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子爵令嬢は喜び、安堵し、義憤する

 翌朝、冬季休暇も明けて学院へと向かう準備をする最中、ライラは前日からヴィーチェにどう謝罪しようかあれこれ考えていた。

 しかし結局上手い言葉は思いつかず、外に出るのも気が重くなる一方、従者が微笑ましげに彼女の名を呼ぶ。


「ライラお嬢様、良い知らせがございます」

「……今の私が喜ぶような良い知らせなのかしら?」

「冬季休暇の間に届いたあなた様宛ての手紙があります」


 その言葉にぴくりとライラは反応する。自分に宛てた手紙なんて出すような人物は多くはないが、たった一人思い当たる人物がいた。

 アルフィーが差し出す手紙を慌てて受け取ると、すぐさま差出人を確認する。


「……」

「良い知らせでしたでしょう?」

「……えぇ」


 確かに思いもよらぬ良い知らせだった。差出人、平民のアインの名前を見て心が少し和むくらいには。しかし問題は手紙の内容なので今度は緊張に身体が強ばってしまう。

 なぜなら最後に出した手紙にはアインが苦しんでいる緑肌病の治療法をしたためたのだが、相手がそれを信じてくれるかどうか不安だったから。

 何せ魔虫ストネンバグを患部に乗せるなんて治療と言えるかどうかも怪しいのだ。ヴィーチェ達と共に治療法を伝え回るのだって最初は難航したし、アインもこんな馬鹿みたいな方法で治るわけがないと思っていないか心配だった。

 この手紙が最後の手紙になっていないように祈る思いで封を開け、恐る恐る中身を確認する。


「……!」

「彼はなんと?」

「お伝えした通りにストネンバグで療治したそうよ」

「それは良かったですね」

「えぇ。彼はかなり重症だったはずだから……良かったわ」


 手紙には治ると思ってもみなかったと感激していて、その喜びが文章量として表れている。緑肌病が進行したせいで歪になっていた文字も最初の頃と同様の端正な字に戻っていた。その整った文で何度もお礼の言葉を綴っていて、ライラも喜びの気持ちで胸がいっぱいになる。

 魔虫で完治するなんて荒唐無稽な話、最初彼はどう思ったのだろうか。半信半疑で試したのかもしれないが、無視される可能性も十分に有り得た。そう思うと試してくれて本当に良かったと思える。


「ずっと動けなかったから今後忙しくなるかもしれないとのことよ」

「と、なると文通の頻度は減るのでしょうか?」

「そこまではわからないけど、これからも交流したいと仰ってくれてるわ」

「そうでしたか。それは喜ばしいことですね」


 本当にそうね。ライラは心からそう感じた。元は緑肌病によってあまり動けないせいで時間を持て余していたのだろう。娯楽の少ないアインがたまたまペンフレンドを探すライラに連絡を取ってくれたのが全ての始まりだ。

 難病から快復すると今までできなかったことを取り戻すため私生活に勤しむというのに、友人としてこれからも文通を続けたいと手紙に語られていて、ライラは嬉しく思う。


「さて。吉報もあり、緊張も解れてきたところでそろそろ学院へと参りましょうか」


 続くアルフィーの言葉にライラは絶句する。ヴィーチェにプレゼントされた物達についての謝罪の言葉を全く思いつかないまま、タイムリミットがきてしまったのだ。

 喜びも一気に急降下し、再び気が重い感情に苛まれたまま、ライラは観念するように寮を出ることにした。



 ◆◆◆◆◆



「あら、気にしなくていいのよ? 私に謝罪する必要はないわ」


 え、あの、と声が出てしまう。それもそのはず、ヴィーチェと共に学院へと向かう最中、ライラが父による暴挙を明かして彼女に謝ると、間を空けることなく許されてしまったのだ。

 いや、確かにヴィーチェならそう返答する可能性は十分にあったし、アルフィーも「ほら、やっぱり考えすぎだったでしょう?」と口にする未来も見えた。


「で、すが、ヴィーチェ様の贈り物を無下にしてしまったのですよ……? 気にしないわけには……」

「ライラが何かをしたわけじゃないのだもの。それにプレゼントなんだからどうするかは自由にしたっていいのよ」


 ライラってば真面目なんだから。と、小さく笑うヴィーチェだったが、はたして彼女の言葉は本音なのだろうか。がめつい父に呆れ、そんな父の娘である自分にも嫌気を差してはいないだろうか。それが気がかりだ。


「だからと言って金銭と交換はさすがにいい気はしないじゃないですか。不愉快に思われないのですか? ヴィーチェ様、本当のお言葉を伝えてくださっても構いません。お怒りになるようなことをしてしまったのですから……」


 本音を隠した優しい言葉より、本音を晒した厳しい言葉のほうがよっぽどマシである。彼女の思いを知れるから。

 しかし相手はきょとんとした顔をするだけ。それを見たライラは察してしまった。伊達に長年ヴィーチェと交流をしてきたわけじゃないのだ。

 この表情は『何を言ってるのかしら?』というそのままの意味で受け取って間違いない。


「不愉快でもないし、ライラを怒る理由なんてないわ。でもあえて言うならライラの物に勝手に手を出した子爵に思うところがあるわね。せめてそのお金をライラに渡さないと意味がないんだもの。……うん、そうよね。ライラの物が取られたんだもの。直接子爵に抗議するわっ」

「お、お気持ちだけで大丈夫です! 家族間のことなのでこちらで解決しますから……!」


 ヴィーチェが父に物申す姿は容易に想像できるし、さらに父が激怒する姿を想像するのも容易い。

 父がヴィーチェに無礼を働くのは絶対有り得そうだし、もし怪我でもさせてしまったらさすがのファムリアント公爵も黙ってはいないだろう。誕生日会のときだって公爵は娘のために動ける良い父親だったのだ。これは間違いない。だからこそ事が大きくなりそうな展開は避けたいところである。


「そうなの? もし、何かあれば頼ってくれていいから遠慮しないでね」

「はい……ありがとうございます」


 さすがのヴィーチェも友人関係を見直すかもしれないと考えていたことが杞憂となってしまった。……本当に気にしすぎだったようだ。それどころか子爵に話をしようとするのだから自分のために動く意思を見せるヴィーチェにライラは頭が下がる思いである。


「でもドレスが減ったってことはまた新たなドレスをプレゼントできるってわけよね。ちょっとドレスばかり贈りすぎかしらって思ってたからちょうど良かったわ。次の誕生日プレゼントも楽しみにしててちょうだいっ」

「そ、それはありがたいことですが、また同じようなことが起こらないとは言えませんし……」


 あの父の様子からしてまた金目になりそうな物が屋敷にあればすぐに手を出すだろう。一度も身体に纏わせることなく奪われる可能性だってあるのだ。そうなればまたヴィーチェに申し訳が立たなくなる。彼女からのプレゼントを無駄にはしたくないのだ。


「それなら私が保管しておくから必要なときに言ってちょうだい。使用しないときはまた私の元へ送ってくれたら再度預かるから」

「そんな、ヴィーチェ様の手を煩わせるようなことは……」

「気にしなくていいわよ。ライラが悲しい思いをするほうが嫌だもの」


 ねっ? と微笑みながら説得するヴィーチェ。父に奪われない方法なんて他にはないのかもしれないけれど、公爵家をクロークのように扱うなんて恐れ多いにもほどがある。

 やはりそれは申し訳ないので、と断ろうとしたが「よし、決定ね!」とヴィーチェはすぐに決めつけてしまう。待って。まだ頷いてもいないのに。口を開こうとするライラだったが、相手は続けざまに会話を始める。


「それよりも聞いてっ! リラ様からいただいた手紙に保存魔法をかけて額縁に入れたのよっ。嬉しすぎて寮にまで持ってきたからまた時間がある時にでも見に来てくれるかしらっ?」


 話題まで変えられてしまった……が、リラ様とやらの話になると急な話題変更はよくあることだった。


 話の内容は冬季休暇中に聞いたゴブリンのリラ様からいただいた手紙による続報である。

 ゴブリンが葉っぱで文字をしたためたと聞いたときはまたこの人は何を言っているんだと思ったが、その気持ちは今も変わらない。浅慮な蛮族であるゴブリンが文字を書けるわけがないのだから。

 せっかくヴィーチェの心遣いに感動していたのに、さらさらと薄れていく。ゴブリンの妄想で全てが台無しだ。

 これさえなければ……と何度思ったことか。しかし決して口にすることなく、ライラは「謹んでお受けいたします……」と答えるしかなかった。


 何はともあれアインの緑肌病やヴィーチェへの謝罪も無事に終わり、ライラの心配事はなくなったのでもう何も気にすることはなくなった……と、思っていた。この時までは。


 学院に着いて早々講堂に集まり、学院長による長い話が始まる。正直あまり面白いものではない。世間話に教訓を組み込んで無理やりありがたい話にしているだけだから。それなら授業を受けるほうがまだ身になる。

 とはいえ真面目な学院生のライラにはサボることなんて頭にはなく、ただ静かに学院長の話を聞いていた。


「━━さて、最後に我がジェディース学院の歴史に残る素晴らしい報告を今からするとしよう。リュゼート先生、こちらに」

「はい」


 ようやく話の終わりが見えてきたと思った最中、今までずっと一人で壇上にて話していた学院長が急に薬学講師のリュゼートを呼んだ。とてもにこやかに。

 学院長と同様、どこか機嫌の良さげなミルクティー色の髪を持つ彼の様子から見ると、よほど良い報告なのだろう。


「リュゼート先生は治療薬も治療術もないと言われていた緑肌病の治療法を発見し、冬季休暇の間に数名の受講生の協力のもと各地に回って処置を行っていたそうです」


 は……? と声が出そうになった。話が理解できない。緑肌病の治療法を普及するために色んな街へ向かったのは自分達なのに、なぜ記憶にないリュゼートまで加わっているのか。むしろ彼は治療そのものを疑っていたのに。


「この成果はフードゥルト国王も激賞しており、近々リュゼート先生は勲章を授かる場を与えられます。皆さん、リュゼート先生に拍手を」


 瞬間、講堂に拍手が響いた。ライラも釣られるように小さく手を叩くがその勢いはない。

 それよりも勲章の授与式まで開かれるというのかという事実に心の中で狼狽した。

 全く状況が追いつかない。勲章をいただく相手はどう考えても治療法を教えてくれたヴィーチェのはず。なぜ何もしていない、信用すらしなかった男にそれを横取りされるのだろう。

 当事者だというのに知らないところで話が進む。受け入れ難い現実に戸惑っていると、学院長はリュゼートにも話をさせようと、演壇に立つ彼に演説台を譲った。


「皆さん、先ほどは大きな拍手をありがとうございます。私はたまたま治療できる方法を発見できただけの運がいい人間です。しかし緑肌病という難病はわからないことがまだまだ多いのが現状ですが、治療ができたことは人類にとって大きな一歩になりました。この世に治せないものなんてないと言ってもいいでしょう」


 穏やかに語るそのでたらめにゾワッと嫌な寒気が走った。何も知らない者達はその高尚さに拍手喝采を送る。

 教え子の手柄を横取りする男の微笑みはライラにとって実に不愉快であった。


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