第33話 悪意も防衛反応として説明できる
悪意とは何か。
人を傷つけること。
嘘をつくこと。
責任から逃げること。
相手を攻撃すること。
自分を守るために他人を犠牲にすること。
相手の不幸を望むこと。
自分の利益のために、他人へ害を与えること。
こうしたものは、悪意として見られやすい。
実際、悪意ある行動は存在する。
人を利用する人がいる。
相手を傷つけることに快感を覚える人がいる。
自分の利益のために平気で嘘をつく人がいる。
弱い相手を狙って支配しようとする人がいる。
相手の善意につけ込む人がいる。
反省せず、同じ被害を繰り返す人がいる。
こうした積極的な悪意や悪行があることは、忘れてはいけない。
すべての悪い行動を「防衛反応だった」と説明してしまえば、被害者の現実が軽く扱われる。加害した側の責任が曖昧になる。悪意ある者が、自分の行動を環境や感情のせいにして逃げる余地を与えてしまう。
だから、悪意を見る時には、最初に線引きが必要である。
説明できることと、許されることは違う。
背景があることと、責任が消えることは違う。
防衛反応として理解できることと、積極的な加害を正当化することは違う。
その上で、人間の悪い行動の中には、防衛反応として説明できるものもある。
怒り。
逃避。
嘘。
保身。
攻撃。
これらは単なる悪ではなく、自分を守るための防衛反応として現れることがある。
たとえば、怒りである。
怒りは、外から見ると攻撃に見える。実際、怒りによって相手を傷つけることはある。怒鳴る。責める。威圧する。相手の人格を否定する。過去の失敗を持ち出す。そうした怒りは、相手に恐怖や苦痛を与える。
しかし、怒りの裏に防衛がある場合もある。
自尊心を守りたい。
軽く扱われたくない。
自分の立場を守りたい。
責められる前に責め返したい。
弱さを見せたくない。
傷ついたことを悟られたくない。
相手にこれ以上踏み込ませたくない。
こうした重りが心理の天秤に乗ると、人は怒ることがある。
怒りは、相手を攻撃するためだけではない。
自分を守るために出ることもある。
もちろん、だからといって怒りで他人を傷つけてよいわけではない。怒鳴られた相手の恐怖は残る。責められた相手の傷は残る。怒りによって関係が壊れたなら、その結果も残る。
怒りが防衛反応だったとしても、怒り方には責任がある。
逃避も同じである。
逃げる人は、無責任に見えることがある。話し合うべき場面で逃げる。説明すべき場面で黙る。失敗を認めるべき場面で姿を消す。責任を取るべき場面で他人に押しつける。
これは、悪い行動である場合がある。
しかし、逃避も防衛反応として現れることがある。
責められるのが怖い。
怒られるのが怖い。
失敗を認めたくない。
自分が壊れそうである。
どう説明していいか分からない。
向き合うだけの余裕がない。
相手が怖すぎて、話し合いにならない。
このような時、人は逃げる。
逃げることは、単なる悪ではない。
本当に危険な相手や環境から逃げることは、必要な防衛である。暴力的な相手、理不尽な職場、精神的に壊される関係から離れることは、自分を守るために重要である。
しかし、逃避が他人へ負担を押しつける形で出るなら問題になる。
自分の責任を放置する。
説明せずに相手を困らせる。
失敗の後始末を他人に任せる。
被害者に謝罪もせず逃げる。
問題が起きるたびに消える。
こうなると、逃避は防衛であると同時に、加害にもなる。
嘘も防衛反応として説明できる。
人は、自分を守るために嘘をつくことがある。
怒られたくない。
失望されたくない。
責任を負いたくない。
自分の立場を失いたくない。
本当のことを言えば関係が壊れる。
本当のことを言えば罰を受ける。
自分の弱さや失敗を見せたくない。
こうした重りが強くなると、嘘が選ばれることがある。
子供が叱られたくなくて嘘をつく。
職場でミスを隠す。
家族に心配をかけたくなくて大丈夫だと言う。
相手を傷つけたくなくて本音を隠す。
自分の失敗を認めるのが怖くて言い訳をする。
これらは、すべて同じではない。
相手を騙して利益を得る嘘もあれば、恐怖から出る嘘もある。相手を傷つけないための嘘もあれば、自分の責任を逃れるための嘘もある。嘘という行動だけで見れば同じでも、心理の天秤に乗っている重りは違う。
だから、嘘を見た時には、なぜその嘘を選んだのかを見る必要がある。
ただし、嘘の理由が分かっても、嘘による被害は消えない。
嘘によって相手の判断を誤らせたなら、責任はある。嘘によって他人に損害を与えたなら、その損害は残る。嘘によって信頼を壊したなら、壊れた信頼は簡単には戻らない。
嘘は防衛にもなる。
しかし、嘘は他人を傷つける武器にもなる。
保身もまた、防衛反応である。
人は、自分の立場を守ろうとする。
仕事を失いたくない。
信用を失いたくない。
家庭内の立場を失いたくない。
周囲から悪く見られたくない。
自分は悪くないと思いたい。
自分の自己像を守りたい。
これまで築いてきたものを壊したくない。
こうした心理は、誰にでもある。
保身そのものは、人間として自然な反応である。
しかし、保身が他人を犠牲にする形で出ると問題になる。
自分のミスを部下に押しつける。
自分の責任を認めず、相手のせいにする。
被害者を悪者にして、自分を守る。
組織の評判を守るために、問題を隠す。
謝罪すべき場面で、言い訳だけを並べる。
自分が助かるために、他人を切り捨てる。
これは、保身であると同時に悪行である。
保身の理由は理解できる。
しかし、他人を犠牲にする保身は正当化できない。
攻撃も、防衛反応として出ることがある。
人は、怖い時に攻撃することがある。追い詰められた時、先に相手を傷つけようとすることがある。責められる前に責める。見下される前に威圧する。捨てられる前に相手を否定する。自分の弱さを見られる前に、相手の弱点を突く。
攻撃は、強さの表れとは限らない。
弱さや恐怖の裏返しである場合もある。
自分が傷つきたくない。
相手に主導権を握られたくない。
自分の不安を悟られたくない。
相手に近づかれるのが怖い。
自分が悪いと認めるのが怖い。
相手に責められる前に潰したい。
こうした重りによって、人は攻撃へ傾くことがある。
だが、攻撃された側から見れば、それは被害である。
攻撃した側が怖かったとしても、攻撃された側の傷は残る。攻撃した側に過去の傷があったとしても、今傷つけられた人の痛みは別に存在する。
だから、攻撃の背景を理解することと、攻撃を許すことは別である。
ここで重要なのは、悪意には種類があるということである。
一つは、防衛反応としての悪意である。
怖いから嘘をつく。
傷つきたくないから怒る。
責められたくないから逃げる。
立場を失いたくないから保身する。
弱さを見せたくないから攻撃する。
これは、未熟さや恐怖や余裕のなさから出る悪い行動である。
もう一つは、積極的な悪意である。
相手を利用するために嘘をつく。
相手を支配するために恐怖を与える。
相手を傷つけることを楽しむ。
弱い相手を選んで攻撃する。
自分が得をするために、他人の損害を計算に入れて行動する。
相手の善意や弱さにつけ込む。
責任を理解した上で、あえて踏みにじる。
これは、単なる防衛反応だけでは説明しきれない。
もちろん、積極的な悪意を持つ人にも、過去の環境や経験が影響している場合はあるかもしれない。だが、だからといって、その悪意まで防衛反応として曖昧にしてはいけない。
人を傷つけることを選んでいる。
相手が苦しむことを分かっていて利用している。
反省せず、同じことを繰り返している。
自分の利益のために、他人の被害を軽く扱っている。
弱い相手を見つけて狙っている。
こうした場合は、積極的な悪行として評価する必要がある。
心理の天秤は、悪人を擁護するための考え方ではない。
むしろ、悪意の種類を分けるための考え方である。
防衛反応として出た悪い行動なのか。
未熟さから出た悪い行動なのか。
恐怖や余裕のなさから出た悪い行動なのか。
それとも、他人を利用する積極的な悪意なのか。
相手の痛みを理解した上で踏みにじる悪行なのか。
反省の余地があるのか。
距離を置くべき相手なのか。
これを見分けなければならない。
すべてを悪意と見ると、人間理解は粗くなる。
怖くて嘘をついた人と、相手を騙すために嘘をついた人を同じに扱ってしまう。自分を守るために逃げた人と、他人に責任を押しつけて逃げた人を同じに扱ってしまう。傷つきたくなくて怒った人と、相手を支配するために怒りを使う人を同じに扱ってしまう。
これは正確ではない。
しかし、すべてを防衛反応と見るのも危険である。
積極的に他人を利用する人まで、怖かったのだろう、傷ついていたのだろう、環境が悪かったのだろうと説明してしまうと、被害者が軽く扱われる。悪意ある者が、責任から逃げやすくなる。
だから、悪意を見る時には、両方の誤りを避ける必要がある。
防衛反応を積極的な悪意と決めつけすぎない。
積極的な悪意を防衛反応として甘く見すぎない。
この二つである。
人間は、自分を守るために悪い行動を取ることがある。
これは事実である。
しかし、人間は、自分の利益のために積極的に他人を傷つけることもある。
これも事実である。
どちらか一方だけを見てはいけない。
たとえば、誰かが嘘をついた時、その人は怒られるのが怖かっただけかもしれない。失望されるのが怖かったのかもしれない。自分の失敗を認める余裕がなかったのかもしれない。
この場合、必要なのは、再発防止と責任の整理である。なぜ嘘をついたのかを確認し、次に正直に言える環境を作り、同時に嘘で生じた損害への責任を取らせる必要がある。
しかし、同じ嘘でも、相手を騙して金を奪うための嘘なら話が違う。相手の信頼を利用し、意図的に損害を与え、自分だけ利益を得る嘘であるなら、それは防衛反応ではなく積極的な悪行として扱うべきである。
同じ「嘘」でも、天秤に乗っている重りが違う。
怒りも同じである。
傷ついて怒った人と、相手を支配するために怒鳴る人は違う。怖くて強く出た人と、相手を恐怖で従わせるために怒りを使う人は違う。
前者には、防衛反応としての理解が必要である。
後者には、加害手段としての評価が必要である。
逃避も同じである。
怖すぎて逃げた人と、責任を他人に押しつけて逃げた人は違う。自分が壊れないために距離を置いた人と、他人に損害を残して自分だけ助かろうとした人は違う。
保身も同じである。
自分の立場を守りたい気持ちは自然である。だが、自分の立場を守るために無関係な相手を犠牲にするなら、それは悪行である。
攻撃も同じである。
恐怖から反射的に強く出た場合と、弱い相手を選んで攻撃している場合では、意味が違う。
心理の天秤は、この違いを見るために使う。
悪意に見える行動を見た時、すぐに一つの結論へ飛びつかない。
この人は本当に悪意で動いたのか。
それとも、防衛反応だったのか。
恐怖があったのか。
余裕がなかったのか。
嘘や攻撃によって何を守ろうとしたのか。
その行動で誰が傷ついたのか。
同じことを繰り返しているのか。
反省や修正の余地があるのか。
相手の被害を理解しているのか。
それとも、他人の痛みを利用しているのか。
ここを見る。
悪い行動には、原因がある。
しかし、原因があるからといって、悪い行動が消えるわけではない。
相手を傷つけた事実。
嘘で信頼を壊した事実。
責任から逃げた事実。
攻撃で恐怖を与えた事実。
保身で他人を犠牲にした事実。
これらは残る。
だから、悪意を防衛反応として説明する時ほど、被害を軽く扱わないようにしなければならない。
背景を見る。
被害も見る。
本人の恐怖を見る。
相手の傷も見る。
環境を見る。
責任も見る。
防衛反応を見る。
積極的な悪意も見る。
この両方が必要である。
人は、自分を守るために悪い行動を取ることがある。
怒り、逃避、嘘、保身、攻撃。
これらは単なる悪ではなく、自分を守るための防衛反応として現れることがある。
しかし、それだけではない。
積極的な悪意や悪行も存在する。
相手を利用する悪意。
相手を傷つける悪意。
相手の善意につけ込む悪意。
弱い者を狙う悪意。
自分の利益のために他人を犠牲にする悪行。
これらを、防衛反応という言葉で曖昧にしてはいけない。
心理の天秤を見るとは、何でも許すことではない。
むしろ、何が防衛で、何が加害で、何が未熟さで、何が積極的な悪意なのかを分けるための視点である。
悪意も防衛反応として説明できることがある。
だが、すべての悪意が防衛反応で片づくわけではない。
その線引きを見失わないことが、人間の悪を読む上で最も重要である。




