第9話 悪魔は願いを叶え、願いは愚者を食い尽くす
「クソッ! クソッ! クソォッ!!」
独楽石栄太は先日起こした黒沼公浩との悶着以降、時おり思い出したように荒れていた。いや、実際に思い出してしまうのだ……自らが招いた、あの屈辱的な光景を。
今こうして校舎を歩いているだけで周囲を威圧し、不機嫌をところ構わず撒き散らしている。
しかしあの日以来、栄太に向けられる視線が恐怖のそれよりも、侮りや嘲りの視線の方が多い。少なくとも本人がそう感じられるくらいには。
廊下ですれ違えばクスクスと笑われ、従者が側を離れれば遠くからゴミをぶつける輩まで現れる始末。
すぐにでも痛め付けてやりたいところだが、栄太としてはこれ以上の問題は起こせない。
次に問題を起こせば実家に、ひいては兄たちにも、栄太の醜態やこれまでの身勝手な振舞いを知られてしまう。風紀委員会からもそのように言い渡されている。
優秀な兄たちの背中を見続けた故の劣等感から、それだけは絶対に避けたかった。
赤の他人ならまだしも、常に比較の対象であった肉親から嘲りの目を向けられるのは耐えられない。
「なんでだっ……なんで俺がこんな目に!!」
栄太の荒れようには従者の二人にもなす術が無い。
学園の屋上に設置されているベンチに八つ当たりし、破壊するのを黙って見ている、そんな時だった。
「こんにちは。良い天気ですね」
「……ああ?」
どこから現れたのか、突如栄太たちの後ろに黒のスーツを着た青年が立っていた。
従者たちが警戒するように一歩前に出る。
「貴方のお悩み、私ならお力になれるかと存じます」
「誰だテメエ。学園の関係者じゃねえな……どうやって入り込んだ」
従者たちの後ろから栄太が誰何の声を上げる。スーツの青年は何が可笑しいのか、クツクツと笑っていた。
「だれでも良いではないですか。貴方には私が必要で、そして私にも貴方が必要……こんな素晴らしい関係はありません。まぁそれでも、強いて何者かを申し上げるならば………悪魔、でしょうかね」
その言葉に、ただでさえピリピリしていた従者たち二人が本格的に身構える。
“悪魔”と言えば、国内の組織で言うところの鬼と同義の存在。厳密な差異や定義付けは無く、違うのは呼び方だけ。
日本の退魔師が“鬼”を狩るならば、海外の祓魔師が狩るのが“悪魔”である。
「ご安心を。私は本当の意味での鬼や悪魔ではありません。正真正銘の人間です。ただ、貴方の願いを叶えるという点で、もっとも相応しい言葉がそれだっただけです」
「はっ、それじゃあ代わりに俺の魂でもくれてやればいいのか? 俺の魂に釣り合うモノをお前が俺に寄越すとでも言うのかよ!!」
「その通りです。貴方が望むモノ、例えば……あらゆるものをねじ伏せる圧倒的な力、なんてどうでしょう」
栄太の表情が固まる。
圧倒的な力……自分の心を見透かされてショックというよりも、そんな甘言に期待が膨らむ自分が不思議でしょうがないという表情だ。
「常々考えていたでしょう。力があれば何でも出来る。貴方を馬鹿にしてきた者たちへの報復や、優秀な兄たちを見返す事だって。全てが許され、誰も貴方を責められない……誰も逆らうことが出来ない素晴らしい力が欲しくはありませんか?」
「……………」
スーツの男の言葉は的確に栄太の欲望を刺激し、不気味な程にするすると浸透していった。本来なら聞く価値すら感じないようなあり得ない話が、だ。
そんな危うい空気を察した従者が、半ば強引に話を切り上げようと気勢を上げる。
「そんな怪しげな取引、誰が応じるものか! おい、不審者がいると報告してこい。見張りは俺が」
従者の一人が指示を出し、もう一人がそれに頷く。
指示を受けた従者が小走りに屋上の扉へ向かう。しかし、その足は途中で止められていた。
「な、なんだこれはっ!? 影!?」
従者二人の足には、あまりにも深い……黒すぎる影が纏わりつくように絡んでいた。
二人は必死にもがくが剥がす事が出来ない。
「こらこらガキども、若がお話し中っす。静かに待ってるっすよ」
いつからそこにいたのか、モデルのように目を引く美少女が屋上にある花壇の前にしゃがみこみ、花を愛でながら声をかけてきた。
少女が指先を小さく振ると、足に絡み付いている影が従者たちの体を這い回り、猿轡のように口を覆う。
両手足と口を塞がれ、モゴモゴとこもった声を出す事が、従者たちに許された唯一の抵抗だった。
「さて。静かになりました。独楽石栄太君、貴方の意志を示していただきます。申し訳ありませんが考える時間は差し上げられません。貴方が力を望むのなら、私の手をお取りください」
スーツの男はスッと手を差し出し握手を求める。その掌には術式と思われる幾何学模様が垣間見えた。
既存の術式ではない、恐ろしく高度で複雑な代物。深淵を覗きこむような底知れなさが伝わってくる。
栄太の目にはもはや、青年の差し出す手と、それが齎すであろう欲望の成就しか映っていない。
「むぐぅう! むぐぐー!!」
従者たちはそれまでよりも必死に力を込めてもがく。そんな二人が栄太にはとても愚かに思えた。
これの素晴らしさがお前らには解らないのか
この術式には何かを感じる。確信できるのだ。
もし、この世に願いを叶える何かがあるとしたら………それはこの男だ。
栄太は一歩、また一歩と青年に近づいていく。
「ご心配でしたら、小分けにしてお渡しする事も出来ますが?」
スーツの男の目の前で、栄太は笑みを深める。
「そんなのは必要ねえ。今すぐ全部寄越せ!」
そう言って栄太は術式の描かれた手を乱暴に握り、男は「契約成立ですね」と呟いた。
次の瞬間、幾何学模様の術式が光を発し、収束した光が蛇の形を象っていく。蛇はそのまま栄太の腕に絡み付き、肩口を越えたところで蛇が首筋に牙を突き立てた。
「ぐっ……」
蛇は血を吸ったように赤く変わり、そして全身が赤く染まると腕に溶け込むように消えた。
栄太はしばらく呆然と腕に視線をやり、拳を握っては開くを繰り返す。
そして、口が裂けんばかりの笑みが浮かんだ。
「は、はは………はははは………ぎゃはははは!!」
発狂したと見紛う栄太の叫びが屋上に響き渡る。その様子に従者たちは目を見開いて驚愕するしか出来なかった。
「すげえ! すげえぜ!! 最高にハイな気分だ!!」
従者二人は、栄太が気が触れたのではないかと疑った。本当にそれだけなら、どれほど良かったか。
しかし二人は、すぐに起きている異変を認識する。栄太の通力が、肉眼でも見える程に濃く漏れだしていることに。
「何もしてない素の状態でこの全能感……これが、力が湧くって感覚か! そんな感覚、今まで信じてなかったがなぁ。これがその感覚なのか! すげえぜ!!」
「お気に召していただけた様で何よりです。どうでしょう? ちょうど実験台もいることですし、一つ力を振るってみては」
男が言うと二人の従者たちを縛っていた影が見るまに消失した。
「ひっ、ぁあ………ああああ!!」
男の発した言葉……その意味を理解し、身体が自由になった二人が最初に取った行動は、その場から全速力で逃げ出すことだった。
グシャッ
逃げ出した矢先、またしてもその足が止められる。
従者の一人が出入口のすぐ横の壁に叩きつけられ、壁一面に血の花を咲かせたからだ。
その有り様は凄惨の一言。腕や足はあらぬ方に折れ曲がり、ぺしゃんこになった肉塊……それがたった数秒前まで人間であったと、判別も難しい程に。
「ぅあ……ああ……」
もう一人の従者は腰が抜けてその場にへたりこんだ。
栄太はそんな従者に向けて、ゆっくりと歩み寄って行く。
そして従者の真後ろに立ち、ニタァと口角をつり上げ、大柄な体格に見合う大きな掌で頭部を鷲掴みにした。
「楽しいなあ、おい! お前らこんなに脆かったのかよー、ぎゃはははは!!」
「たす……助けて………」
「ああ、今なら分かるぜ。俺は今まで知らなかったんだな………本物の力が、こんなにも楽しいもんだってな!!」
メキメキミシ……グシャッ
栄太は従者の頭を握り潰し、血しぶきが噴き上がった。
そこに残るのは眉間に指が食い込み、抉られ、頭部の上半分が獣に食いちぎられたような、二体目の肉塊。
そしてそれを恍惚の表情で見下ろす、血の雨に打たれて制服を真っ赤に染め上げた栄太だ。
「ひゃはははは!! 最高だぜ!! 最高の気分だ!! 怖いくらいに何も恐くねえ。俺をバカにしてきた奴ら全員、この力でミンチにしてやるよ!!」
「ええ、その意気ですよ。及ばずながら私めもお手伝いいたしましょう。ただし、大事の前には小事がつきもの。まずは邪魔者の生徒会、風紀委員会を排除してしまいましょう」
「はっ、風紀委員会も生徒会も、今の俺の敵じゃない! 良いだろう、手始めに連中からぶっ殺す」
「素晴らしい。期待が膨らみますね」
「明日の巡回は生徒会の担当だったな。まずは連中からだ。お前は俺が戦いやすいよう場を整えておけ。手伝うってんなら、それくらい出来んだろ?」
「承知いたしました」
男は恭しく礼をする。そこで栄太はふと、取るに足らない疑問が浮かんだ。
「そう言えばお前、名前は? 俺が直々に聞いてやるんだ、ありがたく名乗れ」
「これはこれは、申し遅れました。私は橘花院士緒と申します。貴方様に覚えていただくほどの者では御座いませんが、記憶の片隅にでも置いていただければ幸いです」
「ふん、確かにな。んじゃ、俺は一度家に帰る。返り血でべとべとだ。明日、準備ができ次第呼びに来い」
言いたい事だけ言うと、栄太はその場で砲弾のような勢いで跳躍し、学園の敷地外に出た。
士緒はニコニコとその背中を見送っている。
「とりあえず、術式の実験は成功みたいっすね。それにしても……あそこまでの馬鹿とは思ってもみなかったっす。自分が誰の掌で踊っているのか、本当に分かってないんすかね?」
「そういうものです。人は偶然、あるいは自分の意思だと思っていても、誰かの思惑の上に成り立つ盤上の駒としてしか生きられません。生き物である限りは、大なり小なり、そこからは抜け出せない。私も梢も、例外ではありませんよ。尤も、我々から見れば、彼は可愛げがある方ですがね」
「首を傾げる犬ころじゃないんっすから………あの馬鹿がそれに気づかなくても仕方ないってことっすか?」
「まぁ、盤上の駒でも、たまには盤外から俯瞰して見たいと思う事はあります。私などがそうですから。ですが、彼は自らが駒である事を知る機会を逃した。明らかな彼の怠慢、思考停止による結果です。それで彼が破滅しようと、私の知った事ではありません」
「さすが若っす! クズには容赦無いっす」
梢の様子に士緒は柔らかく微笑みながら、どこからか取り出したスーパーボール程の物体を軽く頭上に放る。そして頭頂部に触れる直前の位置で袋の様に広がり、顔をすっぽりと包みこんだ。
次の瞬間、そこには黒沼公浩が現れていた。
スーツは梢の影で簡易的に作った物で、それを解けば一瞬で学園の制服に戻れる仕掛けだ。
「さて、梢。死体を片付けてくれますか?」
「合点っす」
梢がちょちょいと指を動かすと、影が生き物のように床や壁を這いずり、独楽石家の従者だった物を呑み込む。瞬く間に、その痕跡ごと消し去って見せた。
「屋上全体の結界を梢一人分まで狭めます。扉の封鎖も解いて良いですよ」
士緒が言うと扉の内側から隙間を通って影がぬるりと這い出てきた。そのまま、先ほど死体を呑み込んだ影と同様に梢の影へと合流する。
「注意して帰ってくださいね。この街で我々にとって安全な場所は無い……そう考えるくらいがちょうど良い」
「了解っす! 若もお勤め頑張ってくださいっす。あと……できればちょくちょく連絡が欲しいんっすけど………くだらないことでも何でも良いっすから!」
「勿論、報告は怠りません。梢も最近は仕事熱心で喜ばしいです」
女心が分かっていない士緒の、相変わらずのズレた認識に梢はガクッと肩を落とす。
毎度の事ながら納得いかない気持ちで梢は拠点へと帰還した。
★
梅雨明けで暑さも少しだけ本格化してきた晩。
生徒会役員4名と風紀委員一名による混成チームは、九良名市の未開発地域で空き地や建設中の建物が多い区画の巡回を行っていた。
「やっぱりそうそう毎晩のように鬼は現れないね。いやいや、平和な事は良き事かな」
「そうだよ公浩くん。前にいた所は知らないけど、この街では多い時で週3くらいだから。個体の強さがちょっとだけ平均を超えてるかもだけど」
「まあウチらも他所様と比べて優秀なんが揃っとるし、数もやや多いからな。余剰分こちらからの出張があるわけや」
その日は風紀委員の新メンバー……黒沼公浩と、生徒会による交流会のようなもので、お互いの能力や性格などの理解を深めるのが目的だ。前日のうちに生徒会長の三王山梓から風紀委員長の斑鳩縁に向けて申し出ていた。
縁としても、黒沼公浩を生徒会に高く貸し付ける算段をしていたため、ちょうど良いとあっさり許可を出している。
「それにしても眼福なメンバーだ。会長さんに副会長さん、風音さんに凛子さん……こうも揃うと、ついニヤけてしまうね」
褒められて悪い気はしないのだろう。風音は恥ずかしそうに頬を染め、凛子は上機嫌に公浩の頭をホールドし、鳳子はそこはかとなく苦笑気味。梓は………完璧なポーカーフェイスで微動だにしていない。
四人とも、反応に分かり易い差異が見えた。
「そう言えば……生徒会には他にも四人のメンバーがいるって聞いたけど、まだ顔を合わせた事は無いなぁ」
「男子三人は偶然会う機会が無いだけだけど、もう一人は今ちょっと……」
「止むに止まれぬ暴走の結果、手痛い火傷をしたっちゅうところやな」
「……今は引きこもってる」
喜んで聞かせる話ではないが、隠す事でもないため、梓は鶫の引きこもりの原因について語りだす。
士緒は、やはりという思いがあった。はっきり言って同情の余地は無いと斬って捨てたいところだ。
しかし、今後の見通しの上で、それではあまり面白くない。
(これから鬼の勢力が活発に動き出しますからね。“真ノ悪”として動かずにそれらを始末する狙いもあるのですが……)
山本五郎左衛門が率いる“真ノ悪”には、いわゆる敵が多い。
どちらかと言えば鬼寄りの第三勢力であり、ある意味どっち付かずの組織と言える。
とはいえ、それは退魔師と鬼の二つの立場だけで考えた場合だ。中立……とまではいかないまでも、“その他”の勢力は確実に存在するのもまた事実。
そもそも鬼と退魔師が敵対するのも、理性の無い下級や中級の鬼が人を襲うからであって、圧倒的な小数ではあるが、それ以外の鬼が人間に味方する事も少なくない。
“真ノ悪”の最終目的の上でも、退魔師と鬼はある程度、共倒れしてくれるのが理想なのだ。
「精神的にまだ未熟と分かっていながら前線に出す。そのリスクは分かっていたでしょう」
「……分かってる。私の責任」
風音が何かを言いたげな顔で梓を見つめる。鶫が引きこもったのはむしろ自分の力不足だ。梓のせいではない。
そのことは何度も言っているのだが、梓は指揮する立場としてそこだけは譲れないと頑なだった。
そんな責任感の強い生徒会長を見ながら、公浩が笑みを向ける。
「もっとも、僕はその場にいませんでしたから、責める権利はありません。でも、その場に居た人も含めて責めていないと言うのなら、その言葉はもっとしっかり聞くべきです」
「……………」
仲間内でどんなに気にするなと言っても、仲間だから言ってるだけだと受け取ってしまう。そんな時、新しい第三者からの言葉は思いの外すんなりと入ってくるものだ。
チラリと隣に視線を向けた梓と、鳳子の目が合った。
その目からは、散々繰り返して来た励ましの言葉が、ようやく少しだけ喉を通ったような雰囲気が伝わってくる。
たまには新鮮な風を入れて話をしてみるのも悪くないものだと、鳳子は嬉しそうに公浩を見た。
風音も凛子も相好を崩して肯定の言葉を口にし、梓の肩と頭をポンポンと優しく叩いている。ただ、子供扱いが気に入らなかったのか、凛子にだけ反撃が凄い。
「黒沼君は女の子を慰めるのは得意なのね。ねえ? 風音ちゃん」
「っごほん! 副会長、変な事を言うのは止めてください。それ以上言うなら凛子にセクハラさせますよ?」
見ると凛子が両手をわきわきとさせている。鳳子は「あはは……それはちょっと」と苦笑いだ。
鬼を警戒しての巡回で薄暗い開発地域を歩いている五人の周りだけが、少しだけ明るさを取り戻したような気がした。
そんな時、せっかくの楽しい空気に水を差す者がいた。
それを感じた梓が、鈴のような声を険しくして警戒を促す。
「……! 何かいる。この先の空き地に――――っ!?」
突如、梓の顔が凍りつき、普段でもあまり見られない警戒の色が濃く浮かんでいる。
それを見た他の生徒会メンバーも、同様に前方を見据えていた。
「……相手もこっちに気づいてる。この前と同じ、ニヤけ面を張り付けてる」
生徒会メンバーは、先日の一件で見た顔を思い浮かべて息を飲んだ。
「まずい相手ですか?」
「……とびっきり。逃げるのも難しい」
「そうね。また見逃してくれるのを祈りましょうか」
「やるしかないんとちゃいます? アレぇ使えば、時間くらいは稼げるやろ」
全員の視線が梓へと向く。
最終的には梓が決定し、そして誰もそれに逆らわない。強い信頼を背に受け、梓は答える。
「……行く。全員、“真宵符”の準備をして。私と風音、凛子と鳳子、そして黒沼の順で隊列を組む。まだ連携に対応出来ない黒沼は援護と周囲の警戒に専念して」
各々が了解の返事をしたのを確認して、梓はしっかりとした足取りで踏み出した。




