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リセット  作者: 桐条京介
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「お父さんが信頼してる人がね、お金を持って逃げてしまったの。それで、工場の経営もうまくいかなくなったらしいの」

 そこまでは哲郎も知っている。確か、巻原桜子から教えてもらった情報だった。

「どうしようもなくなっていたところに、助けてくれるっていう人がきたの。お父さんは喜んだけど、私はどうにも好きになれなかった。その人、とても怖い目をしているの」

 まだ少女だからと侮ってはいけない。感受性豊かな子供の直感というのは、意外と頼りになったりする。

 けれどそれは、人生経験を他人より積んでいる哲郎だからわかることだった。

「東京へ夜逃げするのも、その人が提案してくれたの。住むところも……仕事も用意してるからって」

 親切心だけのアドバイスならありがたいが、どうにも胡散臭く思える。人を疑うのは悲しく切ないが、世の中を生きていくためには仕方なかった。

「私は反対したわ。哲郎君と離れたくなかったし、やっぱり、その人が好きになれなかったの」

 けれど両親の決定に、中学生の少女がいつまでも抵抗はできない。半ば強制的に、東京へ連れてこられたらしかった。

「車で何時間もかけて、東京へ到着したまではよかったけれど、用意されていた家は哲郎君も見たとおりのところだったわ」

 食料もほとんど備蓄されておらず、夜逃げ前に受けていた説明とは何もかもが違った。水町玲子が悲しそうに呟いた。

 それでも水町玲子の両親は、色々としてもらってる立場だから我慢するように少女へ告げたという。仕事を紹介してもらって、給料を貰えるようになればなんとかなる。

 口癖のように父親に説明されたみたいだが、夜逃げを仲介した人間はいつまでも仕事を紹介してくれなかった。この時点で、水町玲子は嫌な予感を覚えたのだと教えてくれた。

 だからこそ一縷の望みをかけて、哲郎へ両親に内緒で手紙を出した。内容は差し障りのないものだったが、重要なのは住所が書いてあるという点だった。

 ここまでの話を聞いて、哲郎は少しだけ悲しくなった。ひとつ前の人生では、相手女性の意図に気づけないまま、悪戯に時間を消費した。

 挙句、取り返しのつかない状況まで悪化し、どのような手法を使っても、最愛の女性を抱きしめることは叶わなかった。

 悲惨な最期を迎えて終了のはずが、例のスイッチのおかげで新たなチャンスを与えられた。

 再び中学生時代まで時間を巻き戻された哲郎は、同じ結末を歩まないように意を決して手紙を貰った直後に、こうして東京まで会いに来た。

 色々とリスクは背負っているが、水町玲子との未来を輝かしいものにするためには仕方なかった。

「夜逃げをしたから、自由に外を歩けない。けれど家には食料なんてない。加えてお金も持ってなかったから、大変だったわ」

 当事者でない哲郎でも、家の中がどのような状態だったのかは想像に難くなかった。険悪な雰囲気の中、家族の関係も段々と殺伐としたものに変わっていったのだろう。だからこそ水町玲子は両親を思いながらも、哲郎と一緒に逃げる決心をした。

「そのうちに、ようやく夜逃げを仲介した男の人がやってきたの。とてもいいお仕事を見つけたって。皆、喜んだけれど、それはお父さんの仕事じゃなかったの」

 ここまでくれば、哲郎にも大体展開が推測できる。例の店の仕事を水町玲子に紹介したのは、夜逃げを仲介した人物だったのである。

 となると、胡散臭さはさらに増してくる。もしかしたら、夜逃げを仲介したのも、水町玲子に目をつけたからではないのか。邪推と言われればそれまでだが、哲郎は自分の予想に自信があった。

 だがあえて口にはせず、とりあえず水町玲子が話したいことを言い終えるのを待とうと決めた。


「私が紹介するお店で働けば、お金をたくさん稼げる。その男の人は、そう言ったの」

 水町玲子の話によれば、当初は両親揃って反対したらしかった。やはり我が子への愛情はあったのだろう。けれど、男の狡猾な発言により、状況は一変する。

 ――お金を稼げば、また会社だって設立できますよ。水町玲子の父親にとって、これ以上の殺し文句は存在しなかった。

 不本意なアクシデントにより夜逃げするはめになっただけで、経営自体が極端に悪化したわけではない。ゆえにまだ未練が残っていたのである。

 男は水町家の大黒柱の自尊心を狙い撃ち、見事に陥落させた。少しの間、我慢してくれ。次第に父親は、そう言って愛娘であるはずの玲子を説得するようになった。

 我が子を思って抵抗していた母親も、やがて観念する。ここで初めて、水町玲子は絶望を覚えた。

「男の人にお酒を注ぐだけの簡単な仕事。何度もそう説明されたけど……私は嫌だった。きちんと両親にも伝えたわ」

 けれど両親は揃って娘の訴えを却下した。情を失っていたというより、お金も食料もない夜逃げ生活で精神が狂いかけていたのだろう。そうでなければ、我が子を進んで差し出すなど考えられなかった。

 自身の力ではどうにもできなくなった水町玲子は、とうとうこの日、胡散臭い男性に連れられて例のお店で働かされるところだった。

 間一髪で哲郎が助け出さなければ、水町玲子は大人になっても延々とあの店で働き続けることになっていた。そして最後は、大手製薬会社の愛人になる人生が待っていたのである。

 二度と同じ過ちを繰り返してなるかと、意を決して助けに来たのが結果的に功を奏した。この前の人生でも、最初からこうしてればよかったのだ。

「ご両親のことは気になるだろうけど、今は自分の身を大切にした方がいい」

「……うん」

 水町玲子は小さいながらも、確かに頷いた。この場にこうして哲郎といる時点で、両親を見捨てたに等しいのである。

 今さら玲子に帰る場所はなかった。それは哲郎にもいえたことで、お互いに支えあって生きていく以外に道はなくなっていた。

 本来は嘆くべき人生なのかもしれないが、心のどこかで哲郎は喜んでいた。

 あれだけ恋焦がれた水町玲子が、自分の隣にいてくれる。どんな形であれ、待ち望んでいた人生に変わりはなかった。

 人に話せば不謹慎だと罵られるだろうが、それこそが哲郎の偽らざる気持ちだった。

「とにかく、少しでも眠った方がいい」

 哲郎は自分の近況を話し終えて、少々疲れ気味の少女へそう告げた。

 外見は大人へ近づきつつあっても、まだ中学生なのだ。これだけ色々な問題が降りかかってきたら、疲労困憊になるのも当然だった。

 もし哲郎にこれまでの人生経験がなかったら、相手少女と同じようにグッタリしてるだけなのが関の山である。

 失敗というカテゴリーへ分類されていようとも、歩んできたそれらの道があったからこそ、今こうしてよりベターな選択をできている。

「そうしようかな。ごめんね……哲郎君も疲れてるはずなのに……」

「俺は大丈夫だから、気にしないで寝るといいよ」

 忍耐を続けてきたこれまでの生活から一応は解放され、久しぶりに満腹になる食事もできた。

 となれば、次にやってくるのは睡魔である。これもまた今までの経験から、哲郎は身をもって理解していた。

 現に水町玲子は着替えもせずに布団へ入ると、すぐに寝息をたて始めた。

 哲郎を心から信頼してくれている証拠だと考え、すやすやと眠る少女の寝顔を見つめる。

 さすがに同じ布団へ入る気にはなれず、哲郎は少し離れた畳の上で夜を過ごすことに決める。

 まずは財布などの大切な貴重品を、盗まれないように隠しておく。水町玲子を疑ってるわけでなく、第三者による犯行を恐れたためである。

 頼りない扉に鍵の差し込み口はなく、その気になれば誰でも自由に他人が借りている部屋へ出入りできる。

 本来ならある程度、セキュリティ面がしっかりしている宿泊施設で部屋を借りたかったが、予算ではなく身元保証の面で不可能だった。

 雨風をしのげるだけでもありがたいと考え、この旅館に決めたのは哲郎だ。ゆえに大切なものは、自分でしっかり管理する必要があった。

「これぐらいで大丈夫だろう」

 眠る前の準備を終えた哲郎は、畳の上へごろんと横になり、脱いだ上着を毛布代わりに眠るのだった。


 どれぐらい眠ったのかはわからないが、哲郎が目を開けるとすでに朝になっていた。

 窓から差し込んでくる朝日に起こされ、眠い目をこすりながら布団が敷かれている方を見る。

 昨日はよほど疲れたのか、水町玲子はまだスヤスヤ眠っていた。本来なら起こすのはかわいそうだが、ここは自宅でなく旅館なのだ。チェックアウトの時間もある。

 立派な朝食が出てくるような旅館には思えないため、朝ご飯は自分たちで食べる必要がある。

 少々、心苦しいながらも、哲郎は水町玲子を起こすために布団へ近づく。目の前にしゃがみこむと、相手の肩にゆっくりと手を置いた。

「玲子。もう、朝になったぞ」

 優しく身体を揺すりながら、少し大きめの声で話しかける。

 すると程なく「ううん」と呻きながら、水町玲子が起床した。

「あれ……? どうして、哲郎君が……あ、そうか、私……」

 見知らぬ天井で目覚めたこともあり、一瞬だけ混乱状態に陥ったのだろう。だがすぐに少女は状況を把握していた。

「今日は旅館を出て、住み込みで働かせてくれる場所を探そうと思うんだ」

「……うん。ごめんね、私のせいで……」

「いや、気にしないで。俺が好きでやってることだからさ」

 哲郎の自宅へ連れ帰ったところで、すぐに水町家の両親の元へ戻らされるのがオチだった。

 なおかつ夜逃げした家の娘だけが戻ってきたとなれば、否応なしに噂になる。

 下手をすれば借金取りが哲郎の家へ押しかけ、玲子を尋問して夜逃げした両親の居場所を言わせようとするかもしれない。それを考えると、とても故郷へ戻る気にはなれなかった。

「とりあえず、出発しよう。腹も減ったろ?」

 そう言ったあとで、哲郎は先に準備を整えて部屋を出た。

 着替えなどはなくとも、異性が室内にいれば身支度を整えるのに支障が出るかもしれない。そう判断しての行動だった。

 あまり待たせるのも悪いと思ったのか、意外に早く水町玲子が部屋から出てきた。

 合流してから二人でフロントへ行き、料金を支払って外へ出る。

 早くも太陽は空高く昇っており、眩しいくらいに輝いている。

 まずは空腹を満たすために、哲郎は駅へ向かって歩くのを提案する。駅の中には立ち食い蕎麦屋があり、比較的安い料金で食料にありつける。

 まだ幼い部類に入る水町玲子が、自分ひとりで行動方針を決められるはずもなく、哲郎の意見へ賛同するしかなかった。

 とはいえ不満を抱いているようには見えず、とりあえずは哲郎もホッとする。

「哲郎君……昨日は、ちゃんとお布団で眠ったの?」

 二人並んで歩いていると、唐突に水町玲子が尋ねてきた。

 料金を支払ってもらっておきながら、自分だけが布団で寝たのではないかと気にしてるのだ。下手に責任を感じさせないためにも、哲郎は嘘をつくことにする。

「もちろんだよ。緊張しすぎて、あまり眠れなかったけど」

「え……もう、哲郎君ってば……」

 年頃の女性らしく、照れた少女は顔を真っ赤にして、以降は何も言えなくなった。

 そうこうしてるうちに駅へ到着し、哲郎と水町玲子は立ち食い蕎麦屋で朝食をとるのだった。

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