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リセット  作者: 桐条京介
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「玲子だって、助けてほしいから、俺に手紙を送ったんだろ。これからどうなるかわからないけど、二人で一緒に行きていこう!」

 この発言が決めてとなり、悩んでいた水町玲子が、しっかりと哲郎の手を握った。

 ずいぶんと久方ぶりに思える感触が、今はとても嬉しかった。

「絶対に離すなよ」

「……うんっ!」

 恋人の少女もついに覚悟を決め、哲郎とともに歩む人生を選んでくれた。

 とにかく忌まわしい店の前から離れたくて、ひたすら走り続けた。

 当てなど、どこにもなかったが、あの場に留まっているよりははるかにマシだった。

 しばらく走り、店からだいぶ離れた場所で、とりあえずひと休みしようと告げた。

「これから……どうするの」

 息を切らしながら、尋ねてきた少女に、哲郎はこれからのプランを伝える。

「まずは、住み込みで雇ってくれるところを探そうと思う。身元保証人がいなくても、雇ってくれるような会社だから、待遇はあまり期待できそうもないけどね」

 中学校を卒業したばかりと嘘をつき、年齢を誤魔化すつもりだった。そうでなければ、まだ義務教育中の子供を雇用してくれるところなどあるはずもない。

 さすがにこの時ばかりは、水町玲子も「嘘をつくなんて、よくないよ」みたいな発言はしなかった。

 少女は少女なりに、自分たちの置かれている状況を理解しているのだろう。現状を考えれば、とてもじゃないが楽観視はできない。

 想い続けた少女と手を取り合えたまではいいが、ここからが問題だった。

「うまく……いくかな。それにお父さんとお母さん……」

 言ってしまえば、中学生という立場でありながら、駆け落ちをしたも同然なのだ。置き去りにした両親を心配するのも当たり前だった。

 本来なら、哲郎だって父親や母親の安否を気遣って当然なのだ。にもかかわらず、水町玲子より落ち着いていられるのは、これからの歴史を少なからず知っているからだった。

 とはいえ、そのことを相手女性に告げたところで、信じてもらえるはずがない。仮に信じてもらえたとしても、哲郎は玲子の両親の行く末を知らないので、何の役にも立てないのである。

「それは、わからない。でも……やるしかないんだ。こんな日もこようかと、貯めていたお金を持ってきてる」

 貯めていたお金には間違いない。けれど、正確には哲郎のではなかった。その点は嘘になるが、己の幸せだけを追い求めるには最善の策だと信じていた。

 哲郎の手元には、結構な額のお金がある。まずはこれで、今日の宿を探す必要があった。

 しかし普通のホテルなどに、身元不明の中学生が二人で宿泊できるはずもない。客を気にしないような宿泊施設を選ばなければならなかった。

 黙っていては不安がるだろうと思って、そこら辺の事情も、哲郎はきちんと水町玲子へ説明する。

「凄いね、哲郎君……こんな状況なのに……」

 水町玲子が心から感嘆してくれているのは、その言葉遣いや態度ですぐにわかった。

 本物の中学生の水町玲子と違って、哲郎には他の人生で培った知識や経験がある。

 それらの知的財産をフル活用して、今度こそ幸せな人生を歩む決意だった。

 そのためには、ようやく手を掴んだ少女が必要なのだ。ゆえに哲郎は、幾度となく人生をやり直している。

「そう見えるだけだよ。本当は俺だって、心臓がドキドキしてるんだ」

 こればかりは、相手を励まそうとしたわけではなかった。胸が痛いくらいに、鼓動が加速している。

 恐らくは恋人の少女も同様なはずだ。哲郎たちは、それだけのことをしでかしたのである。

 お互いに両親を裏切ったも同然な以上、もはや帰る場所は存在しない。二人で生きていくしかないのだ。

「さあ、行こう」

 ずっと手を繋いだままの恋人に、できうる限り優しい声で哲郎は出発を促した。


 ようやく泊まれる宿を確保した時には、もう夜になっていた。

 古ぼけた旅館ではあるものの、オンボロと形容するに相応しかった現在の水町家よりはずっと良質だった。

 現在でもまだ玲子は両親を気にしていたが、あえて哲郎は何も言わなかった。

 きちんとした別れを済ませているのならともかく、半ば逃げるように袂を分かったのだ。吹っ切れるには、まだまだ時間が必要になる。

 簡単な食事なら別料金で応じるとのことだったので、哲郎は迷わずに「お願いします」と告げた。

 飲食店の前から移動して今まで、宿泊施設を探し歩いたため、ろくな食事をできていなかった。

 入館する前に、宿代にプラスして夕食のお金も支払済みだ。なので部屋へ入るなり、客室担当と思われる老婆がお膳を運んできた。

 出てきたのは茶碗一杯のお米とたくあん。それにわずかに豆腐が入ったみそ汁だけだった。

 夕食を置くと老婆はすぐに出て行き、部屋の中で哲郎と水町玲子は二人きりになる。

 別々の部屋を借りるだけのお金はあったが、これから何が起こるかわからない。節約できるのなら、節約しておきたかった。

 意図を察してくれたのか、旅館で部屋を申し込む前に、水町玲子本人が同室で構わないと申し出てくれた。

 相手が女性だけにひとりの部屋を確保してあげたかったが、背に腹は変えられないので、哲郎は申し出をありがたく受けた。

 おかげでこうしてひと部屋に二人でいるのだが、やましい気持ちはまったくない。とにかく今は、一緒にいられるだけで幸せだった。

 初恋は実らないとよく言うけれど、今回の人生では覆してみせる。そんな決意を抱きながら、水町玲子に食事をしようと声をかける。

「うん……本当に、食べても……いいの?」

 恐る恐る尋ねてきた少女に頷いてみせてから、まずは哲郎が先にお味噌汁に箸をつけた。こうする方が、相手も食べやすいかなと考えた。

 哲郎が食べ始めると察した水町玲子は、それじゃあ自分もとばかりに箸を手にした。

 箸で取ったお米を口に運ぶと、すぐに「美味しい」という感想が少女の口からこぼれた。

 その後すぐにハッとして、片手で自分の口を抑えるも、時すでに遅く哲郎に聞かれてしまっている。

 もっとも感想を言ったからといって、誰かに迷惑がかかるわけでもない。むしろ、微笑ましいと思った。

「気にしないで食べなよ。美味しいなら、なおさらね」

 哲郎には米が硬く感じられたが、少女にはそれが丁度よかったのだろう。最初こそ、少しだけぎこちなかったが、すぐにがっつくような勢いで茶碗の中にあるお米を口内へ運んでいた。

 たくあんをポリポリかじってはご飯を食べ、味噌汁で一気に胃袋まで流し込む。まるで男性みたいな豪快な食べ方だった。

「んぐっ、んっ……」

 まさに食事へ全力を注いでおり、余計な会話などは一切発生しない。これにはさしもの哲郎も、驚きを隠せないでいた。

 やがて夕食をとり終えた水町玲子が、哲郎に視線に気づいた。女性が食べるのを凝視するのは失礼だと承知していたが、ついつい目が離せなくなっていたのである。

「あ……ご、ごめんなさい……は、はしたなかったわよね……」

 と言いながらも、玲子の視線は哲郎の茶碗に注がれている。

 相手の食欲に押され気味だったせいか、ほとんど箸をつけていなかった。

 もしかしてこれも食べたいのかと思い、少女へ「俺のも食べる?」と問いかけてみた。

「え……そ、そんな、悪いよ。それに、食事も哲郎君のお金だし……」

「そういうのは気にしなくていいよ。食べたいなら、食べればいい。俺、食事してる玲子を見てるのも好きだから」

 すると水町玲子は、両目からボロボロと涙をこぼした。差し出された哲郎の茶碗を「ありがとう」と言いながら受け取ると、先ほどと同様にご飯を食べるのだった。


「ご馳走様でした」

 食後の挨拶だけは、哲郎の知ってる水町玲子のイメージどおりに、とても行儀が良かった。

 小学校での給食の時間の玲子も知っているが、あそこまで豪快なタイプではなかったと記憶している。

 何かあったのと聞きたかったが、そうすると信頼関係を損なうような気がして躊躇われた。

 お膳に置かれた空の容器を前に、哲郎と玲子はお互いに黙りこくっている。

 食事を終えたら、容器は部屋の外へ置いておくように言われている。まずはそれを実行すべきだと、哲郎はひとり立ち上がった。

 その瞬間に水町玲子がビクっとして、慌てて哲郎を見上げた。

「哲郎君、どこか行くの?」

 まるで捨てられた子犬のような表情は、心から不安になっている相手の心情を的確に教えてくれた。

「食器を部屋の外へ置くだけさ。どこにも行かないよ」

 微笑んで相手の少女を安心させたあと、言葉どおりに食器を廊下へ置いておく。あとで食事を届けてくれた老婆が、回収するのだろう。

 押入れに布団があるので、勝手に敷いて眠ってくれとも言われている。サービスが行き届いてるとはとても言えないが、宿泊名簿も簡易的なもので料金も格安なので文句は言えなかった。

 そうでなければ、哲郎と水町玲子のような明らかに訳ありな男女を宿泊させてくれるはずがなかった。

 雨露をしのげるだけでもありがたい。そう判断したまではよかったが、ここで困った事態が発生する。押入れには、布団がひとつしか入ってなかったのである。

 ひと部屋自体がそこそこ狭いので、確かに布団を二つも敷くと大変になる。とはいえ、クレームをつけるのもどうかと思った。

 何故なら、最初に哲郎が頼んだのはひとり部屋だったのだ。二部屋借りるつもりが、費用削減のために水町玲子が同室でと提案してくれた。

 それを受けて一室での宿泊にしたため、頼んでいたひとり部屋に二人で眠る必要性が出てきたのである。レシートも領収証も貰ってないので、料金がどうなってたかの確認もできない。

 完全に迂闊だった。水町玲子ならともかく、同じ中学生でも哲郎は何度も大人になった経験がある。この程度の問題は、考慮できていて当然、気づかないのが間抜けすぎた。

「私なら大丈夫だよ」

 硬直している哲郎に、相手の少女がとんでもない発言をしてくる。

「お父さんとも一緒に眠っていたし、狭くても我慢できるから」

 相手の台詞を聞いて、安堵の吐息をつく。同時に、一瞬でも邪な考えが浮かんだ己を恥じる。

 一緒に眠るだけなら、何の問題もない。それに水町玲子が眠ったあとで、哲郎ひとりが布団の外で寝ればいいとも考えた。

 幸いにして部屋は畳なので、布団なしで眠ってもある程度は大丈夫なはずである。

 じゃあ、そうしようかと決めたあとで、二人はまた口を閉じる。哲郎に限っては、何を話せばいいのか言葉が見つからなかった。

 そのうちに水町玲子が申し訳なさそうに「ご飯……ごめんね」と言ってきた。

「気にしなくていいよ。あれだけ美味しそうに食べてくれれば、お米もきっと喜んでるしね」

「うん……でも、違うの。私……最近、あまりご飯……食べてなかったから……」

 言いにくそうではあったが、相手の少女の態度を見てれば、哲郎に聞いてほしがってるようにも思えた。

「家……大変だったんだね」

「……うん。夜逃げで、お金、ほとんど使ったみたいで……それと、自由に外出もできなかったら……」

 どこか遠い目で天井を見上げる水町玲子は、夜逃げしてきた当日のことを思い出してるみたいだった。

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