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あいよ!いつもの秘伝の出汁を使った新作ラーメンだよ!!
( `・ω・´ )つ
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私が銀色のハムスターになったのは、婚約者の机を勝手に漁った罰だったのか?
――何だ、これは。
床に落ちた自分の手紙の上に乗っかって、腹ばいになって見降ろしながら思わずそう呟く。しかし声に出したつもりだったが、「ちゅちっ」という鳴き声しか出てこなかった。
誰もいない放課後の教室で、私は机の脚の間にうずくまり、首を左右に振って自分の丸っこい脇腹と銀色の毛並みを眺めた。信じがたいことに、ふわふわしていた。ひげまであった。視界は妙に低く、先ほどまでただの家具だった学園の見慣れた机や椅子が、今は小さな獣を閉じ込める檻のように見える。
鳴き声も合わせて考えると、これはネズミ……いや長い尻尾はない。短い前足で確かめるように顔、そして頭をくしくしと触ると小さな丸い耳が触れた。これは……ハムスターか?
その少し前まで、私は自分のしていることを、間違っているとは思っていなかった。
婚約者に渡すつもりの手紙を、彼女の使う机の引き出しに入れようとしただけだ。城では、何故かやたらと聖女が現れるしその後私の執務室にずっといる。どうやら私の側近のライネルかエリアスか、また他の貴族令息のうちの誰かに帯同して城に来る度に私の事を探して会いに来ているらしい。その聖女の事で婚約者を問い詰めるのに、本人の聖女がいてはやりにくい。彼女が王妃教育で城に来る時に話をするのはやめにした。
彼女の家に行くのも難しい。やはり何故か聖女が現れて、ついて来てしまう。教会からも父である王からも、聖女を無碍に扱うなと口を酸っぱくして言われているので置いていくのは難しい。当然、連れていく事は出来ないし。
聖女が運よく現れないタイミングを見計らっていては、いつになってしまうか分からない。
だから学園で手紙を使って伝える事にしたのだ。人前で問い詰めるような真似は避けたかったし、周囲の耳目を集めたくもなかった。これは、彼女の為でもある。
もっとも、後ろめたさがまったくなかったかといえば嘘になる。
なにしろその内容は、婚約者を問い詰めるようなものだったのだから。
この学園に通う平民出身の聖女であるリリアに、彼女が辛く当たっているという話を私はここしばらく何度も聞かされていた。
最初は育ってきた環境が違うから感じ方が異なるのか、行き違いが原因だろうと思っていた。だが、私の側近兼護衛であるライネルも、宰相の息子であるエリアスも、口を揃えて同じことを言う。彼らは、エレノアに厳しく咎められて泣いている聖女を何度も慰めた事があるらしい。
それゆえに、彼女のような心優しい聖女を早く救ってあげるべきだと。
肝心の聖女は、いかにも困ったように微笑んで、「わたくしが至らないだけなんです」と私の婚約者を庇ってみせるのだが、だからこそ余計に痛ましかった。
私は、一部が勘違いしているように聖女に心を寄せて婚約者のエレノアをないがしろにしているつもりはない。
聖女はただ、守られるべき立場の娘だからそうしているだけだ。平民の生まれでありながら、奇跡を起こす力を見出され、突然貴族たちの輪の中へ押し込まれて。礼儀も慣習も知らぬ場所で、おどおどと肩をすぼめて、私に助けを求めてきた。
なので守ってやるのは王族としての務めだと思っている。
しかしその聖女リリアが、私の婚約者から辛く当たられている。そうした訴えを、一度や二度ならまだしも何度も耳にすれば、当然確かめずにいるわけにはいかなかった。
それだけだ。
片方が「あの人に財布を盗まれた」と訴えているのに、身分が高いからと何も確認せず事を治めてしまっては公平ではない。
盗んでいないのなら、違うと説明できるはずだ。
疑われた側の話もきちんと聞く。その上で判断する。それが公平というものだろう。
だから私は、手紙を書いた。
聖女への当たりが強いという声が何度も上がっていること。事実でないなら、そのように説明してほしいこと。双方の言い分を聞きたいと思っていること。心当たりがなくても、そう疑われているからには一度、自分の振る舞いを見直してほしいこと。
我ながら硬い文面だとは思ったが、嘘はない。
ただ、その手紙を学園でエレノアが使っている机へ入れようとして……引き出しを開けた瞬間、黒い魔法陣が弾けたのだ。
黒いと言うのに不思議だが、あまりの眩しさに思わず目を閉じた。一瞬の浮遊感を感じた後――気付いたら、私は銀色のハムスターになっていたのだ。
誰がどう考えても、まったく公平な事態ではなかった。
何が起きているのか分からず、呆然としているうちに、教室の扉が開いた。
足音はひとつ。慣れない四つん這いでよちよちと扉の方へ体を向けると、机と椅子の隙間から見慣れた姿が見えた。
そこにいたのは、聖女リリアだった。
私は反射的に、机の陰へ身を縮めた。何故自分がハムスターになってしまったのかは分からないが、とりあえず踏まれないようにしないと。しかし現れたのが彼女────知り合いで良かった。何とか机の上に上がって、筆記用具などを使って意思疎通ができないだろうか。私がレオンハルトだと伝えなければ。
聖女は、誰もいないと思っているのだろう、いつも人前で浮かべている柔らかく遠慮がちな微笑みなしで教室へ入ってきた。無表情でいると、不機嫌にすら見えるな。そう思ったら、何となく身を潜めたまま話しかける、いや鳴き声で注意を引くタイミングを失ってしまった。
その無表情の聖女こちらへ……いやエレノアの机へ真っ直ぐ歩み寄ると、引き出しのあたりを見下ろし、眉をひそめる。
「おかしいわね……」
小さな声だった。
「たしかに発動したはずなのに、どこにもいないじゃない……あの『ぬばたまの魔女』とかいう奴……私を騙したんじゃないでしょうね」
私は、息を止めた。
ハムスターになってしまうなんて突然の出来事に、困惑だけで埋め尽くされていた私の頭の中が、一瞬で別のものに塗りつぶされる。
今、何と言った。
聖女の視線が床へ落ちる。それが、床の上にいる銀色の小動物――私を捕らえたのが分かった。その瞬間だけ、汚らしいものを見るように顔がゆがめられる。
「……何、これ。ドブネズミになるはずだったのに……まぁいいわ」
冷えた声だった。
だが次の瞬間には、聖女は大きく息を吸い込み、耳をつんざく悲鳴を上げていた。
「……きゃあああっ!」
私は、小さい毛玉になってしまった体をびくりと跳ねさせた。
「い、いやぁ……っ!、教室に、ネズミがいるわ……!」
その悲鳴は素晴らしいものだった。
ただ驚いただけではない。無辜の民として害獣に本気で怯え、助けを求める、か弱く善良な被害者の声である。
もし私が今ここで当の本人、いや当ハムスターになっていなければ、きっと何の疑いもなくそう信じただろう。
前後を見ていたからこそ分かるその「演技」で上げられた悲鳴を聞きつけて、廊下の向こうからばたばたと足音が聞こえてきた。
教室に入って来たのは、ライネルとエリアス。何か嫌な予感しかしなくて、私は机の脚の間で硬直した。
そしてそういう嫌な予感というものは、たいてい当たるのだ。




