第1話 死んだソーダ
棒アイスのソーダ味ばかりを食べていると気づかれた時から、彼のあだ名はソーダだった。
名前も似ていた。ひと夏を越さなかったあだ名だ。
ある日ソーダは学校を休んだが、教授のところへ行くと何食わぬ顔で艶やかな臙脂の受付机の向こうに座っていた。
受付は教授ご自慢の展示室の入り口にある。
規則的に並ぶ標本棚のおかげで薄暗いそこに目をやってから
「お前今日休んだだろ」
と言ってやると、何も言わずにどこかへ行ってしまった。
蛾の標本が収められた標本棚の平台のガラスに、バインダーをあてないようにして日の丸蛾をスケッチしていると、ソーダがお盆を胸に抱えてやってきた。
「雇ってもらうことになったんだ」
ソーダははにかんだ笑みを見せた。
話を聞くとお茶を飲もうと教授から言付かってきたらしい。
「すぐ行く」
返事をすると、ソーダは標本台をすり抜けていった。
お盆だけが残されて平台のガラスに落ちた。
ガチャンと大きな音がする。
幸いガラスは割れていなかった。
こんな調子ではすぐクビになるに決まっている。
日の当たる応接室で紅茶をもらった。
布張りの肘掛椅子に座り、僕と教授とソーダでテーブルを囲む。
ソーダは紅茶にも茶菓子のビスケットにも手をつけず、ただニコニコと笑い、それでいて教授もニコニコしていた。
教授が蛾について取り留めもなく話し、日が暮れたので家に帰った。
ソーダが学校に来なくなって三日目、学校は夏休みに入った。
教授の林に死体が転がっていた。
林の中程の茂みの陰に隠れていた。
それがソーダだということは、なんとなく分かった。
僕は蛾を捕まえに林の中に入った。
変な匂いが充満していた。
僕はすぐに教授を呼びにいった。
僕に案内されてその場所に到着した教授は
「道理で多いと思ったんです」
と言ってこうべを垂れた。
何が、とは言わなかった。
「宗田君はどうして僕のところに来たのでしょうか」
教授がぽつりと言った。
小さな小さな声だった。
その日のうちに、教授の家に警察が来た。
第一発見者の僕は、夕方まで警察と話した。
警察が帰ってから
「ソーダを雇ったのですか」
と思い切って教授に聞くと
「はい。 学校に行きたくないって言ったので」
と返事が来た。
ソーダに休むほどの嫌なことがあったのか、僕には想像がつかなかった。僕とソーダはそんなに仲がいいわけではない。
顔を合わせれば挨拶ぐらいするが、集団でいるとき以外は遊ばなかった。
ソーダが学校を最初に休んだ日には、学校に欠席の連絡が入っていたそうだ。
だから夜まで気が付かれなかった。
「私の家に来ますよ」
教授はどこかへ電話をかけているようだった。
僕は書庫からその声を聞いた。のぞいてみる。
「いらっしゃいますか」
ソーダのことに違いない。
「もちろんです」
それではお待ちしていますと言って電話を切った教授は、僕には気づかないで展示室へ向かっていった。
展示室にはソーダがいる。
ソーダの両親が教授の家へ来た。
僕とソーダは書庫で調べ物をしていた。
といってもソーダは本が指からすり抜けるのを面白がって遊んでいるだけだったが。
「こちらです。 ええ、毎日来ていますよ」
教授の声が聞こえる。
一行は書庫に入ってきた。
「どこにいるんですか?」
ソーダの父親が聞いた。
そこには僕しかいなかった。
床にあぐらをかいて本を広げる僕の隣には、ソーダが出した図鑑が散らばっていた。
「さっきまでいたはずなんですが」
そこで言葉を切って僕に問う。
「吉田君、宗田君がどこにいるか知らないかい?」
僕は首を傾げた。
「さあ?」
そうとしか答えられなかった。
ソーダは一行の声が聞こえたときに壁をすり抜けて出て行ってしまっていた。
「帰った?」
夕方、ソーダの両親が帰ってからソーダが壁から顔を出した。
僕は教授と応接室でお茶を飲んでいた。
「……宗田君……」
教授は眉尾を下げて言った。
目頭に皺が寄っている。
「お前の親、犯人を探してるよ」
僕は言った。
「あ、そういうこと?」
ソーダは眉を上げて言った。
「他に何があるっていうの」
僕が聞くと
「成仏しろとか」
とソーダは肩をすくめてみせた。
ため息が出た。
「犯人の顔は見ていないんですか?」
教授がソーダに聞いた。
「見たよ。 狭間先生」
僕は思わず立ち上がった。
教授も立ち上がっていた。
がたがたっと椅子が鳴った。
「警察に連絡しましょう」
教授が言いながら歩き出した。
「なんて言うんですか?」
「ありのままを」
教授は部屋にある電話の受話器を取った。
「なんで今まで言わないんだよ」
ソーダは眉根を寄せた。
「……犯人が捕まったら……」
言い淀む。
「成仏、しちゃいそうじゃない?」
「……うん」
それでいいだろうが。




