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愛で人は強くなれますか? -アルディア帝国物語-  作者: ハリネズミぽん助


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第一話 第十二皇子(前編)

「お生まれになりました!」


夜明け前の皇城に、赤子の産声が響いた。


「第十二皇子にございます!」


張り詰めていた空気が緩み、侍女たちの顔に安堵が広がる。


「母子ともにご無事です。」


「それは何より。」


誰もがほっと胸をなで下ろし、慌ただしかった廊下にも穏やかな空気が戻っていく。


年配の家臣が感慨深げにつぶやいた。


「また帝国の未来が一人、生まれましたな。」


隣の家臣も静かにうなずく。


「ええ。」


「この子もまた、多くを背負って生きるのでしょう。」


その言葉を聞いた若い侍女は、生まれたばかりの皇子の姿を思い浮かべ、ほんの少し表情を曇らせた。


誰もが、この皇子の未来に思いを馳せていた。

 

この国では代々、多くの皇子をもうけ、その中で最も優れた者が皇帝となる。皇后の子か側室の子かは関係なく、すべての皇子に皇位を継ぐ資格があった。


その静寂を破るように――


「どけどけどけーい!」


廊下中に響く大声が、その穏やかな空気を一瞬で吹き飛ばした。


「だ、大帝陛下!」


「お待ちください!」


「産室です! どうかお静かに!」


「孫が生まれたんじゃぞ! 静かになどしておれるか!」


雪のような白髪を揺らし、一人の男が家臣たちをかき分けながら歩いてくる。

 

先代皇帝。


大陸を統一し、帝国を築いた英雄。


大帝ヴァルディス・アイゼンベルク。


勢いよく扉が開いた。



産室の中は、外の喧騒とは対照的に穏やかな空気に包まれていた。

 

皇后エレノアは、金褐色の髪を枕へ流し、疲れの残る顔に柔らかな笑みを浮かべながら、生まれたばかりの赤子を抱いていた。


新緑を思わせる瞳は、我が子を愛おしそうに見つめている。

 

その傍らには、現皇帝ジークハルト・アイゼンベルクが立っていた。


戦場から帰ったばかりなのだろう。


鎧には、まだ乾いた土が残っている。


蒼銀の髪を揺らしたジークハルトは、何も言わずエレノアの腕の中を見つめていた。


澄んだ青い瞳には安堵が浮かぶ。


だが、その奥では、皇子として歩む長い道を静かに見据えていた。


「陛下。」


侍女が遠慮がちに声をかける。


「皇子様のお名前は――」


ジークハルトは短く答えた。


「決めてある。」


「皇子として生きるにふさわしい名だ。」


その時だった。


「おお!」


赤子を見つけた瞬間、ヴァルディスの顔が大きくほころんだ。


「おった! わしの孫じゃ!」


「父上。」


ジークハルトが低い声でたしなめる。


「声が大きすぎます。」


「何を言う。元気な声で迎えてやらねばならんじゃろう。」


「生まれたばかりです。」


「だからこそじゃ。」


「生まれた日くらい、賑やかなほうがよい!」


その場にいた誰も意味は分からなかった。


ヴァルディスは寝台のそばまで歩み寄り、先ほどまでの勢いが嘘のように表情を和らげた。

 

「よく頑張ったのう、エレノア。」


「ありがとうございます。」


「大変じゃったのう。」


エレノアは小さく笑った。


「ええ。」


「この子が元気で、本当によかった。」


「そうか、そうか。」


ヴァルディスは満足そうに何度もうなずく。


そして、エレノアの腕の中をのぞき込んだ。


「抱いてもよいか?」


「もちろんです。」


ヴァルディスは両腕を差し出した。


節くれ立った大きな手。


その手は、大剣を振るい、多くの戦場を駆け抜けてきた。


幾つもの古傷が、その歩んできた壮絶な人生を静かに物語っていた。

 

そんな手が今は、壊れ物に触れるように赤子を受け取った。


大きな腕の中に、小さな体がすっぽりと収まる。


「おお……。」


ヴァルディスは目を細めた。


「小さいのう。」


赤子の手が動く。


小さな指が、ヴァルディスの太い指を握った。


……。


一瞬だけ、時が止まった。


ヴァルディスの目が大きく開く。


「ジーク!」


「何です。」


「見てみい!」


「見ています。」


「わしの指を握ったぞ!」


「ええ。」


「力強いのう!」


「赤子です。」


「離さんぞ。」


「反射でしょう。」


「夢のない男じゃのう、お前は。」


ヴァルディスは不満そうに言ったが、すぐに赤子へ視線を戻した。


「かわいいのう。」


頬を緩ませ、何度も顔をのぞき込んだ。


「目はエレノアに似ておるか?」


「まだ開いておりません。」


「鼻はジークかのう。」


「分かるはずがありません。」


「では、わし似じゃな。」


「困ります。」


「何じゃと?」


エレノアが思わず笑うと、ヴァルディスもつられて笑った。

 

その時、開いたままの扉から小さな足音が聞こえた。


「お母様……。」


蜂蜜色の髪を揺らした八歳のフェリシアが、おそるおそる顔をのぞかせる。

 

その後ろには、漆黒の髪を整えた十歳のレオヴェインが、背筋を伸ばして立っていた。


「母上のお体に障る。騒ぐなよ。」


レオヴェインが小声で言う。


「うん。」


フェリシアは素直にうなずき、寝台へ歩み寄った。


「入ってもいいですか?」


エレノアは優しく微笑む。


「ええ。二人とも、おいで。」


フェリシアは赤子を見るなり、目を輝かせた。


「……かわいい。」


青い瞳が嬉しそうに細められ、その優しい笑みは自然と周囲を和ませた。


ヴァルディスは少しかがみ、赤子が見えやすいように腕を下ろす。


「ほれ、よく見てみい。」


フェリシアは小さく動く手を見つめ、自然と笑みがこぼれた。


「幸せになってほしいです。」


エレノアは娘を見て優しく微笑む。


ヴァルディスも満足そうにうなずいた。


「そうじゃな。」


「幸せになってもらわねば困る。」


ジークハルトは赤子を見つめたまま、静かに口を開く。


「……この子には、守る力が必要です。」


ヴァルディスはゆっくりと息子へ目を向けた。


「強くなることも大事じゃ。」


「じゃが、まずは幸せに育ってくれれば、それでよい。」


少し離れた場所では、レオヴェインが静かに弟を見つめていた。


「レオ。」


ヴァルディスが呼ぶ。


「お前も来い。」


レオヴェインはゆっくり歩み寄り、赤子を見つめた。


しばらく黙っていた。


そして静かに言った。


「……私が守ります。」


ヴァルディスは目を丸くした。


次の瞬間、大きく笑う。


「わっはっは!」


「そうか!」


「はい。」


レオヴェインは力強くうなずく。


ジークハルトは長男へ静かに視線を向けた。


「守るというなら、強くなれ。」


「力なき者は、誰一人守れん。」


「はい、父上。」


レオヴェインは迷いなくうなずいた。


ヴァルディスはそんな父子を見つめ、穏やかに目を細めた。


「父上。」

 

「そろそろ名付けてもよろしいですか。」


「おお、そうじゃった。」


ヴァルディスは赤子を見つめたままうなずく。


「この子は、わしが名付ける。」


部屋の空気が止まった。


ジークハルトの眉が、わずかに動く。


「父上。」


「名はすでに決めてあります。」


「そうか。」


「はい。」


「では、それは次の子につけよ。」


「次の子?」


「この子はわしが名付けるからのう。」


ジークハルトは静かに息を吐いた。


「……父上。」


「次の子ではなく、この子です。」


「私が。」


「嫌じゃ。」


ヴァルディスはきっぱりと言った。


「父上。」


「嫌なものは嫌じゃ。」


「駄目です。理由になりません。」


「わしにとっては立派な理由じゃ。」


「わしが名付ける。」


ヴァルディスは赤子を抱いたまま、そっぽを向いた。


その場にいた家臣たちは、そっと視線を伏せる。


また始まった。


誰も口にはしなかったが、全員がそう思っていた。


ジークハルトは父を見つめる。


「申し訳ありません。」


「お断りします。」


「……そうか。」


ヴァルディスは小さく答えた。


部屋にいた者たちは、これで終わったと思った。


しかし。


少しの沈黙のあと。


「いや、やっぱり嫌じゃ。」


「父上。」


「この子だけは譲れん。」


「私もです。」


「ジーク。」


「駄目です。」


「まだ何も言っておらんぞ。」


「名付けさせろ、とおっしゃるのでしょう。」


「なぜ分かった。」


「分かります。」


「ならば、わしがどれほど名付けたいかも分かるじゃろう。」


「分かったうえで断っています。」


「少しくらい迷え!」


「迷いました。」


「早すぎるわ!」


ヴァルディスは頬を膨らませた。


かつて大陸を制した男とは思えない顔だった。


家臣の一人が必死に俯いている。


笑ってはいけない。


そう自分に言い聞かせているのだろう。


「ジーク。」


「駄目です。」


「頼む。」


「駄目です。」


「一生に一度のお願いじゃ。」


「以前も聞きました。」


「あれは一生に一度ではなかった。」


「今回も同じでしょう。」


「今回は本当じゃ!」


ジークハルトは首を横に振った。


ヴァルディスは腕の中の赤子を見た。


小さな寝息が聞こえる。


少しだけ笑った。


それからジークを見る。


「……どうしても駄目か?」


「駄目です。」


「本当に?」


「本当にです。」


「……この子だけは、どうしても譲れんのじゃ。」


ヴァルディスはしばらく唸っていた。


やがて、腕の中の赤子をそっと侍女へ預ける。


名残惜しそうに小さな手を離し、ジークハルトの前まで歩いていった。


誰もが、次は何を始めるのかと見守った。


ヴァルディスは一度だけ赤子へ振り返る。


そして。


静かに両膝を床についた。




挿絵(By みてみん)


画像はイメージです。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


これから始まるアルディア帝国の物語を、楽しんでいただけたら嬉しいです。

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