公爵令嬢はゴブリンの魔力定説を知る
いつもの待ち合わせ場所にアロンがやってきたときは珍しいのねと思っていたが、リラの姿がないことで彼に何かあったんだわとすぐに察した。
「リラの奴、風邪でダウンしてるから今日は会えないんだとよ」と告げられると、ヴィーチェはその原因に心当たりがあったため、リラの容態が気になってしまう。
アロンが言うには丈夫だから寝てりゃ治るとは言うが、ちゃんと暖かくしてるのか、薬は飲んだのか、ご飯はちゃんと食べてるのか、何かしてほしいことはあるのか、と怒涛の勢いで尋ねるが「さぁ?」としか答えなかったため、ヴィーチェはすぐさま「リラ様の元に行くわ!」と決断する。
まるでその判断を待っていたかのようにアロンがへらりと笑いながら快く村の案内を引き受けてくれた。
リラに連れられたときは居場所を知られないため目隠しをされた状態でゴブリン達が住む村へと足を踏み入れたが、アロンはそうしなかった。
目隠ししなくてもいいの? と問えば、彼はあっけらかんと答えた。
「お前は俺らに危害を加えないし、他人にもベラベラ喋らねぇだろ? あと俺にはそういう趣味はないからなぁ」
もちろんゴブリン村については他言無用にするつもりだった。なぜなら愛しのリラ様がそれを望まないから。人間を招きたくないことくらいはヴィーチェならばよーく知っているので、彼が村の場所を知られたくはないのならば喜んでその指示に従うのだ。
だけどアロンは信じてくれているようで村へと向かう足取りに躊躇いはなかった。おチヴィーチェって呼ぶだけの失礼な男性ではないらしい。
方向感覚がわからなくなるほど変わり映えのない景色だけど、切り株のある所が目印のようでそこを右に曲がり、獣道をひたすら歩く。
歩きづらい獣道であろうと長年通い続けてきた魔物の森はヴィーチェにとって散歩と何ら変わりない。むしろ新しい道を進んでいることに高揚感さえ覚える。
道中アロンから色々な話を聞いた。村があるとはいえ他の魔物も住み着く森なので、襲われないように対策として罠を仕掛けたり、一部の魔物が嫌うシャドーフローラという花を植えているのだと。
しかし問題は冬。花は咲かないので冬前に採取したシャドーフローラの花弁を散らすのだが、摘んだ花びらはいつか枯れてしまうので冬初期でしかできない対処となり、罠頼りになってしまう。
今のような冬場になると冬眠する魔物もいれば通年活動する魔物もいるので、村が襲われる確率は高くなる。そのため、冬はゴブリンの男達が火を焚いて寝ずの番もするので体力的にもきつい季節だそうだ。
「まぁ、それも何年か前までの話なんだけどな」
「今は何か変わったってこと?」
「おチヴィーチェがリラに何でも入る上に鮮度を保つ腰巾着みたいなのあげただろ? あれのおかげでシャドーフローラを大量に採取しても枯れずに取っておけるから冬場も花びらを散りばめることができるんだよ」
どんな大きさの物でも容量を無限に設定した拡張魔法と入れた物の新鮮さを一秒も落とさない鮮度魔法をかけられた魔道具のアイテムバッグのことだった。
もちろん全てのアイテムバッグが同じではない。値段によって拡張の設定、鮮度の日数が変わってくる。
ヴィーチェはそれを全て上限無しにしているため、リラの麻袋にかけた金額は相当なもの。
とはいえ平均的に貴族がアイテムバッグを購入するにしても容量は自室~屋敷ほどに、そして鮮度は一年~数年で設定している。物を持ち運ぶ以外にも非常時のための食料やグッズの貯蔵。あまりないことだが、屋敷を丸ごと移動する際に使用したりと、もしものために使われることもある。
リラにプレゼントするにしても拡張も鮮度維持も無限はやりすぎと思われるかもしれないが、ヴィーチェは気にしない。備えあれば憂いなしなので。それに想い人のためなら何も惜しくはない。
そうしているうちにアロンの案内により辿り着いたゴブリンの村。石造りの家は前見たときと変わらず建っているのでリラの住む村で間違いない。
そんな村の周りには先ほど話に出ていたシャドーフローラと思わしき花びらが撒かれていた。
白銀に積もった雪に映えるようなセルリアンブルーの花弁が美しい。そんな村を守るように囲まれた花弁を跨ぎ、村に足を踏み入れると、何人かのゴブリンが手を振ってくれたり挨拶をしてくれた。
ヴィーチェも挨拶を返したり手を振りつつも、アロンの後に続いてリラの家へと向かう。
初めて訪問したリラの家。愛しの相手はすぐに寝入っていることがわかった。頑なに家に入らせてくれなかったので散らかっているのかと思えば、中は殺風景で物も少ない。衣類が少し散乱してるくらいだろう。
村の長老と呼ばれる大婆と同じような家内の造りと広さ。おそらく地位によって広さが違うというようなことはなく、みんな同じような面積なのかもしれない。
「じゃあ、俺はリラのために水でも汲んで来るからよ。様子見頼むわ」
「えぇ、任せてっ」
アロンが水を汲みに出ると、ヴィーチェは寝込むリラの傍らに腰を下ろし、心配そうに彼の頭を撫でる。その後、リラが目覚めたので少し言葉を交わして、再び寝かしつけた。
寝息が聞こえるようになると、ヴィーチェは愛しの旦那様━━になる予定のリラがようやく深い眠りに就いたのだと安堵する。
そして彼女は反省した。防寒着を貸してくれたせいで風邪をひいてしまったのだろうと。彼の優しさに甘えてしまったことをとても申し訳なく思う。
しかしヴィーチェは顔色を曇らせない。反省したなら挽回するしかないのだと気持ちを切り替えた。くよくよしていたらさらに心配をかけてしまうだろう。何せ優しい彼のことだ。ぶっきらぼうな物言いをしても、気にかけてくれるのだから。
「よっ。リラの様子はどうよ?」
「さっき目覚めて今寝たところよ。顔色はそこまで悪くなさそうだから少しだけ良くなっているのかもしれないわ」
樽のような容器から水を持って帰ってきたアロン。その水を使ってリラの額に乗せられた布地を濡らしては絞り、再び額の上へと乗せた。
そしてリラとの約束通り、ヴィーチェは彼の住居を出て帰ることにする。
「お前ならもっと居座るかと思ったのに」
アロンと共に村の出入口へと向かう途中、意外そうな表情で相手はそう告げた。
「リラ様と約束したというのもあるのだけど、私がいることで気を遣わせてしまったら申し訳ないもの。病に患っているなら尚のことよ」
「お前でもそういうこと考えるんだな」
「当たり前よっ。リラ様の妻になるんだもの! でもこういうときこそ魔法が使えないのは歯がゆいわ。温度魔法で部屋を暖めたり、水魔法で新鮮なお水を出して差し上げたいのに」
「あ~。おチヴィーチェは魔力なしっつー話だったな」
おそらくリラから聞いたのだろう。ヴィーチェは幼い頃の魔力適性検査にて魔力ゼロの魔力なしと判定された。
人には少なからず魔力を宿しているが、ヴィーチェのように魔力がゼロというのは珍しいものである。
魔力ゼロは欠点のように扱われることが多いが、ヴィーチェの場合それを上回る利点の多さと、妄言ゴブリン令嬢という欠点の印象が強いため魔力ゼロというのは霞んでしまう。
「でもよ、魔力なんていつか目覚めるかもしれないんだし、絶対ないとも言いきれないだろ?」
「え? 魔力って天性的なものでしょう?」
「マジ? 人間はそういう考え方なのか? 俺らにとって魔力ってのはそれを持つに相応しい性質になった瞬間から授かるものって教わってるけどな」
ヴィーチェの知る魔力定説がひっくり返るような話だった。魔力とは生まれつきに備わっているものとして、生まれたときから幼少期の間に魔力適性検査を受けるもの。それによって将来の職が決まると言っても過言ではない。
とはいえ、ヴィーチェの将来はリラの妻になることなので魔力の適性はあまり気にしていないし、あればラッキーな程度でしかなかった。
しかしアロンの言うように魔力を宿すのは天性的なものだけではなく、後天的なものもあるとすれば今までの常識も変わるだろう。魔力なしと呼ばれる人にも希望が持てるわけだ。
「後から魔力に目覚める可能性なんて考えもしなかったわ」
「もったいないのな。魔法使えるか試したことねーの?」
「幼い頃に魔力なしって教会で告げられてから魔法理論の勉強はしたけど実技はしてないわね」
「ゴブリンにとっちゃ魔力を測定するもんなんてないから、たまに魔法を使えるか試して魔力があるかないか判断してるからな。知らないうちに魔力に目覚めてるかもしれないし、一度試してみろよ」
「それもそうねっ」
魔力なし=魔法が使えないものとして当然の生活を送ってきたヴィーチェ。歳を重ねてから再度魔力適性検査を受けることなんてまずないため、もし気づかないうちに魔力が宿っていたらと思うと試さないわけにはいかない。
とはいえ魔法実技を行ったことがないため、魔法を発動する際の魔力を練り上げるイメージがいまいちピンとこなかった。理論はわかるが実技となるとまた別である。
けれど知識として、魔力を練り上げるイメージをしやすくなる方法、魔法動作を何かひとつ加えれば成功率が上がることをヴィーチェは知っていた。
好奇心でワクワクと心が跳ね上がる。もしも魔法が使えたらと思うとヴィーチェはどれだけリラに貢献できるか考えるだけで想像が止まらない。
ヴィーチェは片手を突き出して、自信満々に口を開く。
「ウォーター!」
……しかし、何も起こらなかった。魔法動作の相性が良くなかったのかしら? と思い、今度は手を叩いて魔法名を唱えてみる。
「ファイア!」
……これもまた不発である。初級魔法として有名なこの二種類が発動しないのなら魔力は備わっていないと断言できるだろう。
「ぷっ! だっはははは! 全然ダメじゃん!」
魔法発動の結果を見て大笑いするアロンにヴィーチェは口をへの字にする。
「何よっ。アロンはできるって言うのっ?」
「俺にそれを聞くのか? 見てろよー」
自信のある笑みを浮かべる様子からして、もしかしてアロンは━━そう思った瞬間だった。
「ファイア」
パチン。と指を鳴らした。しかし、うんともすんとも言わない。それを目の当たりにしたヴィーチェは瞬きを繰り返す。
「見ての通り、俺も魔力はないな」
「自信満々で言うことだったの?」
「もしかしたら魔力があったかもしれないじゃん?」
そうだとしても紛らわしい物言いではあるが、彼も同じく魔力なしだということは判明した。
「リラ様も魔法は使えないって仰ってたけど、村のゴブリンの皆様の中で魔力をお持ちの方はどのくらいいらっしゃるのかしら?」
「今のとこ大婆だけだな」
「あら。大婆様お一人だけ?」
「まぁ、種族によって魔力の授かりやすさがあるのかもな。元々ゴブリンは魔力持ち少ねーんだわ。だから魔法使いゴブリンなんてレアなんだよ」
「でも魔力を授かる可能性はゼロじゃないのよね。もしリラ様に魔力が備わったらさらにお強くなるんだわ! またリラ様の魅力がアップするのねっ」
「……ほーんと、お前はリラ基準で考えるよな」
そこが面白いんだけど。そう呟くアロンの言葉を聞き流しながらヴィーチェはリラが魔法を使用する妄想の世界に浸っていた。大きな炎を操るリラ、洪水を呼び起こすリラ、巨大なゴーレムを従えるリラ。魔力を持ったリラというだけで彼の魅力には無限の可能性がある。
その後、ヴィーチェは送ろうかと尋ねるアロンを断ってリラへの言付けと看病を頼んだ。そして一度で覚えた森の中を抜けて彼女は帰宅した。




