客車
学校が始まって二週間が過ぎた。帰りのバスだっただろうか。この日もなんとなく人に合うのが嫌で、足早に学校を出た。
学校が終わって、すぐにバス停に向かえば、混雑なく乗れるバスが一本ある。九月上旬の、未だ昼間にできる陽炎の隙間を早足に駆け抜ける。少しだけかいた汗をバスの冷風が拭い始めている、そんな日だったと思う。
発車しかけたバスが、乗り遅れた客に気付いてもう一度ドアを開いた。
「すいません。ありがとうございます。」
ドアの向こう側から女の声が聞こえた。ローファーがバスの床にあたる音が車内に響く。背が高く、顔の整った、美人な生徒だった。着ている同じ学校の制服は、まるで私のものとは別物に見える。周囲を見渡し、空いてる席を探している。私を見付けると足早に駆け寄ってきた。
「転校生だよね。横いいかな。」
私は頷いた。こういう美人にはたいてい、ろくなのがいない。私が席を奥につめると、彼女は頭だけ軽く下げて、横に座った。礼儀は良いようだ。
「なっちゃんから話は聞いてるよ。ええっと榎田、じゃなくて橘さん、であってるよね?」
「ええ、そうです。」
なっちゃんが、夏穂を指す愛称であることは分かった。それよりも、なぜわざわざ私を榎田と呼んだのか、と問い詰めてやりたかった。
「東京から来たんだってね。いいな、スカイツリーとか、渋谷とか、ディズニーランドとか。行ってみたいなあ。」
「ディズニーランドは千葉ですけどね。それに私は東京の西の方に住んでいたので、そっちの方にはあまり詳しくないんです。」
「ええ、そうなんだ、そうなの?」
彼女はそう言って恥ずかしさを隠すように口と鼻を手で覆ってクスクスと笑い出した。少し赤く染まった顔は、私には勿体ないくらい可愛らしくみえた。彼女が笑っている間、私は視線を下に落とすしかなかった。なんとなく笑えない。きっと私の笑いのつぼは他の人とずれていて、そういう意味でよく笑う人と会話するのは毎度疲れる。
「なっちゃんと話しててね。実はすごいお金持ちの家系だ、とかすごい長いミドルネームがあるとか。実は血の繋がった妹かもしれない、とか」
楽しげに話す女は、笑うと鼻が膨らんだ。それを気にしてるのか、笑うときに三回に二回ぐらいは手で顔を覆う。わざわざ口には出さなかったが、これでは彼女に美人という表現はふさわしくないと思ったので、頭の中で、はなおんな、と名付けた。黙っていれば花女、下劣に笑うと鼻女。
やっぱり他の人よりもずっと、私はひねくれていると思う。
「妹ですか。顔も性格も似てないですし、考えられないですね。」
「なっちゃんが、なんとなく同じ感じがするってずっと言ってるよ。制服の刺繍の事とか聞いてると、奇跡みたいなことだけど、本当にありえる話だって思えてくるよ。」
忘れかけていた事実を思い出した。そういえば私の制服には別人の名字の刺繍が入っている。
「制服の話、夏穂から聞いたんですか?」
「ええそうだけど、もしかして言わない方が良かったのかな。」
「いいえ、もう聞いたなら別に構いませんよ。」
「そっか、ごめんね。」
彼女は申し訳なさそうな顔をした。私に対して気兼ねを感じているのではない、きっと不注意な発言をした自分の体裁を取り繕うためにこんな顔をしているのだろう。こういう他人の、見え透いた処世術をみると胸がざわついた。
それからは適当な学校の話をした。特に弾むことの無い淡白な会話だった。楽しくはなかったが、彼女の鼻の動きを見ていると笑うことができた。しばらくして、家がまばらになってきて、道がいよいよ山道に差し掛かる出前の駅で彼女は降りた。




