第1話 古代魔法陣
ツルハシが硬い岩盤を叩き割る鈍い音が、今日も薄暗い坑道に響き渡っている。
ここは覇軍帝国ガルディアが管理する、最悪の流刑地。
名目上は鉱山と呼ばれているが、実態は命をすり潰して僅かな鉱石を掘り起こす拷問施設だ。
隣でツルハシを振るっていた中年の男が、ゴボリと嫌な音を立てて血を吐き、そのまま土の上に崩れ落ちた。過労と栄養失調、それに鉱石から漏れ出す微量な毒素に肺をやられたのだろう。
「おい、409番が倒れたぞ! 運べ!」
鞭を持った帝国の監視兵が怒鳴り声を上げ、他の奴隷たちが無表情のまま男の四肢を掴んで引きずっていく。男の目はすでに焦点が定まっておらず、明日を迎えることはないだろう。
それを見て、僕――アレン・クロウは、ひび割れた唇の端を少しだけ歪めた。
僕たちも同じ人間のはずなのに……
悲哀でも同情でもなく、ただ純粋な疑問だった。
労働力をここまで使い捨てにすれば、長期的には必ず採掘効率が低下する。奴隷を生かさず殺さずのラインで維持するための、最低限のカロリー計算すらこの帝国の連中はできていないらしい。
かつて、僕は理法国メトリアという国で、弱冠十九歳にして国家魔力基盤・首席設計士という地位にあった。数秘術と魔法幾何学の分野において、僕は「大天才」ともてはやされた。都市全体を覆う広域防衛魔法陣を設計し、完璧な数式と論理こそが世界で最も美しいと信じて疑わなかった。
だが、その完璧な論理は、たった一夜にして崩れ去った。
帝国軍が攻めてきた時、僕の防衛魔法陣は破られたのではない。味方であるはずの「十三人の賢人」の内の一人が、帝国が提示した金と地位という餌に目が眩み、内側から解除する暗号符牒を売り渡したのだ。
結果として故郷は焼け落ち、僕はすべてを奪われ、この薄汚い鉱山で泥水にまみれる名もなき奴隷へと落とされた。
完璧な論理は、人間の「強欲」というくだらない欠陥の前にあっさりと屈したのだ。
手首に食い込む重い鉄鎖が、動くたびに皮膚を削る。奴隷生活も三年が過ぎ、過酷な労働によって肉体は発達しつつあったが、それでも疲労は限界を超えている。だが、不思議と頭脳だけは、氷のように冷たく冴え渡っていた。
僕はただ無心にツルハシを振るっているわけではない。数日前から、この坑道の奥から微弱だが規則的なマナの波動が漏れ出ていることに気づいていた。岩石の層の重なり方も、自然に形成された地層とは明らかに異なる。意図的な魔力圧縮の痕跡だ。
ここは、ただの鉱山じゃない。
監視兵の目を盗みながら、僕はその波動の源流へと掘り進めていた。周囲の奴隷たちが「早く休みたい」「楽になりたい」と虚ろな目で土を掘る中、僕だけが明確な意図を持って岩盤のウィークポイントを突いていく。
そして、その時は不意に訪れた。
ガキンッ、とツルハシの刃が、明らかに鉱石とは違う硬質な何かに弾かれた。
岩壁の一部がボロボロと崩れ落ち、その奥に、黒々と口を開けた不自然な空洞が現れた。カビと淀んだ空気、そして数千年の時を経てもなお色褪せない、圧倒的な魔力の残滓が鼻腔を突く。
「……なんだ、ここは」
僕はツルハシを置き、崩れた穴からその空間へと滑り込んだ。
監視兵の巡回ルートからは外れた、坑道の最奥。手に持ったランタンで暗闇を照らすと、そこが巨大なドーム状の遺跡であることがわかった。
足元には、滑らかな黒曜石のような石板が敷き詰められている。そして、その床一面に、複雑怪奇な幾何学模様がびっしりと刻み込まれていた。
「こ、これは……魔法陣……?」
僕は息を呑み、その場に膝をついた。指先で床の溝をなぞる。
ただの魔法陣ではない。現代の魔法学では解明されていない、数千年前の古代魔法都市の術式だ。
僕の脳内で、眠っていた「天才」としての回路が爆発的な速度で回転を始めた。
刻まれた数式、魔力の導線、ベクトル、そしてその中心に向けられたエネルギーの収束点。バラバラに見える幾何学模様が、僕の頭の中で一つの巨大な立体構造として組み上がっていく。
「……狂ってる」
陣の全容を理解した瞬間、僕は思わず笑い声を漏らしていた。
それは「万魔帰一の陣」。
かつて一人の邪悪な皇帝が、数万人という人間の命を強制的に生贄に捧げ、その莫大な魂のエネルギーを自身ただ一人に集約させることで、物理的な限界を超えて「神」に至ろうとした、国家級の暗黒儀式の痕跡だった。
陣のあちこちには、生贄にされたであろう無数の人骨が、炭化してこびりついている。どれほどの絶望と苦痛がこの空間で渦巻いたのか、想像するだけでも吐き気を催すようなおぞましい代物だ。
だが、僕は恐怖よりも先に、その構造の「美しさ」と、それゆえの「愚かさ」に目を奪われていた。
確かに、数万人の命をエネルギーに変換する魔力回路の設計は芸術的だ。しかし、これではダメだ。
生贄を『殺して』しまっているじゃないか。
これでは一度きりしか使えない。
一時のパワーを求めて使い捨てにするなんて、効率が悪すぎる。
僕は、数万の骨を前にして、極めて冷静にこの古代の暗黒儀式を「ビジネスモデル」として評価していた。
エネルギーを搾り取って終わるだけのシステムなど、あまりにも非効率で下策だ。
背後から、坑道で働く奴隷たちの声が微かに聞こえてくる。
「あいつよりマシな飯が食いたい……」
「誰か……俺の代わりに働いてくれ……!」
そのリアルで醜い、むき出しの強欲の声を聞きながら、僕の脳内ではすでに、この古代の陣を現代風にアップデートするための全く新しい数式が組み上がり始めていた。




