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【心理の天秤】――人間理解による行動予測  作者: 天秤座
第6章:善意と悪意の天秤
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第34話 嘘をつく天秤


 人は、なぜ嘘をつくのか。


 悪い人間だから。

 ずるいから。

 責任感がないから。

 相手を騙したいから。

 自分だけ得をしたいから。


 そう説明できる場合はある。


 実際、嘘には悪意あるものがある。


 相手を騙して利益を得る嘘。

 責任から逃げるための嘘。

 自分の失敗を他人に押しつける嘘。

 相手を操作するための嘘。

 信頼を利用して、相手を損させる嘘。


 こうした嘘は、明確に問題である。


 だが、人が嘘をつく理由は、それだけではない。


 人が嘘をつく時、そこには罰の回避、失望されたくない気持ち、責任逃れ、自己像の保護、相手を傷つけたくない思いなどが絡む。


 嘘の理由を理解することと、嘘を許すことは別である。


 ここを分けなければならない。


 まず、罰の回避がある。


 人は、怒られたくない時に嘘をつく。


 叱られたくない。

 責められたくない。

 罰を受けたくない。

 失敗を知られたくない。

 自分の立場を悪くしたくない。

 痛い思いや怖い思いをしたくない。


 こうした重りが心理の天秤に乗ると、正直に話すことより、嘘をついて逃れることが重くなる。


 子供が物を壊した時に、「自分ではない」と言うことがある。仕事でミスをした人が、「聞いていません」「確認したはずです」と言うことがある。約束を破った人が、「体調が悪かった」「連絡したつもりだった」と言うことがある。


 この時、本人は必ずしも相手を積極的に騙して楽しんでいるわけではない。


 怖いのである。


 責められることが怖い。

 失望されることが怖い。

 立場を失うことが怖い。

 自分が悪いと認めることが怖い。


 だから嘘をつく。


 この構造は理解できる。


 だが、理解できるからといって、その嘘が許されるわけではない。


 嘘によって、相手の判断は狂う。問題の発見が遅れる。後始末が難しくなる。周囲が余計な負担を背負う。信頼が壊れる。小さなミスで済んだものが、大きな問題へ広がることもある。


 罰を避けるための嘘は、短期的には自分を守る。


 しかし、長期的には信頼を壊す。


 次に、失望されたくない気持ちがある。


 人は、自分を大切に思っている相手ほど、失望されたくない。


 親に失望されたくない。

 友人に軽蔑されたくない。

 恋人に嫌われたくない。

 上司に能力がないと思われたくない。

 子供に情けない姿を見せたくない。

 周囲から価値の低い人間だと思われたくない。


 この重りが強くなると、人は自分をよく見せるために嘘をつくことがある。


 できないのに、できると言う。

 分かっていないのに、分かったふりをする。

 失敗したのに、問題ないと言う。

 本当は苦しいのに、大丈夫だと言う。

 本当は助けてほしいのに、平気な顔をする。


 これは、相手を騙して得をしたい嘘とは少し違う。


 自分の価値を守る嘘である。


 人は、自分が期待されている姿から外れることを恐れる。強い人間でいたい。優秀な人間でいたい。優しい人間でいたい。頼れる人間でいたい。失敗しない人間でいたい。


 その自己像が崩れそうな時、人は嘘をつくことがある。


 自己像の保護である。


 自分は悪い人間ではない。

 自分は無能ではない。

 自分は冷たい人間ではない。

 自分は失敗したわけではない。

 自分は間違っていない。


 そう思いたい。


 だから、現実を少し曲げる。


 嘘は、他人に対してつくだけではない。


 自分に対してもつく。


 本当は嫉妬しているのに、「あの人が嫌いなだけだ」と思う。

 本当は傷ついたのに、「別に気にしていない」と思う。

 本当は自分にも非があるのに、「相手が全部悪い」と思う。

 本当は怖くて逃げたのに、「合理的に距離を置いただけだ」と思う。


 こうした自己欺瞞も、心理の天秤の中では嘘の一種として見ることができる。


 人は、自分の心を守るために、自分自身へ都合のよい説明を作ることがある。


 これも理解はできる。


 だが、自分への嘘は危険である。


 自分の問題を見えなくするからである。


 自分の嫉妬を認めなければ、相手への不当な評価を続ける。自分の恐怖を認めなければ、逃げ癖を修正できない。自分の非を認めなければ、同じ失敗を繰り返す。自分の弱さを見ない人は、他人のせいにして自分を守り続ける。


 自己像を守る嘘は、短期的には心を守る。


 しかし、長期的には成長を止めることがある。


 責任逃れの嘘もある。


 これは、より問題が大きい。


 自分がやったのに、やっていないと言う。

 自分のミスなのに、相手のせいにする。

 自分が決めたのに、周囲がそう言ったことにする。

 知っていたのに、知らなかったと言う。

 止められたのに、止める方法がなかったと言う。


 責任逃れの嘘は、自分を守るだけでは終わらない。


 他人に責任を押しつけることがある。


 これは明確に悪質である。


 自分の負担を減らすために、誰かへ負担を移す。自分の評価を守るために、他人の評価を落とす。自分が罰を避けるために、他人が疑われるようにする。


 この場合、嘘は防衛反応であると同時に、加害である。


 責任逃れの嘘は、被害者を増やす。


 だから、理由を理解しても、簡単に許してはいけない。


 相手を傷つけたくない思いから出る嘘もある。


 いわゆる善意の嘘である。


 本当のことを言えば相手が傷つく。

 今伝えると相手が耐えられないかもしれない。

 相手を安心させたい。

 場を壊したくない。

 相手の努力を無駄に感じさせたくない。

 相手に希望を持たせたい。


 こうした理由で、人は嘘をつくことがある。


 たとえば、相手の料理があまり美味しくなかったとしても、「美味しかった」と言う。相手が不安そうにしている時に、「大丈夫だよ」と言う。病気の人に対して、必要以上に悲観的なことを言わない。相手の心が壊れそうな時に、事実をそのままぶつけない。


 こうした嘘は、悪意ある嘘とは違う。


 相手を傷つけないための配慮である場合がある。


 人間関係には、すべての事実をそのまま伝えればよいわけではない場面がある。正直さは大切である。しかし、正直さを理由にして、相手の心を不必要に傷つけることが正しいとは限らない。


 だから、善意の嘘というものは存在する。


 しかし、ここにも危うさがある。


 善意の嘘という言葉は、言い訳にも使えるからである。


 相手のために黙っていた。

 傷つけたくなかった。

 心配させたくなかった。

 場を壊したくなかった。

 善意で言わなかった。

 あなたのためを思って嘘をついた。


 こう言えば、どんな嘘でも優しく見える。


 だが、本当に相手のためだったのか。


 自分が責められたくなかっただけではないのか。

 面倒な説明を避けたかっただけではないのか。

 関係が壊れるのが怖かっただけではないのか。

 相手の判断権を奪っていなかったか。

 相手が知るべき情報を隠していなかったか。

 自分に都合の悪い事実を、善意という言葉で覆っていなかったか。


 ここを見なければならない。


 善意の嘘は、相手を守ることがある。

 しかし、相手から選択権を奪うこともある。


 たとえば、相手が判断するために必要な情報を隠した場合、それは本当に善意なのか。相手が傷つくからと言って大事な事実を隠し、その結果、相手が準備できず、後から大きく傷つくなら、その嘘は善意と言えるのか。


 善意の嘘かどうかは、言った側の気持ちだけでは決まらない。


 相手にとって必要な情報だったか。

 隠したことで相手に損害が出たか。

 相手の判断権を奪っていないか。

 自分の都合を善意の言葉で隠していないか。

 その嘘がなければ、相手は別の選択ができたのではないか。


 そこを見る必要がある。


 悪意のない、つまらない嘘もある。


 冗談としての嘘。

 話を盛る嘘。

 場を和ませる嘘。

 軽い見栄。

 相手を驚かせるための嘘。

 深刻な意味を持たない小さな嘘。


 こうしたものまで、すべて重罪のように扱う必要はない。


 人間関係の中には、遊びや冗談としての嘘もある。話を少し誇張して笑いを取る。相手を軽く驚かせる。冗談として、ありえない話をする。そうした嘘は、信頼関係や場の文脈があれば、大きな問題にならないこともある。


 しかし、冗談という言葉もまた、言い訳に使われることがある。


 冗談だった。

 そんなに本気にするな。

 悪気はなかった。

 笑わせようとしただけだ。

 軽い嘘だから問題ない。


 こう言って、自分の発言の責任を逃れようとする人がいる。


 冗談かどうかは、言った側だけが決めるものではない。


 相手が傷ついたなら、その影響は残る。相手を騙して不安にさせたなら、その不安は残る。冗談のつもりでも、相手の信頼を壊したなら、それは結果として問題である。


 もちろん、相手が過剰に受け取る場合もある。すべての冗談を悪意として扱うのは、それはそれで窮屈である。


 だが、「冗談だった」と言えば何でも許されるわけではない。


 悪意のない嘘でも、結果によっては問題になる。


 冗談として成立するには、相手との関係、場面、内容、程度が重要である。相手が笑える範囲なのか。相手に損害がないのか。相手の不安や弱点を利用していないか。後から本当のことを明かした時に、相手が納得できるものなのか。


 そこを見なければならない。


 嘘には、さまざまな種類がある。


 罰を避ける嘘。

 失望されたくない嘘。

 責任から逃げる嘘。

 自己像を守る嘘。

 相手を傷つけたくない嘘。

 場を整えるための嘘。

 冗談としての嘘。

 悪意ある嘘。

 相手を利用するための嘘。


 同じ嘘でも、心理の天秤に乗っている重りは違う。


 だから、嘘を見た時に必要なのは、まず分類することである。


 その嘘は、何を守るための嘘だったのか。

 誰を守るための嘘だったのか。

 誰に利益があったのか。

 誰に損害が出たのか。

 その嘘がなければ、何が起きたのか。

 相手の判断権を奪っていないか。

 同じ嘘を繰り返していないか。

 嘘をついた後、責任を取ったのか。


 ここを見る。


 嘘の中には、理解できるものがある。


 怖かったのだろう。

 失望されたくなかったのだろう。

 相手を傷つけたくなかったのだろう。

 自分の弱さを見せたくなかったのだろう。

 場を壊したくなかったのだろう。


 そう読める嘘はある。


 しかし、理解できることと、許すことは別である。


 嘘は信頼を壊す。


 一度嘘をつかれると、相手は次から疑うようになる。何を言われても、本当なのかと考える。過去の言葉まで疑わしくなる。小さな嘘でも、繰り返されれば信頼は削られる。


 信頼とは、相手の言葉をある程度信じられる状態である。


 嘘は、その土台を壊す。


 だから、嘘は軽く扱うべきではない。


 たとえ理由があっても、嘘には責任がある。


 嘘をついたなら、なぜ嘘をついたのかだけではなく、その嘘で何が壊れたのかを見る必要がある。相手の信頼を壊したのか。相手の判断を誤らせたのか。相手に損害を与えたのか。誰かに責任を押しつけたのか。


 そこを見なければ、嘘の評価はできない。


 また、嘘を許すかどうかは、嘘の理由だけでは決められない。


 その嘘は一度だけだったのか。

 繰り返されているのか。

 本人は認めたのか。

 謝罪したのか。

 再発防止を考えたのか。

 嘘による被害を埋め合わせたのか。

 次は正直に言える環境があるのか。

 それとも、また同じ場面で嘘をつくのか。


 これが重要である。


 怖くて嘘をついた人でも、次に正直に話せるよう努力するなら、関係を修復できる可能性はある。


 しかし、善意の嘘、冗談、怖かった、仕方なかったという言葉を使って、毎回責任を逃れる人なら話は違う。


 その場合、嘘は単なる防衛ではなく、習慣であり、相手を軽く扱う行動になっている。


 嘘をつく人の天秤には、何かが乗っている。


 罰への恐怖。

 失望への恐怖。

 責任の重さ。

 自己像の保護。

 相手への配慮。

 場の空気。

 承認欲求。

 保身。

 悪意。

 利益。


 それらが、正直に話すことより重くなった時、人は嘘を選ぶ。


 だが、正直に話すことが軽くなりすぎる社会は危険である。


 誰も本当のことを言わない。

 誰も責任を認めない。

 誰も問題を正確に報告しない。

 誰も自分の失敗を出さない。

 表面上だけ整い、内側で問題が広がる。


 これは、家庭でも職場でも社会でも同じである。


 嘘が増える環境には、理由がある。


 正直に言えば過剰に罰せられる。

 失敗を認めると人格まで否定される。

 責任を取る人だけが損をする。

 上の人間が嘘をついている。

 嘘をついた方が得をする。

 正直者が守られない。


 こうした環境では、嘘が心理の天秤で重くなりやすい。


 だから、嘘を減らすには、正直に言える環境も必要である。


 失敗を報告しても、必要以上に潰されない。

 嘘をつくより正直に言う方が、長期的に得になる。

 問題を早めに出した人が評価される。

 責任を認めた人が、修正の機会を得られる。

 嘘をついた人には、きちんと責任が問われる。


 こうした環境が必要である。


 正直さを求めるなら、正直さが選ばれる天秤を作らなければならない。


 ただし、正直に言える環境がないからといって、嘘が無条件に許されるわけではない。


 ここでも同じである。


 背景は見る。

 しかし、責任も見る。

 恐怖は理解する。

 しかし、被害も見る。

 善意の嘘は考慮する。

 しかし、言い訳として使われていないかを見る。

 冗談の嘘は軽さを見る。

 しかし、相手を傷つけた結果も見る。


 この両方が必要である。


 嘘の理由を理解することと、嘘を許すことは別である。


 嘘は、人間の弱さから出ることがある。

 嘘は、相手への配慮から出ることがある。

 嘘は、冗談として出ることがある。

 嘘は、悪意として出ることもある。


 だから、嘘を一つの言葉でまとめてはいけない。


 どの嘘なのか。

 何のための嘘なのか。

 誰を守ったのか。

 誰を傷つけたのか。

 その嘘は必要だったのか。

 それとも、自分に都合がよかっただけなのか。


 そこを見なければならない。


 嘘をつく天秤とは、正直に話す重りより、何か別の重りが強くなった状態である。


 罰を避けたい。

 失望されたくない。

 責任を逃れたい。

 自己像を守りたい。

 相手を傷つけたくない。

 場を壊したくない。

 笑わせたい。

 得をしたい。

 相手を利用したい。


 どの重りが乗っているかによって、嘘の意味は変わる。


 しかし、どんな理由であっても、嘘が信頼に影響することは変わらない。


 だから、嘘を読む時には、理由と結果を分けて見る必要がある。


 理由を理解する。

 結果を評価する。

 必要なら許す。

 必要なら距離を置く。

 必要なら責任を問う。

 必要なら、正直に言える環境を整える。


 それが、嘘をつく天秤を見るということである。


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