夏、山間にて。
※微ホラーです。苦手な方は、読まないことをお勧めします。
夏。
西瓜、花火、かき氷。
路地に漂う蚊取り線香の煙。風鈴の音。
夏の日差し、アスファルトに遠くうつる陽炎。
河原の土手を埋める鬱蒼とした葛の匂い。
蝉の声、山から、降るように幾重にも響く。
夏になると……思い出すことがある。
そう、突き抜けるような青空の向こうに、入道雲がそびえる、そんな真夏の出来事だった――
なんとなく降りた駅からバスに乗り、これまたなんとなく降りたバス停の時刻表を見て、一瞬、めまいがした。暑さが原因なわけではない。そのことに衝撃を受けたのだ……帰りのバスがない。
周りを見渡すと、青々とした稲が埋め尽くす田んぼと、夏の緑に包まれた山々。
帰れない、と決まったわけではない。
かろうじて舗装された道を、とにかく人を探して歩く。
湿気を帯びた風が、肌にまとわりつくが、不思議とイヤな暑さを感じない。
知らない土地では、何かとその土地の人に聞くのが早い。
田んぼの向こうに、赤いトタン屋根の家が見えたので、ひとまずそこに向かうことにした。
まさに滝のように流れる汗を、Tシャツの袖で拭いながらたどり着くと、民家の庭先で割烹着姿の老婦人が、腰をかがめて御座を並べていた。
「すいません、道に迷ったのですが、この辺のことを少し教えていただけますか?」
その老婦人は、快く迎え入れてくれて、縁側でしばしのお茶会となった。
冷たくひやした緑茶が体に染み渡る。
爪楊枝の刺さった青菜の漬物(?)をつまみながら、老婦人にこのあたりに伝わる民話のようなものを聞いていた。いや、帰る方法を聞けよ、とセルフツッコミをするが、なかなかに興味深い話だった。
どうやらここの土地は「■■■■」と呼ばれているらしい。
昔は100人を超える集落だったというが、今はこの老婦人と、この先の山の麓に一人、住んでいるだけだという。
――そして、この老婦人は、どうやら鬼の子孫だと言う。
その証拠に、と、老婦人は頭に被った手拭いを取り、私の手を取って頭のてっぺんを触らせた。
確かに突起のようなものがある。
その昔、朝廷による鬼の討伐が行われた。
その時に西の方から落ち延びた鬼の一族が、ここに集落を作って密かに暮らし始めたのが、始まりだったそうだ。
もう一件あるという家は、未だにそのときから続く「しきたり」を守っていると言う。
「しきたりって…」と、聞こうとしたところで、軽快な音が老婦人の懐から流れ出した。スマホの着信があったようだ。
……電波、きてるのか?
老婦人はスマホの画面を見て、すぐに切った。
……あれ?
なんとなくの違和感ではあった。
今まで、穏やかに見えた、老婦人の表情が、一瞬、そう、一瞬だけ抜け落ちたように感じられたのだ。
「さて、もういっぱい、お茶を淹れようか。」
老婦人はにっこり笑ってそう言った。
立ち上がってお茶を淹れに行こうとした老婦人に声をかけようとして、気がついた。
それまで、うるさいくらいに響いていた蝉の声が、聞こえないことに。
唾をのみこもうとしたが、うまく呑み込めなかった。
さっきお茶を飲んだはずなのに、喉がひりひりと張り付くようだ。
湿り気を帯びた風が、まとわりつくのを感じながら、私は、暑さで動かない頭で、帰る方法を探し始めた。




