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苦い味

23. 苦い味


 学年が上がり、クラス替えが行われ、カルシウムの注射は何時の間にか無くなった。その後小学校を卒業して中学になっても、女の子の姿は私の視界から消失したままだった。


 校区が同じだから、通う公立中学校も同じで、通学の為に私と同じ国鉄須磨駅で、女も乗降しなければならなかった。しかも女の住む高倉町は、私の潮見台よりも駅から一層遠方に位置したから、茶店から下山して来て、潮見台の中央を通り抜け、私と同じキツネ坂を歩いて行き来した「筈」である。外に道がある訳でなく、道理から考えてもこれは間違いがないと思う。


 毎日同じ通学路だったが、中学の三年間、校内は無論行き帰りの路でも女の姿を見掛けた事が一度も無い。これは不合理だが、人にはそういうことが可能なのだ。姿を目で見ていながら、私の脳は認識から除外していたという外ない。


 ただ、下校時にキツネ坂を一人歩いて登っている時、遠くから誰かに見られているーーー、と薄ぼんやりと時たま気付く事があった。その薄い影は、幼少期の遠い懐かしさと、思春期の入り混じったほの甘い匂いがした。が、恐らくは黙殺の意識の方が強かったので、私は気まずくそっぽを向いていたのだろう。いや、心の汚点として、無意識に敵意さえその影に感じた。一方で矛盾するが、妙な物寂しさもあった。


 それでも、中学から高校生に上がり、やがて大学生になってさえ、何かの拍子に高倉町という言葉を耳にしたり目にするたびに、特別な感情が湧いた。口の中にかすかに苦い味が広がり、小二時代の上背のある女の子の姿を、思い浮かべる事があった:静かな瞳を向けて、今もアカンタレを見ている気がした。


 もっとも、大学を卒後し、その後大人になって社会に出てからは、高倉町の言葉を耳にするのは数年に一度あるかないかの稀な頻度になった。社会に出た若い人生は食うだけでも一通り以上の忙しさで、興味や関心を向ける分野も多彩。潮の流れも速い。


 持って生まれた美貌も才能もお金も無かったが、若いと言うだけで格好のケバい女の子にも持てたし、下戸なくせに無理して酒を呑めば怪しげな雰囲気のナイトクラブで何時か心も春めいた。そんな中で小二の古ぼけた女の子の記憶など、時間の底に埋もれ、やがて忘却の彼方へと失われていった。




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