第2話 黒き影の夜に
“退魔師協会”が形態化したのは百年程前。
海外の退魔師と呼べる祓魔師たちの組織である“教会”や、その上位組織“大聖堂”に比べるとまだまだ日の浅い新参組織だ。
しかし、退魔師協会が古参の組織に匹敵する権力を有しているのは、他の組織より退魔師の質や量、様々な要素での総合力が抜きん出ているからである。
設立当初は実力を度外視して数を集め、次第に研究と育成を進めた。
思惑は見事なまでにはまり、今では人材だけなら世界一の豊富さだ。
人材のやり取りをするなら、退魔師協会から出す1人に対し、他の組織は4人が相場となっていた。金額で表すとその比率は逆転するという、古参からしたら面白くない図式も出来上がってしまっている。
そんな退魔師協会の本部、街一つを実験都市の名目でまるごと本部として作り上げ、その住民の大半が退魔師の家系という、退魔師協会の権力の象徴たる街“九良名市”。
他と比較して異質な点……それが顕著に表れているものが学園だ。その街で唯一、在校生全員が退魔師かそれに類する家系である“私立九良名学園第三校”。
そこでは特に高い素養、潜在能力、意欲……要は才能がある生徒は生徒会、もしくは風紀委員に所属し、より良い能力育成環境が与えられる。
その最たるものが“鬼”の調伏……実戦訓練だ。
鬼の活動の場はごく稀にを除いて夜間となる。
そしてその夜、九良名学園の生徒会は実戦の場に駆り出されていた。
役員は総出で、街に発生した多様な姿形の鬼たちを潰して回っているところだ。
「ふんっ!」
グォオオオオ!!
制服姿の少女が一閃した刀が月明かりを反射して住宅街に閃く。不気味に長い手足で、2メートル半を越える人型の巨体……恐ろしい形相の鬼を上下に両断し、そして鬼の死骸は黒い霧と消えていった。
そして少女が一枚の紙……同様の紙を所持している者と遠隔で通信を行える“通信符”を取り出して別動の人間に連絡をとる。退魔師の戦場では携帯機器よりは手頃な代物だ。
「こちら神崎。凛子、聞こえる? こっちはいま人型を一体始末したところよ」
『そっちは人型かいな!? ウチらは今ちょうど多鞭型を殺ったとこや。いや~風音にも見せたかったわー。副会長が触手に絡め取られてあへあへ言っとるところあだっ!? いたっ、痛いって副会長! あばっ! すんません! 適当な事言ってすんませんっした!』
平常運転の二人にホッとする風音。
しかしそんな二人とは逆に、今晩の鬼の数は異常だった。
夜間の街に鬼が発生することこと自体は珍しくもない。それでも一晩で多くとも10体に届くかどうか。現在、街中に出現している数は桁が違っている。
その対応に生徒会メンバーはてんてこ舞いだ。住民の混乱を避ける対策をしている事が唯一の幸いだろう。
「ただでさえ人数が割けない状況でこの鬼の数は辛いわね」
『仕方ないやろ。鶫の実家があないになってもうたんや。しばらくは鶫の守りを堅めるのが当然やろな』
四宮 鶫……四宮洋一郎の娘で、現在は学園の生徒会に在籍し、寮に身を置いている。
風音に言わせれば鶫は大人しく守られるタマではないが、それでも父親が消息不明というのは堪えたらしい。
本人は普段通りに振る舞っているが、それでも所々で気分が落ちているように見えた。
「やっぱり、あの子はしばらく外した方がいい気がする。今夜だってあの子がどうしてもって言うから――――」
『……鶫は外さない』
通信符による二人の会話に、通信符以外の手段で割って入った少女の声。冷淡さが窺える声の主は九良名学園第三校生徒会長、三王山 梓。無駄を排除した簡潔な言葉だ。
「会長、どうしてです? 今の鶫の立場は正直言って微妙です。安全圏に置いた方がいいんじゃないですか?」
『……この国で6本の指に入る安全な場所が落ちた。安全圏なんて無い』
「それは……そうですけど」
『……それに、鶫は弱い。戦力的な意味ではなく、精神面で。今はとにかく、何も考えさせないようにする』
確かに鶫の性格上、何かに打ち込ませれば、完全には無理だが気は紛れるだろう。
その間に事態が好転するか、鶫自身が吹っ切ってくれるのを待つ。
消極的だが、時間稼ぎと緩衝材、両方になりうる一手だ。
「それについては納得はしました。けれど、今夜の異常については、どうも胸騒ぎがします。風紀委員会はまだですか?」
『……もうすぐ着く。鬼は数ばかりで強さ自体はそれほどでもないし、これで捌ききれるはず』
『お、こっちに来たみたいやな。おーい、こっちや……って、酷い怪我やん!? あわわっ、倒れてしもうた!』
『……っ! すぐに工藤を向かわせる。風音も凛子たちと合流。注意して、その辺りが一番多い』
「鬼の増援か何かですか!?」
屋根の上を飛び越えながら、生徒会最速の風音は走る。
抜き身の刀身が妖しくも美しく光を引きながら。
『……闇い、“影”』
★
「おーおー、やってるっすねえ」
街で比較的に高層な部類のビルの屋上。梢と士緒は学生たちの奮闘を眺めている。文字通りの高みの見物というやつだ。
「なかなか善戦してますね。今作った影たちは一体ずつが上三級の鬼2体分でしたか。実力もさることながら、圧倒的な数に対応する適切さ。向こうの指揮官は優秀なようですね。高い所好きの梢がここに陣取ったのもそのせいですか?」
ビシッと決めた黒のスーツにピンと張ったネクタイ。人の生き死にが懸かった戦いを見ていると言うのにピクリとも動かない微笑が、そこにはあった。
「そうなんっすよ。この街で一番高い所で見ようと思ったんすけど、そこには例の生徒会長さんがいて諦めてきたっす。報告書の通り、恐ろしい程の範囲と正確さを持った感知系、通信系の“顕”っすね」
「正しくは“固有秘術”です。退魔師の数百人に1人ほどが持っている固有秘術……当人しか持ちえない稀有な才能です。それがこの街だけでも70人もいるとは驚きました。まあ九良名の人口が二十万人で、住民の半分以上が退魔師の家系と考えれば、多いか少ないかは何とも言えませんが」
もちろん、比率に関係無く70人という数は破格だ。しかしそのどれもが、士緒の敵になり得るものではなかった。
もっとも、固有秘術は先天的なものばかりではない。これだけの人間が集まっているのだから、いつ、どんな固有秘術を持った者が生まれても不思議じゃない。
「警戒は、過ぎるくらいがちょうど良いでしょう。その点も頼りにしてますよ、梢」
「任せてくださいっす! 影ならいくらでも生み出せるっすから、警戒も監視もお手のものっすよ。っと、言ってるそばから数が減ってきてるっす。どうするっすか、影を増やして一揉みにするっすか?」
「ダメですよ、調子に乗っては。今回は彼らを殺す事が目的ではありません。我々のお披露目が目的です」
この話を最初に聞いた時、梢は怪訝に思った。顔を知られていないというアドバンテージを自分から捨ててしまうのかと。士緒はこう答えた。
「自分自身を陽動に使います。橘花院士緒が目立つ事で、変装の方を動かし易くします。ちょっとした綱渡りですが、これでも曲芸には心得がありますから。何とかなるでしょう」
「さすが若っす! 多芸に秀でてるっす!」
話している内にも状況が動いていたようだ。影はほとんど掃討され、残るは多少強めに作った一体だけとなっている。
「あの個体は一級レベルでしたか。ここまでは怪我人だけで済んでいるようですが、あれはどうでしょうかね。まあどちらにせよ、一人二人道連れにするのが精々でしょう。さあ、我々もそろそろ行きますよ」
「了解っす!」
士緒と梢は、四宮家襲撃で使った感知を阻害する結界を体ほどの大きさに絞り、それを纏ったまま平然とビルから飛び降りた。
地面に着くと二人は時間を調節するように、ゆっくりと目的の場所へと向かった。
★
突如として現れた謎の影は数が多く、中級の鬼と同程度の強さがあった。しかし、それらは統率の執れていない烏合の衆だ。その証拠とばかりに、連携の甘さから同士討ちまで見られる。
だが、いま目の前にいる個体はさっきまでとは段違いの強さでを持ち、最後の一体となっては互いの足を引っ張らせることも出来ない。
かと言って、もっと早い段階でこれに接敵していたら被害はより大きくなっていただろう。
目の前の人型……一級の鬼に相当する性能を持った黒過ぎると表現できる影。仮称として“シャドーマン”と名付け、生徒会と風紀委員にそれを周知させた。
二足歩行、右腕の肘から先が鋭利な剣、左腕全体が鞭のようにしなっている事を除けば至って平均的な体格。
だが、大きさが強さを表すものだと思っている素人は生徒会にも風紀委員会にもいない。十分に警戒し、人型シャドーマンと接敵してからは怪我人も出ておらず、距離を置いた立ち回りで広い公園の敷地へと追い込めていた。
『……風紀委員A班は下がってC班、D班と合流して中遠距離を保ちつつ援護。B班は回復に専念。工藤、怪我人の具合を報告』
「最初の奇襲で怪我したやつらはもう問題無いですよ。その後に怪我した間抜けはもっと問題無いです」
手当てを終えた風紀委員の額からトリアージの紙を剥がして告げるのは工藤 正臣。時に戦闘もこなすが、ある意味において生徒会で最も頼りになる後方支援……主に治療と技術担当だ。
『……わかった。ではこれより、近距離戦は生徒会の神崎、浪川、四宮で行う。フィニッシャーは凛子。相手は未知の敵……先入観は捨てて臨んで。周囲の鬼の殲滅は副会長の天ノ川と庶務たちがやる。露払いは問題無い。敵の捕獲も考えなくてもいい。とにかく…………ぶっ潰せ』
捲し立てるような言葉を締めたのは攻撃の合図。言葉と同時に生徒会の三人娘はシャドーマンとの距離を詰めた。
「せぇあっ!!」
最も早く肉薄したのは神崎風音。上段から攻撃3、防御5、回避2の割合で意識を割り振り、刀を振り下ろした。
ガキンッ
剣の右腕で受け止められる。だが、元より未知の敵に探りを入れるための攻撃だ。
どんな反応が反ってくるか分からない相手に全力全開の攻撃を行うなど、慎重で堅実な指揮官である生徒会長の意向に反する。仮に一対一で対峙していたなら刀を押し込んだだろうが、今は集団戦。今のところ強引にいく必要も無い。
風音は刀を振りぬき、踏みとどまる相手からの反動で後方に跳びすさる。髪の代わりにカチューシャに付いている紐飾りが風に揺れた。
「っしゃあああ!!」
追撃を仕掛けるのは、一見して徒手空拳で殴りかかろうとしているポニーテールの少女……四宮鶫。
彼女の武器は、特殊な顕術により体の表面に纏った通力の膜。見ると淡い赤色の光沢に覆われている。その拳がシャドーマンの腹部を捉えた。
ぐにゅぅ――――
鶫の拳は見事に腹部に突き刺さった。しかし先程までのシャドーマンがそうだったのだが、それと同じで打撃は明らかに効果が低い。体はグニャリと形を変え、物を殴ったという手応えは皆無だ。
ならば……と、鶫は纏った通力の性質を赤色から黄色、打撃による破壊から、衝撃やダメージそのものを蓄積させる光の膜……『色装の黄』へと変化させる。
軽く柔軟な身のこなしからのサマーソルトを顎にあたる部位にぶち当て、シャドーマンの体を蹴り上げた。
ちなみに、スカートの中にはスパッツをはいており、荒々しいアクロバットも行う事ができるようにしている。
「っつ!」
衝撃やダメージそのものに変化させる『色装の黄』は相手の防御力にもよるが、基本的にコンクリートの壁に蹴りを放つのと同じで反発も大きい。
詰まるところ……痛い。本人としては多用したくない技の一つだ。
そんな負担を分散しようと、いったん仲間たちの援護に回る。シャドーマンの鞭状の左腕を掴み、風紀委員たちによる物理的な威力を持った光の球……『光矢』の一斉射にタイミングを合わせて叩きつけた。
ガガガガガッッッ!!
退魔師の基本的な技として使用されてきた『光矢』。派手な威力は無いが、早さと速さ……つまり、準備から発動までの早さと発動後の速度の点で、中々に使い勝手が良い技である。
「っし! 半分は当たったな」
威嚇と牽制のつもりで放った筈の『光矢』が、まさかダメージに繋がるとは風紀委員たちも思っていなかったろう。小さな感嘆を溢す者までいる程だ。
シャドーマンが強かに地面へと身体を打ち付けた。が、その生物かどうかも分からないグニャリとした動きで間髪入れずに起き上がり、鞭状の左腕を振り上げ、援護をしていた風紀委員に向けて振り下ろす。
どう考えても届く距離ではない。だからこそ、狙われた風紀委員の一人は油断していた。
シャドーマンの左腕がおよそ鞭の動きではない、細長い槍のように相手を貫かんとその腕と速さを増して迫った。
「ひぃっ!?」
不幸にも風紀委員の少年に躱すだけの能力は無い。その判断までコンマ5秒。風音が速さを活かし、槍と風紀委員の間に身体を滑り込ませた。
ガキンッ
刀が槍を弾き、弾かれたシャドーマンの腕の先にいた鶫がまたしてもそれを掴み、勢いよく引き寄せた。
「っらぁああ!!」
ただの打撃ではない、確実にダメージが通る一撃をシャドーマンの胴体に叩き込み、空中へと殴り飛ばした。
シャドーマンの身体にヒビが入り、深淵のように闇かった身体に光の筋が浮かんでいる。
「……凛子、敵を解析してみたけど、問題無く止めを刺せると分かった………粉砕して」
生徒会長が特殊な方法で安全を確認し、仕留めろとの指示を飛ばす。
凛子は待ってましたと言わんばかりに嬉々として突撃を仕掛けた。
その手には身長を軽く越える大きさの、広い盾付きのランスが握られ、重戦車のごとく土煙を上げて走り、振りかぶりながら跳躍をする。
「終わりや! 『衝波爆砕』!!」
ランスはシャドーマンの身体を貫き、光が内側からヒビを通して漏れ出てきた次の瞬間には、
――――ッッゴオオオオンッ!!
身の内から衝撃波に押し出されるようにシャドーマンの身体が爆散した。
着地した凛子はボブカットの髪を乱暴に払い、ふぅー、と息を吐く。そして直後に大きく息を吸い込み………思いっきり声を上げた。
「よっしゃ!! やってやったでーっ!!」
凛子の上げた勝鬨の声に、生徒会も風紀委員会も安堵の表情を浮かべている。
その場に勝利の空気をしっかりと満たした後、凛子は満足そうにうんうんと頷いた。
『……ひとまず、お疲れさま。周囲の鬼の殲滅も順調。凛子、最後に散らばったシャドーマンの肉片を慎重に回収して。凛子の『衝波爆砕』で肉片が残るなんて、ほとんど無いこと。技術部によく調べてもらう』
「了解や。なら、ウチはそいつを会長のとこへ運ぶさかい、周囲の連中は任せたで風音、鶫」
「わかった、凛子も気を付けてね」
「まだ敵が現れないとも限りませんから、油断しないでくださいっす」
「なんや暗いやないか? せっかく勝ったってのに、そんな暗かったらウチが死ぬ流れみたいに聞こえるやん………まあ、おかしな夜やし、ええねんけど。おーい工藤、回収キット寄越しぃ」
凛子は後方に控えている工藤の元へ歩いていく。風音と鶫はその背中を静かに見送った。
「私たちも行くよ鶫。影も優先して殲滅したし、風紀委員の応援があるとは言っても、低級の鬼はまだ残ってるからね」
「分かりました、先輩………っし! いっちょ大掃除といきますか!」
鶫の様子は普段通りだ。むしろ明るさは増しているくらいに。
風音はそれが逆に心配になる。元気が空回りするだけならいい。しかし肝心な時にブレーキが効かないようでは困るのだ。
風音はフォローは得意な分野なので、今夜はできるだけ一緒にいることに決めた。
「会長、私達はこのまま二人で鬼の掃討に移ります。ですが、ただでさえ異常な夜に、シャドーマンなんて未知の敵まで出てくるようでは処理に不安が残ります。“社”の方は何と?」
『……そちらへの報告と、対応の検討は済んでる。後処理も含めて、直に上級の退魔師が引き継ぐ』
「そうですか。では、こちらでも最低限の仕事は片付けておきましょう。誘導をお願いします、会長」
『……十分に気を付け――――っ!? 待って! これは……』
空気が変わった。
生徒会長にしては珍しく、狼狽の色が伝わって来る。好ましい事態でないのは明らかだ。
『すぐに磯野と海北の所に向かって! そこから東に500の地点、広い交差点……急いで!!』
生徒会長の常に無い焦り様に風音も鶫も顔を見合わせて、そして頷く。
質問をしている時間も惜しい。風音と鶫は指示を信じて気合いを入れ直した。
「すぐに向かいます」
言うが早いか二人は、鬼の掃討をしているはずの庶務たちの所へ走った。
退魔師の身体能力は通力を通す事で人間の常識外まで強化できる。500メートルの距離を僅か十数秒程で詰めたとしても、何ら驚くべき事ではない。
二人が現場に到着したとき、立っている人影は二つ。
「磯野くんっ、海北くんっ!」
「先輩っ!」
風音と鶫が声をかけたのは立っている二人ではなく、少し離れた位置で謎の影に地面に縛りつけられている制服姿の男子生徒たちだ。
「神崎! 四宮! 俺らは大丈夫だ。だが気を付けろ、こいつらはヤバイ!」
シャドーマンを形作っていた黒い影と全く同質の触手らしき物に手足を拘束されている磯野が、二人に警告を放つ。
言われるまでもなく、風音と鶫は警戒レベル最大で臨戦態勢に入っていた。
「およ、増援っすか? そこそこ強そうなのが来たっすよ。若、どうします?」
女の方は、まるで雑誌の中のファッションモデルがそのまま抜け出してきたかと見紛う程の容姿で。しかし声音や口調からは緊張感が感じられない甘ったるいものだった。
「好都合ではないですか。我々の力を知ってもらうには強い相手の方が映えますから」
男は闇に溶ける黒いスーツを着こなし、無垢な少女なら容易く熱に浮かされてしまいそうな微笑みを浮かべている。ある種の知的さ、怜悧さが人の形をとったような異質な気配が伝わって来るようだ。
「皆様も学園の方ですね? ご安心ください。そちらの彼らも含めて、無事に帰っていただきます。無事というのは無傷という意味ではないので、行動の際はよくお考えになることをお勧めいたします」
男の言葉と物腰は丁寧で、声音からも敵意が感じられない。そしてその事実は、退魔師として様々な敵を相手にしてきた経験から、一つの結論を物語る。
「敵意が感じられない………あたしらを敵とすら思ってないって事か」
鶫が忌々しげに吐き捨てる。風音も鶫に同感だ。
単に自分の強さを過信し、驕っているだけの相手なら与し易いだろう。しかし、いまだに地面に縫い付けられている磯野と海北を見れば、相手の自信も納得せざるを得ない。
固有秘術を発動した状態の生徒会長に気取られずにここまで侵入しただけでも驚愕だと言うのに、周囲の状態を見る限り戦闘らしい戦闘も無く磯野と海北を無力化している。磯野と、気絶している海北を見ても、相手の強さは疑いようがない。
そして一番の問題は二人を拘束している影だ。
「さっきまでのシャドーマンと、鬼の異常発生はあなたたちの仕業なの?」
風音が刀を構えながら油断無く問い掛ける。
その問い掛けに対し、スーツの男は鷹揚に頷いた。
「あなた方の戦力がどれ程かは拝見させていただきました。最初は鬼を放って様子を見て、増援が到着する頃合いに影……あなた方がシャドーマンと呼ぶものを送ってみました。人死にが出ない程度には強さを抑えましたが、余計なお世話だったかもしれませんね」
男のあまりにも勝手な物言いに怒りが湧いてくる。
しかしそんな感情は抑え込み、可能な限りポーカーフェイスを貫いた。
「貴方たちはいったい何? 目的は?」
話しかけながらも磯野と海北を救いだす隙を窺う風音。
普段は粗暴な鶫も、構えをとりながら何時でも風音と連携できるように気を張っていた。
「これはこれは、申し遅れました。私は橘花院 士緒と申します。お見知りおきを」
「自分は梢っす。退魔師からは“千影”なんて呼ばれてるっす」
『っ!? “千影”………』
話を聞いていた生徒会長の驚きの声が生徒会メンバーの頭に伝わる。
驚くのも無理はない。“千影”と言えば“鬼”の中でも突出した強さを持ち、退魔師協会が高い警戒を示す個体だ。“千影”が関わったとされる案件では、退魔師の最前線である“社”がまるごと消滅したなどと言う話もある程。
しかし風音は生徒会長に、落ち着いて自らの推論を述べる。
「はったりです会長。人間の姿をしたり言葉を解す鬼には何度も遭遇してきましたけど、その時も会長の感知に引っ掛かりました。目の前のあれが鬼なら、会長の感知に引っ掛からない筈がありません」
それは生徒会長の能力を信頼していれば当然思い付く推論だ。
これまで生徒会長の固有秘術を誤魔化せた者はいなかった。試しにと特一級の退魔師が挑戦した事もあったが、それでも容易く居場所を捕捉して見せたのだから。
『……その二人、目で見ている今でも感知が働かないし声も届かない。『口伝千里』を誤魔化す手段を持っていると考えるべき』
その言葉に風音は震えが走る。
生徒会長の固有秘術、『口伝千里』を欺く事が可能だとしたら………
それだけで目の前の女が“千影”……あるいは同程度の実力者だという説得力が増す。
その場にいる生徒会メンバーに戦慄が走っていた。
「ふむ……ここまでの侵入は容易でしたし、未だにお声が掛からないということは……『口伝千里』と言う固有秘術でも、私の『結界』を越えることは出来ないようですね」
「若の有能さがまた一つ証明されたってことっすね」
「……結界ですって?」
『結界』は一級以上の実力を持った退魔師にしか使えない高度な顕術だ。逆に言えば、どんなものであれ『結界』を一種類でも使いこなせれば、それだけで一級退魔師になれるということ。
使える人材は退魔師協会でも全体の1パーセント程度しかいないことから、結界顕術の修得の困難さが窺える。
「結界は高度で多様な能力だが……万能じゃねえ筈だ。会長の『口伝千里』がどうにか出来ちまう都合のいい『結界』なんて、信じられねえな」
鶫が敵意を込めて言葉を発した。そして男はほくそ笑む。
「そうですか。では、信じられないついでにもう一つ……」
橘花院士緒は片手で合図を出し、梢を背中へと隠れさせた。
「貴女のお父さん、四宮洋一郎ですが………私が殺しました」