悪役令息の新たな旅立ち
病み上がりの友人が母親の毒牙にかかるのを、俺は遠い目をして見守っていた。
「ロッティには淡い色のドレスが似合うわね。ああ、でも、暖色の濃い色も髪や肌が映えて素敵。ふふっ、嬉しいわぁ。わたくし、娘も欲しかったのよ。レイモンドはわたくしに似て美しいけれど、可愛らしい顔ではないでしょう? 昔から着せ替えには向かなくて」
「あの、アレクシア閣下。ご厚意は大変ありがたいのですが、恐縮ですのでそろそろ終わりにしては」
「厚意? 違うわ、これは『対価』よ。反抗期の息子の家出を見逃してあげるのと、わたくしの私兵の派遣費用と治療費と滞在費の貸しをこれでチャラにしてあげるんだから破格よ? おとなしくお人形になりなさいな。あなた、『何でもする』と言ったじゃない」
「うう……」
何十着ものドレスを取っ替え引っ替えさせられたシャルは涙目で俺を振り返る。だから、アレクシアの前で安請け合いなんかするもんじゃないと言ったのに。
アレクシアに『親子だから』と無償で助けてくれるような優しさは無い。先の騒動での手助けも当然『息子への貸し』としか認識しておらず、後から利子をつけて取り立てる気満々だったらしい。俺はてっきり『今すぐ傀儡当主になれ』くらいは言われるものだと思っていたから、予想より安い代償を聞いて胸を撫で下ろしていた。
ところが、シャルはそれを良しとしなかった。
『あたしが迷惑をかけた結果ですから。シスは関係ありません。請求するならあたしにするべきでしょう』
『おい、バカ、やめろ!』
『一括払いは無理でも、必ず何とかします。何でもします!』
冗談じゃない。シャルを取り返すためにアレクシアの手まで借りたのに、肝心のシャルをアレクシアに取られたら本末転倒だろう。
揉めて言い争う俺たちをおかしげに見ていたアレクシアは、シャルの『何でもする』という言葉を聞いた瞬間に瞳を輝かせた。
『じゃあ、あなたがレイモンドの代わりにわたくしのお人形になりなさい。わたくしの決めたものを着て、決めたものを食べ、この家で暮らしてわたくしが与えた仕事を粛々とこなし、わたくしの決めた相手と結婚して子を産みなさい』
『なんだ、そんなことでいいなら――』
『却下だっ! ふざけんなよ、クソババア!』
息子の友人を体のいい奴隷扱いか。なまじ他の使用人たちには鷹揚に接して放任しているぶんだけ、アレクシアが本気でシャルを囲い込もうとしているのが分かってゾッとした。
『美しくて賢い跡継ぎが得られるなら、それに越したことは無いでしょう?』
『俺が気に食わないなら養子でも実子でも迎えればいい。シャル以外なら』
『産むのも育てるのもわたくしの負うリスクが高すぎるもの。一回で十分だわ』
『あんたは清々しいほど自分の損得勘定ばかりだな』
『あら、嫌だ。お母様がせっかく気を回してあげたのに』
『何のことだ』
シャルをアレクシアの養女にして跡を継がせる話じゃないのか?
首を捻って顔を見合わせる俺たちを見て、アレクシアは『息子の育て方を間違えたかしら……』とため息を吐いていた。
その後どうにか『春に出立するまでのお人形扱い』で手を打って、今回の件についての貸し借りは帳消しになったらしい。
「つかれた……」
「おつかれ。今日はまた一段と『人形遊び』が長かったな」
実家の自室に一緒に帰ると、シャルはベッドにぱたんとうつぶせに臥して動かなくなった。文字通り疲れきっているのだろう。
「アレクシアはそこまでの着道楽じゃなかったはずだけど、いつのまにあんなに買い込んだんだろう」
「女帝のところにはたくさん貢物が届くみたいだよ?」
「貢物って……『供物』の間違いじゃなくて?」
「彼女は新興商人たちから熱烈に支持されてるからね。商品の反物や仕立て屋の針子の技術の試供品として無料でもらったんだって」
「あんな高そうなものを? 商人たちも随分太っ腹だな」
「それだけ熱心なファンなのもあるだろうけど、社交界に影響力のある人に身につけてもらえば商品の宣伝にもなる。どちらにとっても得が……それだっ!」
ベッドからむくりと起き上がったシャルは、輝く瞳で俺に言った。
「役者さんと職人が提携するっていうのはどうかな!」
「……何の話だ?」
「高級志向の織工や刺繍職人や仕立て屋が作った質の良い衣装を、劇団に格安で提供してもらうの。花形役者が身につけたら宣伝効果もあって、広告塔として使えるじゃない? 同じ衣装そのものは高くて庶民には買えなくても、同じ布の端切れや小物なら役者のファンにも手を出しやすい。役者の衣装替えの回数が多い演目を書いてくれって脚本家に頼んでおけばさらに儲けられるね。そういえば、ちょうどミアさんが手紙で『次は訳あって男装している美少女小姓が主人公の話にする』って言っていたから――」
「わかった、わかった! 後で紙に書いて出してくれ!」
一息にわっと言われても分からん!
尋ねたのは俺だけど、こんなにいっぺんに言葉が返ってくるとは思ってなかった!
「……そうしたら、女帝の『正しさ』に切り捨てられた人のことも少しは助けられるかな」
問わず語りのシャルの囁きに、俺はあの騒動を思い返した。
レムウッド領内にばら撒かれていたドラッグは、服用した者を多幸感に浸らせる性質のものだった。現実の現状に不満がある者ほど、幸せだった過去をもう一度体感するためにドラッグを多用して、ついには現実に戻れなくなる者もいた。
そしてその多くは、旧来の商法を取る商店や職人たち――アレクシアがもたらした発展によって仕事を失い困窮し、不幸になった者たちだった。
この点についてはアレクシアが悪いとも言い切れない。
競争力の無いものが負けて顧客の需要に合ったものが生き残る経済の在り方は、ある意味で公平だ。アレクシアが現代知識チートをしたせいで社会の急激な変化に適応できない者が振り落とされた面はあるにしても、今まさに飢えて死にゆく者を前にして手持ちの知識をやらずにいろというのも無理な話だ。
アレクシアのしたことは間違ってはいないのだろう。――だが、俺たちは彼女とは違う道を選ぶ。
「アレクシアが『みんな』を幸せにするなら、俺はそこから取りこぼされた人をマシにしてやりたい。ただ食べるものがあって、着るものや寝るところがあるだけじゃなくて、心まで満たしたい。……一番難しい土台のシステムを整えてくれた母親におんぶに抱っこの甘ったれた目標かもしれないけど」
「思わないよ、そんなこと。良い夢だ」
「そうか?」
「そうだよ。あたしも協力する」
「ああ。頼りにしてる」
「とりあえずこっちにいるうちに、女帝からノウハウを引き継いでもらわないとね。統計データも最新のものがあるだろうし……」
忙しく頭を働かせ始めたシャルに『相変わらずだな』と笑みを向けてから、俺は窓の外に目を向けた。
外にはまだ雪が舞っているが、一時に比べると勢いは弱まった。冬が終わろうとしているのだろう。
そうして春になったら俺たちはまた旧レムウッド城市に戻って、俺たちにできることを探す、あてのない挑戦を続ける。
感じたほんの少しの恐怖を吹き飛ばすように、俺は窓ガラスに映った自分の顔に『やってやるぞ』と睨みつけた。
《完》




