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【心理の天秤】――人間理解による行動予測  作者: 天秤座
第7章:集団と社会の天秤
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第40話 会社の天秤


 会社は、利益を出すための組織である。


 商品を作る。

 サービスを提供する。

 売上を上げる。

 人を雇う。

 給料を払う。

 取引先と関わる。

 組織を維持する。


 そのため、会社では利益が重くなる。


 これは当然である。


 利益がなければ会社は続かない。会社が続かなければ、従業員の雇用も守れない。どれほど理想を語っても、収益がなければ組織は維持できない。


 だから、会社の天秤には利益が乗る。


 しかし、会社の天秤に乗るものは利益だけではない。


 効率。

 責任回避。

 上司の評価。

 現場の負担。

 組織の都合。

 人件費。

 納期。

 顧客対応。

 社内の序列。

 管理職の保身。

 会社の評判。

 退職者を出したくない都合。

 問題を表に出したくない空気。


 これらも、会社の天秤に乗る。


 会社では、正しさよりも、組織維持や責任回避が重くなることがある。


 ここが、会社という集団の難しさである。


 個人で考えれば、正しいことは分かりやすい場合がある。


 人員が足りないなら増やすべきである。

 現場が限界なら負担を減らすべきである。

 事故が起きたなら原因を調べるべきである。

 ミスが多いなら仕組みを改善すべきである。

 不正があるなら止めるべきである。

 パワハラがあるなら対応すべきである。

 無理な業務量なら見直すべきである。


 しかし、会社の天秤では別の重りが乗る。


 人を増やせば人件費が増える。

 現場の負担を認めれば、管理側の責任になる。

 事故原因を調べれば、誰かのミスや管理不足が見える。

 仕組みを改善するには時間と金がかかる。

 不正を認めれば会社の評判が傷つく。

 パワハラを認めれば上司の責任になる。

 業務量の無理を認めれば、今までの運用が間違っていたことになる。


 こうして、正しい改善より、問題を小さく見せる方向へ傾くことがある。


 会社の中では、利益と効率が強い。


 少ない人数で回したい。

 短い時間で終わらせたい。

 人件費を抑えたい。

 手間を減らしたい。

 生産性を上げたい。

 余計な工程を削りたい。


 これらは、会社としては自然な判断である。


 しかし、効率が重くなりすぎると、現場の限界が軽く見られる。


 人が足りない。

 休憩が取れない。

 確認作業が雑になる。

 新人教育に時間を使えない。

 記録や報告が後回しになる。

 安全確認が形式だけになる。

 現場の人間が常に焦っている。


 こうなると、効率化ではなく、現場への負担移しになる。


 効率は必要である。


 だが、現場が壊れる効率は効率ではない。


 単に、見えない場所へ無理を押しつけているだけである。


 会社では、上司の評価も重くなる。


 上司に良く見られたい。

 怒られたくない。

 評価を下げられたくない。

 出世に響かせたくない。

 問題を自分の部署で止めたい。

 上に悪い報告をしたくない。


 こうした重りが、管理職や社員の心理の天秤に乗る。


 すると、事実より報告の見え方が重くなる。


 問題が起きているのに、軽く報告する。

 現場が限界なのに、何とか回っていると言う。

 本当は危険なのに、大丈夫だと伝える。

 ミスの原因を仕組みではなく個人に押しつける。

 上司に都合のよい情報だけを上げる。


 これは、会社の中でよく起こる。


 上司の評価を守るために、現実が歪む。


 そして、歪んだ情報をもとに上層部が判断する。


 その結果、現場はさらに苦しくなる。


 会社の天秤では、責任回避も非常に重い。


 誰の責任か。

 誰が判断したのか。

 誰が報告しなかったのか。

 誰が確認しなかったのか。

 誰が止めるべきだったのか。


 会社では、問題が起きると責任が問われる。


 そのため、人は責任を避けようとする。


 自分が決めたことにしない。

 会議で決まったことにする。

 上の指示だったことにする。

 現場の判断だったことにする。

 前任者からそうだったことにする。

 マニュアルに書いていなかったことにする。

 個人の注意不足だったことにする。


 こうして、責任が分散される。


 責任回避が強い会社では、問題解決より責任逃れが優先される。


 なぜ起きたのか。

 どうすれば防げるのか。

 誰を支援すべきなのか。

 どの仕組みを変えるべきなのか。


 本来見るべきものが軽くなり、


 誰のせいにするか。

 どこまで表に出すか。

 どう報告するか。

 どの表現なら責任が軽く見えるか。


 こうしたものが重くなる。


 これは、会社を腐らせる。


 現場の負担も、会社の天秤に乗る。


 しかし、現場の負担は軽く扱われやすい。


 なぜなら、現場の負担は見えにくいからである。


 上から見ると、仕事は回っているように見える。

 数字上は問題ないように見える。

 納期は守られている。

 大きな事故は起きていない。

 顧客からの苦情も少ない。

 だから大丈夫だと判断される。


 しかし、実際には現場が無理をしているだけの場合がある。


 休憩を削っている。

 確認を急いでいる。

 新人教育を犠牲にしている。

 誰か一部の有能な人が穴を埋めている。

 現場リーダーが個人的な努力で回している。

 誰かが限界を超えて我慢している。

 ミスやヒヤリハットが表に出ていない。


 表面上は回っている。


 だが、内側では壊れかけている。


 会社の怖さは、現場の我慢が組織の成功として扱われることにある。


 人手不足でも回った。

 無理な納期でも間に合った。

 少ない人数でも何とかできた。

 残業すれば終わった。

 現場が頑張れば大丈夫だった。


 こうして、無理が標準になる。


 一度無理をして成功すると、次も同じ無理を求められる。


 現場の努力が、改善ではなく搾取の根拠になることがある。


 これは、会社の天秤が現場の負担を軽く見ている状態である。


 組織の都合も重い。


 会社には、会社としての都合がある。


 今さら変えられない。

 前例がない。

 上層部が認めない。

 他部署との調整が面倒である。

 顧客との契約がある。

 予算がない。

 人を増やせない。

 今は繁忙期だから後にする。

 問題を認めると大きな対応が必要になる。


 こうした理由で、正しい改善が先送りされる。


 個人で見れば、改善した方がよい。

 しかし、組織としては変えたくない。


 この矛盾が起きる。


 会社は、変化を嫌うことがある。


 なぜなら、変化には責任とコストが伴うからである。


 仕組みを変えれば、誰かが決めなければならない。

 新しい手順を作れば、教育しなければならない。

 人を増やせば、金がかかる。

 不正を正せば、過去の責任が問われる。

 現場の訴えを認めれば、管理側の失敗が見える。


 だから、組織維持が重くなる。


 現状を続ける方が楽である。

 問題を小さく扱う方が楽である。

 現場に頑張らせる方が楽である。

 声を上げる人を面倒な人間として扱う方が楽である。


 これが、腐敗した会社の天秤である。


 腐敗した会社では、正しい人ほど苦しくなる。


 問題に気づく人。

 改善しようとする人。

 現場の負担を正確に見る人。

 記録や報告をしっかり行う人。

 安全や品質を軽く見ない人。

 上に都合の悪い事実も伝えようとする人。


 こういう人は、本来なら会社にとって重要である。


 しかし、腐敗した環境では邪魔者になることがある。


 なぜなら、見たくない現実を見せるからである。


 問題を指摘する人は、空気を乱す人間として扱われる。

 改善を求める人は、面倒な人間として扱われる。

 正確な報告をする人は、組織の都合を考えない人間として扱われる。

 安全や品質を重視する人は、効率が悪い人間として扱われる。

 現場の限界を言う人は、根性が足りない人間として扱われる。


 こうなると、会社は腐る。


 正しい情報が上がらない。

 改善意識のある人が離れる。

 残った人は黙る。

 無理が標準になる。

 責任逃れが習慣になる。

 弱い立場の人間に負担が偏る。


 そして、ある時に事故、離職、炎上、不正発覚として表に出る。


 ただし、現代ではこの構造に変化が起きている。


 ネットによる情報過多社会になったことで、部下の知識量が大きく変わった。


 昔は、会社の中の常識が絶対に見えやすかった。


 上司が言うならそうなのだろう。

 会社とはそういうものなのだろう。

 社会人なら我慢するべきなのだろう。

 皆が耐えているなら自分も耐えるべきなのだろう。

 辞めたら逃げなのだろう。

 労働法や制度のことはよく分からない。

 他社がどうなのか分からない。


 こうした状態では、会社側の天秤が強かった。


 社員は情報を持っていない。

 比較対象を持っていない。

 相談先を知らない。

 自分の苦しさが異常なのか普通なのか判断しにくい。


 だから、腐敗した環境でも我慢してしまいやすかった。


 しかし、現代では違う。


 ネットで調べれば、労働法、パワハラ、ブラック企業、退職代行、労働基準監督署、失業給付、転職市場、メンタルヘルス、社内不正、内部告発、企業口コミなどの情報に触れられる。


 もちろん、ネット情報には誤りもある。極端な意見もある。感情的な投稿も多い。すべてを鵜呑みにすれば危険である。


 それでも、情報に触れられることの意味は大きい。


 会社の言っていることが本当に正しいのか。

 自分の働き方は異常ではないのか。

 この上司の言動はパワハラではないのか。

 この残業量は普通なのか。

 この契約や待遇はおかしくないのか。

 他の会社ではどうなのか。

 辞めても本当に人生が終わるわけではないのか。


 こうした比較ができるようになった。


 部下の心理の天秤に、知識が乗るようになったのである。


 これは、会社腐敗構造への大きな対策になっている。


 会社は、情報格差によって人を支配しやすかった。


 社員が知らなければ、会社の言葉を信じるしかない。

 社員が比較できなければ、自分の環境が異常だと気づけない。

 社員が制度を知らなければ、相談や離脱の選択肢を持てない。

 社員が退職後の道を知らなければ、会社にしがみつくしかない。


 しかし、情報が増えると、社員は会社を相対化できる。


 この会社だけが世界ではない。

 この上司の言うことが絶対ではない。

 我慢し続けることが美徳とは限らない。

 壊れる前に離れる選択肢がある。

 問題を記録し、相談する方法がある。

 会社の都合と自分の人生は別である。


 この理解が広がった。


 特に大きいのは、腐敗した環境で我慢することが、自分を潰すことだと知られるようになったことである。


 昔は、我慢が美徳として扱われやすかった。


 辛くても続ける。

 上司に従う。

 会社に尽くす。

 多少の理不尽は耐える。

 辞めるのは弱さ。

 苦労すれば成長する。


 そういう価値観があった。


 もちろん、我慢が必要な場面はある。仕事には苦しい時期もある。すぐ辞めればよいわけでもない。一定の責任感や継続力は必要である。


 しかし、腐敗した環境での我慢は別である。


 人員不足を放置する会社。

 責任を現場に押しつける会社。

 不正やパワハラを隠す会社。

 改善提案を潰す会社。

 弱い立場の人間に負担を集中させる会社。

 現場の限界を根性論で処理する会社。

 正しい報告を嫌う会社。


 こういう環境で我慢し続けると、自分が壊れる。


 身体を壊す。

 心を壊す。

 判断力を失う。

 自尊心を削られる。

 怒りや諦めが蓄積する。

 正常な環境の感覚を失う。

 転職する気力すら失う。

 自分が悪いのだと思い込む。


 腐敗した会社に適応しすぎると、自分の天秤まで歪む。


 無理が普通になる。

 理不尽が普通になる。

 上に逆らえないことが普通になる。

 自分の限界を無視することが普通になる。

 助けを求めないことが普通になる。


 これは危険である。


 だから、現代では「辞める」という選択肢の価値も見直されている。


 逃げることは負けではない。

 壊れる前に離れることは防衛である。

 腐敗した環境を変えられないなら、距離を置くことも合理である。

 会社のために自分の人生を犠牲にする必要はない。

 職場は人生の一部であって、人生そのものではない。


 この考え方が広がった。


 これは、部下側の天秤に新しい重りが乗ったということである。


 昔は、会社に残る重りが強かった。


 生活不安。

 世間体。

 転職への恐怖。

 情報不足。

 我慢の美徳。

 上司への服従。

 辞めることへの罪悪感。


 これらが重かった。


 しかし、現代では別の重りが乗る。


 労働法の知識。

 転職情報。

 他社比較。

 メンタルヘルスの知識。

 退職経験者の話。

 ブラック企業の構造理解。

 録音や記録の重要性。

 相談窓口の存在。

 自分を守る権利。


 これらが乗る。


 だから、会社の支配力は以前より弱まりやすくなっている。


 もちろん、すべての社員が簡単に会社から離れられるわけではない。


 生活がある。

 家族がいる。

 年齢の問題がある。

 地域に仕事が少ない場合もある。

 資格や経験が限られている場合もある。

 転職に失敗する不安もある。

 会社内で声を上げれば報復されるかもしれない。


 だから、情報があるだけで全員が自由に動けるわけではない。


 知っていることと、使えることは違う。


 しかし、知識があることで、少なくとも自分の状況を相対化できる。


 これは大きい。


 自分が悪いのではなく、環境が腐っているのではないか。

 努力不足ではなく、人員配置が異常なのではないか。

 我慢が足りないのではなく、管理が機能していないのではないか。

 辞めたい自分が弱いのではなく、職場が自分を潰しているのではないか。


 そう考えられるようになる。


 これは、心理の天秤を変える。


 会社の天秤が腐敗している時、社員側にも判断が必要である。


 改善できる会社なのか。

 声を上げれば変わる可能性があるのか。

 記録を残すべき状況なのか。

 相談先を探すべきなのか。

 異動や転職を考えるべきなのか。

 これ以上残れば心身が壊れるのか。

 自分が背負うべき責任と、会社が背負うべき責任はどこで分かれるのか。


 ここを見る必要がある。


 会社は集団である。


 だから、個人の努力だけで変えられない場合がある。


 どれだけ優秀な人でも、腐敗した組織の中では潰されることがある。どれだけ正しい意見でも、上層部が聞かなければ通らない。どれだけ現場が頑張っても、構造が変わらなければ負担は続く。


 その時、必要なのは、自分の限界を知ることである。


 改善する努力は大切である。

 しかし、自分一人で組織全体を背負う必要はない。

 責任感は大切である。

 しかし、会社の管理不足まで自分の責任にしてはいけない。

 我慢も時には必要である。

 しかし、壊れるまで我慢することは美徳ではない。


 会社の天秤を読むとは、会社の中で何が重くなっているかを見ることである。


 利益か。

 効率か。

 現場の安全か。

 社員の健康か。

 責任回避か。

 上司の評価か。

 組織の都合か。

 顧客への見え方か。

 不正を隠すことか。

 改善することか。


 そこを見る。


 良い会社では、利益と現場の健全性が両方見られる。


 利益を出す。

 しかし、人を潰さない。

 効率を上げる。

 しかし、安全や品質を削りすぎない。

 ミスを責めるだけでなく、仕組みを改善する。

 現場の声を聞く。

 責任の所在を曖昧にしない。

 問題を隠すより、早く出す方が評価される。

 人を使い捨てにしない。


 こうした会社では、社員も会社を信頼しやすい。


 腐敗した会社では逆である。


 利益を出すために人を削る。

 効率のために安全を削る。

 上司の評価のために現場を黙らせる。

 責任回避のために個人へ押しつける。

 組織の都合のために不都合な事実を隠す。

 改善提案を面倒事として扱う。

 現場の限界を根性論で処理する。


 こういう会社では、社員の心理の天秤も壊れていく。


 怒り。

 諦め。

 保身。

 沈黙。

 逃避。

 嘘。

 転職意欲。

 精神的な消耗。


 これらが重くなる。


 そして、会社から人が離れていく。


 現代では、部下や社員が情報を持つようになったことで、会社の天秤も見られるようになった。


 会社が何を重く見ているのか。

 社員を守る会社なのか。

 責任を押しつける会社なのか。

 改善する会社なのか。

 隠す会社なのか。

 人を育てる会社なのか。

 使い捨てる会社なのか。


 社員側が判断できるようになった。


 これは、会社にとっても重要である。


 腐敗した構造は、以前より隠しにくい。

 理不尽な扱いは、以前より共有されやすい。

 社員を潰す会社は、以前より人が集まりにくい。

 情報を持った部下は、ただ黙って従うだけではなくなった。


 だから、会社は変わらなければならない。


 会社の天秤で、利益、効率、組織維持だけを重く見続けるなら、社員は離れる。現場が壊れる。情報が外に出る。評判が落ちる。人材が定着しない。


 これからの会社は、社員側の知識量が増えていることを前提にしなければならない。


 部下は何も知らない存在ではない。

 社員は会社の常識だけで判断する存在ではない。

 現場は比較対象を持っている。

 若い世代ほど、我慢だけを美徳としない。

 腐敗した環境に残ることが自分を潰すと知っている。


 この変化は大きい。


 会社の天秤は、今後さらに問われる。


 利益を出すこと。

 効率を上げること。

 組織を維持すること。


 これらは必要である。


 しかし、それだけでは足りない。


 社員を潰さないこと。

 現場の負担を正確に見ること。

 問題を隠さないこと。

 責任を個人に押しつけないこと。

 改善できる仕組みを持つこと。

 部下の知識と権利を軽く見ないこと。

 腐敗した構造を放置しないこと。


 これらも、会社の天秤に乗せなければならない。


 会社では、利益、効率、責任回避、上司の評価、現場の負担、組織の都合が天秤に乗る。


 正しさよりも、組織維持や責任回避が重くなることもある。


 しかし、現代では、部下や社員の知識量が変わった。


 ネットによって情報が広がり、会社の外側の基準を知り、腐敗した環境で我慢することが自分を潰すことだと知る人が増えた。


 これは、会社の腐敗構造に対する大きな対策である。


 会社の天秤を見ることは、会社を責めるためだけではない。


 自分がその会社に残るべきか、改善を求めるべきか、距離を置くべきかを判断するためでもある。


 会社もまた、心理の天秤で動く。


 そして、その天秤が人を守る方向に傾いているのか、人を潰す方向に傾いているのかを見極めることが、現代の働く人間には必要なのである。


ミナ「今回の話って、会社が何を大切にしているかを見る話だよね」


レン「そうだね。会社は利益を出すための組織だから、利益が重くなるのは当然。でも、そこで何を一緒に天秤へ乗せているかが問題になる」


ミナ「利益だけじゃなくて、現場の安全とか、社員の健康とか、責任の取り方とか?」


レン「うん。良い会社なら、利益を見ながらも、人を潰さないこと、安全、品質、教育、改善、信頼も重く見る。逆に危ない会社は、利益や効率や上司の評価ばかり重くなって、現場の負担や社員の限界が軽くなる」


ミナ「つまり、“この会社は何を優先する会社なのか”を見る必要があるんだ」


レン「かなり核心だね。会社を見る時に大事なのは、綺麗な理念より、実際の優先順位だと思う」


ミナ「理念では『人を大切にします』って言ってても、現場が人手不足で壊れてたら、実際には人より利益や都合を重く見てるってこと?」


レン「そう。言葉では人材を大切にすると言っていても、人員不足を放置する、ミスを個人の責任にする、改善提案を面倒事として扱う、休めない空気を作るなら、その会社の天秤では社員の健康は軽い」


ミナ「会社の本音は、社訓じゃなくて運用に出るんだね」


レン「その言い方はかなり良い。会社の本音は、何か問題が起きた時に出る」


ミナ「普段じゃなくて、問題が起きた時?」


レン「うん。事故が起きた時、上は原因を調べるのか、個人の注意不足で終わらせるのか。現場が限界だと言った時、人員や仕組みを見るのか、根性論で返すのか。パワハラがあった時、被害者を守るのか、上司を守るのか」


ミナ「ああ、会社の天秤がどっちに傾くかが見える」


レン「そう。利益が必要なのは当然。でも、その利益を出すために何を削る会社なのかを見る必要がある」


ミナ「時間を削るのか、人員を削るのか、安全を削るのか、現場の心を削るのか」


レン「そういうこと。削ってはいけないものまで削ると、会社は短期的には回っても、長期的には壊れていく」


ミナ「本文の“現場の我慢が組織の成功として扱われる”って、かなり痛いところだよね」


レン「会社ではよくある構造だね。少ない人数で回った。無理な納期でも間に合った。休憩を削って終わらせた。すると、上からは“できる”と見えてしまう」


ミナ「でも実際は、できたんじゃなくて、誰かが削られただけ」


レン「そう。会社の天秤では、表面上の結果が重くなり、そこに至る現場の負担が軽く見られることがある」


ミナ「じゃあ、社員側はどう見ればいいの?」


レン「一番大事なのは、自分が許容できる範囲かどうかだと思う」


ミナ「許容できる範囲?」


レン「どんな会社にも負担はある。忙しい時期もあるし、納期もあるし、顧客対応もある。完全に楽で、理不尽が一切なくて、常に理想的な会社はほとんどない。だから問題は、負担があるかどうかではなく、その負担が自分にとって許容範囲かどうか」


ミナ「なるほど。少し大変だから悪い会社、とは限らない」


レン「そう。仕事には責任があるからね。ただ、限度を超えると別の話になる」


ミナ「たとえば、休めない、人が足りない、相談しても変わらない、ミスが起きても仕組みを直さない、全部現場のせいにされる、とか?」


レン「そのあたりは危険信号だね。自分の努力で一時的に耐えられる範囲なのか、構造としてずっと削られ続けるのかを分ける必要がある」


ミナ「一時的な繁忙期と、慢性的な無理は違う」


レン「そう。忙しい時期があっても、終わった後に休める、改善される、人を増やす、感謝や評価があるならまだ違う。でも、常に無理で、無理が普通になっていて、声を上げる人が面倒扱いされるなら、その会社の天秤はかなり危ない」


ミナ「自分が許容できるかを見るって、我慢強さの問題じゃないんだね」


レン「うん。我慢できるかではなく、我慢し続けた時に自分の天秤が壊れないかを見るべきだね」


ミナ「自分の天秤が壊れる?」


レン「無理が普通になる。理不尽を受け入れすぎる。自分の限界を軽く見る。会社の責任まで自分の責任だと思い込む。辞める気力すらなくなる。そうなると、判断そのものが歪んでいく」


ミナ「会社に適応しすぎて、自分の方が会社仕様に壊れていくんだ」


レン「そう。腐敗した会社に長くいると、腐敗した環境を普通だと思ってしまうことがある」


ミナ「怖いね。でも、時代によって会社への考え方って違うよね」


レン「そこはかなり重要だね。昔の会社観と現代の会社観では、天秤に乗る重りが違う」


ミナ「昔は、会社に尽くすとか、我慢するとか、長く勤めるとかが重かったイメージ」


レン「そうだね。特に終身雇用や年功序列が強かった時代は、会社に残ること自体が大きな利益だった。多少の理不尽があっても、長く勤めれば給料や地位が上がる見込みがあった。会社も社員の人生をある程度抱える側面があった」


ミナ「その時代なら、我慢の重さにも一応理由があったんだ」


レン「うん。もちろん、その時代にも問題はあった。でも、“会社に耐える代わりに、会社が長期的に面倒を見る”という交換がある程度成立していた場面はあった」


ミナ「でも今は、その交換が崩れている?」


レン「かなり崩れていると思う。非正規雇用、転職市場、成果主義、外部委託、人件費削減、将来不安。会社が社員を一生守るとは限らない。なのに、社員側だけ昔のような忠誠や我慢を求められると、天秤が釣り合わない」


ミナ「ああ、会社は昔ほど守らないのに、社員には昔みたいに尽くせって言うなら不公平だね」


レン「そう。そこが現代の大きなズレだと思う」


ミナ「じゃあ、上の世代と若い世代で考え方が違うのも当然か」


レン「当然だね。上の世代は、会社に耐えることで得られたものを見ている場合がある。若い世代は、耐えても報われる保証が薄い現実を見ている」


ミナ「上の世代から見ると、若い人は我慢が足りないように見える」


レン「若い世代から見ると、上の世代は会社に縛られすぎているように見える」


ミナ「どっちが正しいの?」


レン「時代条件が違う。だから、単純にどちらが正しいとは言いにくい。ただ、現代で考えるなら、昔の我慢論をそのまま使うのは危険だと思う」


ミナ「会社が社員を長期的に守る前提が弱いなら、社員も自分を守る重りを重くする必要がある」


レン「そう。現代では、会社への忠誠より、自分の健康、将来の選択肢、スキル、転職可能性、制度知識を天秤に乗せる必要がある」


ミナ「ネットで情報を得られるようになったのも大きいよね」


レン「大きい。昔は会社の中の常識が絶対に見えやすかった。でも今は、労働法、転職情報、ブラック企業の事例、退職の方法、相談窓口、企業口コミ、メンタルヘルスの知識に触れられる」


ミナ「会社の外側の基準を知れるようになった」


レン「そう。これによって社員側の天秤に、新しい重りが乗るようになった」


ミナ「“この会社だけが世界じゃない”っていう重り?」


レン「うん。それはかなり重要な重りだね」


ミナ「でも、情報があればすぐ辞められるってわけじゃないよね」


レン「もちろん。生活費、家族、年齢、地域の仕事の少なさ、資格や経験、転職への不安。そういう重りもある。だから、知っていることと選べることは違う」


ミナ「前の教育の話にも近いね。知識は選択肢を増やすけど、実行できる環境が必要」


レン「そう。会社編でも同じ。退職や相談の知識があっても、生活の足場がなければ動きにくい。でも、知らないよりは確実に天秤が変わる」


ミナ「じゃあ、会社を見る時は、自分側の条件も見ないといけないんだね」


レン「そう。会社が危ないかどうかだけでなく、自分がその環境をどこまで受け止められるか。生活上、どれくらい選択肢があるか。改善できる立場なのか。離れる準備があるのか。そこも含めて見る必要がある」


ミナ「許容範囲って、人によって違うもんね」


レン「かなり違う。残業が多少あっても平気な人もいる。人間関係のストレスに弱い人もいる。収入を重く見る人もいれば、時間や健康を重く見る人もいる。責任ある仕事にやりがいを感じる人もいれば、安定した作業を好む人もいる」


ミナ「だから、“この会社は良い会社か悪い会社か”だけじゃなくて、“自分の天秤と合う会社か”を見る必要がある」


レン「とても良い言い方だね。会社の天秤と、自分の天秤の相性を見るということだね」


ミナ「会社が利益重視でも、自分が高収入や成長を重く見るなら合う場合もある」


レン「うん。ただし、その場合でも健康や安全を削りすぎるなら注意が必要だね」


ミナ「逆に、安定や人間関係を重く見る人には、競争が強すぎる会社は合わないかもしれない」


レン「そう。会社に正解が一つあるというより、自分にとって許容できる優先順位かどうかが大事になる」


ミナ「でも、許容できない範囲ってどう判断すればいいの?」


レン「いくつか見る点はあると思う。まず、負担が一時的か慢性的か。次に、声を上げた時に改善の余地があるか。さらに、自分の健康や生活が壊れ始めていないか。そして、会社が問題を仕組みで見ているか、個人の根性で片づけているか」


ミナ「根性で片づける会社は危ない?」


レン「かなり危ない。根性は個人の一時的な支えにはなるけど、組織の仕組みの代わりにはならない」


ミナ「人員不足を根性で何とかしろ、安全確認を気合でやれ、ミスは注意力で防げ、みたいな?」


レン「そういう会社は、現場に無理を押しつけている可能性が高い」


ミナ「逆に良い会社は、ミスが起きた時に“誰が悪い”だけじゃなくて、“なぜ起きる仕組みだったのか”を見る?」


レン「うん。会社の成熟度はそこに出る。責任を問うことと、仕組みを直すことを両方できる会社は強い」


ミナ「会社の天秤に、責任追及だけじゃなくて再発防止も乗っている」


レン「そう。責任逃れの会社は、問題を誰かに押しつける。改善する会社は、問題を組織の学習材料にする。だから、何を大切にしているかを見る必要がある」


ミナ「会社が社員をどう扱うかも、相手が自分をどう扱うかも、優先順位に出るってこと?」


レン「そう。大切にしていると言葉で言うだけなら簡単。でも、本当に大切にしているなら、苦しい時や不利な時にも天秤に乗せる」


ミナ「会社も人間関係も、余裕がない時に本音が出るんだね」


レン「うん。会社なら、繁忙期やトラブル時に社員をどう扱うか。人間関係なら、自分が不利な時に相手をどう扱うか。そこに優先順位が出る」


ミナ「じゃあ、会社を見る目って、結局かなり人を見る目に近いんだ」


レン「近いと思う。組織も人の集まりだからね」


ミナ「今回の話を一言で言うなら、会社は利益だけじゃなく、何を削って利益を出しているかを見る必要がある」


レン「いいね。さらに言うなら、自分がその削られ方を許容できるかを見ることだね」


ミナ「会社が多少厳しくても、自分にとって納得できる厳しさなら続けられる」


レン「そう。成長のための厳しさ、繁忙期の一時的な負担、責任ある仕事の重さ。それらは許容できる人もいる」


ミナ「でも、人を使い潰す厳しさ、責任逃れのための厳しさ、現場だけに押しつける厳しさは別」


レン「そこを分ける必要がある」


ミナ「時代によっても、その許容範囲は変わるんだね」


レン「うん。昔は、長く勤めること、会社に尽くすこと、我慢することが重くなりやすかった。現代は、健康、転職可能性、権利、情報、人生全体のバランスが重くなっている」


ミナ「どっちの時代感覚で見るかによって、同じ会社でも評価が変わる」


レン「そう。だから、上の世代の我慢論をそのまま今に当てはめても危険だし、若い世代の離脱感覚だけで全てを判断しても雑になる」


ミナ「大事なのは、時代条件を見た上で、自分の天秤に合うかどうか」


レン「そうだね。会社の優先順位、自分の優先順位、時代の条件。この三つを見ると、かなり判断しやすくなる」


ミナ「会社は利益を出す場所。でも、人を潰して利益を出す会社なら、自分がそこに乗り続けるかは考えた方がいい」


レン「うん。会社の天秤が人を守る方向に傾いているのか、人を削る方向に傾いているのか。それを見ることが、働く人には必要だと思う」


ミナ「そして、自分がどこまでなら耐えられるかじゃなくて、どこまでなら納得して働けるかを見る」


レン「かなり良い締め方だね」


ミナ「ふふん。慣れてきたからね」


レン「やっぱり、ミナの言葉は届きやすい」


ミナ「また褒める」


レン「本当のことだからね」


ミナ「……じゃあ、今回は受け取っておく」


レン「うん。会社も人も、何を大切にしているかは行動に出る。だからこそ、会社の言葉だけではなく、実際に何が重く扱われているのかを見る必要がある」


ミナ「利益、効率、責任回避、現場の負担、社員の健康。それらのうち、何が一番重いのか」


レン「そして、その会社の天秤に、自分の人生をどこまで乗せてよいのか」


ミナ「それを考えるのが、会社編の大事な視点だね」

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