第70話 利権の城
ローディア侯爵領は、港湾改革以前は“黄金の回廊”と呼ばれていた。
王都へ向かう主要街道。倉庫群。関税特権を得た商人たち。すべてが繁栄していた。
改革後――倉庫の半数は閉鎖。雇用は三割減。旧特権商会は縮小。
数字としては想定内だった。だが生活は数字ではない。
「王は我らを切り捨てたのか」
酒場で不満が漏れる。それを聞き流す者はいない。
ローディア侯爵は書斎で報告書を読んでいた。五十代半ば。白髪混じり。眼光は鋭い。
「暴動の兆しは」
「小規模ですが拡大傾向」
側近が答える。数字は日ごとに増えている。
「王を糾弾する声も」
侯爵は小さく息を吐く。拡大傾向、という語を、彼は望んでいない。
「糾弾は愚策だ」
冷静な声だった。愚策、と切り捨てたのは民ではなく手法のほうだ。
「理論で攻めよ」
彼は感情で動く男ではない。動くとすれば、必ず数字を携えて動く。
「王は理想家だ」
「だが理想は地方を見ていない」
窓の外を見下ろす。閉じた倉庫の扉が、街道沿いに並んでいる。
「財政赤字は広がる」
「地方補助が続く保証はない」
その言葉は事実だった。侯爵は机に手を置く。
「王を倒す必要はない」
「揺らせばよい」
静かな戦いだった。倒す気の無い相手ほど、始末が悪い。
王都。同時刻。
「ローディア領で雇用減少率三割超」
ルークが報告する。三割超、という数字を、彼は二度読み上げた。
「補助金を増額すれば赤字拡大」
「削れば暴動」
第一王子が眉をひそめる。どちらを選んでも損をする形は、先日から続いている。
「地方視察に行く」
即断だった。兄は現場を選ぶ。レオンハルトは頷く。
「鎮静は兄上に任せる」
「だが構造は変えない」
短い言葉だった。その強さが重い。エリシアが静かに言う。
「情報が外部に流れています」
全員が視線を向ける。流れています、と彼女は断定の形で言った。
「補助金案が地方議会に事前に届いていました」
沈黙。
「内部資料だな」
第一王子が低く言う。内部資料、という語を先に置いた。
「はい」
ルークの指が一瞬だけ止まる。誰も、そこを見ていなかった。
「調査を開始します」
冷静な声だった。だが。
その夜。王宮書庫。ひとつの資料が抜き取られる。手袋をはめた手。顔は見えない。だが動きに迷いはない。
翌朝。王宮に匿名書簡が届く。
「王国の財政は三年以内に破綻する」
「証拠は同封資料参照」
内部資料の写しだった。室内が凍る。第一王子が言う。
「内通者がいる」
エリシアは冷静に分析する。感情の温度を上げないことが、いまは仕事だ。
「単なる反対派ではありません」
「数字が精密すぎる」
視線が、自然とルークへ向かう。彼は動じない。
「財務局の関係者は多数います」
「私も含め」
堂々とした態度だった。疑う理由はない。だが。
夜。ルークは再び紺色の封書を開く。
「王は揺れ始めたか」
書かれている。差出人の名は、今回も無い。
「地方を刺激せよ」
彼は拳を握る。刺激せよ、という命令形が、初めて出てきた。
「私は国を守る」
小さく呟く。だが、守る方法が、王と同じとは限らない。
補助金案が地方議会へ届いた日付を、エリシアは財務局の決裁記録と並べた。届いたほうが、決裁より半日早い。
半日。書き写して運ぶには足りて、正式に回すには足りない時間だった。
王都の空は曇り始めていた。戴冠まで、あと二日。
改革には、必ず割を食う土地があります。
ローディア侯爵領は、その代表として置きました。数字の上では想定内の減少ですが、閉まった倉庫の前に立っている人にとっては想定でも何でもない。ここを書かずに改革の話をすると、嘘になります。




