九十二話:沈黙を破る空腹
こう、空腹に限らず…何でも一回意識しだすと途端に気になるもんだよな。
先程まで体の痛みもあってか、腹が減ったなんて考える事さえ無かった。
ってかさっきまで腹を打ったせいで吐き気もあったのに、これだよ。
今は無性に腹を満たしたくなってしょうがない。
腹からの警報の後、暫らく我慢して小っ恥ずかしさと沈黙が支配していたが…すぐに二回目が起こるとそれもささやかな抵抗であったと気づかされた。
…そろそろ食事にしようか。
考えたら体は傷だらけで疲れてるし、精神にもかなりの負担がかかっている。
ただじっと回復を待つよりは少しでも栄養を補給出来れば尚いいだろうし、食で気分転換をすれば少しは心にもいいだろう、と。
そう思い、正面で土人形の主から見つめられるのを余所にリュックから食料を分けておいた袋を引っ張り出す。
それで出てくるのは…
「これと…これ…だけか」
あの滅茶苦茶堅い…いや硬い非常食を小分けにした袋と水だけだ。
野草や干し肉はどうせ日帰り探索に行くから、嵩張るし必要ないと思って置いてきたんだっけか。
昨日もそうだったから、戻ったらしっかりと食べればいいしな…
なんて思ったのが裏目に出た。
「それ…?」
「ん?飯」
突然何を取り出したのかと疑問を浮かべている彼女に適当にそう返す。
見せるように振った袋からは乾いた音が小さくなる。
カラカラと乾いていて堅い物がぶつかり合う、小気味よい音だ。
まぁその硬さたるや、雑貨や瓶が割れている中で欠片も砕けていないレベルだがな。
これを防具の代わりに体にくっつけてたら防御力も少し上がるんじゃないか?なんて思ったりしたが…それも後の祭りだ。
ってか食物を粗末にしたくもないな…
何を考えてるんだろ、俺…
「はぁ…」
ため息を一つ吐き、気を取り直す。
硬さもそうだが、決して美味しいとは言えない非常食だ。
悲しい事…って訳でもなくはないが、これしか食べられる物が無いのは悔やみたい。
一応…他に食えそうと言えば干草の穂口やアブラ鳥の油なら少しあるが…
そんな物を口に入れたところで美味しくはないだろう。
これ、そもそも燃料用だしな。
燃料か…
そう考えて、ふと手元の松明に目が行く。
大分、火が小さくなってきてるな。
松明の火が無くならない内に、後で折れた木剣を加工して明かりにするか…
ぐぅ~…
で、早く飯を食えと言わんばかりに、再び腹が鳴る。
それた思考で気を紛らわせようとしても、さして気分転換にもなりゃしないか。
そんな事を考えながら、手に持つ袋の中から適当に目に付いた奴を一つ取り出す。
とにかく、食うか。
…と口に放り込もうとして、土人形の主の視線が嫌に突き刺さる。
いや、さっきから突き刺さってたんだけど…何かさっきと違うような感じだ。
そう思って彼女の方を見返すと…先程と変わった様子もなく、頑なに指を突き出したままの姿勢だが…
その視線は俺では無く俺の手元に定まっている。
正確にはその手に持つ丸い非常食に、だな。
…サッと素早く横に動かすと、チラッと視線が素早く移動する。
ス~ッとゆっくり横に動かすと、ジィ~ッと視線がゆっくり移動する。
「…」
「…食べたいのか?」
「私に、空腹は、来ない」
「確かにそう言ってたな」
しかしこの状況で説得力が無いな。
そういう事を言うなら、じっと見ないでくれるとありがたいんだが…
非常に、俺だけで食うには食いづらいじゃないか。
「ただ、それから…何か感じる…」
「つまり、気になるから食いたいと?」
「だから必要ない…」
「必要ないだろうけど、口にしてみたいんだろ?」
全く素直じゃない、面倒な奴だな。
そもそも生存に必要無い事と欲求を満たしたい事は別だろ。
そうじゃなきゃこの世に嗜好品なんか存在しないだろうし。
「…うん」
しばしの沈黙を作り、結局素直になった。
これで拒否されてたら…どう言って食わせようかと頭を捻る所だった。
好き嫌いをする子供に食わせるか、みたいな?
「じゃあ食おうぜ。
俺としても、誰かと食うって言うのも気が休まるからさ」
別に食わせなくてもいいけどそれだと気分が良くないし、気分が良くないとSPの回復に支障があるかも知れない。
…と言う事にしておこうと思う。
ああやって見られながら何も感じずに食うって事は俺には耐えられないし出来ないし、ましてやいい感情も無い。
美味かろうと不味かろうと誰かと飯を食う方が俺の気分は良いだろうし。
まぁそういう事だ。
「とにかく、座ってくれよ」
「そうする」
座ることを促すと彼女は俺の真正面…手を伸ばせばすぐの所に座る。
…微妙に近いな。
あわよくば触れて鑑定を…って感じじゃないし、純粋に早く食いたいんだろう。
俺も同じだ。
という訳でさっさと同じ袋から非常食をもう一切れと、水を取り出し…
「そっちがいい」
彼女に手渡そうとしたが、何故か先に手に持っていた方を欲しがった。
「うん?いいけど」
俺はどちらを食ってもいいので理由を聞くこともなくそっちを手渡す。
別に毒が入ってる訳でも無いしな。
「あと、硬いし喉が渇くから水と一緒に食った方がいいぞ」
「うん」
「じゃあ…いただきます、ってもう食ってるし…」
そう言いつつ軽く両手を合わせてから、非常食を口に放り込もうとした所で既に土人形の主は食べ始めていた。
余程食いたかったのか、水に口を付ける様子も無くひたすらモグモグと口を動かしている。
…ってあれ?
これ、相当に硬いはずなんだが…
彼女の歯と顎は相当に頑丈なんだろうか?
なんて考えながら、恐る恐る非常食を囓ってみると…
「…!?」
思わず声にならない声を上げてしまった。
断じて歯が立たない程に硬かったからではない。
見た目は非常食そのものなのに、それは今まで食べていた非常食では無かったからだ。
まず…石の様に硬くなく、焼き菓子のような適度な歯応えであった事。
サクッ…サクッ…とした食感は食べている人に楽しいと思わせる程だ。
次に…生地から伝わる絶妙な甘さと焼き菓子特有の香ばしさがそれと混じり合い、心の疲れや暗い気分なんぞ全て吹き飛ばしてその上、多幸感で満たしていく…
そして、この味の感想を述べるならこれしかないだろう…
…字面だけ見たら完全にヤバイ物だな!




