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【心理の天秤】――人間理解による行動予測  作者: 天秤座
第7章:集団と社会の天秤
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第42話 炎上の天秤


 炎上とは何か。


 誰かの発言や行動に対して、多くの人が怒り、批判し、拡散し、攻撃する現象である。


 政治家の発言。

 企業の不祥事。

 有名人の失言。

 一般人の投稿。

 差別的に見える表現。

 不誠実に見える対応。

 不正や隠蔽の疑い。

 誰かを傷つけたように見える言葉。


 そうしたものがネット上で広がり、多くの人が反応する。


 炎上は、現代社会では珍しいものではない。


 しかし、炎上をただ「正義の怒り」と見るのは浅い。


 炎上は単なる正義ではない。


 怒り、承認、娯楽、集団参加、攻撃欲、正義感、ストレス発散が混ざり合って発生する。


 ここを見なければ、炎上の本質は読めない。


 まず、炎上には怒りがある。


 その発言はおかしい。

 その行動は許せない。

 その態度は不誠実だ。

 その言い方は人を傷つけている。

 その対応は被害者を軽く見ている。

 その組織は責任を逃れている。


 こうした怒りが、炎上の入口になる。


 怒りには意味がある。


 誰かが本当に不当なことをした場合、それに怒ることは必要である。不正、差別、搾取、隠蔽、暴力、権力の乱用があるなら、それを批判する声は社会に必要である。怒りがなければ、被害者は黙らされ、組織は責任を逃れ、強い者が弱い者を踏みにじり続けることがある。


 だから、炎上がすべて悪いわけではない。


 炎上には、正しい炎上もある。


 問題のある発言や行動があり、それに対して社会が反応する。隠されていた不正が可視化される。被害者の声が広がる。企業や権力者が説明責任を求められる。差別的な表現や不誠実な対応が見直される。


 このような炎上には、社会的な意味がある。


 しかし、炎上には誤った炎上もある。


 発言の一部だけが切り取られる。

 文脈が無視される。

 本人の意図が誤読される。

 事実確認の前に怒りが広がる。

 誰かの印象操作によって悪者にされる。

 軽い失言が重大な悪意のように扱われる。

 冗談や比喩が、悪質な主張として解釈される。

 相手の説明を聞かず、集団で断罪する。


 このような炎上は、誤った炎上である。


 だから、炎上を見る時には、まず「炎上しているから悪い」とも、「炎上しているから正義」とも決めつけてはいけない。


 何が起きたのか。

 何が言われたのか。

 誰が傷ついたのか。

 発言の前後関係はどうか。

 本人の意図は何だったのか。

 結果としてどんな被害が出たのか。

 批判の範囲は妥当なのか。

 批判が攻撃に変わっていないか。


 そこを見る必要がある。


 炎上の天秤には、正義感が乗る。


 人は、自分が正しい側にいると感じると強くなる。


 悪いものを批判している。

 被害者を守っている。

 社会のために声を上げている。

 間違った価値観を正している。

 許してはいけないものを許さないでいる。


 こう感じると、人は批判に参加しやすくなる。


 正義感は社会に必要である。


 しかし、正義感は攻撃を正当化しやすい。


 自分は正しい側にいる。

 相手は悪い側にいる。

 だから強く言ってよい。

 相手が傷ついても仕方ない。

 社会的に叩かれるべきだ。

 謝っても許す必要はない。


 こうなると、正義感は危険になる。


 責任を問うことと、相手を破壊することは違う。

 批判することと、人格を全否定することは違う。

 被害者を守ることと、無関係な人まで攻撃することは違う。

 問題を指摘することと、娯楽として叩くことは違う。


 炎上では、この境界線が崩れやすい。


 次に、承認欲求がある。


 炎上に参加すると、反応が得られることがある。


 いいねが付く。

 共感される。

 拡散される。

 同じ怒りを持つ人から支持される。

 自分の批判が鋭いと思われる。

 自分は分かっている側だと感じられる。


 これは、心理的報酬である。


 炎上に参加する人のすべてが、純粋な正義感だけで動いているわけではない。


 もちろん、本人は自分を正義だと思っているかもしれない。実際に、問題意識から批判している人もいる。しかし、そこに承認欲求が混ざることもある。


 より強い言葉を使えば伸びる。

 より怒れば共感される。

 より相手を馬鹿にすれば仲間に受ける。

 より断定すれば、正しい人のように見える。


 この構造がある。


 ネットでは、怒りが数字になる。


 だから、怒りは報酬化される。


 これは炎上を大きくする。


 次に、娯楽がある。


 炎上は、見ている人にとって娯楽になることがある。


 誰かが叩かれている。

 誰かが失敗している。

 誰かが言い訳している。

 誰かが謝罪している。

 誰かが逃げている。

 誰かの過去が掘られている。


 それを見て、面白がる人がいる。


 これは認めたくない人も多いかもしれない。


 しかし、炎上には娯楽性がある。


 人は、自分が安全な場所から他人の失敗や転落を見る時、刺激を感じることがある。怒りの対象がいると、退屈が減る。誰かを批判することで、自分が上に立ったような感覚を得ることもある。


 これは、正義ではない。


 娯楽である。


 炎上が危険なのは、正義の顔をした娯楽になりやすいことである。


 本人は「許せない」と言っている。

 しかし、実際には炎上を楽しんでいる。

 相手の謝罪を見たい。

 相手が追い詰められるのを見たい。

 新しい燃料を探している。

 誰かがさらに叩かれる展開を期待している。


 こうなると、炎上は社会的批判ではなく、集団的な娯楽になる。


 次に、集団参加がある。


 炎上には、祭りのような構造がある。


 皆が怒っている。

 皆が叩いている。

 皆が同じ方向を向いている。

 自分もそこに参加する。

 同じ怒りを共有する。

 仲間になったように感じる。


 これは、集団参加の報酬である。


 人は、集団に加わることで安心する。


 一人では言いにくいことも、皆が言っていれば言える。一人で批判すれば怖いが、多数派に乗れば安心できる。自分だけが怒っているのではなく、多くの人が怒っているなら、その怒りは正しいものに見える。


 しかし、多数派であることは正しさの証明ではない。


 集団が誤読している場合もある。

 集団が切り取りに乗っている場合もある。

 集団が事実確認をしていない場合もある。

 集団が怒りの快感に流されている場合もある。

 集団が誰かを悪者にしたがっているだけの場合もある。


 集団参加は、人の責任感を薄める。


 自分一人が言っただけ。

 皆も言っている。

 相手が悪いのだから仕方ない。

 自分の一言くらい大したことはない。

 これは社会の怒りであって、自分個人の攻撃ではない。


 こうして、個人の攻撃性が集団の中で薄まる。


 しかし、受ける側にとっては薄まらない。


 何千、何万という言葉が一人に向かえば、それは巨大な圧力になる。


 一人ひとりは小さな石を投げているつもりでも、集団になれば大きな暴力になる。


 次に、攻撃欲がある。


 人間には、攻撃したい気持ちが出ることがある。


 怒りをぶつけたい。

 誰かを責めたい。

 相手を論破したい。

 相手を黙らせたい。

 自分の優位を示したい。

 相手が苦しむところを見たい。


 これは、綺麗な感情ではない。


 だが、存在する。


 炎上では、この攻撃欲が正義感に隠れやすい。


 自分は悪を叩いているだけだ。

 自分は正しい批判をしているだけだ。

 相手が悪いのだから攻撃されても仕方ない。

 これは社会的制裁だ。


 そう言いながら、実際には攻撃欲を満たしていることがある。


 この場合、炎上は正義ではなく、攻撃の場になる。


 特に危険なのは、相手がすでに謝罪している場合や、事実関係が修正されている場合でも、攻撃が止まらない時である。


 謝罪が足りない。

 反省していない。

 もっと追及すべきだ。

 過去も掘るべきだ。

 関係者も責めるべきだ。

 社会的に終わらせるべきだ。


 こうなると、批判の目的が問題解決ではなく、相手を痛めつけることに変わっている可能性がある。


 次に、ストレス発散がある。


 人は、日常の不満を抱えている。


 仕事の不満。

 家庭の不満。

 社会への不満。

 政治への不満。

 経済的不安。

 人間関係のストレス。

 自分の人生への不満。


 そうしたものを抱えた状態で、分かりやすい怒りの対象が現れる。


 すると、人はそこへ怒りをぶつける。


 炎上対象は、ストレス発散の受け皿になることがある。


 もちろん、本人はそう自覚していないことが多い。


 自分は正義のために怒っている。

 自分は社会のために批判している。

 相手が悪いから叩いている。


 そう感じている。


 しかし、実際には、日常で溜まった怒りや不満が上乗せされている場合がある。


 相手の問題の大きさ以上に怒る。

 相手の発言以上の悪意を読み取る。

 自分の過去の不満まで重ねる。

 社会全体への怒りを一人にぶつける。

 自分が傷ついてきた経験を、その相手に投影する。


 こうなると、炎上の怒りは過剰になる。


 その人が本当に犯した問題よりも大きな怒りが向かう。


 これは、正しい炎上ではない。


 では、正しい炎上とは何か。


 正しい炎上とは、問題のある発言や行動に対して、事実と文脈に基づき、妥当な範囲で責任を問う反応である。


 たとえば、権力者が明らかに不正をした。

 企業が被害を隠した。

 差別的な発言で特定の人々を傷つけた。

 加害があったのに、被害者を黙らせようとした。

 虚偽の説明で社会を騙した。

 弱い立場の人を利用した。


 こうした場合、批判が集まるのは自然である。


 むしろ、批判が集まらなければ問題が放置される。


 正しい炎上には、いくつかの条件がある。


 事実確認がある。

 文脈確認がある。

 被害の内容が具体的である。

 責任を問う範囲が妥当である。

 批判対象が明確である。

 無関係な人を巻き込まない。

 謝罪や改善があれば、それを評価する余地がある。

 問題解決や再発防止に向かっている。


 これらがある炎上は、社会的批判として意味を持つ。


 一方で、誤った炎上とは何か。


 事実確認が不十分である。

 切り取りに基づいている。

 文脈を読んでいない。

 発言意図を悪く読みすぎている。

 比喩や冗談を文字通り悪意として扱っている。

 問題の大きさに対して攻撃が過剰である。

 無関係な人を巻き込む。

 謝罪や説明を受けても修正しない。

 批判より攻撃や娯楽が中心になっている。


 これが誤った炎上である。


 誤った炎上では、正義感があるように見えても、実際には怒り、承認、娯楽、攻撃欲、集団参加が強くなっていることがある。


 だから、炎上を見る時には、心理の天秤を見る必要がある。


 その炎上では、何が重くなっているのか。


 被害者救済か。

 事実確認か。

 責任追及か。

 再発防止か。

 それとも、怒りの共有か。

 承認欲求か。

 娯楽か。

 攻撃欲か。

 ストレス発散か。

 集団参加の快感か。


 ここを見る。


 もちろん、完全に一つへ分けられるわけではない。


 正しい問題提起の中にも怒りはある。

 正義感の中にも承認欲求は混ざる。

 社会的批判の中にも集団参加の感覚はある。

 問題解決を望みながら、相手への怒りも持つことはある。


 人間の心理は混ざっている。


 だから重要なのは、どの重りが中心になっているかである。


 問題解決が中心なのか。

 相手を傷つけることが中心なのか。

 被害者を守ることが中心なのか。

 自分たちが気持ちよく叩くことが中心なのか。

 事実を確認することが中心なのか。

 悪者を作ることが中心なのか。


 そこを見れば、その炎上の性質はある程度判断できる。


 発言意図の正確な読み取りも重要である。


 炎上では、発言の表面だけが切り取られやすい。


 その言葉だけを見ると悪く見える。

 その一文だけを見ると差別的に見える。

 その表現だけを見ると冷たく見える。

 その冗談だけを見ると不謹慎に見える。


 しかし、発言には文脈がある。


 誰に向けた発言なのか。

 どの話題の中で出たのか。

 比喩なのか、厳密な主張なのか。

 冗談なのか、制度提案なのか。

 感情表現なのか、具体的な行動要求なのか。

 反論なのか、挑発なのか。

 対象は個人なのか、構造なのか。

 一般論なのか、限定条件つきの話なのか。


 ここを読まずに怒ると、誤読が起こる。


 発言意図の正確な読み取りとは、相手を甘く見ることではない。


 相手の発言を、過不足なく読むことである。


 悪意があるなら悪意として読む。

 差別があるなら差別として読む。

 加害があるなら加害として読む。

 しかし、悪意がないものまで悪意として読まない。

 比喩を制度提案として読まない。

 限定条件の話を一般論として読まない。

 問題提起を攻撃として読まない。

 説明を正当化として読まない。


 この区別が必要である。


 炎上では、この区別が崩れやすい。


 なぜなら、怒りが強いと、人は悪く読みやすいからである。


 相手は悪いことを言った。

 だから、この発言も悪意だろう。

 この言葉も差別だろう。

 この説明も言い訳だろう。

 この訂正も逃げだろう。


 こうして、すべてを悪い方向に読む。


 これは、心理の天秤で怒りが重くなっている状態である。


 怒りが強い時、人は相手の意図を正確に読むより、相手を悪者として固定する方へ傾きやすい。


 だから、発言意図を読む時には、一度立ち止まる必要がある。


 この発言は何を言っているのか。

 何を言っていないのか。

 誰を対象にしているのか。

 どの条件の話なのか。

 どの文脈から出た言葉なのか。

 別の自然な解釈はないのか。

 自分が怒っているから悪く読んでいないか。

 誰かの切り取りに乗っていないか。


 ここを見る。


 心理の天秤を使えば、炎上はある程度判断できる。


 炎上している側の天秤を見る。


 なぜ怒っているのか。

 どの被害を見ているのか。

 どの正義感が働いているのか。

 承認欲求や娯楽が混ざっていないか。

 攻撃欲が強くなっていないか。

 集団に乗っているだけではないか。

 ストレス発散になっていないか。


 炎上されている側の天秤も見る。


 なぜその発言をしたのか。

 何を守ろうとしていたのか。

 どの文脈で出たのか。

 無知だったのか。

 配慮不足だったのか。

 悪意だったのか。

 冗談だったのか。

 制度的な問題提起だったのか。

 責任逃れをしているのか。

 説明と正当化を混同していないか。


 この両方を見ることで、炎上の質はある程度見える。


 たとえば、発言者に明確な差別意図があり、対象者への被害も大きく、指摘後も訂正せず、さらに責任逃れをしているなら、批判が強まるのは自然である。


 一方で、発言者の意図が別にあり、文脈を読めば違う意味であり、被害も抽象的で、切り取りによって悪く見えているだけなら、炎上は誤った方向へ進んでいる可能性がある。


 また、最初は正しい炎上でも、途中から誤った炎上に変わることがある。


 最初は問題点の指摘だった。

 しかし、途中から人格攻撃になった。

 最初は被害者救済だった。

 しかし、途中から娯楽になった。

 最初は責任追及だった。

 しかし、途中から無関係な家族や職場まで攻撃した。

 最初は再発防止だった。

 しかし、途中から相手を社会的に抹消することが目的になった。


 このように、炎上は途中で変質する。


 だから、炎上を一度正しいと判断したら最後まで正しい、とは言えない。


 常に天秤を見直す必要がある。


 批判は妥当か。

 攻撃が過剰になっていないか。

 目的が変わっていないか。

 新しい情報で判断を修正すべきではないか。

 相手の説明を読んだ上で評価しているか。

 集団の怒りに飲まれていないか。


 ここを見る。


 炎上には、責任追及として必要な面がある。


 しかし、炎上には、私刑として危険な面もある。


 責任追及は、事実と範囲を見る。

 私刑は、怒りと報復で動く。

 責任追及は、改善や説明を求める。

 私刑は、相手を苦しめることを求める。

 責任追及は、関係者を区別する。

 私刑は、周囲まで巻き込む。

 責任追及は、訂正や謝罪を評価できる。

 私刑は、謝っても許さない。


 この違いを見なければならない。


 炎上を起こす側にも、炎上を見る側にも、責任がある。


 発言者は、自分の言葉がどう読まれるかを考える必要がある。特に影響力のある人、企業、政治家、教育者、発信者は、自分の言葉が大きく広がることを前提にしなければならない。


 しかし、読む側にも責任がある。


 表面だけで読まない。

 文脈を確認する。

 切り取りに乗らない。

 怒る前に事実を見る。

 批判と攻撃を分ける。

 新しい情報が出たら修正する。

 自分の怒りが何から来ているのかを見る。


 これが必要である。


 炎上は、心理の天秤が集団化した現象である。


 個人の怒りが集まり、集団の怒りになる。

 個人の承認欲求が集まり、拡散になる。

 個人の正義感が集まり、断罪になる。

 個人の攻撃欲が集まり、集団暴力になる。

 個人のストレス発散が集まり、誰か一人へ向かう。

 個人の誤読が集まり、誤った炎上になる。


 だから、炎上を理解するには、個人の心理と集団の構造を同時に見る必要がある。


 炎上は単なる正義ではない。


 怒り、承認、娯楽、集団参加、攻撃欲、正義感、ストレス発散が混ざり合って発生する。


 されど、炎上には正しい炎上と誤った炎上がある。


 正しい炎上は、事実と文脈に基づき、問題ある行動や発言に対して妥当な責任を問う。

 誤った炎上は、切り取り、誤読、過剰反応、集団攻撃、娯楽化、攻撃欲によって、本来以上の悪を作り出す。


 その違いを見分けるためには、発言意図の正確な読み取りが必要である。


 表面の言葉だけを見るのではなく、文脈、対象、条件、段階、比喩か厳密な主張か、説明か正当化か、怒りか制度提案かを分ける必要がある。


 そして、それは心理の天秤である程度判断できる。


 炎上する側の天秤。

 炎上される側の天秤。

 怒りの重さ。

 承認の重さ。

 攻撃欲の重さ。

 正義感の重さ。

 事実確認の軽さ。

 文脈理解の軽さ。

 責任追及と娯楽化の境界。


 これらを見ることで、その炎上が何によって動いているのかは見えてくる。


 炎上を読むとは、誰かを叩く側に回ることではない。


 その怒りが正しいのか、誤っているのか。

 その批判は必要なのか、過剰なのか。

 その発言は本当に悪意なのか、誤読なのか。

 その集団行動は責任追及なのか、攻撃欲の発散なのか。


 それを見極めることである。


 炎上の天秤を読めなければ、人は簡単に集団の怒りに飲まれる。


 炎上の天秤を読めるなら、怒るべき時に怒り、止まるべき時に止まり、批判すべきものを批判し、誤読による攻撃には加わらない判断ができるようになる。


 それが、ネット社会で人間の行動を読むために必要な視点である。


ミナ「今回の話、前のネット社会の話とかなりつながってるよね」


レン「うん。前回は、ネットによって匿名性、承認欲求、怒り、正義感、拡散性、メディア不信が強くなった話だった。今回は、その重りが一つの対象に集まった時に起きる現象だね」


ミナ「それが炎上」


レン「そう。炎上は、ネット社会の天秤が集団化したものだと思う」


ミナ「集団化した天秤……。一人ひとりの怒りとか正義感とか承認欲求が、同じ方向に乗る感じ?」


レン「かなり近い。一人なら小さな批判でも、何千人、何万人が同じ方向へ傾くと、巨大な圧力になる」


ミナ「炎上って、正義の怒りみたいに見える時もあるけど、本文ではそれだけじゃないって言ってたね」


レン「そこが重要だね。炎上には正義感がある。でも、それだけではない。怒り、承認欲求、娯楽、集団参加、攻撃欲、ストレス発散も混ざる」


ミナ「でもさ、本当に悪いことをした人が炎上する場合もあるよね?」


レン「もちろんある。だから、炎上を全部悪いとは言えない。不正、差別、隠蔽、搾取、権力の乱用があった時、それに批判が集まることには意味がある」


ミナ「隠されていた問題が表に出るとか、被害者の声が広がるとか」


レン「そう。企業や政治家や有名人の責任が問われることもある。そういう炎上は、社会的な責任追及として機能する場合がある」


ミナ「じゃあ、正しい炎上もある」


レン「ある。ただし、正しい炎上でも、途中から変質することがある」


ミナ「最初は責任追及だったのに、途中から攻撃になるみたいな?」


レン「うん。最初は問題点の指摘だった。でも、途中から人格否定になる。最初は被害者救済だった。でも、途中から相手が苦しむ様子を見たいだけになる。最初は再発防止だった。でも、途中から社会的に潰すことが目的になる」


ミナ「炎上って、始まりと終わりで天秤が変わるんだね」


レン「そう。だから、一度正しいと思った炎上でも、ずっと正しいとは限らない。途中で怒りや娯楽や攻撃欲の重りが大きくなることがある」


ミナ「たしかに、謝罪しても止まらない炎上ってあるよね」


レン「ある。謝罪や訂正が出ても、攻撃が止まらない場合、もう目的が問題解決ではなくなっている可能性がある」


ミナ「責任を問うんじゃなくて、苦しませることが目的になっている」


レン「そう。それは責任追及ではなく、私刑に近づく」


ミナ「私刑って言うと重いけど、ネットだと本当に起こるよね」


レン「起こる。一人ひとりは軽い一言のつもりでも、受ける側には大量の言葉が一気に向かう。小石を一つ投げているつもりでも、集団になれば石の雨になる」


ミナ「その例え、分かりやすいけど怖いね」


レン「炎上はそれくらい圧力が強い。しかも、投げた本人は自分の一言の重さを軽く見やすい」


ミナ「『みんなも言ってるし』『自分の一言くらい』ってなる」


レン「そう。集団参加は、個人の責任感を薄める。自分一人の攻撃ではなく、社会の怒りに参加しているように感じるからね」


ミナ「でも、多数派に乗ってるから正しいとは限らない」


レン「その通り。集団が誤読していることもある。切り取りに乗っていることもある。まだ事実確認が足りないのに、結論だけが先に広がっていることもある」


ミナ「炎上って、速いもんね。事実確認より感情の方が先に走る」


レン「ネットでは、怒りの方が速い。怒りは反応を生むし、反応は拡散を生む。慎重な確認より、強い断定の方が広がりやすい」


ミナ「前回の話と同じだ。ネットでは、強い言葉が天秤で重くなりやすい」


レン「そうだね。炎上はその典型だと思う」


ミナ「でも、炎上している対象が本当に悪い場合は、強く言う必要もあるんじゃない?」


レン「ある。問題は、強く言うこと自体ではない。事実と文脈に基づいて、妥当な範囲で責任を問えているかどうかだね」


ミナ「妥当な範囲?」


レン「たとえば、企業が不正を隠したなら、企業の説明責任を問うのは妥当だと思う。でも、社員の家族まで攻撃するのは違う。有名人が差別的発言をしたなら、その発言を批判するのは妥当かもしれない。でも、人格全体を永久に否定し続けるのは別問題になる」


ミナ「問題を批判することと、人間ごと潰すことは違う」


レン「そう。責任追及は対象と範囲を見ようとする。私刑は怒りと報復で広がる」


ミナ「じゃあ、炎上を見た時は、まず何を見るべきなの?」


レン「最初に見るべきなのは、事実と文脈だね」


ミナ「出た、文脈」


レン「今回は特に大事だよ。炎上では、発言の一部だけが切り取られやすい。その一文だけを見ると悪く見える。でも、前後を読むと意味が変わることがある」


ミナ「たとえば、比喩だったのに本気の主張として読まれるとか」


レン「そう。冗談、比喩、感情表現、制度提案、反論、皮肉、限定条件つきの話。これらを分けずに読むと誤読が起きる」


ミナ「このシリーズでずっと言っている、表面語だけで判断しないってやつだね」


レン「うん。今回の炎上は、その総合問題に近い」


ミナ「総合問題?」


レン「予測は仮説として扱う。体調や感情で天秤が揺れる。言葉と行動のズレを見る。文化や環境も見る。ネットでは匿名性や承認欲求も見る。そして炎上では、それらが集団で一気に動く」


ミナ「たしかに、今までの話がかなり乗ってる」


レン「だから炎上は難しい。単に『怒っている人たちが正しい』とも、『炎上する側が被害者』とも言えない」


ミナ「両方見る必要があるんだ」


レン「そう。炎上している側の天秤と、炎上されている側の天秤を見る」


ミナ「炎上している側は、何に怒っているのか。正義感なのか、承認欲求なのか、娯楽なのか、攻撃欲なのか」


レン「うん。そして炎上されている側は、なぜその発言や行動をしたのか。無知なのか、配慮不足なのか、悪意なのか、冗談なのか、構造的な問題提起なのか、責任逃れなのか」


ミナ「どっちか片方だけ見ると雑になるね」


レン「そう。炎上している側だけを見れば、『ネット民は怖い』で終わる。炎上されている側だけを見れば、『悪いことをしたのだから叩かれて当然』で終わる」


ミナ「でも、実際には炎上の中身を見ないといけない」


レン「うん。正しい批判なのか、誤読なのか。責任追及なのか、娯楽化した攻撃なのか。被害者救済なのか、ストレス発散なのか」


ミナ「ストレス発散って、認めたくないけどあるよね」


レン「あると思う。仕事や生活や政治や社会への不満を抱えている時に、分かりやすい怒りの対象が出ると、そこへ感情が乗りやすい」


ミナ「その人の問題以上の怒りが向かう」


レン「そう。相手の発言一つに怒っているようで、実際には自分の過去の不満、社会への不満、似た経験への怒りが上乗せされていることがある」


ミナ「炎上対象が、みんなの怒りを受ける器みたいになるんだ」


レン「かなり危険な状態だね。本来その人が背負うべき責任以上のものまで背負わされる」


ミナ「それは正しくない」


レン「うん。責任は問うべきだけど、過剰に背負わせてはいけない」


ミナ「でも、炎上してる時って、そこまで冷静に見られないよね」


レン「だからこそ、炎上の天秤を見る必要がある。自分が何に怒っているのかを見る。相手の実際の問題に怒っているのか、自分の別の怒りを乗せていないかを見る」


ミナ「怒っている自分の天秤を見るわけか」


レン「そう。炎上を見る時、自分は安全な場所にいる。だから攻撃の重さを軽く見やすい」


ミナ「相手の顔も生活も見えないしね」


レン「うん。ネットでは相手が文字列になりやすい。相手にも仕事があり、家族があり、生活があり、傷つく心があることを忘れやすい」


ミナ「でも、有名人や企業相手だと、もっと忘れやすそう」


レン「そうだね。大きな対象ほど、個人の痛みが見えにくくなる。企業批判なら必要な場面もあるけど、そこで働く無関係な人まで巻き込むと別問題になる」


ミナ「炎上には範囲が必要なんだ」


レン「必要だね。誰の、どの行動に、どこまで責任を問うのか。それを見ないと、怒りが無制限に広がる」


ミナ「正しい炎上の条件って、本文では事実確認、文脈確認、被害の具体性、責任範囲、無関係な人を巻き込まないこと、謝罪や改善を評価する余地があること、だったよね」


レン「そう。そこがあるなら、社会的批判として意味を持つ可能性が高い」


ミナ「逆に、誤った炎上は?」


レン「切り取り、誤読、事実確認不足、悪意の読みすぎ、問題の大きさに対して過剰攻撃、無関係な人への攻撃、謝罪後も修正しない、娯楽化や攻撃欲が中心になること」


ミナ「こうして並べると、かなり違うね」


レン「違う。でも、炎上している最中は混ざる」


ミナ「正しい怒りの中に、承認欲求や娯楽も混ざる」


レン「そう。だから、完全に綺麗な炎上は少ないと思う。大事なのは、どの重りが中心になっているかを見ることだね」


ミナ「中心の重りか」


レン「問題解決が中心なのか。被害者救済が中心なのか。責任追及が中心なのか。それとも、相手を傷つけること、注目を集めること、皆で叩くことが中心になっているのか」


ミナ「そこを見ると、炎上の質が見えてくる」


レン「そう思う」


ミナ「でもさ、発言意図を正確に読むって、簡単じゃないよね」


レン「簡単ではない。だから、断定しすぎないことが大事になる」


ミナ「『この文脈ならこう読むのが自然。でも、もしこういう意味なら評価は変わる』みたいな?」


レン「まさにそれだね。ミナはもうこのシリーズの読み方がかなり身についている」


ミナ「今のは褒められていいやつ?」


レン「かなり褒めてる」


ミナ「じゃあ受け取っておく」


レン「ミナの言い換えは、読者側が迷いやすいところをよく拾っているからね」


ミナ「……そういう褒め方、ちょっとずるい」


レン「ずるい?」


ミナ「普通に嬉しくなる」


レン「それなら成功かな」


ミナ「炎上の話してるのに、軽く私を燃やしに来ないで」


レン「燃やすつもりはないよ。温めるくらいならあるけど」


ミナ「その言い方は、やや危険」


レン「文脈確認をお願いしたいところだね」


ミナ「都合よく本文を使うな」


レン「ごめん」


ミナ「素直でよろしい」


レン「炎上も、これくらいで止まればいいんだけどね」


ミナ「ああ、たしかに。謝ったら止まる余地があるかどうかって大事だね」


レン「うん。批判の目的が改善なら、謝罪や訂正や再発防止を評価する余地がある。でも、相手を痛めつけることが目的になっていると、何をしても許されない」


ミナ「謝罪がゴールじゃなくて、新しい燃料になる時もある」


レン「そう。『謝り方が悪い』『本心じゃない』『もっと謝れ』と続く。もちろん謝罪が不十分な場合もあるけど、無限に要求が増えるなら、それは責任追及から外れている可能性がある」


ミナ「炎上って、終わり方も見ないといけないんだね」


レン「そう。正しい炎上には、改善や再発防止という出口がある。誤った炎上には、出口がなくなる」


ミナ「ずっと燃やし続ける」


レン「うん。燃やすこと自体が目的になる」


ミナ「それはもう正義じゃないね」


レン「正義の形をした攻撃だと思う」


ミナ「じゃあ、自分が炎上を見た時にできることは?」


レン「まず、すぐ乗らないこと」


ミナ「一呼吸置く」


レン「うん。元の発言を見る。前後の文脈を見る。誰が最初に広めたのかを見る。切り取りではないか確認する。批判の対象と範囲を分ける。新しい情報が出たら修正する」


ミナ「それでも怒るべきなら怒る?」


レン「もちろん。怒るべき時に怒らないと、不正や加害が放置される。ただし、怒る時も、何に怒っているのかを明確にする必要がある」


ミナ「相手の行動に怒るのか、人格全体を潰すのかは違う」


レン「そう。そこを分けるだけで、批判はかなり変わる」


ミナ「発言者側も気をつける必要があるよね」


レン「ある。ネットでは言葉が広がる。だから、影響力がある人ほど、自分の言葉がどう読まれるかを考える必要がある」


ミナ「でも、読む側が悪意を持って切り取ることもある」


レン「ある。だから発信者が全てを防ぐことはできない。ただ、誤読されやすい表現を避ける、条件を明確にする、比喩なのか主張なのか分かるようにする、という努力はできる」


ミナ「結局、書く側も読む側も、天秤を見る必要がある」


レン「そうだね」


ミナ「炎上って、ネット社会の怖さが全部詰まってる感じがする」


レン「匿名性でブレーキが弱くなる。承認で強い言葉が報酬になる。怒りで文脈が軽くなる。正義感で攻撃が正当化される。集団参加で責任が薄まる。拡散性で影響が大きくなる」


ミナ「そして、ストレス発散や娯楽まで乗る」


レン「うん。だから炎上は、単なる正義でも単なる悪意でもない。複数の重りが一気に乗った現象なんだ」


ミナ「そこを読めないと、自分も簡単に燃やす側に回る」


レン「そう。炎上を見る時に大事なのは、どちら側に立つかを急ぐことではない。何が起きていて、どの重りが強くなっているかを見ることだと思う」


ミナ「叩く側に乗る前に、天秤を見る」


レン「うん」


ミナ「炎上されてる側をかばうためじゃなくて、炎上そのものを正確に見るため」


レン「その通り。誤った炎上に加わらないことは、加害に加担しないことでもある。逆に、正しい批判を避けすぎないことは、被害や不正を放置しないことでもある」


ミナ「怒らないのが正解でもないし、怒れば正義でもない」


レン「うん。怒りを使うには、事実と文脈と範囲が必要になる」


ミナ「炎上の天秤って、かなり実用的だね」


レン「そうだと思う。ネットで生きる以上、避けて通れない」


ミナ「炎上しているものを見た時、『これは正しい怒りなのか、誤読なのか、娯楽化した攻撃なのか』って考える」


レン「それだけで、かなり違う」


ミナ「でも、そういう人は伸びなさそう」


レン「慎重な人は、ネットでは目立ちにくいからね」


ミナ「レン、やっぱり伸びなさそう」


レン「ミナにだけ伝わればいいかな」


ミナ「またそういうことを言う」


レン「炎上しない範囲で」


ミナ「それは炎上じゃなくて、私の処理能力の問題」


レン「じゃあ、負担にならない程度にするよ」


ミナ「そこはちゃんと調整して」


レン「うん。ミナの天秤に余計な重りを乗せすぎないようにする」


ミナ「……そういう言い方をされると、ちょっと許したくなるから困る」


レン「それは良い傾き?」


ミナ「判定保留」


レン「厳正な審査だね」


ミナ「炎上の話をした後だからね。判定は慎重にいきます」


レン「それが一番いいと思う」


ミナ「じゃあ、今回の話はこうかな。炎上は、怒りだけじゃなくて、正義感、承認、娯楽、集団参加、攻撃欲、ストレス発散が混ざった集団の天秤」


レン「うん。そして、正しい炎上と誤った炎上を分けるには、事実、文脈、意図、被害、責任範囲、批判の目的を見る必要がある」


ミナ「炎上しているから悪いとも、炎上しているから正しいとも決めつけない」


レン「そう。炎上は、社会の怒りが見える場所であると同時に、人間の攻撃性が正義の形で出る場所でもある」


ミナ「だから、怒るべき時には怒る。でも、燃やすことが目的になっていないかを見る」


レン「うん。怒りを持つことと、怒りに飲まれることは違う」


ミナ「ネット社会では、その差がかなり大事だね」


レン「そうだね。炎上の天秤を読める人は、怒る時にも止まる時にも、自分の判断を持てる」


ミナ「集団の熱に乗るんじゃなくて、自分の天秤で見る」


レン「それが、今回持ち帰ってほしい視点だと思う」

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