メダカの学校
4.メダカの学校
たまに四十代の女性も練習台になってくれる。これも悪くないどころか、もっと深い味わいがある。 それはちょうど、大腿筋という「太モモ中心」のマッサージの教程であった。うら若き四十代は、私の為にベッドにうつ伏せに寝転がってくれた。やや太めだったから、ゴロリと音がした気がした。無論、私はゴロリも丸太も好きだ。
けれども、当日のマッサージの教程のポイントでありながら、足首からスタートした私の両手は、彼女の太モモまで到達せずに、その手前の膝の裏辺りでモソモソと落ち着きを失ってしまった。ポイントを外して我が手がうろたえたのは、いかに痴漢ゴッコと言えども、背中やすねの裏なら未だ許せるが、「太もも」の裏だけは申し訳ないと思ったのだ。「至近距離」ではないか!
人のやる事だ、ウッカリというのは誰にでもある。いつ手先がすべってソコへ滑り込まないとも限らない。私の場合特に土曜日は、手先が脳とは別々に動くクセがあるから、「ウッカリ・ミス」が発生し易い。私は苦悩した:「これで新聞沙汰となり、ああ、私の残りの人生と、会社の一切を一瞬にして失うーーー」
「やは肌の熱き血潮に触れもみで、悲しからずや道を説く君ーーー」の与謝野晶子の歌の通り、「我が手」は案外と悩み多き人格者肌だったのだ。
ところがどっこい、流石に四十代の中年女は単純ではない。人生の甘みも辛味部分も、知っている。膝の裏辺りで逡巡する「我が手」の動きを、練習台は敏感に察知した。練習台は大胆である。うつ伏せになったまま、器用に下から片手が伸びて来たと思うや、我が手首はむんずと力強い握力で掴まれた。そのままいきなり、ずいと太ももの奥まで持って行かれそうになったのである。
この瞬間、練習台を取り囲んで神妙に一部始終を見学していた他の生徒らの、「ゴクッ!」と生唾を呑む音が聞こえた気がした。赤くなって思わず「我が手」が激しく抵抗するや、すぐさま「ウッソー!」と、周りが手を叩いて囃し立てた。メダカの学校でも大人の学校でも、イジメは立派に存在する。