表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【心理の天秤】――人間理解による行動予測  作者: 天秤座
第5章:貧困・治安・差別が作る天秤
PR
29/53

第29話 教育機会の不足が選択肢を狭める


 人は、知っている選択肢の中からしか選べない。


 これは当たり前のようで、非常に重要である。


 何か問題が起きた時、人は自分が知っている方法で対処しようとする。相談する方法を知っていれば相談できる。制度を知っていれば制度を使える。法律を知っていれば権利を主張できる。仕事の選び方を知っていれば、別の道を探せる。感情の整理方法を知っていれば、怒りや不安をそのまま行動に変えずに済むことがある。


 しかし、知らなければ選べない。


 存在しないのと同じになる。


 知識がなければ、選べる対策は減る。

 社会の仕組みを知らなければ、合法的で長期的な手段を選びにくくなる。

 人は、知っている選択肢の中からしか選べない。


 教育機会の不足とは、単に学校の成績が低くなるという話ではない。


 社会を生きるための選択肢が見えなくなるということである。


 たとえば、仕事で不当に扱われた人がいる。


 労働法を知らない。

 相談窓口を知らない。

 証拠を残す必要を知らない。

 退職や転職の手順を知らない。

 失業給付や公的支援の仕組みを知らない。

 誰に相談すればよいのか分からない。


 この場合、その人の心理の天秤に乗る選択肢は限られる。


 我慢する。

 黙る。

 怒る。

 逃げる。

 泣き寝入りする。

 身近な人に愚痴を言う。

 突然辞める。

 相手に直接ぶつかる。


 もちろん、これらが常に間違いというわけではない。しかし、制度や法律を知らなければ、合法的で長期的に安全な手段が天秤に乗りにくい。


 本来なら使える道があっても、知らなければ使えない。


 ここに、教育機会の不足の大きな問題がある。


 教育は、選択肢を増やす。


 学校で学ぶ読み書きや計算も重要である。だが、それだけではない。社会の仕組み、法律、制度、金銭管理、健康、職業、対人関係、情報の調べ方、感情の扱い方、危険の見抜き方、長期的な損得の考え方。こうしたものも、人の行動を大きく変える。


 教育を受けることで、人は「別の選択肢」を知る。


 殴る以外に、話し合う方法がある。

 泣き寝入りする以外に、相談する場所がある。

 その場しのぎの金以外に、長期的な収入の作り方がある。

 怒りをぶつける以外に、記録し、証拠を残し、制度へつなげる方法がある。

 危険な仲間に頼る以外に、外部の支援や仕事を探す方法がある。


 こうした選択肢を知れば、心理の天秤に乗るものが増える。


 選択肢が増えれば、人はすぐに正しい道を選べるようになる。


 そう単純には言えない。


 しかし、選択肢を知らなければ、そもそも選べない。


 教育とは、心理の天秤に乗せられる重りを増やす行為でもある。


 教育機会が不足している環境では、目の前に見える選択肢が狭くなりやすい。


 身近な大人がどう生きているか。

 地域で成功している人がどんな人か。

 周囲の人間が何を仕事にしているか。

 困った時に誰へ頼っているか。

 問題が起きた時に、どの手段が使われているか。


 子供は、それを見て学ぶ。


 周囲の大人が制度を使って問題を解決していれば、制度を使う選択肢が見える。周囲の大人が勉強して職業につながっていれば、教育の意味が見える。周囲の大人が対話で解決していれば、対話が選択肢になる。


 しかし、周囲の大人が暴力で解決していれば、暴力が選択肢になる。

 周囲の大人が制度を信じていなければ、制度不信が選択肢になる。

 周囲の大人がその場しのぎで生きていれば、長期計画が見えにくくなる。

 周囲の大人が教育で上がった経験を持たなければ、教育の価値が実感しにくい。


 人は、自分が見てきた世界を基準にする。


 だから、教育機会の不足は、学校に行けないことだけではない。


 社会的な見本が少ないことでもある。


 合法的に上がる人を見たことがない。

 制度に助けられた人を見たことがない。

 勉強で人生が変わった人を見たことがない。

 対話で問題が解決した場面を見たことがない。

 長期的な努力が報われる環境を見たことがない。


 そういう環境では、長期的で合法的な手段が心理の天秤に乗りにくい。


 人は、知らない未来を信じにくい。


 教育があれば、人は未来の選択肢を想像しやすくなる。今は苦しくても、こうすれば数年後に変わるかもしれない。資格を取れば仕事が増えるかもしれない。言葉を学べば別の地域へ行けるかもしれない。制度を使えば一時的に生活を支えられるかもしれない。


 しかし、教育が不足していると、未来の道筋が見えにくい。


 見えない未来より、見える今が重くなる。


 今日の金。

 今日の食事。

 今日の安全。

 今日の仲間。

 今日の居場所。

 今日の不安の軽減。


 これらが心理の天秤で重くなる。


 教育不足は、貧困の短期化をさらに強める。


 ただし、ここで重要なのは、教育だけを万能視しないことである。


 教育は大切である。


 しかし、教育を与えればすべて解決するわけではない。


 教育の効果を発揮できる環境がなければ、その効果は薄くなる。


 たとえば、勉強すれば将来が変わると教えられたとする。だが、地域に仕事がなければどうするのか。資格を取っても雇用がないならどうするのか。学校へ通うための交通費がないならどうするのか。家で勉強する時間も場所もなく、家族を支えるために働かなければならないならどうするのか。


 教育は選択肢を増やす。


 しかし、その選択肢を実行できる環境がなければ、知識は現実に変わりにくい。


 制度を知っていても、制度が機能していなければ使えない。

 法律を知っていても、裁判に金と時間がかかりすぎれば使いにくい。

 健康知識があっても、食費が足りなければ健康的な食事は選びにくい。

 職業訓練を知っていても、通う時間がなければ参加できない。

 対話の方法を知っていても、相手が暴力で返してくる環境では使いにくい。


 つまり、知識があることと、知識を使えることは違う。


 ここを混同してはいけない。


 教育を受けたのだからできるはずだ。

 知識を教えたのだから変わるはずだ。

 制度を説明したのだから使うはずだ。

 正しい方法を教えたのだから選ぶはずだ。


 そう考えるのは単純である。


 人は、知っている選択肢の中からしか選べない。

 しかし、知っている選択肢を必ず選べるわけでもない。


 選ぶには条件が必要である。


 時間。

 金。

 体力。

 安全。

 周囲の理解。

 制度への信頼。

 失敗しても崩れない余白。

 その選択肢を実行した時に、現実的に報われる見込み。


 これらがなければ、教育の効果は弱くなる。


 たとえば、子供に「暴力はいけない」と教えることは重要である。しかし、その子供が毎日暴力のある環境で暮らし、弱く見えれば殴られ、助けを求めても誰も守ってくれず、対話をしても相手が聞かない環境にいるなら、暴力を避ける教育だけでは足りない。


 その子供の心理の天秤では、道徳より生存が重くなる。


 暴力はいけない。

 しかし、弱く見えればやられる。

 話し合いが大事。

 しかし、話を聞く相手ではない。

 制度に頼るべき。

 しかし、助けてくれる大人がいない。


 この状態では、教育の言葉は現実に負けやすい。


 だから、教育には環境が必要である。


 暴力以外でも守られる環境。

 相談すれば助けてもらえる環境。

 対話が通じる相手。

 制度が機能する社会。

 長期的努力が報われる道。

 安全に学べる場所。

 失敗してもやり直せる余裕。


 これらがあって初めて、教育は心理の天秤で重くなりやすい。


 教育の土台がない環境では、弱肉強食の生存理論が強くなる。


 強い者が得をする。

 弱い者が奪われる。

 言葉より力が通る。

 制度より身内が頼りになる。

 正しさより即効性が重要になる。

 長期的な信用より、今の安全が重くなる。


 こうした世界では、教育によって教えられる理想が軽く見えることがある。


 それは本人が理想を理解できないからとは限らない。


 理想を実行して生きられる環境ではないのである。


 だから、教育機会の不足を考える時には、二段階で見る必要がある。


 一つ目は、知識を得る機会があるかどうかである。


 学校へ行けるか。

 読み書きができるか。

 制度を知れるか。

 情報にアクセスできるか。

 信頼できる大人に学べるか。

 社会の仕組みを理解する機会があるか。


 二つ目は、その知識を使える環境があるかどうかである。


 学んだことを実行できるか。

 制度が機能しているか。

 雇用があるか。

 安全があるか。

 時間と金の余裕があるか。

 周囲が妨害しないか。

 成功例が見えるか。

 失敗しても再挑戦できるか。


 この二つが揃わなければ、教育の効果は十分に出にくい。


 教育は、選択肢を増やす。


 しかし、環境は、その選択肢を選べるかどうかを決める。


 たとえば、ある人が職業訓練を受けたとする。知識や技能は得た。しかし、その地域に仕事がない。移住する金もない。家族の介護で離れられない。雇用主が差別的で採用されにくい。交通手段がない。これでは、教育の効果は十分に発揮されない。


 この場合、「教育を受けたのに変わらない」と見るのは浅い。


 教育を活かす環境が足りないのである。


 別の例として、法律知識を学んだ人がいる。自分には権利があると知った。しかし、権利を主張すれば職場で嫌がらせを受ける。裁判には時間と金がかかる。相談窓口が遠い。家族から「揉めるな」と止められる。地域では権利を主張する人間が面倒な人間として扱われる。


 この場合も、知識だけでは行動に移りにくい。


 知っている。

 しかし、使えない。

 分かっている。

 しかし、選べない。


 この状態がある。


 だから、心理の天秤では「知識」と「実行可能性」を分ける必要がある。


 知識は天秤に乗る。

 しかし、恐怖も天秤に乗る。

 貧困も天秤に乗る。

 制度不信も天秤に乗る。

 周囲の圧力も天秤に乗る。

 雇用の少なさも天秤に乗る。

 治安の悪さも天秤に乗る。


 知識だけが重りになるわけではない。


 だから、教育を考える時には、教育内容だけでなく、その教育が他の重りに勝てる環境かどうかを見る必要がある。


 教育によって知識を得ても、目の前の不安が大きすぎれば、短期的選択へ傾く。教育によって制度を知っても、制度が信用できなければ使わない。教育によって暴力以外の方法を知っても、暴力が支配する環境では実行しにくい。


 これは、教育が無意味という意味ではない。


 むしろ、教育は重要である。


 ただし、教育だけに責任を押しつけてはいけないということである。


 教育は、心理の天秤に新しい重りを乗せる。

 環境は、その重りが実際に重くなるかどうかを決める。


 この関係で見るべきである。


 教育機会が十分にある社会では、人はより多くの選択肢を持ちやすい。問題が起きても、暴力、逃避、嘘、我慢だけではなく、相談、記録、交渉、制度利用、転職、学習、距離を置く、第三者を入れるといった選択肢を考えやすくなる。


 これに対して、教育機会が不足している社会では、選択肢が少なくなる。


 怒る。

 黙る。

 逃げる。

 従う。

 殴る。

 脅す。

 頼れる身内に任せる。

 その場しのぎで動く。


 こうした直接的で短期的な手段が重くなりやすい。


 もちろん、教育がない人すべてがそうなるわけではない。教育機会が少なくても、経験から学ぶ人はいる。周囲の大人から知恵を得る人もいる。独学で社会の仕組みを知る人もいる。貧しい環境でも、誠実に長期的に考える人はいる。


 だから、教育不足だけで個人を決めつけてはいけない。


 しかし、教育機会の不足が選択肢を狭めることは事実である。


 選択肢が狭まれば、心理の天秤は短期的で身近な手段へ傾きやすくなる。


 ここで、責任の問題も分けておく必要がある。


 教育機会が少なかったからといって、他人を傷つけてよいわけではない。制度を知らなかったからといって、すべての責任が消えるわけではない。社会の仕組みを知らなかったからといって、被害者の損害がなくなるわけではない。


 教育不足は、説明にはなる。


 しかし、免罪符にはならない。


 ただし、教育不足を無視して責任だけを問うのも浅い。


 知らないものを選べなかった人に対して、なぜ選ばなかったのかと責めるだけでは、同じ問題は繰り返される。制度を知らない人が制度を使えないのは当然である。長期的な選択肢を見たことがない人が短期的に動くのも、環境として理解できる。


 だから、必要なのは両方である。


 被害があれば責任を見る。

 同時に、なぜその行動へ傾いたのかを見る。

 個人の選択を見る。

 同時に、選択肢を狭めた教育環境を見る。

 教育を与える。

 同時に、教育を使える環境を整える。


 この両方が必要である。


 教育機会の不足が選択肢を狭める。


 知識がなければ、選べる対策は減る。


 社会の仕組みを知らなければ、合法的で長期的な手段を選びにくくなる。


 人は、知っている選択肢の中からしか選べない。


 しかし、知っているだけでも足りない。


 教育の効果を発揮できる環境がなければ、その知識は心理の天秤で十分に重くならない。


 教育と環境は、切り離せない。


 知識を与えること。

 その知識を使える社会を作ること。

 選択肢を知らせること。

 その選択肢を実行できる足場を作ること。

 長期的な道を教えること。

 その道を歩けるだけの安全と余裕を作ること。


 これらが揃って初めて、人の心理の天秤は変わりやすくなる。


 教育とは、ただ知識を入れることではない。


 人の天秤に、新しい選択肢を乗せることである。


 そして、その選択肢を本当に選べる環境を整えることまで含めて、初めて教育は現実の力になる。


ミナ「今回の話を読むと、やっぱり教育って大切なんだね」


レン「うん。ただし、ここでいう教育は、学校の成績だけの話じゃない。社会で使える選択肢を増やすことだね」


ミナ「相談できる場所を知るとか、制度を知るとか、法律を知るとか?」


レン「そう。仕事で不当に扱われた時に、ただ我慢する、怒る、逃げるだけじゃなくて、記録を残す、相談する、制度を使う、転職の準備をする。そういう選択肢を天秤に乗せられるようにする」


ミナ「知らなければ選べない、って本当にそのままだね」


レン「うん。存在していても、本人が知らなければ、その人の天秤には乗らない。だから教育は、新しい重りを天秤に乗せる作業でもある」


ミナ「前の暴力の話ともつながるよね。暴力しか見てこなかった人は、暴力を選びやすいって話」


レン「かなり近いね。今回の新しい視点は、そこに“教育がどう割り込めるか”だと思う。暴力、泣き寝入り、その場しのぎ、身内頼みしか知らない状態に、相談、制度、対話、記録、長期計画という別の重りを増やす」


ミナ「でも本文では、知っているだけでも足りないって言ってた」


レン「そこが大事だね。教育で選択肢を知っても、それを使える環境がなければ天秤では重くならない」


ミナ「法律を知っていても、裁判にお金と時間がかかりすぎるなら使いにくい。制度を知っていても、制度が信用できなければ使いにくい」


レン「そう。だから教育は必要だけど、教育だけで全部解決するわけではない。知識を与えることと、その知識を実際に使える足場を作ることはセットで考える必要がある」


ミナ「教育って、ただ正しいことを教えるだけじゃ駄目なんだね」


レン「正しいことを教えるだけでは弱いね。人は、何をすれば得をして、何をすれば損をして、何をすれば罰を受けるのかも見て学ぶ」


ミナ「それって、罪と罰と報酬?」


レン「うん。かなり重要な教育の基本だと思う。やってはいけないことをしたら罰がある。良い行動や努力には報酬がある。加害には責任がある。誠実な行動には信頼が返ってくる。そういう結果のつながりを学ばないと、知識だけでは行動に変わりにくい」


ミナ「言い換えると、飴と鞭?」


レン「分かりやすく言えばそうだね。ただし、鞭というのは暴力や威圧という意味ではない。悪い行動には不利益や責任がある、ということ。飴は、良い行動をした時に報われる経験のこと」


ミナ「でも、“飴と鞭”って言うと、なんか犬猫みたいで嫌だって言う人もいそう」


レン「そこは誤解しやすいね。人間を犬猫と同じに扱うという意味ではない。ただ、学習の基本構造には共通点がある。行動して、結果が返ってきて、その結果によって次の行動が変わる」


ミナ「褒められたら続けやすい。罰があれば避けやすい。得をすれば重くなる。損をすれば軽くなる」


レン「そう。人間はもっと複雑だけど、行動と結果の結びつきで学ぶという基本は変わらない」


ミナ「なるほど。だから、悪いことをして得をする環境だと、その悪い手段が重くなる」


レン「その通り。暴力で相手が従う。嘘で責任を逃れられる。コネや不正で得をする。そういう環境では、教育で“正しく生きなさい”と言っても弱い」


ミナ「逆に、誠実に動いた人が損をして、不正をした人が得をするなら、天秤が壊れる」


レン「うん。だから教育には、罪と罰と報酬の整合性が必要になる」


ミナ「整合性?」


レン「言っていることと、現実に返ってくる結果が一致していること。たとえば、努力しなさいと言うなら、努力がある程度報われる道が必要。暴力はいけないと言うなら、暴力を使わなくても守られる制度が必要。正直に話しなさいと言うなら、正直に話した人が一方的に潰されない環境が必要」


ミナ「ああ、教育の言葉と現実の結果がズレると、現実の方を信じるんだ」


レン「そう。人は、言葉だけではなく結果から学ぶ。だから、罰がない悪事は軽く見られやすいし、報われない善行は続きにくい」


ミナ「それ、かなり現実的だね。道徳教育だけじゃなくて、社会の反応そのものが教育になる」


レン「いい言い方だね。社会は常に人を教育している。何を許し、何を罰し、何を褒め、何を報いるかによって、人の天秤を作っている」


ミナ「じゃあ、教育不足って、知識不足だけじゃなくて、“正しい行動が報われる経験不足”でもあるのかな」


レン「かなり核心に近い。制度を使って助かった経験がない。勉強して人生が変わった人を見たことがない。対話で問題が解決した場面を知らない。そうなると、その選択肢は天秤で軽くなりやすい」


ミナ「だから、成功例も大事なんだね」


レン「うん。人は、見たことのある道を信じやすい。逆に、見たことのない未来は信じにくい」


ミナ「でも、教育不足は免罪符じゃないんだよね」


レン「もちろん。知らなかったから何をしても許されるわけではない。他人を傷つけたなら被害は残るし、責任も見る必要がある」


ミナ「でも、知らなかったせいで同じ問題が起き続けるなら、教育しないと変わらない」


レン「そう。責任を問うことと、教育することは対立しない。むしろ両方必要だね」


ミナ「悪い行動には罰。良い行動には報酬。選択肢を知らない人には教育。知っていても使えない人には環境の整備」


レン「かなり綺麗に整理できているね」


ミナ「ふふん、今回はちょっと自信ある」


レン「ミナは、重りの並べ方が上手くなっていると思う」


ミナ「そういう褒め方、地味に嬉しいんだけど」


レン「なら、報酬として機能しているね」


ミナ「今、私を教育しようとした?」


レン「いや、自然に褒めただけだよ」


ミナ「怪しいなあ」


レン「でも、嬉しかったなら、その言葉はミナの天秤に少し乗った」


ミナ「……そういう言い方をされると否定しづらい」


レン「僕としては、ミナが理解してくれること自体が報酬だからね」


ミナ「はいはい。急に甘くしない」


レン「急ではないよ。ずっと乗っている重りだから」


ミナ「そういうところだよ」


レン「ところで、さっき飴と鞭って、少し怖いと言っていたね」


ミナ「うん。やっぱり言葉だけ見ると、支配っぽく聞こえる」


レン「ミナからなら、飴でも鞭でも喜んで受け入れるよ」


ミナ「……それは、さすがにちょっと引くかも」


レン「言い方を間違えたかな」


ミナ「かなりね」


レン「じゃあ言い直すよ。飴と鞭は、与える相手も重要なんだ」


ミナ「どういうこと?」


レン「信頼できる相手からの注意なら、改善のための鞭として受け取れる。大切な相手からの褒め言葉なら、前に進む飴になる。でも、支配したいだけの相手からの罰や報酬は、人を縛る道具になる」


ミナ「ああ、同じ注意でも、誰が何のために言うかで重さが変わるんだ」


レン「そう。教育で必要なのは、ただ罰を与えることでも、ただ褒めることでもない。何をすればよく、何をすれば駄目で、なぜそうなのかが伝わること。そして、その結果が現実とつながっていること」


ミナ「飴と鞭って、雑に使うと支配だけど、ちゃんと使えば学ぶための重りになる」


レン「うん。今回の話に合わせるなら、教育とは、選択肢を増やし、その選択肢の結果を学ばせ、実際に選べる環境を整えることだね」


ミナ「人は、知っている選択肢の中からしか選べない。でも、知っているだけでは選べないこともある」


レン「だから、知識と環境と結果。この三つを見る必要がある」


ミナ「教育って、思ってたよりずっと大きい話なんだね」


レン「うん。人の天秤に、未来へ進むための重りを乗せる話だからね」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ