3.マチルダ、歓迎される
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「うちのバカどもが騒がせたな、マディ」
案内された砦の塔の四階、立派だが無骨な印象のある家具が並ぶ部屋。私とクレイトンの対面に座ったルーチャ砦城代コナー・バーレイストローは、苦い顔でそう言った。
「いえ、叔父様。手合わせのお申し出をお受けしたのは私です。……レム隊長の〈紫電一閃〉、本当にお見事でした」
ここ数ヶ月は父に剣の稽古をつけてもらっていたからよかったものの、ケニーや他の護衛隊しか相手にしたことが無かったら危なかったかもしれない。前線で戦う隊長の気迫は、何ならワイバーンに近かった。
そう述べた私に、叔父は溜息を吐く。
「〝『辺境の鬼人』に稽古をつけてもらっていてよかった〟、と……お前、兄上に似てきたな」
「皆様そう仰るんです。似てますか」
「そっくりだとも。先刻、お前が再会の挨拶代わりに剣を壊したことを詫び始めた時には兄上本人が来たのかと思った」
視界の端で、クレイトンが慌てたように体を捻って後ろを向いた。……さすがにこの場で爆笑しないだけの理性は、この一年で身に付いたらしい。
叔父は肩を震わせているクレイトンへ目を向けると、今度は父や私と同じ黒い瞳に苦笑を浮かべる。
「クレイトン。先だってのユーゴの遣いの帰り、また一人で森へ行ったそうだな? 見張りから聞いているぞ」
「森?」
「あはは、……お騒がせを。覚えた魔法の練習場所を探していまして」
隣を見遣れば、そんな言葉と共にへらりとした笑み。『また』ということは、そこそこの頻度で出歩いているのだろうか。魔物被害の増えているこの時期メルキュリー子爵に知られたら怒られるのではないだろうか。
叔父はひょいと一つ肩を竦め、特に追及すること無くあっさりと話を切り上げた。
「……まあいい。それより、飯の支度が出来たようだな。本城程ではないが、それなりのものを用意させたつもりだ。楽しんでいってくれ」
その言葉に従い、席を立つ。先導されたドアの先は大きめのテーブルが置かれた部屋で、既に五人の兵士達が直立で待機していた。彼らは私達の入室と同時に、ザザッと一斉に敬礼する。
「マディ。見知った者もいるだろうが、こいつらはこの砦に五つある精鋭部隊の隊長だ。……お前達、楽にしていい」
「は。……お召しをいただき、光栄でございます閣下」
ビシリと気をつけの姿勢になってそう口火を切ったのは、向かって一番左に立つレム隊長だった。背後から「うげ、」と、ここまで私達の背後で護衛に徹していたケニーの呻く声が小さく聴こえてきたのは一旦無視しておく。
「おいケニー。『うげ』とは何だ、『うげ』とは。お前は本当に……」
レム隊長が無視してくれなかった。しかし彼女の隣に立つ兵士――偉丈夫を辞書で引いたら出てきそうな佇まいである――が、素早くそして一切の遠慮無くその後頭部を叩く。
「いい加減にしろ、レム。弟とは言え、お嬢様の専属護衛に対して無礼だぞ」
「何をする!」
中々凄い音がしたが、レム隊長は特に痛がる様子も無く怒っている。これが最前線のタフネス、私の連撃の後に立ち上がって「もう一本お願いします……!」と目を輝かせていただけはある。ゾンビかと思った。
「お行儀よくおし、レミィ」
「ですよ姐さん、閣下がえらい顔してますよ」
「これ以上はカレット卿にお手紙だよお、レム隊長」
「むぐ……!」
居並ぶ隊長達から順に言われ呻いたレム隊長は、最後に私からは見えない『えらい顔』とやらの叔父と目が合ったのだろう、一瞬顔を引き攣らせてから物凄く不服そうに口を開いた。
「…………失礼いたしましたマチルダ様、護衛殿」
「いえ、レム隊長。こちらこそ、私の護衛が大変失礼をいたしました」
ケニーの代わりに私が返せば、途端にレム隊長が「ふふん」みたいな顔をする。「ふふん」ではない気がするが、まあいいか。
「はあ。ほら、もう席に着け」
溜息を吐きながら椅子に腰を下ろす叔父に促され、私達も着席していく。隊長達が席に着き終えると、待機していた砦の給仕達が動き出した。
(わぁ……!)
仔羊のローストに、ポシェという魚料理。それから白隠元豆のホワイトスープに、新鮮な葉物のサラダ、辺境伯家の屋敷でもお馴染みの大麦のパン、白いチーズ。鈍い銀に光る白目錫の皿に乗った料理はどれも色鮮やかで少しばかり豪快に見えて、急に自分が空腹であるのが思い出された。何しろ、運動もしたし。
叔父や隊長達の前に置かれた白目錫のゴブレットに、給仕達が手にした大きな容器から深い琥珀色の液体が注がれていく。ふわり、と漂う香りは今世では馴染みがないが、前世では時折嗅いだことがある――麦火酒である。
この辺境伯領は大麦の産地で、その大麦から醸造される麦酒や麦火酒は一年を通して飲まれている。対して葡萄酒は、王国では葡萄が栽培されていないため南の交易港を通して入ってくるもののみで、主に南の領地や王都で流通しているのだそうだ。同様に、小麦が栽培、収穫されるのも南の穀倉地帯で、従ってそこから遙々運ばれてくる小麦粉を使用したパンや焼き菓子は、高価なものとなる。……その事実を知ってすぐに、クレイトンが剣の稽古の度に持ってきていた土産の焼き菓子を(頼み込んで)無しにしてもらったのだ。ワイバーンの討伐で父から与えられた褒賞が全て私のおやつになってしまったら笑えない。
続けてゴブレットに水が注がれていくのを眺めている間に、私とクレイトンの前に運ばれてきたグラスには明るい黄色の液体が注がれた。大麦を煮出して檸檬を合わせた、大麦水という飲み物だ。この王国では飲酒出来るようになるのは十七歳からなので、麦火酒はお預けである。
ゴブレットとグラスを掲げて乾杯の挨拶を終えると、喜色を浮かべた叔父はテーブルの上を手で示す。
「お前達、今日はマディが本城から預かってきてくれたチーズがあるぞ。パンに乗せるのが辺境伯家流だ、どんどん食え」
おお、と隊長達から喜びの声が上がる。父が「あいつらを喜ばせるなら食い物に限る」と言って色々と積んだ荷馬車を用意させていたが、やはり砦での生活において美味しい食べ物の確保は大変なものなのだろうか――そんな真面目な思考は、フォークを口に運んだところでどこかに行ってしまった。
(美味しい〜!)
仔羊はこの季節、ちょうど食べ頃を迎えるのだそうだ。こんがりとした表面からは肉の香ばしい匂いと、迷迭香の爽やかな芳香が漂ってくる。添えられたソースはこの季節辺境伯領の生垣の足下に実る黒酸塊で、甘みと酸味が肉の濃い旨味と相性抜群である。
「お前が来ると聞いた砦の連中が、随分と張り切ってな。この川鱒もその成果だよ」
「それは……後で皆様にお礼をお伝えいただけますか、叔父様」
ポシェは、魚をスープで軽く茹でて冷ました冷製料理である。淡いピンク色の川鱒は、立麝香草が香るグリーンソースを付けて食べると脂の乗った身が口の中でホロリと柔らかく崩れていく。
「野菜や牛乳の仕入れは麓の町からでしょうか」
「ああ、町が出来始めた頃からやっているという畑や牧場があってな。サラダもスープも美味いだろう?」
「はい、叔父様。とっても」
冷製スープはさらりとしながらも豆のほっくりとした甘さとクリームのコクが感じられて、パンを浸して食べると何だかとても贅沢をしている気分になる。サラダにはサラダクリームという、茹で卵の黄身と麦酢、牛乳を合わせた調味料がかかっていて、水辛子のピリッとした辛味や黄花蘿蔔の苦味を程よく和らげてくれる。サラダクリームに立麝香草が入っているのは辺境伯家と同じだが、これは辺境伯領でポピュラーなものなのか、それとも叔父がレシピを持ち込んだのだろうか。
「その歳でチーズを喜んで食うか。将来は酒の方もいけるかもしれんな」
「そうでしょうか。でしたら先々の楽しみが増えますね」
「お前は意外と食に前のめりな子だったのだな、マディ」
温めた大麦のパンに乗せたチーズが、パンの熱で柔らかくなったところを齧るのは格別である。このパンは小麦のパンに比べ香ばしく酸味や苦味があるが、チーズの塩味や旨味が加わると途端に『美味しい』の権化になる。……本音を言えば大人達が飲んでいる麦火酒も貰いたいところだが、いかんせん私はまだ九歳である。我慢我慢。
「それにしても、お嬢様の剣捌きはお見事でした。あの連撃、辺境伯とはまた違った迫力でしたね」
「しかも剣は粉砕ときた。さすが『飛竜殺し』、容赦が無い」
先程真っ先にレム隊長をしばいていたジェイミー隊長と、細身で狐を思わせる風貌をしたクラウス隊長が笑顔で声を掛けてくる。何だかんだ、隊長達もあのギャラリーの中にいたらしい。砦の備品を壊したことをすっかり忘れていた私は、とりあえずグラスを置いて反省の意を示すことにした。態度で示す、これ大事。
「皆様の大切な訓練道具を損なってしまって、申し訳ないです……」
「いいんですよお宮廷剣なんて誰も使いませんし、後でレム隊長が新しいのを買うのでえ。……それにしても、うちの最大戦力が討ち取られるかと思いましたよお」
ラグビー選手かと見紛うような体格のガスパー隊長がのんびりした口調でそう言って、ケラケラと笑う。その言葉に、私は首を振った。
「討ち取るなんて、あり得ませんよ」
「おや、そうでしょうか? 技を受けた私も正直『討たれた』と思いましたよ。この砦に来てすぐ、大物のグリムウルフに組み付かれた時以来の感覚でした」
顔を上げ、大真面目にそう言うレム隊長。令嬢を体高一メートルに及ぶ危険な魔物に例えるな。
「それはまあ、よくぞご無事で。ですがクレイトン様が掛けてくださった防護魔法が、私の剣ごときで破れるはずがないでしょう」
「っ、〜〜〜〜……っ」
出し抜けに妙な呻き声を上げたクレイトンがカトラリーを置き、背けた顔を手で覆う。何だこいつ。今のはさすがに笑うところじゃなかったでしょうが……ケニーも何でクレイトンの背中を擦りながら「お気を確かに〜」とか声を掛けてるんだ。
テーブルの向こうで、マデリン隊長――やや年嵩の女性がわずかに目を見開いた。
「これは……驚いた」
「『メルキュリーの放蕩息子』も形無しだな。……まあ、何だ。頑張れよ」
続けて叔父が、苦笑してそんなことを言う。『メルキュリーの放蕩息子』って何だよとか何をどう頑張るのだろうとか、訊きたいことが渋滞した私が首を傾げていると、叔父は私の名を呼んだ。
「さて、マディ。食べながらで構わないから、お前達の明日の予定について話しておこう」




