第4話 海辺で嫌味 初級編
バキッ!!
九良名学園第三校、学園長室にて。
学園長兼理事長代理、三王山 亜笠は憤りのあまり、携帯片手にデスクを破壊する。
机は真っ二つに割れ、内線電話はふっ飛び、しかし大事なノートパソコンだけは秘書がスッと避難させていた。
「そんな言い訳は聞いてねえんだよ!! いいか? あたしの生徒たちがひでえ目にあってんだ。もしあんたら老いぼれどもの尻拭いをさせようってんなら、うちの変態オヤジの頸を落として当主の座をぶん取ってからお前らのとこへカチコミに行くぞごらあ!!」
防音がしっかりしている部屋で心底良かったと、亜笠の専属秘書にして金髪美女と評判のジェーン・スミスは安堵した。
ジェーンは常々思っていた。少しは妹である梓の落ち着きを見習ってほしいものだ、と。
「ああ!? 事情を話すだけのことがそんなに難しいのか!? それが無理なら理事長を戻せ! いま海外? んなことは知ってんだよ!! だからそれを呼び戻せって言ってるんだよ耄碌ジジイ!! ああん!? 何を検討するって? おい、話は終わってねぇぞ! 聞いてんのかジジイっ――――ちっ、切りやがったあの干物どもが。くそっ!」
亜笠は携帯に向かって悪態をつき、乱暴にスーツのポケットに仕舞った。
タイトなスカートで足を組み、椅子にふんぞり返るその姿は、とても生徒には見せられないものだ。
「聞くまでもありませんが、どうでしたか?」
「ああ? 敵の言うことを真に受けるなの一点張りだよ。真に受けるもなにも、こんな虫食いだらけの報告書と寝言しか寄越さないくせによく言えたもんだ」
亜笠が投げ捨てるようにデスクに放った書類の束は数年分の報告書の一部……退魔師協会が有している橘花院士緒と“千影”の情報だ。
ただしその内容を見てみると、眉をひそめざるを得ないものであった。当然ながら亜笠の手元にあるのは原本ではなくコピー……秘匿、機密の類と言えばマシに聞こえるが、要するに要点や都合の悪い部分が黒く塗り潰されていて読み取れないゴミである。
「橘花院士緒ですか。かつて鬼に滅ぼされた退魔師の家系、とのことですが」
退魔師協会の内部組織、鬼との戦いにおいて陣頭に立つ“社”から降りてきた情報はそれだけだった。
全国の“社“から集まる情報の中には接敵、調伏を含めた、存在を確認された鬼の情報が全て含まれている。
それだけしか情報が降りてこないのは、少なくとも“社”が橘花院士緒と名乗る鬼の存在を把握していないという事。あるいは未確認の存在……アンノウン扱いにされた案件の中にいた可能性がある。
「いち退魔師の家つっても、調べさせた上でそれだけしか情報が無いのは不自然だろ。明らかに“相談役”のジジイどもが“社”にも圧力をかけてやがる」
「その“相談役”から辛うじて降りてきたのはアンノウン……コード“インビジブル”の資料ですか。まだ可能性の段階とは言え、“千影”の存在といい、本物であればシャレになりません」
退魔師協会にIRと呼称される規格外過ぎる化け物。国内外問わず、凄腕の退魔師が殺害された事案、その中でアンノウンとなったものは6割以上がイルの仕業であるとされている。
確認できているだけでも6割、殺害以外の事案を入れると更に1割。それらはまとめてコードインビジブルと呼ばれ、秘匿案件となっていた。
「昨晩の男が本当に四宮本家を全滅させたIRならば、退魔師協会の総力をもってでも滅するべきかと」
「その通りだが、こんな時に限って理事長は海外、腰抜けのジジイどもは隠し事で忙しい。九良名の“社”所属の退魔師と、あたしら学園の戦力を足しても勝敗が読めん。なにせあの四宮洋一郎と殿町宗玄を含めた200人の退魔師が居た村を全滅させたんだからな。まったく底が見えない敵だ」
「目的は本当に復讐だと思いますか? 何故、今になって姿を晒したのかも気になりますが、もし仮に封印の解放が狙いだとしたら……」
「ま、この街で目当てとするならそんな所か。神野の復活なら厄介な事態だ。“禍神”の方なら、とんでもなく厄介な事態だ」
封印が狙いであるよりは、まだ復讐であってくれた方がましな気がするのは、なんとも不思議な感覚と言えた。
「復讐はカムフラージュと考え、封印の解放が目的だと想定しておくのがいいだろうな。でなければ神崎があの程度の軽傷で済むはずがない」
風音に目立つ怪我はほとんど無かった。怪我と呼べるものはせいぜいが擦り傷と、僅かに腫れた右頬ぐらいだ。
「神崎さんを痛めつけたのは四宮さんの『色装の黄』と似た能力であると分かりました。苦痛だけを三~五割増しで伝える顕術のようです。ただ四宮さんのと違ってダメージの蓄積はありませんでした」
「下衆野郎は復讐に酔っているように見せて、かなり理性的ってことか。梓も言っていたが、いろんな意味で胸くその悪い敵だな」
ジェーンは心の中で、口が悪いのは姉妹で似てしまったのだろうか? などと思ってしまった。
もっとも妹の梓はキレ気味の時にしか言葉使いが荒れることは無いが。
「とにかく、しばらくは理事長の力も借りられない。事実確認もできない。戦力も情報も十全とは言えないが、やれるだけはやって見せようじゃねえか」
「当面は“社”との連携を強化して情報収集と、いざ現れた時の即時対応を徹底しましょう。昨夜の鬼と影以外にも何を仕掛けてくるか分かりませんから」
「細々とした事は任せる。あたしは生徒たちの相手だ」
「そう言えば明後日の転校生の件は、やはり生徒会に任せるのですか?」
二日後に来る転校生。正規の退魔師の家柄で身元はしっかりしている。
この時期の転校生ということでよく調べたが、不審な点は見つけられなかった。
「そいつも退魔師の端くれだ。そこまでの世話は必要ない。最低限の説明が終わったら後は自由にさせとけ」
「戦力としてはどうなのでしょう? 今は猫の手も借りたいくらいですから」
「その裁量も生徒会に任せるさ。まあ、それもこれも含めてこれから生徒会と風紀委員会を梯子だ。四宮も神崎も、怪我した風紀委員たちも心配だからな」
口が悪い亜笠だが、生徒思いということで誰からも信頼が厚い女だ。
「それと、言い忘れる前に言っておきます。いい感じにまとめようとしてるところ申し訳ないのですが、机の費用は学園長に請求しますので、今晩の酒代は控えめにした方がよろしいですよ?」
「……今度はもう少し安い机にしといてください」
その晩の亜笠はまったく酔う事はなく、じっくりと生徒の心配に心を割いたのだった。
★
(ふむ。まさかこんな所で出会えるとは…どうしたものでしょう)
士緒は特殊な変装で見た目も声も全くの別人――――地味でおとなしそうなどこにでもいる学生――――となり、ジャージを着用して日の出前の早朝ランニングをしていた。
学園近くのアパートに部屋を借り、先日引っ越して来たばかりだ。
性格は温厚、真面目、丁寧。誰からも好かれる好青年という設定のもと、士緒はそれを実践していた。
海辺の街である九良名の外周を二分する距離を往復している内に、浜辺で木刀を振っている少女、いつもつけているカチューシャで髪を纏めた神崎風音を見かけた。
「ふっ! せいっ! やっ!」
(先日の件を引きずっていますね。少し力み過ぎです)
普段の風音を知らない士緒だったが、それでも風音の不調は手に取るように分かった。
生徒会の役員で、正規の退魔師にも引けを取らない実力のある彼女が、まるで素人に毛が生えたような素振りで剣の型を行っていれば嫌でも分かるというものだ。
「見ていられませんね」
今後利用しようという生徒会に倒れてもらっては動きにくくなる。これまでの生徒会のデータを元に計画を組んでいるのだから、強くなられるのならともかく、瓦解されては目も当てられない。
士緒は好青年らしく笑顔を浮かべながら風音のもとへ近付いていく。
「精が出ますね」
士緒は風音が行っている型の切りがよくなったところで声をかけた。
「……恥ずかしい所を見せたわね。それ、見たところ第三校のジャージよね。失礼だけど名前を聞いても?」
「黒沼 公浩と言います。今日から第三校の2年です。あなたも見たところ2年生ですよね? ジャージの色が僕と一緒ですから」
「うん、まあね。転校生の話は聞いてるよ。実力派退魔師の家柄だってね。君も結構な使い手だって資料に書かれてた」
「あ、もしかして生徒会の方でしたか? 失礼しました、気安く声をかけてしまって」
公浩はピシッと姿勢を正した。
風音はそれを見てクスクスと笑っている。
「気にしないでよ。生徒会はそんなに堅苦しくないから。ああ、ごめん。私は神崎風音。一応は生徒会で庶務をやってるよ」
「生徒会は皆さんやり手だと聞いてます。僕も出来ることなら生徒会か風紀委員でこの身を振るってみたいものです」
公浩の言葉を聞いて、風音は表情を暗くした。
目に力は無く、伏せた顔からは絶望に近い色が見え隠れしている。自らの無力さを痛感した者の目だ。
「やめた方が良いよ。今この時期に限っては。黒沼くんもタイミングが悪過ぎるよね」
表情だけでなく声も暗い。自嘲にも似た乾いた笑いも混ざっていた。
公浩も笑みを消し、真剣な眼差しで風音を見据える。
「詳しくは知りませんが、何が起きたのかはスミスさんから大雑把には聞いています。僕も実際に対峙したわけではないので偉そうな事は言えませんが、これだけは言わせてください」
公浩は、士緒である時より少しだけ言葉を崩し、あくまで学生の持ち合わせる丁寧さで言葉を紡ぐ。
「生徒会の役員がこんな腰抜けだったとは、がっかりも良いところです。無様で滑稽な姿は笑えますが」
「…………」
風音の目が点になった。
もっと甘やかす言葉が来ることを心のどこかで予想し、期待していたから。
「さっきの型はなんですか? お遊戯ですか? 肩に力が入り過ぎ、腰が回り過ぎ、踏み込みに勢いが無い。何より気持ちが乗ってない………道化ならまだしも、一線で活躍している退魔師の姿だと思うと泣けてきますね」
「っ…………」
怒りは強まる一方だ。
何も知らないくせに、何も出来ないくせに。言うだけなら何とでも言えるだろう、と。
しかし結局、言い返す言葉は出てこなかった。全て事実だと、風音自身、心の何処かで理解していたのだから。
「こんな素人が籍を置ける組織に入ろうと思っていたなんて、僕も愚かでした」
「っ――――なによ………好き勝手言って」
辛うじて捻り出した言葉に、公浩は嘲るように笑って見せる。
風音は血が滲む程ぐっと木刀を握りしめ、同時に目にも光るものが溜まっていた。
「どうしました……腰が抜けて喧嘩も買えませんか? その木刀で、僕を殴ってみたらどうです」
「!? するわけないでしょ、そんなこと! 私は、守るべき立場なの! 退魔師は人を守るカッコいい存在なの! 私は滑稽でも腰抜けでもない!!」
理屈など無い。怒りのまま、思うままにぶちまけただけの言葉。
それでも、その言葉には芯が通っていて、信念があった。
だいぶ力を取り戻している瞳が、それを物語っている。
「……なら、ぶるぶる震えてないで守ってください。僕みたいな弱い人間を、神崎さんが強くなって、守って見せたらどうですか?」
「強く、なって……」
風音の目には、今度こそ完全に力が戻っていた。
今ならはっきりと認められる。自分は、怖がっていた……ナイフのような嫌味で容赦無く突き刺されたが、その通り、正しく腰抜けだったのだと。
強大な敵への恐怖が消えたとは思わない。だが恐怖心を踏みつけにした時の言い知れない爽快感を思い出した。
何かを決意し、その感触を確かめるように、木刀を握る手を見つめて。
「こんなチョロい相手、この場で引導を渡してしまうのも有りですね。今なら簡単に倒せて、名前を上げられそうです」
「……へぇ、言ってくれるじゃない」
公浩と風音は見つめ合う。そこに険悪さは無い。
風音は木刀を持った手から最低限の力を残して脱力し、交差する視線にいっぱいの力を込めた。
海の向こうから日が昇り始める。
日の光を受けながら、公浩は風音に背を向けて数歩だけ距離を置き、振り返りった次の瞬間、
ブオンッ!!
二人の立っていたちょうど中間の位置。公浩の突き上げた拳と、風音の振り下ろした木刀がぶつかり合い、衝撃で砂を巻き上げる。
本当の意味で一瞬の出来事。
足下の砂は円形に抉れ、二人の周りには暫く風がそよいでいた。
「何が、僕みたいな弱い人間、よ。謙遜もいいところ。スピードで私と張り合えるなんて」
「これが精一杯ですよ。息が切れて心臓がバクバクです。それに本気でぶつかり合っていれば、僕の拳は砕けていたかも………ええ、さっきの言葉は訂正します。生徒会役員は侮れませんね」
二人は拳と木刀を下ろした。公浩は額の汗を拭い、風音は軽く木刀を素振りする。
「………うん。調子、戻ったかな」
誰のお陰かは言うまでもないが……会話を思い起こせば、お互いに礼を言う筋合いも言われる道理も無いと分かるため、風音の本心はどうあれ何かを言う事は無い。
風音が薄く笑みを浮かべて木刀を振り始める。
それを見て公浩が浮かべるのは苦笑だった。
適当な事をペラペラ喋っただけだと言うのに、そんなので調子が戻るとは。単純と言うかポジティブと言うか。
公浩は、風音がポジティブなのだろうと結論づけた。
「僕はもう行きます。それと今後、生徒会で仕事があるようなら是非とも僕を使ってください。少しでも取り入って、退魔師としての経験を積みたいので」
「そういう黒い話は私以外としてくれる? あと敬語、同じ2年なんだし気にしなくていいから」
「僕はこれがスタンダードなしゃべり方ですけど、まあ少しは砕けたしゃべり方も悪くないかもね、神崎さん」
「風音でいいよ。私も公浩くんって呼んで良い?」
「しめしめ、です。何故だか好感度は上がりましたね。このまま調略を進めてしまいましょう」
風音は木刀で公浩の頭をコツンと叩いて、「調子に乗るな」と笑った。
公浩……士緒の目論見通りの結果は出た。少し感情移入が過ぎたかもしれないが、黒沼公浩という男の下地はできた。
情報収集において人間関係の構築はあらゆる事態に影響する。
思わぬ所でその足掛かりができて、士緒はほくそ笑んだ。
主人公の偽名が平凡?
oh、何を言っているのかワカランずら




