第56話 告白
暴動の鎮静から数時間後。王宮の一室。灯りは落とされ、外は静まり返っている。煙の匂いが、まだ衣服に残っていた。
エリシアは包帯を巻き直していた。片手ではうまく結べず、二度やり直している。
「医官を呼ぶ」
「必要ありません」
いつものやり取りだった。だが、今日は違う。沈黙が重い。
「殿下」
「何だ」
「今日の行動は」
一瞬、言葉を探す。無謀だと言うのは簡単だった。だがそれでは足りない。
「王としての行動でした」
レオンハルトは、静かに笑う。褒められるとこの人は、必ず一段下げて受け取る。
「無謀とも言う」
「ですが」
視線を上げる。無謀という語だけで済ませたくなかった。
「民は見ました」
炎の中へ飛び込んだ姿。あれは演出ではない。
「あなたがいなければ」
彼が低く言う。あなたがいなければ、という仮定を、彼は珍しく口にした。
「私は飛び込まなかった」
沈黙。彼は窓際へ歩く。夜空は暗い。
「王位を争うと宣言した」
静かな声だった。宣言の日の言葉を、そのまま並べ直している。
「責任も、孤独も引き受けると」
一瞬、振り返る。振り返るまでの間が、いつもより長かった。
「だが今日」
視線が真っ直ぐ向く。だが今日、と切ってから、彼は一度息を継いだ。
「あなたが炎の中へ入った瞬間」
息が詰まる。その先に何が続くのかが、聞く前から分かってしまった。
「王位などどうでもよくなった」
はっきりと言った。空気が震える。
「殿下」
「違う」
自分で否定するように言い直す。
「どうでもよくはない」
「だが」
ゆっくりと近づく。触れない距離だった。
「あなたを失う可能性を想像した」
声がわずかに揺れる。想像した、という言い方で、彼は事実だけを置いた。
「耐えられなかった」
医務室での言葉よりも、さらに深いところから出ていた。
「私は」
低く、確かに言う。逃げも飾りも無い、いちばん短い形だった。
「あなたを愛している」
沈黙。重く、温かい。逃げ道はない。言葉は戻らない。エリシアの胸が強く打つ。
「殿下は」
声がわずかに震える。受け取るより先に、立場の話へ逃げていた。
「王になられる方です」
「それでも」
即答だった。それでも、の一語で、逃げ道を塞がれる。
「王である前に、一人の人間だ」
視線が逸れない。言い切ったあとで、この人は目を逸らさない。
「あなたを想う」
静かな断言だった。長い沈黙。エリシアは、ゆっくりと息を吸う。
「私は」
目を閉じ、そして開く。開いたときには、言うと決めていた。
「殿下が王になる未来を信じています」
「だが」
小さく笑う。だが、の続きを言うのに、笑う必要があった。
「隣に立ちたいと、思っています」
はっきりとは言わない。だが意味は同じだった。彼の目が、わずかに揺れる。
「それは」
「愛ではないと、言えません」
静かな告白だった。距離が、さらに縮まる。触れない。だが、あと一歩。
「王妃になる覚悟はありません」
以前と同じ言葉だった。
「ですが」
視線をまっすぐに向ける。覚悟の中身だけは、初めて会った日から変わっていない。
「隣に立つ覚悟は、あります」
彼はゆっくりと息を吐く。手が、ほんのわずかに伸びる。そして止まる。
「今は」
低く。
「戦いの最中だ」
「はい」
「だが」
視線が絡む。今は、と線を引いてから、その先を約束した。
「この気持ちは、退かない」
エリシアは頷く。頷くだけで足りる場面が、この二人には少ない。
「私も」
短い言葉。だが十分だった。
夜は静かだった。
帰り際、レオンハルトは扉のところで足を止め、包帯の巻かれた腕を一度だけ見た。手は伸ばさない。伸ばしかけて、引いたようにも見えた。
おやすみなさい、とエリシアは言った。それだけが、今夜のうちに言える精一杯だった。




