義経の遺跡
25. 義経の遺跡
平地には土台石が散らばり、周りに崩れ掛けた一米高さの石垣もあった。落ち葉が降り積もり、誰もこんな所へは来ないらしく、ハイカーの踏み後が無い。秘密の場所みたいな静寂に包まれ、緩んだ石垣は更に藪の奥まで長く伸びていた。
昔の何か遺跡らしい。城という程でもない小さな砦が、昔ここに存在したのか? 守備する番士がいて、平地が溜まり場だったのかも知れない。
辺りは、昔の源平合戦で一の谷の古戦場なのである。特に鉄拐山は、鹿が降りられるなら馬も降りられる筈と、義経が馬と共に、眼下に駐屯する平家軍目掛けて駆け下った伝説の山として有名である。その故事に関係して、平安末期八百五十年昔の見落とされていた遺跡の発見である。臨時の考古学者になったつもりで、色めき立った。
歴史のロマンに思いを馳せ、傍の石垣に腰を掛けて暫く木々を見上げながら考えを巡らせたら:平家急襲の為に義経はこの鉄拐山を、確かに馬で超えたかも知れないが、(一刻を争う)「急襲」という伝説と、(時間の掛かる)目の前にある「石垣造営」とは理屈が噛み合わないのに気付いた。迂闊である。石垣は義経ではなく、中世の戦国時代の遺物に違いない。
クイズを解くような興味が湧き、歴史探索の積りで周りを歩き回ってみると、一部の石垣の陰にぼろぼろに朽ちた太い丸太が横たわっているのを見つけた。一端に刃物が入っている様子から、自然な倒木ではない。首をひねった。
更に眺め回して、同じく朽ち果てた別の丸太が近くにあった。それに錆び錆びになった針金が絡まっているのを見つけた時、頭が混乱した。中世鎌倉時代~戦国時代に針金は無い! いや、江戸時代にもない。 歴史が中世から明治も飛び越えて、一気に昭和になった。




