8. 花の行方(4)
道が悪路になり馬車は揺れた。どこか上り坂を進んでいるようだ。
数時間ほど進むとようやく馬車が止まった。
そこは木の生い茂る山の中で小さな小屋がある。中へ入るとようやく口元の布を外された。
「ここはどこなの? 私をどこへ連れて行く気?」
イリヤがユキの手を結んでいた縄もほどく。
「お疲れになったでしょう。今日はここに泊まります。どうぞゆっくりとされて下さい」
イリヤが微笑む。
「あなたの笑顔なんて見たくないわ! 答えてよ。私をどこへ連れて行くの?」
「……ロベリアへ行こうと思っています」
「ロベリア?」
ユキが唖然とする。
「どうして? あなたはベルサド王国の使者でしょ? 何を考えているの? ロベリアで何をする気?」
イリヤが苦笑する。
「質問が多いですね」
「当たり前でしょ! こんな目に遭っているんだから! どうしてベルサドでは無いの?」
「そんなにムスタファの元に行きたいですか?」
「そんな訳無いでしょ! ……あなたはベルサド王国の人なのよね? 一体どういう事なのよ?」
「……私はベルサドの王宮で働いてはいましたが、別にあの男の臣下ではありませんから」
イリヤがムスタファを嫌悪している事は、言葉からもその態度からもユキにはわかった。
「それじゃあ、どうしてこんなマネをするの? 私になんか構わずにロベリアに行けばいいじゃない」
「別にロベリアも目的地という訳ではないですから。今一番良いルートがロベリアだと思ったから進んでいるだけです」
――――そうか
私も考えた様にアルスもみんなも、イリヤはベルサド王の命を受けて私を攫ったと思っているはず……
「追手が来ない……だからなのね?」
イリヤがニコリと微笑む。
「……だから、どうして私を連れて行くの?」
結局そこがわからない。
危険を冒してまでユキを連れて行くメリットが、全く見えてこないのだ。
「ユキ様は女神様です。この世界を照らす光です。だから私の側にいて欲しいのですよ」
「そんなのお断りよ」
ユキが即答した。
「私はこの世界の光なんかじゃ無いわ。世界を照らすのは〈女神の書〉よ。あなたも学者なら良くわかっているはずでしょ? 私には何の価値も無いのよ。もう〈女神の書〉は完成したわ。暁の宮殿にあるじゃないの。あれを持ってロベリアでもどこにでも行ったらいいわ!」
イリヤが自分の荷から書物を取り出した。
ベルサド語で〈医療基礎学〉と書かれている。
ただそれはユキの崩れたような文字ではなく、達筆のように思えた。
「それって、……〈女神の書〉?」
「はい。私が書き写しました。価値があるものなのでこの先役に立つだろうと思いましたので」
用意周到だ。
でもイリヤのその言い回しが、〈女神の書〉自体にはあまり興味が無いように、ユキには思えた。
「増々わからないわ。それがあるのなら、私は必要ないじゃない。まさか通訳として使う為でもないでしょう? お願いだから皇子の元に帰して」
イリヤの顔が曇った。
「それはできません。あなたには私の側にいて欲しいのですから」
そう言うとイリヤがユキの瞳をジッと見つめそっと手を伸ばす。
「触らないで!」
ユキが叫ぶと、イリヤはサッと手を引っ込めた。
「お疲れでしょう。もうお休みください。明日は夜明け前に出発しますから。この辺りは狼が出ますので、くれぐれも外には出ないで下さいね」
そう言うとイリヤが小屋を出て行った。
ユキは自分の胸がドクドクと鳴っているのが聞こえた。
『側にいてほしい』ってそういう意味じゃ無いわよね?
狼の遠吠えが聞こえた。
アルス……私はここよ。
不安で胸が押し潰されそうだ。ユキは静かに瞳を閉じた。
夜明け頃、扉が開く音でユキは目を覚ました。
見た事の無い部屋だ。古い木材を組み合わせて作られた粗末な小屋だった。
また自分は夢の中を彷徨っているのではないかと思った。
しかしそれは家族のいるあたたかな日本の夢では無く、悪夢そのものだった。
アルスがいない。自分はイリヤに攫われたのだ。
「ユキ様。おはようございます」
イリヤが朗らかに声を掛けてきた。
ユキは答えない。
「こちらの服に着替えていただけますか? ここからは馬車は通れないので、騎乗になるのです。そのお姿では目立ちますから」
ユキは一昨日の宴の為に、紅色の絹のワンピースに白地に金色の唐草模様の刺繍が入ったシフォンを纏っていた。
「嫌よ」
ユキはそっぽを向く。
「……仕方がないですね。私が手伝いましょう」
そう言うとイリヤがズカズカとユキとの距離を詰めてきた。
「止めて! 近づかないで」
ユキが壁際に後ずさる。
「それではこれに着替えて下さいね」
イリヤはユキが眠っていた寝台の上に衣服を置くと、小屋から出て行った。
ユキはのろのろと置かれた服を手に取り、溜息をついた。
首や腕に着けていた装飾品を取ると、寝台の上に置いた。そして置かれていた綿のシャツに袖を通した。
ユキがまだ首にかけていた、金の三日月の首飾りを触る。これはエレノワがユキの為に作ってプレゼントしてくれたものだ。
ユキはそれが自分を守ってくれるお守りの様に感じていた。
それでも目立つことを許さないイリヤに見つかれば、処分されてしまうだろうか?
ユキはそれを握り締めながら、ふと頭に閃いた。
この小屋はイリヤが建てたはずがない。きっと地元の人が使っている物なのだ。そうなれば、いずれは誰かがやってくるはず。
ユキは首からそのお守りを外すと、寝台の下にポンと投げ入れた。
誰かが見つけたら、金にダイヤの装飾の首飾りなんて少しは騒ぎになるはずよ。
イリヤには見つからない様に、首飾りの上には側にあった藁を少しひっかけた。
少しすると小屋の扉がノックされた。
「着替えはお済みですか?」
ユキが返事をしないので、イリヤがそっと扉を開けて入ってきた。
「ユキ様。よくお似合いです」
イリヤが微笑む。寝台の上のドレスと装飾品を見ると、それらを麻袋に詰め込んだ。
「こちらは処分させていただきます」
そう言うと、ユキの髪に手を伸ばした。
「止めて!」
ユキがその手を払いのける。
「いいえ。髪飾りがまだ着いていますので」
「自分でやるわ」
ユキがピンを外そうとするが、そのままで眠ってしまったので髪に絡まっている。力任せに取ろうとすると、イリヤが手を伸ばしてきた。
ユキは渋々とイリヤに任せた。
「最後にこのヴェールを被っていただけますか? ユキ様は目立ちますから」
イリヤが笑ってユキにヴェールを被せた。
ユキはうつむいたままだった。




