第3話 復讐者
復讐者を書くのは難しいです。
気づけばイイ人っぽい悪人になってしまいました。
「貴女のお父さん、四宮洋一郎は……私が殺しました」
「っ!!」
「鶫っ!」
風音は側で目を大きく見開いている鶫を庇うように身を割り込ませる。鶫と士緒を結ぶ線の上、相手の視線から鶫を守り、そして相手を視界に収めた鶫が暴走しないように守る意図で。
そんな風音を嘲笑ったのか、それともただの挑発のつもりなのか、士緒の声音が小さく跳ねるように言葉を紡ぐ。
「あれは傑作でした。最後の瞬間まで地面に這いつくばって命乞いをなどをして………俺は悪くない、娘がいるんだ、死ぬわけにはいかない、とか何とか」
「耳を貸さないで鶫! 挑発に乗らないで!」
「貴女のために指の一本でも遺しておけば良かったでしょうか? 跡形も無く消してしまったので、色々と思うところがおありでしょう……ああ、そう言えば」
その微笑には、こちらを見下す以上の意味は見出だせない。そのような下衆としか、風音は士緒を見ることが出来なくなっていた。
さらには背中で爆発しそうなほど膨れ上がる鶫の怒気や殺気がビリビリと伝わってきて落ち着かない。
風音は必死で落ち着くように言い聞かせる。
「鶫、堪えて! 迂闊に仕掛けちゃ――――」
「お父さんは最後、涙ながらに貴女の名前を呼んでいましたよ。実に不様でした。貴女にもお見せしたかった、ツグミさん」
「っ!!? 気安く――――」
その瞬間、ダムが決壊したかのように感情が溢れ出た。
「待って! 落ち着きなさいっ!!」
「呼ぶなああああああ!!!」
鶫は風音を突き飛ばして前に出た。憎き敵の顔を捉えながら、一直線に突進していく。
風音は鶫を止めるために、それが無理ならフォローに入ろうと遅れて走り出した。
「ふむ。愚かな所は父親にそっくりですね」
その言葉は挑発抜きの正直な感想だ。
猪の如く突撃してくるタイミングに合わせて、士緒は通力の顕を発動した。
「『絶燕結界 イチマル式』」
正面と真横、上空へと、背後を除いた全ての方向に波紋のような何かが伝播していく。
広範囲にドーム状に広がっていく波紋は一瞬の内に鶫と風音を呑み込んだ。
しかし鶫はお構い無しに突っ込み、士緒へと肉薄し、今まさに殺す気の一撃を打ち込もうとしている。
鶫がその身に纏うのは『重装剛気』という顕術。普段から多様している『色装』……その性質を重ね掛けするための純粋な能力強化の技。
さらにもう一つは、通力がガントレットの形を成した『剛衝鎧』という名の、『色装』の発展型。触れたものは己を含め、物体であれば例外無く壊す鎧を顕現させる……ある種の捨て身の技。
どちらも四宮家に伝わる奥義だ。鶫はそれまで練度が足りず、上手く発現できなかったそれらの技を、今この瞬間に成功させた。
この技をもって、鶫の実力は特一級の退魔師の中でも上位に匹敵するものとなっている。
もしも技を受けたのが梢の方であったなら、あるいは痛手を与える可能性もあった。だが実際に対峙したのは士緒。つまり……
「相手が悪かったという事です」
鶫の拳は届かない。圧倒的な速さと破壊の威圧感は完璧に殺されたのだ。
鶫と風音、二人ともが走った態勢のまま時間を停止させていた。
いや、僅かにだが動いてはいる。僅かずつ、あり得ない程ゆっくりと、緩やかに。
「先程の波紋……軟性の結界なのですが、それに呑まれると一時的に速度を奪われるというだけのケチな技です。ついでに言うと、実際には時間や空間、思考速度や神経速度などには影響しません。速ければ速い程、元に戻るまで時間がかかりますが……やはりそれだけです」
士緒は目の前の鶫を素通りし、そのすぐ後ろに迫っていた風音の前に進み出る。
「――――」
「神崎風音さん。貴女に恨みはありませんが、ちょっとだけ私の役に立ってもらいます。これで四宮さんも思い知るでしょう。無知であった事を嘆くでしょう。四宮家を、父親を……少しは恨みに思うでしょう」
そう言うと士緒は、焦りの表情のまま固まった風音の頬を撫で、そのまま流れるように首へと手をかけた。
「っぐ!? ぁ………が」
士緒が触れた箇所から速度が戻り、首を絞めながら持ち上げられるという状況が残った。
「お仲間の助けは期待しない方が良いですよ。便利な結界を沢山使っているので、しばらくは駆けつけられません。ほら、生徒会長さんの声も聞こえなくなっているでしょう?」
風音は射殺さんばかりに士緒を睨む。
士緒は心地よいと言わんばかりに微笑を湛える。
「参りましたね……私はどちらかと言うと嗜虐的な嗜好なのですが、貴女のその殺気を受けると……ゾクゾクしてしまいます、ねっ!」
士緒の膝が風音の腹部に突き刺さった。
「――――っかはぁ!」
体内の空気がいっぺんに抜けたようになり、慌てて酸素を取り込もうとするが上手く呼吸が出来ない。
痛みは分からなかった。代わりに苦しいという感覚が続いている。
「げほっ……ごほ、ごほっ」
地面に降ろされ、膝立ちの状態で咳き込む。そんな風音の苦悶の声が鶫の耳に届いた。
「ふむ。ここでは四宮さんの視界に入りませんね。ほら神崎さん、もう少し向こうに行きましょう」
士緒は風音の胸ぐらを掴むと、いまだ腕を振り抜こうという態勢で停止している鶫の足下に放り投げた。
「うっ………ぁ」
士緒は鶫の前に転がった風音を再度掴み、より鶫の視界に入りやすい位置まで引き摺る。
「この辺ですかね。四宮さん、よくご覧になってください。貴女の……“六家”の犯した罪は、貴女がたの苦しみをもって精算していただきます」
「あぐっ!」
蹴る。蹴る。蹴る。腹を。肩を。脚を。
蹴る事を繰り返す。ボールでも蹴るように転がし、最初の位置から離れすぎると、回り込んで元の位置まで……また蹴り飛ばす。
それが終わると、夏服の薄い生地を掴んで無理やり立たせ、右手の甲で頬を強く張った。
パシンッと柔らかい頬から小気味良い音が鳴る。衝撃で髪を留めていたカチューシャが外れ、飛ばされた。
「痛いですか? 痛いですよね? 解りますよ、私も痛かった! この心臓を壊された時は!!」
もやは反撃するだけの気力もなく横たわる風音の横顔に足を落とし、踏みつけた。
「あはははは! どうですか四宮鶫さん! 貴女のお父上も、こうやって足蹴にしたんですよ!!」
士緒は風音の頭を踏みつけて靴の裏を擦り付ける。
鶫は泣いていた。目を逸らしたかった。しかし首を動かすことも目を背けることも、全ての動きが遅い。
感情のままに突っ走ったことを後悔することでさえ、遅すぎたのだ。
「………ふぅ。さて、こんなものでしょうか。すみませんね、少々熱が入ってしまって」
風音の目は焦点が合っておらず、ぐったりと倒れて意識があるのかも分からない。
風音をそのままに、士緒は鶫の方へと歩み寄る。
「四宮さん。貴女がたの罪に関しては、もっと上の人間……“六家”の御当主あたりにでもお聞きになってください。他にも事情を知っている人はいるでしょうし、調べたければ御自由にどうぞ」
士緒が鶫の肩に手を置くと、鶫の時が戻る。勢いは殺されたまま、鶫はその場でぺたんと崩れ落ちた。
「ごめんなさい……あたし……あたしのせい………」
言葉は発するが、放心状態だ。
今はまだ、あるいはこれから暫くは……いや、もしかしたら死ぬまでこのままかもしれない。
それは士緒にとって上々の出来と言える復讐の形だが………
「ですが、今壊れられるのは少々早い気もしますね。ふむ……仕方ありません。少しだけ手を加えますか」
士緒はへたりこんだ鶫に手を伸ばし、そして……その手は空を切った。
「思ったより早かったですね。どのくらいの無茶をしたのか、差し支えなければ教えていただけませんか、生徒会長さん?」
「……黙れ、下衆」
140センチ台の身長。身の丈ほどの長いストレートの髪。風鈴を思わせる涼しげな声音。
左腕で自分より大きくて重いだろう鶫を抱え、右腕は肘から先が火傷で痛々しく爛れている。
私立九良名学園第三校の生徒会会長……三王山 梓。こう見えて3年だ。
「インターセプトの代償はその火傷ですか。随分と高くつきましたね。せっかくの白くてお綺麗な肌でしたでしょうに」
「……胸くそ悪い事を」
士緒が張った結界は見事に破られていた。その証拠に他の生徒会メンバーも集まりだす。
「風音ちゃん!? しっかり! 工藤君、診てあげて」
風音を抱き抱えているのは生徒会副会長……天ノ川 鳳子、3年。梓と同じぐらいに長く綺麗な黒髪のストレートは性別を問わず目を引くだろう。
駆け寄って怪我を診ている男子生徒は生徒会会計、工藤 正臣、2年。目立つ特徴は無いが、場慣れした落ち着いた雰囲気を纏っている。
生徒会役員は8人。全員が士緒の持っているリストの上位に名前がある。正規の退魔師たちを差し置いて、というなかなかの高評価でだ。
「うおっ、磯野に海北もかい! ちょい待っとき、今外したる」
凛子がランスを横に置き、基礎の技の一つである『纏』を使う。慎重を期して危険物などに触れる事を目的として作られた顕術を使い、二人を拘束している影を掴んで引きちぎった。
「二人とも、怪我はある?」
「大丈夫です副会長。海北が当て身を食らって寝てるだけです」
「なら磯野君は海北君を、凛子ちゃんは風音ちゃんを連れて離脱して。この場は梓がいるから大丈夫よ」
言った本人が苦笑してしまいそうになる。あくまで時間稼ぎと撤退戦を念頭に、倒すなんて考えは捨てていた。
そしてそれすらも難しいだろうことは磯野も凛子も理解している。先ほどまでの光景を一部始終見ていた磯野は特に。
「あいつら……特に男の方はヤバ過ぎますよ。俺らも二人を運んだら戻りますんで、どうか気を付けてください」
言うやいなや、磯野と凛子は二人を背負って人避けの結界が張られた区域を、脇目も振らずに駆け抜けて行った。
「こほん……そろそろ良ろしいでしょうか? あなた方三人が私のお相手をしてくださると? そのお荷物を抱えて」
士緒は梓の横でへたりこんでいる鶫へと視線を向ける。それを遮るように梓は進み出た。
「やれやれ。四宮さん、貴女は誰かに守られるばかりではないですか。貴女のお父さんも、草葉の陰で泣いておられることでしょう」
「……それ以上喋るな。次その薄汚い口で戯れ言を吐いたら殺す」
「まったくよ。よくも私の自慢の後輩を苛めてくれたわね」
「暑苦しい展開は御免だが、今回は別だ。俺もちょいと機嫌が悪い」
三人とも、なかなかの気迫を纏っている。刺し違えることすら覚悟した目だ。
「美しい友情に感服いたしますね。ですが、私にあなた方の命をかけるだけの価値はございませんよ。なので私は逃げる事にいたします。梢、行きましょうか」
「合点っす」
「逃がさないわ……と言いたいところだけど」
鳳子は梓に視線をやると、向こうからも頷きが返った。何か言いたそうな顔の工藤だが、そちらからも反対の声は上がらない。
「……帰るなら好きにするといい。けどその前に、何故ここに来て、何をするつもりなのか、目的ぐらいは教えてもらう」
「目的ですか。ええ、構いませんとも、それぐらいでしたら。ずばり、私の目的は復讐です」
三人は視線を交わした。
嘘をついてるかもしれないし、本当かもしれない。表情からは読み取れず、人となりも知らない。
仲間を傷つけた敵という以外、目の前の男の情報は皆無。唯一、梓だけが風音と鶫への仕打ちを口伝千里で見ていたが、その時の言葉だけではやはり何とも言えない。
「信じられませんか? でしたら私の名前を仁科黎明に伝えてみてください。恐らく納得のいく答えは返ってこないでしょうが、彼が信用できない人間だということはお分かりいただけるかと」
「理事長? 何故そこで理事長の名前が出てくるの?」
「彼が信用に足る人物ならば、きっと答えてくださいますよ。それでは、私達はこれにて失礼いたします」
そう言って士緒は、軽やかな跳躍で近くのビルの屋上へと飛び乗る。そして三人に微笑を残し、優雅な歩みで姿を消した。
「………梓」
鳳子は梓に近寄ると、声をかけた。
梓は辛そうに顔を伏せている。
「……悔しいけど、あの男はまずい。あのまま戦ってたら、三人とも死んでたと思う。今回は……見逃されただけ」
「そうね、私もそう思うわ。でも何にしても、今は皆のところに帰らないと。鶫ちゃん、立てる?」
「…………は、い」
「怪我はあるか?」
「…………無い、です」
鳳子の問いにも工藤の問いにも答えられる程度には落ち着いてるが、日頃からの覇気が欠片も感じられない。
梓も、鳳子も工藤も、なんとも声をかけられなかった。
「…………すみませんでした、先輩方。全部……あたしのせいですよね? あたしが、皆さんを巻き込んで――――」
「鶫ちゃん、そんなこと言わないで。誰も悪くないの。風音ちゃんだってそう言うはずよ」
「あまりくだらない事を言うな四宮。それと思い上がるな。これは退魔師として当然でありふれた状況だ。避けては通れない」
「…………はい」
気の無い返事だが、皆その場は説得よりも帰還を優先させることにした。
★
士緒と梢は、あらかじめ用意していた転移の結界、『駿空結界 サン式』を使い、拠点となるマンションの一室に転移した。
生活空間として最低限の体裁を保てるだけの家具が置かれた簡素な部屋。その中でも転移前の部屋は、もはや何も置いていないと言える。
「はあー、何度見ても便利な術っすね。人類史上初のテレポートを若が開発したなんて、いっそ自慢したいくらいっす」
「駄目ですよ? これは我々の切り札の一つですから、できれば知られたくありません。それに固有秘術の中には転移も無いわけではないですし、史上初というのは語弊があります」
「術式として確立したんっすから、若が一番っすよ」
“通力”とは、それによって起きた現象、その根源となる力――――魔力とも言う――――の呼び名である。
現象の方は“通力の顕”、または“顕術”という呼び方をする。
そして術式と言うのは通力の顕を儀式的、または逆に簡易的にすることで形式化し、通力を通すだけで誰でも発動する事ができる顕の事。俗に言う呪文や魔法陣、霊符や、珍しいところでルーティーンなどの形をとる事も。
士緒は転移の術式を長い退魔師の歴史上で唯一完成させたのだ。これが学門の分野ならばノーベル賞3回分に相当する功績だっただろう。
「まだまだ改良の余地はあります。それに転移術式は全て焔と澪を参考にして、さらに細かなデータも提供していもらいましたから、ほとんど彼女たちのおかげです」
「む~、またあいつらの話っすか。それでも若が成したんっすから、もっと自慢していいっすよ」
士緒は膨れっ面でそっぽを向いた梢をカワイイなと思いながらニコニコと眺めていた。
「大体っすね、若は女の子に甘過ぎっすよ。なんっすか? さっきの神崎って小娘へのあれは。怪我させないように物凄い丁寧に扱ってたじゃないっすか」
「そんな事はありませんよ。ちゃんと苦痛は与えていたじゃないですか。四宮さんが使う顕術と似たものを使用したので、傷痕が残らないだけの歴とした暴力ですよ」
「はぁ~……分かってないっす。それが甘いんっすよ。女の子だからって傷が残らないようにすること自体、自分から見たら紳士の所業っすね。まったく、自分は若のそんなところがっすね…………大好きっすけど」
最後の部分だけ背中を向けてボソボソと口にする梢に対して、やはりニコニコと笑みを浮かべる士緒だった。
「ですが、やはり私は梢が言うほど優しくはありません。なるつもりも無い。女子供を含めてどれだけの人間を私は殺してきたか……知っているでしょう」
その言葉に、梢の雰囲気に一瞬で陰が落ちる。
「あんな奴ら、死んで当然っすよ。若が殺した人間なんてクズばかりじゃないっすか! あんな奴らのために若が心を痛めるなんて間違ってるっす!」
感情的になり、怒りで震える梢の肩を、士緒はそっと抱き寄せた。
震えは和らいだ。代わりに涙が零れ、梢は士緒の胸に顔を埋めた。
「自分の家族も、若の家族も……理不尽に殺されたんっすよ! ちょっとくらい………復讐したっていいじゃないっすか」
「……私は、復讐に悦びを覚えます。ですが、復讐に関係の無い人間も多く死なせてきました。それを、いちいち後悔もしていません。我々は大義名分を掲げただけの、ただの殺人鬼で十分です。だから梢……貴女が私のために泣く必要は無いんですよ?」
「……ぐす。優し過ぎる殺人鬼っす………温いっす………若はなんちゃって復讐者っすね」
「私は本当に優しくないのですが……焔も澪も、私の事を甘いとか優しいとか。そんな見る目の無さでは、いつか悪い男に騙されますよ?」
「若のほうこそ、いつか女に刺されるっす」
士緒は梢を仲間や家族として。梢は士緒を意識する異性として。
その交わらない感情にモヤモヤするのは、梢ばかりだ。