1. 現実主義(3)
ユキの胸はドキドキとうるさく鳴っていたものの、パニックを起こしていたわけではなかった。
これでも21歳の大人のユキである。そういった事になるのは自然の事だと思っていたし、いつか来るんじゃないかと考える事もあったのだ。
これが日本だったら――――
きっとユキはアルスの事を受け入れていただろう。
アルスの事は大好きだ。触れられる事も、キスも嫌なわけがない。
自分もアルスに触れたいと思うことだってある。
ただ、ここは日本ではない。
つまりユキが考えていたのはそういう大人の関係になった時に、妊娠しない方法があるのかどうかという事だった。
ムードゼロ。
現実的な考えを持つ自分が嫌にもなるが、これは女にとっては大切なことだ。そこを蔑にするなんてユキにはできない。
いくらアルスが好きでも、きちんとつき合い始めたのは、火事の後からだし、出会ってからもまだ4ヶ月ほどだ。
その期間は日本では考えられないくらいに濃厚な経験をしたものの、時間としてはあまりに短い。
ユキだってわかっている。
アルスが自分といる為に全ての縁談を断り、話は他国との外交にまで飛び火しているのだ。
それなのに『ユキがアルスを受け入れない』なんて事はありえない話である。
――――それでも今ここで、すべてを受け入れる覚悟がなかった。
アルスと結婚して子供を産んで、一生をここで生きていく。人々には『女神』と呼ばれる上、更には皇太子であるアルスの妃としても生きていくのだ。
この国の中心で――――
ユキはアルスの側にただいられれば良い。でもそれがこんなに難しい事だとはユキは思いもよらなかった。
自室に戻ると、部屋を片付けていたヘレムとサラナがギョッとした顔でユキを見た。
「どうして戻られたんですか!? てっきり皇子の部屋に泊まられるものとばかり思っていましたのに」
「……まさかまたケンカでも?」
二人が一気にユキを巻くしたてる。
「いや……。ケンカじゃ無いとは思うんだけどね……」
「何があったんです!?」
なぜだかヘレムは怒っている。
ここでユキは、ふと二人に尋ねてみようかと考えた。
アルスとの微妙なわだかまりを、解消していく方法があるのかどうか。
「あ……あのさ。すごーく聞きにくいことなんだけれど。絶対口外しないと誓える?」
いつもは何を聞いても口を閉ざしてしまうユキが、神妙な面持ちで二人に尋ねてくる。
ヘレムもサラナもユキの大切な相談であると感じて、同じように神妙な顔で頷いた。
「例えばなんだけれど。日本には妊娠しない方法がいくつかあるのね。それで、そういった物ってこの国にもあったりするのかな?」
ユキは恥ずかしくて小さな声でこそこそと二人に尋ねた。
ヘレムとサラナの顔は一瞬固まり、次には二人とも同じタイミングで仰天した。
目も口も大きく開いている。
しまった!
余計な事聞いちゃった
ユキは瞬間そう思ったが後の祭りだった。
「お……皇子の御子が欲しくないのですか? 信じられません。この国の全ての民が待ち望んでいることですわ! ユキ様は皇子がお嫌いなのですか!?」
まず口を開いたのはサラナだ。
「皇子の事は好きだけど、出会ってまだ少ししか経ってないんだよ。それにちゃんとつき合い始めて……一週間だし」
「一週間なんて十分な時間です。遅いくらいです。相手はこの国の皇太子ですよ!? 一夜だけでも良いという女がどれほどいることか」
ヘレムが頭を抱える。
「えっ? 皇子に一晩だけの女性がいるの?」
ユキがヘレムの言葉尻に引っかかった。
「いいえ。それは絶対にいらっしゃいません! 皇子はユキ様一筋じゃないですか。見ていればわかります。例えばの話ですよ。それが当然の国なのです。一般の者達だって、親の勧めで結婚する者が多いんですから。お見合いで会えればいい方です。結婚式で初めて顔を合わせる事だって珍しくないんですよ」
その話にユキは心底驚いた。
初めて会った人と結婚するなんて信じられない。価値観が違い過ぎる。
ユキの顔がどんどん曇って行く。
サラナがそんなユキに気付くと何とかフォローしようと口を開いた。
「でも……ですね。ユキ様と皇子は相思相愛でいらっしゃるのですから、大丈夫ですわ。皇子はあんなにユキ様を大切になさっておいでです。私たちもユキ様の側についております。お子を授からない方法だなんて……その様な悲しい事お考えにならないで下さい」
言いながらサラナの目にはじわりと涙が溜まっていく。
今度はユキがオロオロとして、サラナをフォローする。
「ホントにごめんなさい。私の国ではそれが普通の事なのね。だから皇子が嫌いだとか、子どもが欲しくないとかそういう事じゃないのよ。ただやっぱり……価値観は違うんだよね。当たり前だけどさ」
そう言うとユキは「二人ともこの話は忘れて! 疲れたし……とりあえずお風呂に入るね」と二人を残しそそくさと湯殿へ向かった。
『0』か『100』か――――
どうして『50』とか『80』が存在しないのだろう?
アルスが好きだけれど、まだ『100』として全てをここで決断できない。
……それならユキに残された道は『0』しか無いのだ。




