5.マチルダ、森へ行く
閲覧、ブクマありがとうございます。
「おはようございます、マチルダ様。お支度のお手伝いに伺いました」
明けて翌早朝。広場の建物群が霧に覆われているのを四階の窓から眺めていた私に、声が掛けられた。
「ありがとうございます、マデリン叔母様」
振り返った先にいるのは昨夜の夕食会にも同席していたマデリン隊長こと、城代の妻マデリン・バーレイストロー。つまり我が叔父は、職場結婚なのである。
「よく眠れましたか?」
「はい、とっても」
話しながらわさわさと寝間着を脱いで、叔母の手伝いを貰いつつ着替えていく。
白いシャツと、消炭色のフロントボタンのワンピース、黒い革の乗馬ズボン。森の中は馬車で乗り入れられないが、これならばワンピースのボタンを幾つか外せば私も問題無く馬に乗れる。椅子に座り渡された手鏡をビシッと保持する私の髪に櫛を通しながら、叔母は楽しそうに笑った。
「女の子の髪を結う機会は貴重ですので、嬉しいですね。色はよく似ていますが、辺境伯や閣下に比べて艶々として綺麗だこと」
「ありがとうございます。けど、鏡を見る度お腹が空くんですよね……私の髪の色、糖蜜にそっくりじゃないですか?」
「おやまあ、昨夜あれ程召し上がったと言うに健啖な……はい、いいですよ」
二つに結ってもらった髪と消炭色のリボンが、頭の上で揺れている。……ツインテールって、何歳まで許されるのだろうか。ゲームのマチルダはツインテールだったが、十六歳になる頃にはさすがに卒業したい気がする。
黒い編み上げブーツの紐をしっかり締めてもらい、立ち上がる。首元には、アスコットタイのように巻いた薄い灰薔薇色のスカーフ。灰薔薇色のジャケットを羽織って消炭色のシルクハットを斜めにかぶると、何かこう……自分で言うのも何だけどこれ、凄く可愛いかもしれない。さすがは未来のプレイアブルキャラクター。
「こちら、おつけしてよろしいですか?」
そう言って叔母が、長いピンを差し出す。女性が帽子をかぶる際に帽子と髪に差して固定する、ハットピンである。先端には、黒銀で出来た私の記念章があった。
記念章とは個人の功績などを記念して作られる勲章で、その意匠は以降与えられた者が自由に使っていいのである。昨年ワイバーン討伐の功として辺境伯である父から私に与えられた記念章は、短剣を咥えた右向きのワイバーン。現在このハットピンの他に、私の馬車やケニーの専属を示すバッジに採用されている。
私が頷くと、叔母がハットピンを帽子に刺す。帽子に巻かれた薄灰薔薇色のスカーフの結び目に、ワイバーンは大人しく収まった。
支度を終え、叔母の先導で塔の螺旋階段をぐるぐると降りて出たのは、二階にある玄関である。この塔の一階は窓の無い倉庫で、階段を設置された二階の玄関から出入りする。いざ塔に籠る際にはこの階段を落とすという、砦ならではの構造だ。
降りた先には既に、クレイトンとケニーが待機していた。ケニーが着ているのは辺境伯家護衛隊のものである、消炭色のショートコート。その襟元には辺境伯家の紋章から取った黒銀の地に、私の記念章が浮彫りされた専属護衛バッジがある。
「おはようございます、マチルダ様。乗馬服もお似合いですね」
「おはようございます。ありがとうござ、……」
ケニーの隣で挨拶をしてきたクレイトンの身支度は昨日と同じではあるのだが、朝霧の中で見るそれは妙な迫力があって私は数秒程言葉を失った。
灰緑色のジャケットと象牙色の乗馬ズボン、黒い編み上げブーツ。黒のシルクハットの後ろからは灰緑色の糸で編まれた、ハットコードという帽子が飛んでいくのを防ぐための紐が伸びていた。紐の先をジャケットのラペルホールに縫い留めるピンには黒銀の記念章があるが、こちらは鎌剣を咥えて左を向いたワイバーンだ。腰に提げた小湾刀の鞘にも、同じものが刻印されている。
まだまだ、ゲーム本編のどこか胡散臭い『クレイトン』ではない。しかし子供ながらいかにも貴族然とした佇まいも、これはこれで……
「…………何かずるい」
どうしたって結論が『カッコいい』に集約されるのはずるいだろう。何かちょっと自信無くすじゃないか。漸く言葉を発した私が頬を膨らませるとクレイトンは薄笑いに、ほんの僅かに困ったような色を浮かべた。
「ええと……どれがでしょうか。剣? マチルダ様の服装で帯剣は……」
「そうじゃない」
「では……記念章の剣は鎌剣の方がよろしかったとか? さすがに記念章を交換するわけにはいきませんから、来年のお誕生日に本物をお贈りしましょうか」
「それで誰の首を刎ねろって仰るんです。そうじゃない」
「ええ……じゃあもうお手上げです」
そう言って、クレイトンは小さく両手を挙げてみせる。何て諦めが早いんだ。ケニーも私が「ずるい」発言をした時に頷いていたのだから少しくらい援護してくれてもいいのではないかと思うのに、彼は叔母の前だからってちゃんとした護衛に徹している。
私がそれ以上言葉を返す前に、背後の階段上から声が掛かった。
「マディ。支度は出来ているな」
「おはようございます、叔父様。はい、大丈夫です」
うむ、と頷いて降りてきた叔父が何やら色々と抱えた従僕と共に先へ行くので、慌てて振り返る。
「あっえっと、お……じゃなくて、マデリン隊長! ありがとうございました」
私の言葉に、叔母は小さく笑って敬礼を返してくれた。
霧の中を迷い無く歩いていく叔父の後を、置いていかれないようやや小走りで追うこと暫し。突如、顔面がボスッと何かに埋まる。
「むぎゅっ、……申し訳ございません、叔父様」
「いや、いい。一言言ってから止まるべきだった。……着いたぞ」
立ち止まった叔父の背中にまともに突っ込んだ私が鼻を擦りながら顔を上げると、そこには既にアイネ突撃隊の面々が装備を整え整列していた。昨日と同様、レム隊長が敬礼するのに従って皆一斉に敬礼する。「楽にしろ」との叔父の言葉で気をつけに戻ったレム隊長が、今日もキリッとした顔で口を開いた。……残念だが、もうその顔には騙されない。
「マチルダ様、本日我らがお供をさせていただきます」
「はい。レム隊長、皆様、よろしくお願いいたしますね」
「マディ、昨夜言っていた弁当だ。雉のポータブルパイを用意したから、途中で食べなさい」
「雉! ……ありがとうございます、叔父様」
「それとは別に、干し林檎も包んだ。これは移動中にな」
「はい!」
従僕が差し出した、白い布の包みと蝋引き紙の包みを受け取って小さな肩掛け鞄に入れる。……既にいい匂いがしていて、ぐうと小さな音がした。
(味見とかしちゃダメかな……)
鞄から目を上げると、叔父が白目錫の小瓶をクレイトンに渡しているところだった。鞄にしまわれたそれが何かと尋ねるより先に、叔父からの「さあ、そろそろ出発しろ」との声。いち早く反応したアイネ突撃隊が、短い返答と共にそれぞれ角馬に乗る。彼らと、昨夜会ったジェイミー隊長の隊が、この砦の主力たる角馬部隊なのだと聞いた。心なしか、角馬達の顔付きも凜々しい気がする。
「いいなあ……」
「お嬢様の馬は今、サート卿が厳選に厳選を重ねてるそうですから。どっちみちまだ鐙に足が届かないんですから、待ってなさいって」
「むぅ」
再び頬を膨らませながら、ケニーに持ち上げられて鞍の上、先に騎乗していたクレイトンの前に収まった。目の前には馬の黒い後頭部、その先に見えるのは黒い角――角馬である。お供えの品物を背負ったケニーも隣で、やはり角馬に騎乗する。この角馬達は、昨年のワイバーン討伐の褒賞の一つである……が、私はまだ一人で馬に乗れないため、お預け中なのである。背後のクレイトンが笑いを堪えている気配がしたので背中で体当たりをしてやると、「ぐえ、」と呻く声。……ふんだ、悔しくなんてないもんね。
「道中、気をつけてな。無理はするなよ」
「はい。それでは行ってまいります」
答え終わったところで、角馬達が歩き出した。カクンと体が後ろに倒れて、慌てて鞍の前輪を掴む。
「おっ……とと」
「うわ。マチルダ様、落ちないでくださいね」
「はーい」
霧に沈む堀を横目に、背もたれに返事をした。
『ティーカーネ巡礼』が始まる。
「林檎……もう無い……」
蝋引き紙の袋を覗き込み、私は絶望していた。どうして食べ物は、食べると無くなるのか。
砦を出ておよそ二時間程、私達はクラカタックの森の手前まで来ていた。今は森へ入る前の小休止中で、うっすらと残る霧の向こうでは角馬達が川の水を飲んだり草を食んだりしている。
「ほら、どうぞ。僕の分はまだ残っていますから」
横から差し出された蝋引き紙は開けた様子すら無く、私は信じられないものを見た気持ちで顔を上げた。
「クレイトン様の分が無くなってしまうでしょう」
私の言葉に、当のクレイトンは苦笑を浮かべる。
「僕は十分いただきましたので」
「たったの二枚ですよ!? ちゃんと召し上がらないと大きくなれませんよ」
「もう結構です。僕はマチルダ様程食い……健啖ではありませんので」
「ねえ今『食い意地が張ってる』って仰った?」
「お嬢様、許しておやんなさいって。あんたが移動中、散々クレイトン様に食わせてたんでしょうが」
自分とクレイトンの馬を引いてきたケニーが、呆れたように言葉を挟んだ。
「手綱を持っていて両手が塞がっているから、と思ったのですが……」
「お優しいのはいいっすけど、無言でいきなり林檎を突っ込むのはどうかと」
「だって私も林檎食べてて…………ごめんなさい」
肩を落として謝ると、忍び笑いと共に改めて目の前に袋が差し出される。
「いえ、お気遣いありがとうございました。……それよりも、ほら。召し上がらなくていいんですか」
「…………いただきます」
申し訳ないが、林檎は食べたいのでありがたく受け取ることにした。この干し林檎は芯をくり抜き輪切りにした林檎を暖炉の前に吊るして干したもので、むにむにと硬めのグミのような食感である。辺境伯領の南で収穫される林檎はやや酸味が強いが、干したことで甘みが凝縮しており食べやすくなっている。美味しい。
「マチルダ様はよく召し上がりますね」
笑い含みの声でそう言いながらこちらへ来た男性兵士は、タルトン・ベイキー。丁寧な言葉を使うが厳つい顔つきの、やや背が低くがっしりとした体格の――例えるならば『ドワーフの戦士』のような見た目の男性である。左手で馬の手綱を引き、反対の手で私の身長よりも長い戦鎚を肩に担いでいる。
「ええことだけど、そんなに食って弁当が入るかね」
聞き慣れない訛りのある男性兵士は、ショール・ガット。背は高いが他に比べひょろりとしており、少々ぼんやりしたような顔はタルトンと並ぶといかにも「凸凹コンビ」といった風情である。右の腰に矢筒、左の腰には弓入れに掛けた短弓がそれぞれ下げられていた。
「お……女の子にたくさん食べるとか言うのはちょっと……」
少し遅れてやって来た女性兵士が、私と男性兵士達を見比べながら言う。やや吊り気味の大きな目に丸い眼鏡を掛けた彼女――キーシャ・スピナーは、他の兵士のように大きな武器は携帯していない。代わりに彼女の黒い革手袋は右手だけ他と様子が異なっていて、全体に銀糸で細かな刺繍がされていた。人差し指に嵌めているのは前世で言うところのアーマーリングというものだろうか、指先に伸びる鋭利な爪が鈍い銀色を放っている。あれらは魔法を放つ際の照準を補助するものだろう、とクレイトンは言っていた。
「気にしませんよ。実際こうして、食べるのは好きですし」
林檎から顔を上げて答えると、キーシャは少し瞬いてから笑顔を浮かべる。
「そうですか? よかった……足りなくなったら言ってくださいね、あたしのも少しお分けしますから」
「キーシャがお腹いっぱいになったらいただきますね」
「兵士より食う気でいるんかいね、このお嬢様は」
「ショールのも貰ってあげましょうか?」
「やらんぞお」
「……お嬢様、めっちゃ馴染んでるっすね」
ケニーが笑ってそう言うので、紙袋から林檎を出しつつ振り返った。
「気取ってどうするのです。辺境伯領を守ってくださる方々ですよ」
彼らの武器や防具には、細かい傷が幾つも刻まれている。それだけ何度も死線を潜り、彼らは辺境伯領のために戦ってきたのだろう。そんな人達に対して高飛車に接する奴が辺境伯領にいるのであれば、探し出してお尻百叩きである。
林檎を齧りながら「でも百回もお尻を叩くの大変だな」と考えていると、川の方から足音と、「こら!」と既にやや疲れたような声が聴こえた。
「お前達、マチルダ様にあまりちょっかいをかけるんじゃないぞ。……何か失礼はありませんでしたか、マチルダ様」
アイネ突撃隊の保護者こと、副隊長のサイモン・サンドである。父や叔父と同年代であろう彼の左腕には、私の身長程ありそうな大盾が装着されている。壁役か……保護者は大変である。
「サイモン、あまり口煩く言うな。前線の兵達が交流いただける、またとない機会なのだぞ」
その後ろから、「やれやれ困ったな」と言いたげな顔でレム隊長がやって来る。
「そのまたとない機会にはっちゃけて手合わせを申し込んだ人は黙んなさい。どうせ帰ったら塔の掃除でもするよう言われてるんでしょう」
「何故分かった!?」
「何で分からんと思ったんです」
一つ大きく溜息を吐いたサイモンは、眉尻を下げて私を見た。
「マチルダ様、そろそろ出発してもよろしいでしょうか? 今から出ますとおそらく、もう一度休憩を挟んで正午頃には湖に到着する予定です」
「え、ああ……はい。大丈夫です、よろしくお願いいたします」
「承知いたしました。――総員、騎乗!」
答えた途端レム隊長が号令を発し、アイネ突撃隊が素早く騎乗していく。この辺りの切り替えは、さすが軍隊というべきだろうか。あの大きな武器はどうするのだろうと見ていると、タルトンは右の鐙についたカップ状のホルダーに戦鎚の石突を収めて固定し、サイモンは盾の先を後方へ流すように保持していた。
(おお……何かベテランっぽい)
胸中で小さく拍手を送りながら、再びケニーに馬上まで持ち上げられる。再び顔を上げると、先行するショール、続いてキーシャが森へ入っていくのが見えた。
「マチルダ様。坂道がありますから、ちゃんと掴まっていてくださいね」
「はあい」
背もたれに答えて鞍の前輪を掴むと、手綱が振られて角馬が歩き出す。森は入り口だけがぽっかりと口を開けていて、何だか得体の知れない生き物に食べられるようだった。
「わあ……」
短い急な坂を下って入った森の道の、幅は二メートル程か。左右は低い崖になっており、崖のすぐ上まで迫った森の木々がまるでトンネルのように枝を伸ばしている。崖は楢や樗の根に覆われて複雑な模様を描き、黒い石が敷かれた地面は霧で薄く濡れていた。先程の川の音だろうか、ざあざあと微かな水音が響いている。
クラカタックの森を縫う、曲がりくねった巡礼の道。私達を乗せた角馬は、カツカツと高く蹄の音を刻みながら進んでいった。




