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子爵令嬢は利益がなくなっても公爵令嬢の友人でいることに決める

 ライラ・マルベリーは信じられない光景を目の当たりにした。未知の病と言われる緑肌病をヴィーチェが治したのだ。手術でもなければ魔法治療でもなく投薬治療でもないまさかの虫治療。

 いや、医師に詳しく診てもらい、はっきりと完治したという診断がなければまだ治療法としては認められないだろうけど、緑肌病を患っていたティミッド・スティルトンの反応を見る限り治った可能性の方が著しく高い。

 その後、その治療法を知った詳しい経緯を聞くも、いつものリラ様語りに組み込まれてしまった。治療法を教えてくれたのも全部彼からだというのだから頭が痛くなってくる。


「あの、ヴィーチェ様。今朝行った治療法はすでに医療関係の方達にお伝えしていらっしゃるのですか?」


 お昼の食堂にて。昼食を食べ終えて一休みしているところでライラは気になっていたことをヴィーチェに尋ねた。

 珍妙な方法とはいえ、この貴重な情報を広めないわけにはいかないのだから。


「えぇ、もちろんっ。お父様にお話して医療に携わる方々に情報提供をお願いしたわ。ちゃんとリラ様が教えていただいたことも伝えたわよ。でもお父様ったら難しそうな表情をするのよね。まだリラ様のことを信じていただけてないからなのだろうけど」


 それはそうだろう。ライラは強くそう思ったが口にはしない。ライラはヴィーチェの理解者という立場にいなければいけないから。


「……ということは、ヴィーチェ様のお伝えした治療法も信じていただけていない可能性があるのでしょうか?」

「あの様子だと報告されていないのかもしれないわ」

「そんな……」


 爵位の高い公爵家から緑肌病の治療法を見つけたと声を上げれば、少なからず医師や薬師達は注目するだろうに。しかし公爵がその情報を公言してくれなければ意味がない。

 とはいえ公爵の気持ちもわからなくはなかった。ゴブリンに教えてもらった不治の病と言われた緑肌病の治療法、と言われても信じ難いのだろう。例え治療法が事実であっても、その過程が有り得ないのだ。

 早くこの治療法を広めなければいけないのに。こうしている間にもアインは緑肌病によって苦しんでいる。

 おそらく治療法を見つけたとしても幾度かの治療試験を行い、問題がないと認められて初めて公表されるだろう。下手をすれば年単位の時間を要する。はたして平民であるアインが治療されるまでどのくらいかかってしまうのか。ライラは気が気ではなかった。


「お父様が駄目なら違う所へアプローチするしかないわね」

「違う所、ですか……?」

「えぇ。ほら、私達は薬学を取ってるでしょ? 薬学の講師の方々にお伝えするのよっ」

「薬学の……」


 確かに薬学を担当する人は薬師であるため、上手くいけばすぐに治療法として認められるのかもしれない。

 何もしないより断然いい。ライラはヴィーチェの言う通り薬学の講師に託してみることに決めた。


「あら?」


 するとヴィーチェが誰かに気づいたのか席を立った。彼女の視線を追えばライラは心の中で「うわ……」と呟く。

 ヴィーチェの婚約者であるエンドハイトの姿が見えたからだ。どうやら相手は彼女に気づいていない。それどころか女子生徒と仲睦まじく話しながら歩いてるのだ。


「ご機嫌よう、エンドハイト様」

「……」


 令嬢らしく見事なカーテシーを見せるヴィーチェに続き、ライラも立ち上がっては同じ挨拶を振る舞う。

 けれど相手はこちらの存在に気づくや否や、不機嫌そうにフンと鼻を鳴らした。どうやらまた無視をするのだろう。そう思っていたのだが、ヴィーチェは言葉を続けた。


「そちらの方はエンドハイト様のご友人の方でしょうか?」


 エンドハイトの隣に立ち、楽しげに話をしていた令嬢が自分のことを問われていると気づくと、びくりと小さく肩を震わせた。


「あ……えっと……その……」


 そのような反応をされるとまるでヴィーチェが萎縮させたように見える。ただ彼女は純粋な疑問を問いかけただけだというのに。

 それとも自覚があるのだろうか。今自分がエンドハイトにとってどのような存在なのかということを。


 巷では『エンドハイト王子は婚約者よりもアイビーの髪色をした男爵令嬢に夢中』という噂で持ちきりである。

 いつ頃そのような噂が出たのか、夏季休暇前だというのは間違いない。

 夏季休暇中にも幾度かデートと思わしき現場も目撃されていたとライラはアルフィーから聞いたことがあった。

 休みの間はヴィーチェに会うことも手紙を出すこともなく、別の令嬢にうつつを抜かしていたようだ。夏季休暇が明けた今も変わらず。


「貴様には関係ないことだろう」

「ご友人と訪ねただけですのに? それともご友人以上の関係とでも━━」

「私のプライベートに口出しするなっ! それともすでに王妃になったつもりかっ!? 婚約者という肩書きのくせに図に乗るな!」


 ヴィーチェの言葉を遮るように怒鳴りつけるエンドハイト。ヴィーチェはきょとんとし、ライラはびっくりしたものの表情には出ない。

 しかし周りの生徒達は第二王子の激昂に驚きを隠せなかった。それもそのはず、次期国王に相応しい人間に見せるため好青年を演じたに過ぎないあの王子がこのような人前で悪態ついたのだ。

 化けの皮が剥がれるのは構わないが、男爵令嬢との関係を問われただけでここまで憤怒するほど愚かな男だっただろうか?

 周りから支持されるために良き王子の仮面を付けていたのに。……まぁ、その割にはヴィーチェやライラへの態度は変わらなかったが。

 恋は人を変えると言うが、そういうことなのかもしれない。しかしこれではエンドハイトの株も下がるのではないだろうか。

 ただでさえ婚約者がいる立場だというのに、他の令嬢と二人きりで堂々とデートをしていたのだ。それだけでも少なからず悪いイメージが植え付けられ始めている最中でさらに好感を下げるような言動をするなんて。


「エンドハイト様っ。そのような言い方はよろしくありません」


 原因の種となる男爵令嬢がエンドハイトを諌める。しかしそのような言葉ではまるで言い方さえ丁寧に直せば侮辱していいとも聞こえなくもない。

 ……いや、さすがに過敏過ぎなのかも。どちらにせよライラにとって男爵令嬢の態度はどこか気に入らないのだ。

 ヴィーチェが関係を問いかけているのに令嬢は挨拶どころか名乗りすらもしない。いくら何でも無礼ではないだろうか。


「リリエル。このような者に気遣う必要はない。虚言癖が移るから行くぞ」

「あ、はい……」


 なぜ素直に「はい」と答えているのかあの男爵令嬢は。気遣う必要がないと納得したから? 男爵令嬢が公爵令嬢を気遣わなくていいと本気で思っているの?

 それとも虚言癖が移ると信じて? そうだとしたらずっとヴィーチェ様の側にいる私は虚言癖になっているはずですけど?


 色々と言いたいことや苛立ちが募っていく。ライラは何とかそれを抑えながらヴィーチェの前を立ち去る二人の背中を見送った。

 もし今この時だけ身分がなくなっていたら口を挟んだかもしれない。ライラは不愉快なほど腹立たしく思った。

 今回はさすがのヴィーチェも機嫌を悪くしただろう。もしかしたら傷ついたのかもしれない。そう思い、隣の友人の様子を窺ったのだが……。


「エンドハイト様……もしかして、まだ彼女に告白されていないのかしら? だからあのように捲し立てたのも照れ隠しなのね」

「……」


 普通はそう考えないだろう。そんな言葉が出かかったが、ヴィーチェは普通ではなかったのだとライラは自身に言い聞かせた。


「……ヴィーチェ様は怒らないのですか?」

「? 怒る要素なんてないわよ」


 理不尽な物言いをされたというのに? しかし本人はそれすらも照れ隠しと思っているのかもしれない。気を悪くしないのならそれに越したことはないし、心の健康を考えるとポジティブに考えるのも悪くないのだろう。

 ……というより、ヴィーチェがただ単にエンドハイトに興味がないだけなのかもしれない。だから不貞行為疑惑のある本人やその相手に怒りを覚えないのでは?

 王子がヴィーチェを相手にしないと同時にヴィーチェもまた王子を相手にしないのだ。


「それにあの方がおそらく噂になってるエンドハイト様の想い人よね。お二人がくっついてくれたらエンドハイト様との婚約も無効にできるから早くお付き合いしてくれないかしら」


 楽しげに二人の発展を願っているのはエンドハイトの婚約者という座から降りたいため。元よりゴブリンのリラ様にしか想いを寄せていないのだからそう思うのも当然といえば当然である。イマジナリーフレンド相手に叶わぬ恋を何年続けるのやら。一途なのはいいことだがもっと現実を見てほしいものだ。

 例え婚約を白紙に戻したとはいえ、世間では一度婚約を結んだのち、なかったことにされた貴族の扱いは冷たい。下手をすれば次の相手を探すのも難しいとされる。

 今のヴィーチェにとってはリラ様とやら以外には興味を示さないのでどうでもいいのかもしれないが、社交界ではさらなる笑いものにされるだろう。……本人は気にしなさそうではあるが。


 それにしてもヴィーチェとエンドハイトの婚約がなくなるのも現実味を帯びてきた。このまま彼女の側にいると、王子に見捨てられた令嬢として嘲笑われるヴィーチェに巻き込まれ、ライラ自身にもその飛び火がくるだろう。

 そうなればマルベリー家のみんなも笑いものにされ、父も激怒するはず。同時に利益にならないものはすぐに切り捨てろと父からよく言われていたことも思い出す。

 友人という立場を離れるなら早いに越したことはない……が、気が進まない。

 おそらくヴィーチェならライラが友人でなくても気にしないだろうし、気丈にいつも通りに過ごすのだろう。

 しかしライラはそうではない。ヴィーチェは初めてできた友人で彼女の代わりは良くも悪くもいないのだ。それより何より……。


「ライラ、そろそろ授業の時間よ。行きましょ」

「はい、ヴィーチェ様」


 ヴィーチェのことは嫌いではない。リラ様の話を聞くのは疲れるときもあるが、何だかんだ一緒にいるのは悪くないので。

 友人の笑みを見るとそう思ってしまう。それに自分はすでに魔女と言われ嘲笑されているので今さらなのだ。恐れるものはない。


 ライラはヴィーチェがこの先どうなろうとも、友人としてこれからも側にいることに決めた。


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