由も手紙に書いたのだけど届いてなかったのかしら?
そう考えたヴィーチェは今一度、陥穽から脱出した理由を口にする。
「リラ様に助けていただいたのよ」
「馬鹿の一つ覚えみたいに、リラ様リラ様リラ様……っ!」
「うふふっ、照れちゃうわ」
「褒めてないっ! 何なのっ、あんた気味が悪いわっ。人間じゃないみたい……」
人間じゃないなんて初めて言われたのかもしれない。頑張ればゴブリンに近づけるかしら。どうやってなれるかは知らないけれど……なんて呑気なことを考えるも、リリエルが何かに気がついたような表情を見せた。
「……もしかして、あんたも私と同類……?」
同類? 首を傾げると、僅かにリリエルの髪先の色に変化が現れる。アイビーの葉の色から白と黒の中間色が見えた。じわじわと色が移り変わっていく、そのときだった。
「リリエル! そんな奴、相手にする価値もないから早く行くぞっ」
後ろに着いて来ていないリリエルに気がついたエンドハイトが彼女を呼びに戻ってきた。
リリエルと一緒の時間が過ごしたいのに自分に構っているから妬いてるのねと思い、声をかけたエンドハイトから再びリリエルへと視線を戻す。すると先ほどまで変化しかけていた髪色は元のアイビーのままになっていた。
気のせいだったのかしら。それとも光の加減でそう見えたのかも。不思議に思いはするものの、あまり深く考えなかった。
「は、はい。参りますっ」
ついさっきまでの雰囲気とはまるで違う様子のリリエルはすぐにエンドハイトの元へと駆け出した。
まるで別人のようではあったが、もしかしたらリリエルもまたエンドハイトに想いを寄せているため、今のは恋する乙女としての姿なのかもしれない。
恋は人を変える、なんて言葉があるくらいだ。ヴィーチェ自身には当てはまらない言葉だわと思うものの、それは人それぞれだろう。
どちらにせよ、あの二人が相思相愛なのは確実ね、とヴィーチェは微笑ましく思いながら彼らを見送った。




