58 ライアー夫人
馬車はスピードを上げ、街道を抜けて行く。
あの騎士さまは、振り切られてしまった。
窓は黒い布に覆われて、今どこを走っているのかもわからない。
こんな乱暴な馬車の走らせ方は初めてだ。私は椅子にしがみついていた。
「リディア嬢、そう固くならずとも。もうすぐ夫婦になるのだから」
ブルクハルトはそう声を掛けてくる。
「嫌です! どうしてそんなに結婚を急ぐのですか。私はまだ15歳なのに」
「それはもちろん素敵な貴女を、他の男に取られたくないからです。――そう、誰にも渡さない」
ギョロリと光る目が私に向けられる。
その視線を浴びてゾッとした。
この男の狙いは本当に私なんだ。
「貴女は若く、可憐な、子爵家の令嬢だ。あなたのお母さまのように、魔力のある子どももたくさん産めるだろう。――それに、素晴らしい研究もしている。空の魔石に魔力を蓄える研究を、ね」
どうしてそのことを……!
利用されたりしないようにと先生に言われて、お父さまにも秘密にしていたのに!
「あなたのことはずっと調べていましたからね。あの鉱竜戦が決定打だ。あなた方がいた岩場で、火の魔石を拾いましたよ」
ごつごつとした手の上に、赤い魔石が乗っていた。
あの時に回収できなかった物だろう。
その濃い魔力は、誰が見ても超一級品だとすぐ分かる。
「ふふふ……あなたはまさに金の卵を産む鶏だ。なに、ライアー家の領地も鉱山だ。貴女の力を存分に活かすことが出来る。これ以上の縁談はありませんよ」
そう言って、不気味な笑みを浮かべていた。
ガタガタと音を立てて走る馬車は、そう遠くない場所で止まった。
ブルクハルトは立ち上がると、私の手を握る。
「さぁ着いた。結婚式の準備が出来るまで、大人しくしていて下さい。おぉそうだ。ドレスも作らなければ。最高の物を用意しましょう」
私はまた抱えられて、建物の中に連れ込まれた。
「ここ、は……」
ライアー家の王都の屋敷ではないようだ。
レンガ造りの頑丈そうな建物で、装飾のひとつもない。
物置――いや、倉庫、なのかもしれない。
埃っぽいというか、空気が乾いて粉っぽい。
私が入れられたのは、簡素な小部屋だ。
「しばらくこちらで我慢して下さい。後ほど人を寄越します」
そう言って、木で出来たドアをバタリと閉めた。
部屋に残されたのは私一人だけだ。
「出して、出して――!」
私は虚しくドアを叩いた。
何度叩いても返事がない。いい加減、手が痛くなってきた。
辺りはしんとして、人の気配も感じられない。
「どうして、こんなことに」
ズルズルと腰を落とし、床の上にしゃがみこんだ。
アデレイドさまに連れられて、楽しく市場を回っていた。
レオンさまの話を聞いて、ショックを受けて座り込んでいたけれど、まさか、こんなことになるなんて。
改めて、入れられた部屋をグルリと眺める。
ベッドとテーブルと、木箱がいくつかあるだけだ。
家具も労働者が使うような素朴な作りの物だった。
木枠にマットを敷いて、そこにシーツを被せている。
机も年輪がハッキリとわかる、造りの荒いものだ。
ここは、倉庫で働く人が寝泊まりをするための部屋なのかもしれない。
私は立ち上がり、ベッドに腰掛ける。
あの時、騎士さまは私たちを追い掛けてきた。ハッキリと顔を見られている。
きっとすぐにブルクハルト・ライアーは手配されるだろう。
だから私を屋敷ではなく倉庫に連れて来た?
私の居場所がわからないように?
ブルクハルトの言い分は、あまりにも身勝手だった。
まだ私は婚約の手続きもしていない。お父さまが口約束をしただけだ。
それに貴族の結婚は必ず王家の許可が必要になる。
数少ない魔力持ちを管理するためだ。
花嫁、花嫁って、こんな横暴なやり方が通る筈はないのに!
「疲れた……」
色々なことがあり過ぎて、すっかり参ってしまった。
私はいつの間にか眠りについていた。
目が覚めると、窓から朝日が差し込んでいた。
光の筋が、埃を浮かび上がらせている。
「喉が渇いたわ」
昨日市場でソーセージを口にしてから、何も食べていない。
大声で叫び続けたので、喉がヒリヒリと痛んでいた。
「お水……」
部屋の中には何もない。
ガランとしていて、木箱には袋がいくつか入っているだけだ。
その時、ノックをする音が響き、ドアの向こう側から声を掛けられた。
「起きていらっしゃいますか」
「えっ? は、はい」
女性の声だ。私は驚いて反射的に声を上げた。
ガチャリと音がしてドアが開いた。
用心深く、少ししか開かれず、女性がスルリと入ってきたかと思ったら、またすぐに閉められてしまった。
ああ、今が逃げるチャンスだったのに!
でもきっと、ドアの向こう側には屈強な見張りが立っている。
女性もそれを気にしていたようだったけれど、ゆっくりとこちらを振り返った。
年齢はお母さまより上だろうか。
髪はまとめられているけれど、少し乱れている。
そして、――頬に、青黒い痣があった。
「……ライアー夫人?」
昔、お会いしたことがある。
親戚が開いたパーティに、ライアー男爵と共に参加していた。
男性にも臆さず物を言う、気っ風の良い人だった。
けれど、今は別人のようだ。
げっそりとやつれて、顔色も悪い。
そして杖をつきながらゆっくりと、こちらへ歩いてくる。
「リディアさん? まぁ大きくなって」
声は、まるで老婆のように嗄れている。
「怪我はない? ブルクハルトったら、本当に乱暴者で……ごめんなさいね」
「ど、どうして、夫人がここに」
「あの子が私にあなたの世話を言いつけたのよ。躾のなっていないメイドや、乱暴な部下たちには任せられないんですって」
薄く笑っているけれど、本心ではないように見える。
そしてあの男は、自分の母親にそんなことをさせるのか。
まるでメイドの扱いだ。
「こちらへいらっしゃい。朝食を用意しました」
見ると足元には籠が置かれている。
布を取ると、パンとスープ、それに果物が入っていた。
「あの子に悪気はないのよ。ただ少し……人とは常識がズレているの」
ライアー男爵家は、犯罪者を使役する鉱山を管理する家だ。そこでは暴力が振るわれることも珍しくないという。
そんな環境で育ったら、真っ当な感覚ではなくなってしまうものなのかもしれない。
「私……私、どうなってしまうのですか」
「準備が整い次第、結婚式を挙げるとあの子は言っていたわ。すぐには無理でしょうから、数日はここにいることになるでしょう」
結婚式。
その言葉をごくりと飲み込んだ。
数日――数日なのか。
その間になんとか逃げ出さなければ。
「リディアさん」
ライアー夫人は、しばらく私の目を見つめていた。
瞳の奥には深い悲しみが宿っている。
そして深いため息とともに視線を外す。
よく見ると、腕にも青痣があった。
杖を突いている足も、うまく動かないのかもしれない。
「ええ、あの子に負わされた傷よ。言う事を聞かないと、すぐに手が出るの」
自分のお母さまに、なんてことを!
私が逃げたらこの夫人は、もっと酷い折檻を受けるのか。
夫人の顔に残る痣や、足の具合がそれを物語っていた。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
よろしければ、続きを読んでいただけると嬉しいです。




