7. 浸食(6)
夕食後、ユキは悩んでいた。
ヘレムとサラナに夢の事を打ち明けるかどうかだ。
明日からはようやく〈女神の書〉が最後の章に入るのだ。ゴールが見えてきてユキも久々希望で胸が湧き立つ。イリヤも〈女神の書〉が未完になってしまう事を快く了承してくれた。
残すはギリギリまでアルスに気付かれない様にする事だ。
――――〈女神の書〉に区切りをつけるのは、自分自身でありたかった。
今朝の事を考えれば、ユキの混乱は明日にはもっとひどい状態となるだろう。二人がそんなユキを見て、アルスに報告してしまえばお終いだ。
ユキは意を決してまだバタバタとしている二人を呼び、椅子に座らせた。
「改まって何ですか?」
ヘレムとサラナが不思議そうにユキを見ている。
「二人にはずっと隠している事があるの」
二人の顔に緊張が走る。
「最近ボーっとされたり、眠気に襲われれている事ですか?」
ユキが頷く。
「実は私はこの原因を知っているし、こうなる事はわかっていたの」
二人が驚く。
「夢を見るのよ。家族の夢。日本の夢を……」
「夢ですか?」
「少し前から毎日家族が夢に出てくるの。私が日本で暮らしていた日々の出来事を、夢でもう一度体験している感じね。すごく生々しいの。だから日中も日本の事を考えちゃってボーッとしてしまうのよ。すぐ眠くなるのも、きっとこれに関係あると思うわ」
「その夢を見る原因とはなんですか?」
恐る恐るヘレムがユキに尋ねた。
「〈女神の書〉の完成が近づいているからでしょうね」
ユキが困ったような笑顔を浮かべる。
「……お疲れが原因だという事は無いのですか?」
「それは無いわね。夢や眠気以外にはこんなに元気なんだもの。…………それに、誰にも言わなかったけれど、これはエリも体験しているのよ。〈エリの日記〉に書いてあったの」
二人は息をのんだ。
「どうして仰ってくださらなかったんですか!? 皇子は? 皇子はご存じなのですか?」
ユキは首を横に振った。
「二人に今告白しているのは、その為よ。皇子にはこのまま知られたくないの」
「どうしてですか? ユキ様が真っ先にお伝えすべきは皇子でいらっしゃいます!」
「ダメよ。言えば皇子はすぐに止めさせようとするに決まっているもの。まだ〈女神の書〉は最後の章が丸々残っているのよ。多すぎるわ!」
「でも……」
二人が黙り込む。
「皇子に秘密にしておく為にはいよいよ二人の協力が必要になって来たの。私の力だけでは無理なのよ。手伝ってくれない?」
二人は顔を見合わせる。何と答えたらいいのかわからない。
「二人の協力を得られないのなら、この事が皇子に露見するのも時間の問題なのよ。でもできれば彼を傷つけたくないの。二人の協力があれば、皇子にばれずに自分で〈女神の書〉を終わらせる事ができるわ」
「『手伝う』とはどういった事なのですか? お話を聞かなければ何とも言えませんわ」
ユキは全てを話す決心を固める。
「……ここ数日のことだけれど……朝目が覚めると、自分がどこにいるのかわからなくなるのよ。すぐに宮殿だと気が付くのだけれど……」
二人の顔が強張る。
「それに今朝は……眠っている皇子を見て、誰なのかわからなかったの。こんな事……皇子に知られたくないのよ。彼を傷つけたくないの」
ユキの目が涙ぐむ。ヘレムとサラナは顔面蒼白だ。
「そんな……皇子の事を忘れてしまわれるなんて。もう限界なのではないですか?」
「わかってるよ。でもまだ終われない。もう少しだけ書かせて欲しいの。二人ともお願いよ。この事は誰にも言わないで。朝私が混乱していても誰も呼ばないで欲しいの。二人に頼みたいのはその事よ。お願い!」
ヘレムもサラナも返事をする事ができない。
「…………皇子が止めに入っても、原書を取り上げられても、解決できるのは私だけなのよ。周囲が何をやっても、この状態が続くだけなんだもの」
ヘレムがサッと顔を上げる。
「……脅されるおつもりですか?」
「そうよ。脅しているの。私だけしか私を救う事はできないの――――」
ユキの揺るがない眼差しに二人はとうとう協力する事を受け入れた。
翌朝、3の鐘(午前10時頃)が鳴る頃ユキが目を覚ました。ヘレムとサラナはジッとユキの寝室に待機していた。
目覚めたユキと二人が顔を合わせる。いつものユキの様にしか見えない。恐る恐るサラナが声を掛けた。
「おはようございます。ユキ様」
ユキの顔に嫌悪の表情が浮かぶ。
「……あ……え? なに?」
ユキが後ずさり辺りを見回す。
「今……お母さんが……。 お母さんどこ!?」
ユキが立ち上がり大声を出す。
「お静かになさって下さい。人が来ます」
しかし、ユキは言う事を聞かない。
「お母さん!!」
慌てたヘレムがユキの口を押えた。
ユキはパニックに陥り、ヘレムに抵抗する。サラナと二人掛かりでユキを押さえつけた。
しばらくするとユキが動かなくなった。
そっと二人が手を離すと、
「……おはよう。二人とも。大変だったね」
いつものユキが笑って二人をねぎらった。
その間はたった数分の事だったのに、二人にとっては遥かに長い時間の様に感じた。
――――ショックだった
ユキが自分たちの事を完全に忘れている事に。ヘレムとサラナは汗と涙でぐっしょりと濡れていた。
今日〈女神の書〉作成に立ち会うのはサラナだった。髪や衣服を整えて、ユキの後ろを付いて歩く。まだ朝だというのにグッタリと疲弊していた。
「……ユキ様。あとどれくらいで完了致しますか?」
「どうしても第1節までは書きたいの。あと10ページちょっとかしら。明日…明後日には終わると思うのよ」
サラナは思った。
後2回も朝を迎える。
恐らく明日はもっとユキ様は混乱されている。その次の日は……
今から考えると胸が苦しくなった。
確かに皇子をこんなユキ様に会わせるわけにはいかないと思った。侍女の自分でもこんなに苦しくて悲しいのだから。
「サラナ。私が上の空になったら、すぐに声を掛けてくれる? できるだけ書き進めたいのよ」
サラナは力強く頷いた。




