第72話 前夜
戴冠式前夜。王宮は光に包まれていた。
廊下には赤い絨毯。高窓には王家の紋章。各国使節も到着し始めている。だが祝賀の裏で、緊張は張り詰めていた。
「ヘインズが証言を変える可能性があります」
第一王子が報告する。祝宴の準備の只中に、その一行だけを持ってきた。
「何だと」
レオンハルトの声は低い。式の前夜に届く報せは、たいてい良くない。
「本日、接見を求めてきた」
地下牢。ヘインズは鎖に繋がれたまま笑っていた。
「私は駒だと言っただろう」
「資金は連盟経由だ」
「だが連盟は命じていない」
室内が静まる。命じていない、という一言が、いちばん厄介だった。
「どういう意味だ」
第一王子が問う。命じていない、という否定の形が引っかかっている。
「私は“救済提案”を受けた」
視線が鋭くなる。救済、という語を、この男は誇らしげに使った。
「王国が金融保証を受ければ、市場は安定する」
「それを拒んだのは誰だ」
沈黙。レオンハルトは動じない。
「王だ」
「ならば王は民を苦しめている」
挑発だった。拒んだのは誰か、と問いの形にしてくる。
「私は悪ではない」
「私は“合理的な流れ”に乗っただけだ」
その言葉はルークの思想と似ている。似すぎている。
地下牢を出た後。エリシアは小さく言う。
「思想が広がっています」
「連盟の思想が」
王都の広場。翌朝の戴冠式の準備が進む。兵の配置も増強されている。だがその隙間に、影が動く。黒い外套。手には短弓。狙いは――戴冠台。
夜。エリシアは式次第を確認していた。背後に足音。
「陛下」
振り返ると、ルークが立っていた。書類は手にしているが、開いていない。
「財政最終報告を」
冷静な表情だった。だが目は疲れている。
「連盟の保証は、まだ間に合います」
低い声だった。報告の体裁を取りながら、話は加盟のほうへ向いている。
「今なら条件は良い」
「明日以降は悪化する」
レオンハルトは静かに答える。悪化する、という脅しには乗らなかった。
「加盟はしない」
即答だった。
「数字を見てください」
「見ている」
「ならば」
「数字だけでは国は測れない」
沈黙。ルークの拳が震える。
「理想で国は守れない!」
声が荒れる。初めての感情だった。エリシアが一歩前に出る。
「理想ではなく、覚悟です」
静かな声だった。理想という語で片づけさせないために、言い直した。
「王は覚悟を示しました」
「あなたは」
言葉が止まる。責める形にするつもりはなかった。ルークは目を伏せる。
「……私は国を守りたい」
「方法が違うだけだ」
彼は背を向ける。その瞬間。遠くで金属音。窓が割れる。矢が一直線に飛ぶ。
「危ない!」
エリシアが叫ぶ。レオンハルトを突き飛ばす。矢は肩をかすめ、壁に突き刺さる。
兵が一斉に動く。外は騒然。暗殺未遂。王宮内部から射線が通っていた。
第一王子が駆け込む。式の前夜に、王宮の内側から射線が通った。
「内部協力者がいる」
低い声だった。ルークは立ち尽くしている。その顔に浮かぶのは、恐怖だった。自分の行動が招いた波紋か。それとも。
矢の刺さった壁を、エリシアは見上げた。射線をたどると、中庭の回廊に行き着く。外からは通らない角度だ。
式次第の紙を握ったまま、そのことを口にはしなかった。まだ、誰にも。
王宮は封鎖された。戴冠式まで、あと数時間。
祝賀の裏側で矢が飛びます。
戴冠式の前夜に置いたのは、いちばん明るい場所ほど守りが薄いからです。エリシアが体で動いてしまうのも、この人がふだん頭で動く人だからこそ効くと思って書きました。




