ゴブリンは限界だったので床に伏せる
ヴィーチェから返された魔物の毛皮でできた肌衣はしっかり洗濯をされたようで、長年染みついた獣臭さが少し薄れていた。
水洗いでは落ちなかったのに何かしら薬剤みたいなものを使用したのかと思われる。さすが金持ちだ。さぞかしお高いものなんだろう。
しかも破れていた場所も縫われている。そこまでしなくてもいいが、着用期間が増えると思えばそれも悪くはない。
(それにしても……いつも通り元気だったな)
村へと帰ったリラはふと、ヴィーチェの様子を思い出す。そう、いつも通りすぎて忘れてしまいそうになるが、ヴィーチェは昨日この森深くの落とし穴に落ちて身動きが取れなかったのだ。しかも寒いこの時期に。
風邪をひいてもおかしくはなかった……のだが、どうやら病にはかかっていなかったようだ。脆弱な人間の身体のくせに運がいい奴だ。
そう思うと同時に少しばかり安堵してしまうが、それは面倒事にならずに済んだとリラは自分に言い聞かせる。
「……ん?」
石造りの寝るだけの家へと帰ればリラは自身の違和感に気づいた。何やら喉がおかしい。何かザラザラしたものが張りついているような、イガイガするようなそんな感じだ。
試しに「あー、あー」と声を出してみる。いつもの声より少しおかしい気がした。
声が枯れるほど話をした覚えはないが、自覚がないだけだろうか。
夜が更けてもその違和感はなくならず、リラは不思議に思いながらも保温性のある大きな葉と魔物の毛皮を縫いつけた布地をともに被って就寝した。
翌朝、少し身体が熱っぽいような気がしたが、リラは何かの間違いだと身に起こる異変から目を逸らした。
なぜなら身体は動くし、もし万が一この現象が風邪だとすれば、たった一日毛皮を纏わなかっただけで体調を崩したということになる。それでは軟弱な人間と何ら変わらないではないか。
そんなプライドもあってか、リラはその日も変わらない一日を過ごした。全力で狩りをし、新たに夫婦となった仲間のために新居となる家を作ったり、と動き続ける。
運動をすれば、汗をかけば不調も吹っ飛ぶだろう。いや、風邪じゃないけど。と、己に言い聞かせて。
念のためその日は早めに床に就いた。
「……なんで悪化してんだよ」
さらに翌朝、リラの喉はガラガラになるだけじゃなく痛みまで出てきた。身体の節々まで痛いような熱も持っているし、体温も上昇している。これはもう間違いなく風邪だ。認めざるを得ない状態である。
体調不良を認めたのならば休むのか? その答えはノーだった。なぜならばリラは村のみんなを束ねるボスであり、怪力で腕っぷしも村一番。だからこそ誰よりも一番動かなければならない存在だと自負している。
それに身体を動かせないわけではない。仲間の飯を蓄えなきゃならないのだ。冬場は冬眠する動物も多いし、魔物も餌を蓄えようと必要以上に狩りに出るだろう。飯の取り合いだ。
ヴィーチェが寄越した拡張魔法がかかった麻袋を腰に引っ掛けているおかげで食料の備蓄もなくはないが、もっと欲しいし、沢山あって損はしない。
「おっはよーさん、リラ」
ひとまず熱い顔を洗おうと外に出ると、リラよりも厚めの防寒着を着用するアロンが挨拶する。
「……はよ」
たった二文字とはいえ、喉の酷さは相手にも伝わったのだろう。アロンは驚きに瞬きを何度もする。
「え? なんだよお前のその声? 風邪でもひいたのか?」
「喉がやられただけだ。風邪じゃない」
「いや、喉がやられてる時点で風邪だろそれ。何やってんだよ。寝てろよ」
「寝てられるか。仕事があるってのに。それにしんどくない」
本音を言えばしんどくないわけではないが、かなりしんどいというわけでもないので、ここは都合のいいように答える。
「よく見りゃ顔も少し火照ってんじゃねーの? 無理すると後でぶっ倒れるかもしれねーだろ。無理はせずに休んでおけよ」
「心配するな、大丈夫だ」
これ以上引き止められたくはないので半ば強引に話を切り上げ、リラは近くの川へと顔を洗いに向かう。後ろでは呆れるような友人の声が聞こえたが、それすらも冬の風とともに聞き流した。
村から徒歩二、三分ほどにある川の浅瀬。水は冷たいが凍るほどではない。ならばそこまで寒くないだろう。それがリラの考えだ。頭まで逆上せそうな熱さを感じるが、両手で掬い上げた冷や水を浴びると少しばかり冴えるような気持ち良さがあった。
これなら狩りに行けるな。と、顔をぶんぶんと振って水気を飛ばし、そう判断したリラは女性陣が用意した朝食である焼き魚を数本食べた。
それでも少ない方でいつもなら倍以上は平らげているため、料理担当の女性達は不思議そうにしていたが、理由を聞かれる前にリラはいつもの通り身一つだけで狩りへと出かけた。心配されてしまう前に普段より早めの行動をし、とっとと休もうと考えて。
その後、結果を言えば狩りは無事に終わった。ブラッディベアを仕留めたリラは獲物を抱えて村へ帰ろうとするのだが、その道中激しく息が切れる。
いつも以上に体力を消耗したような感覚だが、正直そこまで動いたつもりは彼にはない。
気を抜くと足先の力が抜けてしまいそうで全神経を集中させねばならなかった。
気づけば頭も痛くなっている。治るどころか朝よりも酷くなっていて、さすがのリラもマズイ状態だと思わずにはいられない。
こういうときに限って拡張魔法がかかった麻袋を保存食の倉庫代わりに使用させるため、女性陣に預けてしまったので獲物を麻袋に詰め込むこともできなかった。その後悔はかなり大きい。
足取りが重い中、リラはやっとの思いで村に帰りついた。本来なら次は仲間の新居となる巨大な石探しに向かうつもりだったが、体調が思わしくない。正直もうやってられないし、すぐにでも寝床に就きたかった。
担いだ獲物の解体を他のゴブリンに任せると、友人が呆れ顔で笑いながらリラの前に現れる。
「お前、へろへろじゃんか」
「うるさい……俺は寝る。今日はもう何もできないからな」
「おー、そうしろそうしろ。っつーか、その判断が遅いんだよ。倒れてねぇかヒヤヒヤしてたんだぜ」
そうかよ。そう返事もできないほどの倦怠感に襲われながらリラは寝床へ帰った。歩くだけで息が切れる。倒れたほうが楽なくらいにしんどい。
体調を崩すなんて何年、いや、何十年ぶりだ? 子供の頃に患って以来と記憶しているので約三十年ぶりか?
とにかく寝ようとリラは倒れる勢いで就寝する。早く治さないと狩りもできやしない。それに明日はあいつが……と、考えたところでリラの意識は途切れた。
べちょっ、と額に冷たい何かが乗った感覚がして、リラは薄らと目覚めた。瞼が重たい中、見えたのは友人の姿。
「よっ。気分は?」
「変わりなくて腹が立つ……」
そう。体調は相変わらずだった。体温は高いし動く気力もなく力も入らない。ただただ病特有の怠さしかなかった。
「八つ当たりすんなよ。無茶して悪化させたのはお前自身なんだから自業自得だろ」
「……」
アロンの言葉はもっともである。だからこそ返す言葉はなく、眉間に皺を寄せるしかなかった。そういえば、と額に手を当てればそこには濡れた布地の感触。
もしかしなくとも目の前の男が乗せてくれたのだろう。しかし結構な量の水を含んでいるようで漏れてくる。できればもう少し絞って水気を取ってほしいところだ。残念ながらそれを指摘する気力もないのだが。
アロンが様子を見に来たことや、出入口の明るさからして朝を迎えたことは確か。今日一日の狩りやら雑用、作業が待っている。
「絶対に動くなよ。今日はずっと寝てろよな」
起き上がろうとしたらそれを読んでいたのか、アロンによって止められた。呆れるように溜め息を吐きながら。
「不調のまま動かれたら俺らにも移るかもしれねぇだろ。それに治るもんも治らねぇ。ガキでもわかる常識なんだから治るまで寝てろ」
そこまで言われたら大人しくするしかない。仲間に迷惑をかけたいわけじゃないので、ここはアロンの言うことを聞くしかなかった。
だが、気がかりなことがひとつある。
「頼みがある……」
「おう。珍しいじゃん。お前から頼み事なんて。何でも言えよ。果実でももいで来ようか?」
「……ヴィーチェに、今日は会えないって伝えてくれ」
三日に一度のヴィーチェと会う日。おそらくこのまま寝込んで無視を決め込めばヴィーチェを寒い中待たせることになるだろう。それにあいつのことだ。何が何でも待ち続けそうな気しかしない。それこそ何時間も。そうなれば今度こそあのヴィーチェも風邪をひくだろうが、最悪倒れられでもしたらまた面倒事になりかねない。
それだけがリラの気がかりであった。だから事情を話せば早々に帰ってくれるだろうと思い、リラはアロンに言付けを頼む。
アロンは意外と言わんばかりに瞬きをするが、すぐににんまりと笑みを浮かべた。
「りょーかい」
からかう言葉のひとつでも言うのかと思えばそんなことはなく、アロンはリラの頼み事を受け入れた様子で出ていった。さすがに向こうも病人相手に怒らせるようなことはしないのだろう。無駄に体力を消耗せずにすんで良かったと言える。
気がかりであったヴィーチェのことはアロンに任せたことで安心したリラは再び瞼をゆっくりと下ろした。休息を求める身体に従い、彼はそのまま眠りに落ちる。
サラリと髪が流れ落ちた気がして意識が僅かに浮上する。まるで撫でられてるような手の感触。子をあやす親かよと思いながら、それは夢にしては子供じみた内容である。
どこか他人事ではあったものの、何だか心地良く感じた。だからこそ悪くない夢として再度深い眠りに就こうとしたが、一気に目の覚める一言がリラの耳に入る。
「リラ様」
「!」
カッと目を見開いたリラが最初に見た光景は石造りの天井ではなく、何度も見てきた人間の娘の顔であった。まさかの相手に驚いたリラは慌てて飛び起きる。
唐突なことで情報が処理できずに混乱しながら、夢か現実か判断を決めかねた。
いや、普通に考えればあの娘が村にいるはずがない。ならばこれは夢か幻覚か。だとすればリアル過ぎる。まるでヴィーチェに会いたいと望んでいるみたいじゃないか。
何だか忌々しい。夢なら早く覚めてほしい……と、願った矢先のことだった。
「起きちゃダメよリラ様っ! 体調が優れないのだから寝ないといけないわ!」
「本物かよっ!? いや、なんでお前がここにいるんだっ!?」
虚像と思わしきものが口を開けばそれは紛れもなく本物の肉声であり、はっきりとした意識と床から感じる冷えた感触が現実だと突きつける。
「リラ様がご病気で伏せられてるってアロンから聞いたの」
「そりゃそうだろうよ。俺が伝言を頼んだからな……」
「そんな弱った未来の旦那様を一人になんてできないからリラ様の看病をしようとアロンに案内してもらったわ」
「くそっ、やっぱりそうかよっ」
薄々そうなんじゃないかとは思っていた。アロンのことだ。きっと面白そうだと判断して連れて来たに違いない。あいつ、余計なことを……。
ということは、秘匿していたこの村の場所をこいつに知られたということか。アロンの奴、治ったら殴ってやる。
「それよりも早くお休みになって。アロンの言う通り声がいつもと違うもの。でもリラ様の声帯から発する音は例え風邪声であっても素敵なことに変わりないのだけど。不謹慎ながら後世のために残しておきたいくらいだわ」
「お前がいるのにのうのうと寝てられるかよ……」
「まぁ、リラ様ったら! そんなに私と一緒にいる時間を大切にしたいのねっ」
「……そう言う意味じゃない」
はぁー。と嘆息をこぼしたリラだったが、体調が朝よりマシになっていることに気づいた。完全ではないがそれでも快復に向かっているとわかって少なからず安心する。
だが今は目の前の娘をどうするかだ。何せ虚弱体質な人間である。移ってしまう可能性だってあるのだ。だからリラはヴィーチェと距離を取る。
「リラ様……? ハッ! リラ様ってばもしかして私に移らないように配慮してくださってるのっ?」
こういうときだけ意図を汲み取るのが腹立たしい。だが、こっちがわざわざ説明をしなくて済むのならそれはそれでいい。
「理解してるならさっさと帰れ」
「大丈夫よ、移らないわ!」
「どこからくる自信だよそれは。お前がいるとおちおち寝てられないから治るもんも治らないんだよ」
「あら、それは大変だわ」
「あぁ、大変だ。だから早く帰っ━━」
「それなら子守唄を歌うわね」
「帰る以外の選択肢を増やすなっ」
そもそも人間の小娘に子守唄を聞かせられるなんて屈辱的すぎるだろう。それだけは避けたかった。
「でもリラ様に寝ていただかないと私も心配で帰れないもの」
「……わかった。寝るから帰れ」
「見届けたら帰るわ」
にっこりと笑うも寝ない限り意地でも帰らないヴィーチェにリラは諦めるしかなかった。こうなりゃ寝たふりでも何でもしてとっとと帰ってもらわなきゃいけない。
渋々ではあるが、リラは寝床へと戻る。ふふふと笑って傍にいるヴィーチェが気になるが一刻も早く帰ってもらうように目を閉じた。
「……。リラ様、寝たかしら?」
……早いだろ。まだ数分も経ってないというのにヴィーチェが問いかける。しかしここで返事をすれば帰ってくれないと考えてリラは口を開くことはなかった。
「聞いた話よりもリラ様の体調は落ち着いてるようで安心したわ」
(そりゃ良かったな……)
「リラ様に何かあったらと思うと気が気でないもの。私のお母様も病で亡くなったから、もしリラ様も同じで命を落としてしまったら……そのときは禁断の蘇生魔法に手を出すわねっ」
(やめろ!!)
思いきり声を上げたかったが、リラはグッと堪えた。蘇生魔法なんて本当に実在するのかもわからない幻のような魔法で、仮に存在したとしても魔力がないヴィーチェには無理である。いや、そもそも勝手に殺すな。
……ていうか、寝かす気があるのか? そう思いながらリラは独り言を語るヴィーチェの話に耳を傾けることしかできなかった。こんな状況で眠れるわけないのに、と苛立つ。
しかしどこかいつもと同じような時間を過ごしている気がしてきた。とはいえリラの相槌はなく場所も違うが、あれやこれやと話すヴィーチェの声は無意識に安堵を覚えたのか、それから三十分も経たないうちにリラは寝落ちた。




