屋上
「えっと、編入生の榎田さん」
「すいません、私、榎田じゃありません。橘です、橘小春です。」
こんなやり取りをここ数日で何度もした。制服の刺繍の件が周囲に露見したのではく、どうやら私が夏穂の親族であると、教員方にまで誤った解釈が生じているようだった。
今も数学の教師に間違われた直後で、教室の生徒がこそこそと、私と夏穂を交互に見ている。当の彼女は退屈そうに、頬杖をついて手元の教科書ををめくっているだけだった。
その他の問題は特にない。学校の授業には差し支えなくついていけている。東京の高校とは教科書が違うが、中身は同じだ。
校舎も少し古いが不便はない。時折二階の教室へと流れこむ晩夏のそよ風がノートを悪戯にめくる。生暖かく、撫でるような風だ。見たところヒエラルキーもほぼなく、いつもまったりした雰囲気が漂っている。
とはいえ、転校生が珍しいせいか、どこに行っても声をかけられる。私としては疲弊の種でしかないないのだが、無論、相手には微塵の悪意もないのだろう。この学校に来てからか、あるいはそれ以前からなのか、私は人の目線の上にいるとどうにも落ち着かない。人ばかりの東京生まれが何言ってるんだ、と言われれば反論のしようもないのだが、嫌いなものは嫌いなのだ。
人の目から逃げることが、今後の生活を事を考えると正しくないのは分かっているつもりだった。
それでもなお私は逃げた。
学校の屋上、ここが私の避難所となっていた。夏休み明けの屋外は少し汗ばむ程度には暑いが、お陰で昼休みにも関わらずここに人の姿はない。
人は疲れる。集まれば集まるほど争いが起きる。一人は良い。誰にも縛られない。
私は昼休みやほとんどの授業の間の休憩時間に、ここで鞄に忍ばせた小説を読んだり、学習参考書に目を通したりしている。
今日は、それも億劫になったので、今度は引っ越す前日に黒猫からもらった封筒を開いてみることにした。
A4用紙を折り畳まずに入れられるほどの茶封筒で、特に装飾をした跡もない。恐る恐る封筒に右手を入れてみた。厚紙のようなざらついた手触りが右手を伝う。
正体は色紙、もといサイン紙だった。高校生や中学生が、引っ越していく友人に対してクラスの寄せ書きをすることは、ごくありふれたことだ。しかし私の持っているこれは違う。七、十人程が隙間だらけの円にならない円を形作りながら簡素な言葉を私に残していた。中心には何を書くか思い付かなかったのか、元々そういう仕様だったのか、なにも書いていない。
放射状に広がる言葉も、ありがとう、楽しかった、また会いたい等、ありふれた嘘だった。感謝される事をしたつもりもない。謙遜ではなく、事実として思い当たらない。名前すらも、初めて見る人もいる。
きっと黒猫が短い時間で必死に用意してくれたのだろう。だけど、湧いてくるのは苦笑と、私の私としての価値を見失いそうな、毒のような失望だった。
そうして、一辺およそ二十五センチの、正方形の厚紙を封筒にしまった。
吐いたため息が、山から吹き下ろす風に消えた。