第9話 予測は外れるからこそ精度を上げる
予測とは、外れる可能性を含むものである。
この前提を忘れると、人間理解は簡単に歪む。
人は予測が当たった時、自分の見立てが正しかったと思いやすい。逆に、予測が外れた時には、相手がおかしい、急に変わった、理解できない、やはり人間は分からない、と考えたくなることがある。
しかし、予測が外れること自体は、異常ではない。
予測とは、そもそも完全な断定ではない。限られた情報の中で、相手の心理の天秤がどちらへ傾きやすいかを読む作業である。だから、こちらが持っている情報が不足していれば外れるし、相手の状態や環境が変われば外れるし、こちらが見落としていた重りがあれば当然外れる。
予測が外れた時に必要なのは、予測そのものを捨てることではない。
なぜ外れたのかを見ることである。
情報が足りなかったのか。
前提が間違っていたのか。
相手の状態が変わっていたのか。
環境が変化していたのか。
こちらが一部だけを見ていたのか。
相手が隠していた重りがあったのか。
自分の願望や偏見が混ざっていたのか。
そこを確認しなければ、予測の精度は上がらない。
たとえば、普段は穏やかな人が突然強く怒ったとする。こちらがその人を「穏やかな人」とだけ見ていたなら、その怒りは予想外に見える。しかし、その人は長い間、不満をためていたのかもしれない。体調が悪かったのかもしれない。家庭や仕事で別のストレスを抱えていたのかもしれない。こちらの何気ない一言が、過去の傷に触れたのかもしれない。
つまり、予測が外れたのではなく、こちらが天秤に乗っていた重りを見落としていただけの場合がある。
逆に、普段は逃げる人が、ある場面では逃げなかったとする。これも、急に心変わりしたとは限らない。守りたい相手がいたのかもしれない。逃げる方が大きな損になると判断したのかもしれない。周囲の目があり、逃げることで失う立場が大きかったのかもしれない。過去に逃げたことを後悔していて、今回は踏みとどまる方に天秤が傾いたのかもしれない。
人の行動は、表面だけでは分からない。
だから、予測が外れた時こそ、人間理解を深める機会になる。
ここで大切なのは、自分の予測を絶対視しないことである。
自分はこの人を分かっている。
この人は絶対にこう動く。
この性格ならこうするはずだ。
この国の人間ならこう考えるはずだ。
この環境で育ったならこうなるはずだ。
そう決めつけると、外れた時に修正できなくなる。
予測は仮説である。
仮説である以上、外れたら修正する必要がある。外れた予測を無理に正当化したり、相手の方をおかしいことにしたり、自分の見立てを守るために都合の悪い情報を無視したりすれば、観察力は落ちていく。
予測が外れた時に、その外れ方を観察できる人は強い。
なぜなら、外れた予測には、自分が見落としていた情報が含まれているからである。
何を見ていなかったのか。
何を軽く見すぎていたのか。
何を重く見すぎていたのか。
どの条件を無視していたのか。
相手のどの変化に気づかなかったのか。
自分のどの先入観が邪魔をしたのか。
これを確認することで、次の予測は少し精度が上がる。
人間理解は、一度で完成するものではない。
観察する。
予測する。
外れる。
理由を考える。
情報を追加する。
仮説を修正する。
もう一度観察する。
この繰り返しによって、少しずつ相手の心理の天秤が見えてくる。
これは、統計にも近い考え方である。
一度の行動だけでは、その人の傾向は分からない。たまたま体調が悪かったのかもしれないし、特別な事情があったのかもしれない。だから、一度の怒り、一度の嘘、一度の善行、一度の失敗だけで、その人を決めつけるのは危険である。
だが、似た状況で何度も同じ行動を取るなら、そこには傾向がある。
不利になるたびに逃げる。
責任を問われるたびに言い訳する。
利益が絡む時だけ親切になる。
弱い相手には強く出る。
強い相手には黙る。
周囲に見られている時だけ善人らしく振る舞う。
誰にも見られていない時にも約束を守る。
こうした繰り返しは、その人の心理の天秤がどちらへ傾きやすいかを示す資料になる。
ただし、傾向があることと、未来が完全に決まっていることは違う。
人は変わることがある。環境が変われば行動も変わる。知識が増えれば選択肢も増える。成功体験があれば自信が生まれる。失敗体験があれば慎重になる。安心できる関係があれば防衛が弱まる。逆に、追い詰められれば、普段とは違う行動へ傾くこともある。
だから、予測には常に更新が必要である。
昔はこうだった。
今もそうとは限らない。
この場面ではこうだった。
別の場面でも同じとは限らない。
この相手にはこう動いた。
別の相手にも同じとは限らない。
条件が変われば、天秤も変わる。
人間の行動を読む時、重要なのは「この人はこういう人間だ」と固定することではない。重要なのは、「この人はどの条件で、どちらへ傾きやすいのか」を見続けることである。
予測を外す人には、いくつかの特徴がある。
一つは、情報が少ないのに断定することである。少し話しただけで相手を分かった気になる。一度の行動で善人や悪人に分ける。国籍、性別、職業、年齢、学歴、家庭環境だけで相手を判断する。こういう予測は、当たることもあるが、粗い。
もう一つは、自分の願望を予測に混ぜることである。
この人には誠実であってほしい。
この人なら裏切らないはずだ。
この人は分かってくれるはずだ。
この人は変わってくれるはずだ。
そう思いたい気持ちは分かる。しかし、願望は予測ではない。
相手がそうであってほしいことと、相手が実際にそう動きやすいことは違う。相手を信じたい気持ちが強すぎると、不都合な行動を見落としやすくなる。何度も嘘をついているのに、次は正直に話してくれるはずだと思う。何度も責任から逃げているのに、今度は向き合ってくれるはずだと思う。何度も自分を傷つけているのに、本当は悪い人ではないと思う。
この時、予測を歪めているのは相手ではない。
自分の心理の天秤である。
自分が何を望んでいるのか。
何を認めたくないのか。
何を失いたくないのか。
なぜ、その人を信じたいのか。
なぜ、危険な兆候を軽く見ているのか。
相手の行動を予測する時には、自分の天秤も見なければならない。
恐怖も予測を歪める。
一度裏切られた経験がある人は、似たような相手を過剰に疑うことがある。一度攻撃された経験がある人は、相手の何気ない言葉を攻撃として受け取ることがある。過去の経験は重要な資料であるが、それが強くなりすぎると、現在の相手を正しく見られなくなる。
予測には、観察だけでなく、自分の偏りの点検も必要である。
相手を甘く見ていないか。
相手を悪く見すぎていないか。
過去の別人を重ねていないか。
自分の願望で見ていないか。
自分の恐怖で見ていないか。
自分の怒りで見ていないか。
この確認をしなければ、予測は相手の分析ではなく、自分の感情の投影になる。
予測の精度を上げるためには、情報を集める必要がある。
その人が普段どう動くのか。
不利な時にどう動くのか。
怒った時にどう動くのか。
損をする時にどう動くのか。
得をする時にどう動くのか。
誰にも見られていない時にどう動くのか。
弱い相手にどう接するのか。
強い相手にどう接するのか。
こうした情報が増えれば、相手の心理の天秤は読みやすくなる。
ただし、情報を集めるとは、相手を疑い続けることではない。
観察するということである。
言葉を見る。
行動を見る。
繰り返しを見る。
例外を見る。
変化を見る。
環境を見る。
自分の見方も見る。
この積み重ねが、予測の精度を上げる。
そして、予測が外れた時には、その外れ方を捨てずに使う。
なぜ外れたのか。
何が足りなかったのか。
何を見誤ったのか。
相手が変わったのか。
環境が変わったのか。
自分の見方が歪んでいたのか。
外れた予測は、失敗であると同時に資料でもある。
そこには、次の予測を改善するための情報が含まれている。
だから、予測が外れることを恐れすぎる必要はない。
むしろ、予測が外れることを前提にして、精度を上げていく方が現実的である。最初から完璧に当てようとするから、外れた時に崩れる。予測を仮説として扱えば、外れた時にも修正できる。
人間は完全には読めない。
だが、まったく読めないわけでもない。
人の行動には理由があり、傾向があり、条件があり、重りがある。それを観察し、情報を集め、仮説を修正し続ければ、予測の精度は少しずつ上がっていく。
予測とは、外れる可能性を含むものである。
だからこそ、観察し、情報を集め、仮説を修正し、精度を高めていく必要がある。
心理の天秤を読むとは、一度で人を見抜くことではない。
外れた予測も含めて、人を理解していく作業である。
ミナ「やっぱり、人物プロファイルって完成した説明書じゃなくて、観察ノートなんだね」
レン「その理解でいいと思う。最初に書いた内容を絶対視するものじゃなくて、観察するたびに情報を足していくものだね」
ミナ「つまり、この人は昔こうだった、で止めないってこと?」
レン「そう。昔の情報を消しゴムで消すより、過去情報として残した上で、今の情報を追記して重みを更新する方がいい」
ミナ「ああ、昔の印象をなかったことにするんじゃなくて、“昔はそうだった。でも今はこういう条件も見えてきた”って足していく感じか」
レン「うん。昔は逃げていた人が、経験を積んで向き合えるようになることもある。逆に、昔は誠実だった人が、余裕を失ったり、権力を持ったりして変わることもある」
ミナ「だから、昔の情報も無駄じゃないんだね」
レン「無駄じゃない。むしろ大事な履歴になる。ただし、昔の情報だけで今の相手を固定すると見誤る」
ミナ「なるほど。人物プロファイルって、“この人はこういう人です”って決めつけるためのものじゃなくて、“この条件ではこう傾きやすいかもしれない”って見るためのものなんだ」
レン「そう。断定ではなく仮説。印象ではなく観察。決めつけではなく更新」
ミナ「なんか、相手を見るっていうより、相手の変化も含めて見続ける感じだね」
レン「それが近い。人は変わるし、条件が変われば天秤も変わる。だから人物プロファイルも、過去情報を残しながら更新していく必要がある」
ミナ「消しゴムで消すんじゃなくて、追記していく観察ノート」
レン「うん。その方が、人を雑に決めつけずに済む」
ミナ「よし、それなら納得。人間理解って、完成版を作るんじゃなくて、更新し続ける作業なんだね」
レン「そのまとめはかなりいいね」
ミナ「ふふん。今のは褒められると思った」
レン「実際、よく整理できている」
ミナ「レン、最近ちゃんと褒めてくれるね」
レン「ミナが分かりやすく言い換えてくれるからだよ」
ミナ「……そういう褒め方、ちょっと照れる」
レン「本当のことだから」
ミナ「はいはい。じゃあ次、予測が外れた時の話に行こう」




