同じ推し、知らない君
六月の終わり。
窓の外では、部活を終えた生徒たちの声が聞こえていた。
「……あっ。」
朝倉結衣は、スマホの画面を見て小さく声を漏らした。
机の上には宿題のプリントが広げられている。
けれど、ペンはもう十分以上止まったままだった。
画面に映っているのは、SNSのタイムライン。
その中に流れてきた一つの投稿に、結衣の指はぴたりと止まっていた。
『星クロ12話、ミオの「私の居場所はここだから」って台詞で泣いた……。あのシーン、今年一番好き。』
投稿した人の名前は、
みおりん。
結衣は思わず身を乗り出した。
「え……。」
『星空クロニクル』。
通称『星クロ』。
今期放送中の人気アニメで、結衣が今一番ハマっている作品だった。
そして、今見た投稿。
それは、結衣がほんの数分前に思ったことと、ほとんど同じだった。
あの台詞。
あのシーン。
誰にも理解されないかもしれないと思っていた感想を、まるでそのまま言葉にしたような投稿。
結衣はプロフィールを開く。
好きな作品一覧。
推しキャラ。
最近の投稿。
……全部、趣味が合う。
いや、合いすぎている。
「すご……。」
思わず呟いてしまう。
学校では、アニメの話ができる友達はほとんどいない。
クラスに好きな子はいるけれど、ここまで趣味が合う人はいなかった。
だからこそ。
このアカウントが妙に気になった。
結衣はしばらく画面を見つめる。
フォローするだけなら簡単だ。
でも。
「……急に話しかけるの、変かな。」
知らない人にDMを送るなんて、ほとんどしたことがない。
何度も画面を閉じて、また開く。
そして五分ほど悩んだ末。
結衣は小さく息を吸った。
『突然すみません! 星クロ好きなんですね! 私もミオ推しなので、思わず話しかけちゃいました。』
送信。
……してしまった。
「うわぁ……。」
途端に恥ずかしくなる。
なんだか勢いで送ってしまった。
変な人だと思われたらどうしよう。
返事なんて来ないかもしれない。
結衣は慌ててスマホを伏せた。
その瞬間。
ぶるっ。
通知音。
「……え?」
恐る恐る画面を見る。
『わぁ! 嬉しいです! ミオ推し仲間だ!』
返信だった。
しかも、一分も経っていない。
結衣は目をぱちぱちさせる。
さらに続けて、
『12話のあのシーン、最高でしたよね!』
と送られてくる。
「……!」
思わず頬が緩む。
そこからだった。
二人のDMが始まったのは。
――――――
『ミオの表情、すごかったですよね。』
『分かります! あの作画やばかったです!』
『Blu-ray買います?』
『もちろんです! 特典も欲しい!』
『ですよね!!』
気づけば、一時間以上話していた。
初めて話す相手なのに、不思議なくらい会話が弾む。
話題が尽きない。
好きなアニメ。
漫画。
ゲーム。
おすすめの作品。
全部がぴったり合う。
結衣はベッドの上で寝転びながら、何度も笑っていた。
こんなこと、初めてだった。
画面の向こうにいるだけなのに。
相手の顔も知らないのに。
こんなに楽しいなんて。
『今日はありがとうございました!』
『こちらこそです!』
『また話してもいいですか?』
そのメッセージを見て、結衣はすぐに打ち込む。
『もちろんです!』
送信。
数秒後。
『やった!』
その一言に、思わず笑ってしまう。
なんだろう。
まだ知り合ったばかりなのに。
少しだけ、嬉しい。
『じゃあ、おやすみなさい!』
『おやすみなさい!』
DMが終わる。
静かになった部屋。
けれど結衣の胸は、妙にぽかぽかしていた。
スマホを胸の上に乗せる。
そして小さく呟く。
「……また話したいな。」
知らない誰か。
顔も名前も知らない。
それなのに。
もう少しだけ、この人と話してみたい。
そんな気持ちが、胸の中に芽生えていた。
――――――
翌日。
学校。
「朝倉ー、プリント出してー。」
「あ、うん。」
いつもの教室。
いつもの日常。
友達と少し話して、授業を受けて、昼休みを過ごす。
だけど。
休み時間になるたび、結衣はついスマホを見てしまう。
通知はまだ来ていない。
それなのに。
なんだか気になってしまう。
すると。
昼休み。
ぶるっ。
通知。
『おはようございます! 今日も学校頑張りましょう!』
「……。」
結衣は思わず笑ってしまった。
それから慌てて返信する。
『おはよう! 頑張りましょう!』
送信。
数秒後。
『学校終わったらまた話しましょう!』
「……ふふ。」
自然と笑みがこぼれた。
その様子を見ていた友達が、不思議そうな顔をする。
「朝倉、なんかいいことあった?」
「えっ?」
「最近機嫌いいよね。」
「そ、そうかな……?」
「うん。」
結衣は少しだけ頬を赤くした。
まさか。
知らない誰かとのDMが楽しみなんて、言えなかった。
けれど。
その日から。
二人は毎日話すようになった。
朝の挨拶。
学校の愚痴。
好きな作品の話。
新しいグッズの情報。
気づけば、一日の終わりにDMをすることが当たり前になっていた。
そしてある夜。
『そういえば、お互い全然知らないですよね。』
みおりんから、そんなメッセージが届いた。
『確かに。』
『でも、なんか今のままも楽しいかも。』
結衣は少し考える。
そして。
『分かるかも。』
と返信した。
『女同士と同い年ってこと以外、何も知らないですもんね。』
『それが逆に面白い!』
『じゃあ秘密にします?』
『秘密!』
その瞬間。
二人だけの約束ができた。
本名も。
学校も。
住んでいる場所も。
まだ秘密。
今はただ、
「好きなものが同じ二人」。
それだけでいい。
結衣は、その約束が少しだけ特別なものに思えた。
それから数週間。
結衣の日常には、すっかり「みおりん」が入り込んでいた。
朝起きてスマホを見る。
すると、ほとんど毎日のようにメッセージが来ている。
『おはようございます!』
『今日、数学の小テストある……。』
『眠いです……。』
そんな何気ない一言を見て、結衣は笑う。
そして、自分も返信する。
『私も今日テストだよ。』
『一緒に頑張ろう!』
『眠いなら授業で寝ないようにね。』
画面の向こうにいる相手は、本当に普通の女の子なのだろう。
それ以上のことは何も知らない。
でも、毎日話しているうちに、少しずつ相手のことが分かってきた。
好きな食べ物。
苦手な教科。
夜更かしをしがちなこと。
甘いものが好きなこと。
動物の動画をよく見ること。
そして何より——。
『星クロ』の話をしている時、とても楽しそうなこと。
結衣も同じだった。
だから、話していて飽きない。
むしろ、時間がいくらあっても足りなかった。
その日の夜も、二人は通話こそしていないものの、ずっとDMを続けていた。
『今週の星クロ、リアタイします?』
『もちろん!』
『じゃあ一緒に見ましょう!』
『どうやって?』
『終わった瞬間に感想送り合うんです!』
『それ絶対楽しい!』
画面を見ながら、結衣はくすっと笑う。
一緒に見る。
本当は別々の場所にいるのに、不思議と隣にいるような気がした。
そして放送時間。
アニメが始まる。
結衣はベッドの上でクッションを抱えながらテレビを見る。
二十分後。
エンディングが流れ始めた瞬間。
スマホが震えた。
『今回やばかった!!!!』
結衣は思わず吹き出す。
『まだエンディング終わってないよ!?』
『無理です!! 語りたい!!』
『私も!!』
そこから一時間以上、二人は感想を語り続けた。
「あのシーンがよかった。」
「あの表情が好き。」
「あのセリフで泣いた。」
同じところで盛り上がり、同じところで感動する。
その時間が、とても心地よかった。
気づけば時計の針は十一時を回っていた。
『あ、もうこんな時間。』
『ほんとだ。』
『明日学校だから寝なきゃですね。』
『そうだね。』
少しだけ、名残惜しい。
すると。
『……なんか、毎日話してますね。』
その一言が送られてきた。
結衣は画面を見つめる。
たしかにそうだった。
最初はたまたまDMを送っただけ。
それなのに、今では毎日話している。
『そうだね。』
返信すると、すぐに返事が来た。
『なんか嬉しいです。』
「……。」
結衣の指が止まる。
胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなった。
『私も嬉しい。』
送信。
数秒後。
『えへへ。』
その短い返事に、また笑ってしまう。
顔も知らない。
名前も知らない。
でも、確かにこの人との時間が好きだった。
それからさらに数日が過ぎた。
ある日の昼休み。
結衣は教室でお弁当を食べていた。
ふと窓の外を見る。
中庭では、何人かの生徒が話している。
その中に、一人だけ見覚えのある女子がいた。
隣のクラスの子だ。
肩くらいまでの黒髪。
少しだけ涼しげな雰囲気。
たしか……。
「桜庭さん、だっけ。」
話したことはない。
でも、静かな子という印象だけはあった。
その子は友達と別れて、一人で校舎へ戻っていく。
なんとなく目で追ってしまう。
すると、
「朝倉、どうしたの?」
友達に声をかけられ、結衣は慌てて前を向いた。
「ううん、なんでもない。」
その時は、本当に何でもなかった。
まさかその子が、自分の日常を大きく変える存在になるなんて、想像もしていなかったのだから。
その日の夜。
『今日、学校疲れました……。』
みおりんからメッセージが来た。
『お疲れさま。何かあった?』
『ちょっと眠いだけです。』
『ちゃんと寝なよ?』
『今日、私の友達もめちゃくちゃ疲れてましたー。』
みおりんは友達多いのかな…
『そうなんだ? 部活とか?』
『たぶんそうだと思います! 帰りのホームルームの時、今にも寝そうでした。』
『みんなこの時期は疲れるよねぇ。』
『ですよね……。私も今日は早く寝ようかな。』
『うん、その方がいいよ。』
『なんか優しいですね。』
『え?』
『お姉ちゃんみたい。』
少しだけ照れくさくなって、スマホを持つ手が止まる。
『そんなことないよ。』
『あります。』
『じゃあ今日は早く寝なさい。』
『はーい。』
『いい返事。』
『えへへ。』
気づけば、相手のことを「大切な友達」のように思っている自分がいた。
顔も知らない。
住んでいる場所も知らない。
それなのに。
毎日話しているからだろうか。
不思議と距離を感じない。
その日の会話も、気づけば日付が変わる少し前まで続いていた。
『そういえば、もうすぐ夏ですね。』
『ほんとだね。』
『夏休みになったら、たぶん今よりもっと暇になりますね。』
『私もかも。』
『じゃあ、今よりもっといっぱい話せるかもしれないですね!』
その一言に、思わず笑みがこぼれる。
『それは楽しみかも。』
『やった!』
『でも、夜更かしはほどほどにね。』
『うっ……。』
『図星?』
『図星です……。』
『ふふ。』
『笑われた……。』
そんな他愛もないやり取りが、なぜだかとても楽しかった。
スマホ越しなのに。
画面の向こうにいるだけなのに。
一緒にいるような気持ちになる。
『じゃあ今日は本当に寝ます!』
『うん、おやすみ。』
『おやすみなさい!』
やり取りが終わり、部屋が静かになる。
スマホを胸の上に置き、天井を見上げた。
最初は、ただ同じ推しがいるというだけだった。
でも今は違う。
一日の終わりに話したくなる。
何か面白いことがあったら伝えたくなる。
そんな相手になっていた。
名前も。
顔も。
住んでいる場所も。
何一つ知らない。
それでも。
「明日も話したい。」
自然と、そう思っている自分がいた。
窓の外から、かすかに虫の鳴き声が聞こえる。
夏が近づいていた。
そして——。
もう少ししたら、二人の「知らない」が、少しだけ変わり始めることになる。




