27 告白
祝賀会を終え、離宮へ戻った頃には、夜もずいぶん更けていた。
――随分と、多くのことがあった祝賀会だった。
着替えたレオノーラは自室で休まず、シグヴェルトの執務室を訪れた。
ノックをすると、すぐに返事がある。
扉を開けると、彼もすでに黒い外套を脱ぎ、長椅子へ腰を下ろしていた。
「どうした?」
シグヴェルトは祝賀会で起きた騒動など、取るに足りないことだったような顔をしている。
「……あの二人は、これからどうなるのでしょう」
「陛下ならば、ルシアンの王太子位と王位継承権を剥奪するだろう。あの娘との婚姻は認めても、二人とその子孫には継承権を与えない」
明日の仕事の打ち合わせでもしているように言う。甥のことなのに、他人事のようだ。
「……王都には残れないのでしょうか?」
「王領北端の離宮へ移されるだろうな。陛下の許可なく、王都へ戻ることも禁じられる。そのあたりが妥当だろう」
ルシアンは王太子ではなくなり、フィオナと子どもだけを伴って、王都から遠く離れた土地で暮らす。
自業自得ともいえる。
だが、きっかけを考えてみれば――始まりは、レオノーラが怒りから大広間を焼きかけたことからだった。
婚約者の変更がされたのに、ルシアンは寄りを戻そうとしてきた。
だがそれは、レオノーラへの愛情ではない。彼から感じたのはレオノーラへの情ではなく、フィオナへの深い愛情でもなく――自分可愛さだった。
女王は否定していたが、ルシアンはレオノーラを王家に取り戻すのは女王の意向だと言っていた。
「…………」
レオノーラは少し迷ったあと、口を開いた。
「……シグヴェルト様は、どこまでご存じだったのですか」
彼は視線だけをこちらへ向ける。
「何についてだ」
確かに、随分と曖昧な問いだった。
「わたくしについてです」
シグヴェルトはしばらく黙っていた。どこから話すべきか考えるように。
「――お前は、火竜という言葉は知っているか」
「シグヴェルト様が、わたくしをよくそう呼んでくださいますね」
シグヴェルトが小さく笑った。
「火竜とは、人の身に竜種にも等しい炎を宿す者のことだ。クラウゼンの血には、代々その素質が受け継がれている」
「え……」
――初耳だ。
「だが、実際に力を発現してきたのは、暗い赤の瞳を持つ女児だけだった。魔力が活性化したとき、その瞳は燃え盛る黄金色へ変わる。その者を、火竜と呼ぶ」
レオノーラは無意識に、自分の目元へ指を添えた。
普段の瞳は、暗い赤色。
「……わたくしの瞳が、黄金に、なったと?」
「ああ」
あっさりと肯定する。
「お前の瞳が黄金に燃える様は、何より美しい」
「…………」
シグヴェルトは淡々と続ける。
「クラウゼン伯爵家には、代々王家から人員が送り込まれている。火竜の兆候を見逃さないためだ」
「それは……使用人などに、ということですか」
「そうだ」
――つまり、レオノーラの存在はずっと王家に監視されていた。
「では、わたくしがルシアン殿下の婚約者に選ばれたのも……」
「火竜として目覚める可能性があったから、王家の手元へ置いておく必要があると判断された。決定したのは陛下だ」
「……そうですか」
どうして他にも年頃の令嬢がいるのに、生まれてすぐに王子の婚約者となったのか。
クラウゼン伯爵家は過去にも何度か王家と婚姻を結んだことがあるから、特に疑問には思わなかったが――……
そのような理由だったなら、納得いく。
「……ルシアン様も、それを知っていて?」
「陛下は話していなかっただろうな。国家の重要機密にかかわることだ」
――つまり、話すと何をしでかすかわからないと思われていたと。
しかし、ならば何故女王は婚約者の変更を認めたのだろう。ルシアンがうまく説得したのだろうか。
フィオナを正妃に、レオノーラを侍女に。それが全員にとって最もいい形になると。
女王がそれを許したのは、結局は、我が子可愛さあってのことだろう。
(――あの時、わたくしが我慢していれば……)
あの舞踏会で、レオノーラが怒りを燃やさなければ、平和に終わったことだった。
そして、思い出す。暴走したレオノーラを真っ先にシグヴェルトが止めに来たことを。
レオノーラの視界を塞いで、「見るな」と。「いまのお前が見れば、すべてを燃やすぞ」と、彼は言った。
何もかもわかっていたかのように。
「――シグヴェルト様は、いつからわたくしのことを知っていたのですか?」
「お前が生まれたときから知っている。報告書を通してだが」
「生まれたときから……?」
まさか。レオノーラが生まれた時、彼はまだ幼かったはずだ。
「お前が生まれたとき、私は八歳だった。いずれ火竜が暴走した際に備え、先王から報告書を読むよう命じられていた」
八歳など、まだまだ子どもだ。レオノーラの弟のエリアスもまだ十歳だ。
シグヴェルトは、その時から先王に期待されていたのか。
「お前が赤子の頃に熱を出したことも、初めて歩いた日のことも、王太子妃教育を始めた日のことも知っている。時々料理をしていたこともな」
「…………」
「いつ覚醒するのか、楽しみにしていた」
シグヴェルトは悪びれもせずに言った。
「一生、目覚めないままかもしれないとも思ったが」
レオノーラは言葉を失った。
「――そしてようやく期待できる事案が起きた」
シグヴェルトはどこか嬉しそうに言う。
「甥が連れていた娘の胎内に、もう一つ命があることにも気づいた。それがお前の妹だとわかったとき、楽しみになった」
「楽しみ……?」
「それを知ったお前が、どう反応するか。ようやく怒るかもしれない。怒りに任せてどこまで燃やすだろうかと」
あまりにも正直だった。
だが、あの頃のレオノーラはシグヴェルトにとってただの監視対象で、甥のただの婚約者だ。
親切にレオノーラに忠告する義理も、ルシアンを諫める必要もない。
――だが。
「――怒らせないように手を打とうとはしなかったのですか」
「何故?」
シグヴェルトは本当にわかっていないように言う。
「そんな危険な存在、本当に覚醒したら困るでしょう」
シグヴェルトは首を傾げる。本気で伝わっていない。
「断言できる。お前はいつか必ず、怒りを爆発させていた。それがあの時だっただけだ」
「…………」
――否定できない。
「むしろ、最高のタイミングだったと言っていい。私がすぐ傍にいたからな」
「…………」
「お前が覚醒したときは、ついにと思ったものだ」
だから、あれほど反応が早かったのだ。
燃え上がる大広間。逃げ惑う貴族たち。自分でも止められなかった怒りと炎。
あのとき、シグヴェルトだけはレオノーラへ近づくため、炎の中へ踏み込んできた。
ずっと待っていたのだ。あの瞬間を、十八年間。
「……正直すぎます。もっと言いようがあるでしょうに」
「言い換えても仕方あるまい」
――本当に、あまりにも正直すぎる。
彼には悪意などない。本当に、本心から楽しみにしていたのだ。
エリアスと楽しそうに竜の話をしていた姿を思い出す。
彼にとって竜は恐ろしいものではない。
言ってしまえば――憧れだ。
「眷属契約を結べたのも僥倖だった。誰にも邪魔されず、私の手元へ置けたからな」
「最低ですね」
「否定はしない。自分でもどうかとは思っていた。だが、傍に置きたかったのだから仕方あるまい」
まるで欲しいものを取り上げられまいとする子どものような言い分だった。
この人は、魔術については誰より深く考えるくせに、自分の感情については驚くほど素直で、幼い。
そして、よくわかった。
(この人は、わたくしが火竜だから傍に置いているのだわ……)
お気に入りの玩具を手元から離さない幼児のように。
「…………」
――悲しんではいけない。
シグヴェルトにとっては、それが先王からの命令で、使命なのだから。
そもそもどうして悲しいだなんて思うのか。
――そう考えて、気づいた。気づいてしまった。
(……わたくしは、シグヴェルト様を……)
――特別に思っている。この、どうしようもない魔術師を。竜好きを。
そして、特別に思ってほしいと思っている。
火竜ではなく、ただひとりの、レオノーラとして。
本当に、どうかと思う。
この気持ちは、気づかれてはいけない。シグヴェルトにとって自分はただの監視対象なのだから。
「――ただ、誤算があった」
シグヴェルトがぽつりと呟く。
「誤算? ……シグヴェルト様に?」
「ああ。傍に置くと、報告書には載っていなかったことも知る」
シグヴェルトの声が、少し低くなる。
レオノーラは思わず身構えた。
「どのようなときに怒るのか。何を褒めれば喜ぶのか。どんな菓子を好み、仕事が片づいたときにどんな顔をするのか」
「シグヴェルト様」
出てきた言葉があまりにも予想外で、思わず止めようとする。だが、止まらない。
「手の柔らかさ。髪の香り。怒った時の声。作った料理を私が食べると、平静を装いながら反応を窺っていることも」
「――お待ちください」
シグヴェルトは嬉しそうに言う。
「お前は、思っていた以上に可愛らしく、そして、この世の何よりも美しい」
シグヴェルトが近づいてきて、距離が縮まる。
――ああ。何故、いま。こんなに。
この人が、『男の人』に見えるのか。
「これからも、お前の力を得ようと近づいてくるものたちがいるだろう。だが――」
レオノーラの手を取り、甲に刻まれた眷属の紋章を指でなぞる。
「お前は、私のものだ」
「…………」
レオノーラは、赤い竜を囲む黒い輪を見下ろした。契約によって、自分は彼の眷属となった。
本当に、自分勝手な人だ。
遠慮がない。我慢しない。
――レオノーラはシグヴェルト・エルダーシュタインに関する記憶を思い返す。
彼は、幼い頃から役割を振られていた。
彼は、幼い頃から圧倒的な強者だった。天才、王国最強の魔術師、冷血、化け物――あらゆる異名が、彼の特異性を示している。
力も、血統も、あまりにも強いからこそ、他人を慮る必要がなかったのだろう。
人に嫌われても困らず、誰かの機嫌を取らなくても生きてこられた人。
だからきっと、自分の感情を人に合わせて形を変える必要がなかったのだ
そんな彼が、レオノーラにだけ関心を示している。
始まりは火竜としての資料の上だけだったはずだ。
だがいまは、それ以外のことも知り、可愛いと、美しいと言ってくれた。
手に触れながら。
「――違うでしょう」
レオノーラは、紋章をなぞる彼の手を握り返した。
シグヴェルトの目がわずかに見開かれる。
レオノーラは、青い目を強く見つめた。
「――あなたが、わたくしのものです」
彼は十八年間こちらを見ている。レオノーラに囚われている。そしていまなお、レオノーラを知ろうとしている。
その心は、レオノーラこそが所有しているのだ。
シグヴェルトが言葉を失っているのがわかった。
やがて、その口元がゆっくりと緩む。
「そうか」
レオノーラが握った手へ、シグヴェルトの指が絡む。
彼は否定しない。怒りもしない。
むしろ、嬉しそうだった。
「それも悪くない。むしろ――かなりいい」
その笑みにも、飾りなど一欠片もなかった。
ただ、純粋に、喜んでいる。長く探していた答えを、ようやく得たかのように。
そして、レオノーラの手の甲に口づけた。
「私は、お前のものだ」
「……あなたは、素直すぎます」
「よく言われる」
「褒めていません」
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