ゴブリンは公爵令嬢への想いを認める
「オーイ、リラー! 目ぇ覚ましたぞー!」
城で治療を受けたあと、すぐにリリエルを担いで村へと戻ったリラは彼女を大婆宅へと寝かせていた。
もちろん村のみんなにはリリエルが何者か、そして何をやらかしたのかをきちんと説明した上で。
仲間達は村の頭であるリラやその妻になる予定のヴィーチェを危険な目に遭わせた黒幕なので村に置くことすら反発し、彼女を敵視する態度を見せるので落ち着かせるのに苦労した。
リリエルを擁護するつもりは微塵もないが、相手の詳しい事情を聞かねばならないので強い敵対心に囲まれては答えるものも答えられない。だから少しでも抑えておけと村のボスとして仲間達にあからさまな態度をとらないように伝える。
その後、何人かがリリエルを見張るように様子を窺っていた。一時間ほど経った頃だろうか、リリエルが目覚めたという報告をアロンから聞いたリラは大婆の住居へと向かう。
「! ……何よ、デカブツがいるならまだ私は死んでないのね」
「デカブツで悪かったな。それに俺は殺すつもりでお前を掴みかかったわけじゃない」
寝床から身体を起こしていたリリエルはリラの顔を見るなり、忌々しいと言わんばかりに呟いた。
そんな彼女の態度に他のゴブリン達は不愉快と言いたげな視線をリリエルに向ける。これでは仲間達の怒りがいつ爆発してもおかしくないのかもしれない。
ひとまずリリエルを監視してくれた仲間達を外に出して彼女から離し、リラとリリエル、そして住居の主である大婆だけを残すことにした。とはいえ追い出したとしても扉のない石造りの住処なので、聞き耳を立てようと思えば立てられるためあまり意味はないのかもしれない。
「ここはどこよ?」
「俺達ゴブリンの村にある長老、大婆の家だ」
「……なんでそんな所に? 私は牢にぶち込まれるんじゃないの? 同胞だから私を助けたって言うの?」
「身柄を預かっているだけだ。仲間ではないがゴブリンの犯した罪はゴブリン側で罰したいと願って国王に許可を貰った」
「あ、そ。ここは人間に媚びを売ったゴブリンとしてのプライドのない奴らの巣窟ってわけね」
言葉を交わす度にカチンとくる言い方しかしない女だ。村にもひねくれた奴は何人もいるが、ここまでの悪意を持った奴はいない。そのためリラの方が先に激怒して手を出してしまいそうになり、冷静にならねばと頭に昇った熱を逃がすような大きく深い溜め息を吐き出した。
「それより、この腕輪は何よ?」
両腕にぴったりと嵌められた銀製の腕輪について、リリエルは不服そうに尋ねた。
「国王から受け取った罪人用の枷となる腕輪だ。お前の魔力を封じる他、体力低下の効果もあるらしい」
「何よ、それっ! ああ、もう! 通りで疲れが取れないし、魔力の流れが途切れるわけね!」
リリエルが無理やり腕輪を外そうとするが、罪人用の枷として機能している腕輪が簡単に外れるわけがなかった。強い施錠魔法がかかっているので、物理的に壊そうとしても壊れない。そのためリリエルが枷を自力で取ることは絶対にないのだ。
「そもそも人間に手を出すのは危険だと教えられなかったのか? 特にお前のような若いゴブリンなら、なおのこと大人に言われていたはずだ。一人が人間に手を出せば報復されるし、仲間達にも迷惑を被るんだぞ」
「別に……私は手を出してないわよ。あんたやあのお花畑女を狙ったのはエンドハイトだもの」
「……本気で言ってるのか?」
相手の言葉にリラは眉を顰めた。念のため確認として問いかけるが、リリエルの態度は変わらない。
「当たり前でしょ。私は自分の手を汚したくないもの」
「ヴィーチェを罠に嵌めただろうが!」
リリエルが手を出してないわけがない。以前ヴィーチェを森の深い奥へと連れ出し、さらに落とし穴に突き落としたのは紛れもなくリリエルなのだ。
ヴィーチェ自身は事故として受け止めているが、どう聞いても突き落とされたとしか思えない状況。手を出してないなんてよく言えたものだ。
「あぁ……そんなこともあったわね。確かに私が押したけど、結局生きてたじゃない。死んでないし、例え死んだとしても他の魔物が原因だろうし、私は変わらず手は汚してないわ」
「結果論だろ!!」
ヴィーチェが無事だったのは運良くリラが彼女を見つけたからだ。もし気づかないまま時間が経っていたら、間違いなくヴィーチェは他の魔物に襲われていただろう。
それでもリリエルは自分の手を汚していないと言い張る。それが腹立たしくて、つい怒鳴りつけた。仲間がその場にいたなら怯んでいた者も少なくないだろう。しかしリリエルは怖気づくどころか、鼻で笑った。
「……随分とあの女にご執心なのね。あんただって違う意味で人間に手を出してるじゃないの」
「別に俺は手なんか出してない。勘違いするな」
「よく言うわよっ。あれだけ守っておきながら、関係を築いておきながら心を寄せてないなんて言うんじゃないでしょうね!? 手を出していないのも、今は、でしょ! 気持ち悪いわ! 人間とゴブリンが愛だとか恋だとか気持ち悪くて仕方ない! しかもあんたはおじさんじゃないの!」
「ぐっ……!」
所々痛い所を突いてくる。特に最後。おじさんは余計だ。老け顔とは言われるが、まだ三十五……いや、待て。おじさんなのか? リリエルの年頃だとそれが普通の感覚か?
リラは戸惑った。ヴィーチェの変わらぬ好意に、身分差や種族差よりも忘れかけていた年齢差。それが今になって重く伸しかかる。
しかし、最初の頃は仲間達も年齢差に引いていたが、今では歓迎ムード。ヴィーチェの家族にも特に何も言われなかったから感覚が麻痺をしていたのかもしれない。
「……そんな話はどうでもいい。俺はお前が今まで何をしてきたか聞きたいだけだ」
「フンッ……」
今度はそっぽを向かれた。リラ自身から言い出したこととはいえ、このような態度をとる少女にこれまでやってきたことを全て話させることなんてできるのか若干不安に思う。
元よりすんなり話すとは思っていなかったし、長期戦とも考えていた。人間よりかは同種族の方が話しやすいという利点しかないが、話さなければ意味はないし、だからといって何も語らないまま断罪するわけにもいかない。
そこへ、ずっと黙って話を聞いていた大婆が口を開いた。
「リラや、その娘は新しい環境に慣れていない状況じゃよ。少し休ませてやりんさい」
「大婆……」
まるでリリエルを守るような物言い。しかしリリエルに感情を乱され、冷静さを欠き始めているのも事実。
仲間達に感情的になるなと言っておきながら自分がそれを守らないわけにもいかないのでリラは大婆の忠言を素直に聞くことにした。
リリエルはしばらく大婆宅で休ませることになり、リラは大婆の石小屋から出た。仲間のゴブリン達が交代でリリエルを見張ることになったので、村から逃げる隙も彼女には与えない。
それに仮に隙を突いたとしてもリリエルは腕輪の影響で大幅に体力も低下しているし、村から逃げるほどの力もなく、あっという間に捕らえることができるのでリラだけが目を光らせる心配もなかった。
「……はぁ」
自分の石造りの住居前に戻ったリラだったが、中に入ることなく、石積みの壁に背を預けて溜め息をつきながら座り込んだ。
そして頭を冷やすために空を見上げる。すでに日は暮れているが曇り空。月明かりも星の煌めきも厚い雲に隠れてしまってどこか見るには物足りない夜空であった。
何もこんな時に限って……と思ってしまう。それだけ光が恋しくなったからだ。
夜は魔物避けとして焚き火をするくらいで基本的に他の明かりはない。
そんな中、リラはリリエルの言葉を思い出す。年齢についてのツッコミはなかなかに効いたが、それ以外にも応えたことがある。
「……気持ち悪い、か」
ゴブリンと人間が恋愛をするだけで気持ち悪いと面と向かって言われ、現実を突きつけられたような気がした。それもそうか、とリラは頭を軽く掻いて何度目かの大息を吐き捨てる。
やはり感覚が麻痺していたのかもしれない。リリエルの感性が普通なんだろう。どう考えたってゴブリンと人間が釣り合うわけがない。それはわかっていたはずなのに。それなのにリリエルの言葉に深く傷つく自分がいてリラは何とも言えない気持ちになる。
この村のボスである自分がこの程度のことで気落ちするなんてあまりにも格好が悪い。
「ったく、まーたお前一人であれこれ考えてるだろ」
そこへアロンがやって来た。こいつのことだ。きっと大婆宅でのリリエルとの会話を聞いていたに違いない。そして元気づけようと様子を見に来たのだろう。リラはそう確信していた。
こうやって考え事をする度に空を見上げていたら大体の確率でアロンは顔を出すからだ。
「おー……」
「……かなり落ち込んでるな」
「落ち込んでない」
「はいはい。じゃあお前が落ち込んだ設定で話をするから聞いてくれよ」
「……」
そういうとアロンはリラの隣に座り込んだ。同じように空を見上げては「曇ってるなー」なんて笑い混じりに。
「俺はさ、何ひとつ気にすることはないと思うんだよな。お前が気にするような障害とかそういうのはさ、おチビちゃんには関係ないし、今さらだろ」
「……俺も落ち込んだ設定で話すぞ」
「どーぞ」
「そうは言ってもリリエルの言葉は否定できない。異種族恋愛なんて普通は受け入れられないものだし、人間にとってゴブリンは気持ち悪いものだ。もちろんその逆も有り得る」
「だから? 周りが何と言おうといちいち気にしてたらキリないっての。お前はおチヴィーチェの気持ちとリリエルお嬢の言葉、どっちを信じるわけ?」
そんなの、考えるまでもない。
「ヴィ━━」
「そうだよなぁ、おチビちゃんだよなー」
「オイ」
まだ最後まで言ってないだろうが。そう目で訴えてもアロンは気にする様子はなく、むしろニッと笑ってリラの背中を叩いた。
「安心しろよ、お前は俺から見ても格好いいし、気持ち悪くないって。今まで女にモテなかったからって自分を卑下すんなよ」
「最後だけは余計だな」
「お前がウジウジするからだろ? てか、ゴブリンが気持ち悪いって認めたら俺らも気持ち悪い存在になるんだから、絶対認めんなよ。おチヴィーチェなんて何がなんでも否定するのが目に見えるしさ」
確かにそうだろうな。アロンの言葉は納得せざるを得ない。それに何だか少しだけ気が楽になった感じもする。
「……悪かったな」
「いいってことよ」
気を遣わせたことを含めての謝罪。おそらくアロンもそれを理解して受け入れたのだろう。
「お前って図体はでかい割に繊細だからな。フォローしてやんねぇと」
本当に一言が余計な男である。しかしアロンの言うことに間違いはないので、悔しいけれど否定できない。
「……今から言うことは独り言だから誰にも言わず、お前の胸に秘めとけよ」
「? おう」
「俺は最近になって太陽と星が好きだと気づいた。太陽は目が開けられないほど眩しく明るいヴィーチェの笑った顔みたいだし、星は俺を見つめる瞳と同じくらいに輝いていた。……つまり、そういうことなんだろうなとは思う」
言葉を濁しながらヴィーチェへの気持ちを伝えると、アロンは微笑ましげな笑みを浮かべてリラの肩をポンポンと叩いた。まるで「よく言った」と称えるように。
「明日の夕飯は豪華な飯にしてお祝いしような」
「子の成長を喜ぶ親のような言い方やめろ」
やっぱり言うんじゃなかったか……と、ほんの少しだけリラは後悔をした。




