選手入場
大きなイベントだけあって、出場者のレベルも高いのだろう。第1試合から、一進一退の攻防が続く。ド派手なKO決着はなく、判定にまでもつれる試合ばかりだ。そんな試合が4試合も続くと、観客はしびれを切らしはじめた。KO決着を求める雰囲気が、高まっている感じがする。
「いよいよ、チアキ先輩の試合だね」
「ドキドキします。頑張って欲しいです」
みゆきは、心臓を押さえて、大きく深呼吸している。
「チアキさん、大丈夫かしら?相手は強いんでしょう?」
西野は、格闘技初心者だから、イマイチ状況がわかっていない様子だった。
「強い相手だよ。KO勝ちかKO負けしかない相手だからね」
「そんな人を相手にして、チアキさんは大丈夫なの?」
「大丈夫。チアキ先輩だって強いからね」
西野には、そう断言したが、俺の中の嫌な予感は消えなかった。
「青コーナーより、伝説の喧嘩師。松丸千秋選手の入場です」
場内にアナウンスが響くと、周りのチアキ先輩の応援団が一気に湧く。コアな格闘技ファンも、一撃必殺のチアキ先輩の試合ぶりを知っているので、KOコールで盛り上げる。
ビートの効いた入場曲が響き渡る。花道の上に、チアキ先輩がせりあがってくる。それと同時に、花道の脇で花火が上がる。この前の試合とは全然違う入場シーンだ。
「頼むぞ、松丸」
「ぶっ倒せよ」
無責任な歓声がチアキ先輩に浴びせられる。それに答えるように、腕をあげる。青いオープンフィンガーグローブが高々と突き上げられると、一層、応援席が盛り上がる。
「チアキ先輩、マジ、神っす」
「かっけぇっす」
「絶対、勝ってください」
応援席の後輩軍団は、チアキ先輩の勇姿に心を奪われている。青春時代の濃密な時を一緒に過ごした先輩が、こんな晴れ舞台に立っていたら、誰だって心動かされるはずだ。俺だって、知り合ってまだ半年くらいだけど、言葉にならない感情が込み上げてきている。
隣の西野の様子を少し見てみた。チアキ先輩の姿を見ているようだが、何か特別、感激している風ではなかった。クールな西野らしい反応だ。
リングに入る直前、グローブを合わせて祈るような仕草をしていた。スポットライトを一身に浴びているその姿は、とても神々しかった。
リングに入ると、前の試合と同じように四方向に礼をした。これがチアキ先輩のルーティンなのだろう。観客の声援が高まる中、青コーナーにもたれるようにして立っている。
「赤コーナーより、暴君、フランシスコ・シウバ選手の入場です」
シャウトが響いて、暴力的なサウンドが会場を覆いつくす。全身をタトゥーに覆われたスキンヘッドの黒人が花道にせりあがってきた。
日本初登場と言うこともあって、まだファンは多くないようだ。歓声も、チアキ先輩の時に比べるとはるかに小さい。一部のファンは、舌戦を繰り広げた経緯を知っているので、ブーイングをしている。
それを煽るかのように、ヘラヘラと笑いながら入場してくる姿は、異様だった。リング上に控えるチアキ先輩に向かって、中指を立てる。それで一層、ブーイングが激しくなる。今度は、両耳に手を当てて、聞こえないぜとばかりに観客を挑発する。とても正気の沙汰ではない。
「あいつ、チアキ先輩をなめてますね」
「許せねぇっす」
「ぶっ殺してやりましょう」
チアキ先輩の応援団は、まんまと挑発にのって激怒している。今にも花道に向かって行きそうな連中が何人かいる。しかし、ここで騒ぎになったら試合は中止になってしまう。
「みなさんの怒りは、チアキ先輩が晴らしてくれますから、ここで応援しましょう」
「しゅ、修さん。そうだ、修さんの言う通りだ。チアキ先輩の顔に泥を塗るような真似をするんじゃねぇ」
俺の意見を、金髪スカジャンさんが汲んでくれた。怒り心頭の連中も、少し冷静になれたようだ。
「修さん、ありがとうございます。みっともねぇ姿を見せちまって、申し訳ねぇっす」
金髪スカジャンさんから、頭を下げられて、少しビックリした。以前の俺なら、絶対に言葉を交わすこともなかったような人種の人だ。そんな人に礼を言われるなんて、俺も少しは変わったのかもしれない。
両選手がリングインした。歓声と怒声が飛び交う異様な雰囲気の中、試合がはじまろうとしていた。
「青コーナー、180cm、64kg。千葉県が生んだ伝説の喧嘩師。14試合10勝4敗7KO。松丸千秋!」
会場が、この日、1番の盛り上がりを見せた。悲鳴とも歓声ともつかない声が応援席から湧き起っている。実際、俺の周りの数人は、すでに涙を流している。
「赤コーナー、178cm、63kg。格闘王国ブラジルの暴君。12試合10勝2敗すべてKO勝ち。フランシスコ・シウバ!」
今度は、会場全体がブーイングに包まれる。完全にチアキ先輩がホームの雰囲気だ。これが少しでも有利に働けばいいのだけど……
レフェリーに呼ばれて、両選手がリング中央に集まる。相変わらず、相手選手はヘラヘラと笑っている。レフェリーからルール説明を受けている間も、チアキ先輩を見てニヤニヤと笑っている。きっと、小学校の時に人の話を聞く時は、話している人の目を見るように教わって来なかったのだろう。
そして、両選手が互いの健闘を誓って、グローブをぶつけあう時、事件は起こった。この日、最も近づいた2人。チアキ先輩の鼻先を、シウバ選手がペロリと舐めたのだ。咄嗟に、ファイティングポーズを取るチアキ先輩。一触即発の空気が流れる中、レフェリーが2人を分けた。
当然、会場は大ブーイングに包まれた。そして、運命のゴングが鳴った。




