第四十九話:大阪屋花鳥の符牒 〜 The Sign of the Osaka-ya Kachō 〜
一部AIにより作成
【冒頭:ロンドン時代】
一八九四年、五月の午後のことである。
ベイカー街二百二十一番地Bの居間に、珍しい来客があった。
彼女は三十前後の、黒い喪服を纏った女性で、ヴェールを半ば下ろしたまま椅子に座り、手袋の端を幾度も引っ張る仕草を繰り返していた。ホームズは向かいの肘掛け椅子で細長い指を組み合わせ、目を閉じて話を聞いていた。私、ジョン・H・ワトソンは隅で日記帳を膝に乗せながら、女性の様子を観察していた。
「主人は立派な人間でした」と女性は言った。「誰にも恨みを買うような人ではありませんでした。それなのに——」
「どうやって亡くなったのですか」とホームズは目を閉じたまま訊いた。
「書斎で。毒を盛られたとしか思えません。しかし犯人が誰か、警察はわからないと言う。私には疑わしい人がいます。でも確かな証拠がない。ただの直感です」
「直感を侮ってはいけない」とホームズは静かに言った。「しかし直感と証拠は、別物だ。犯人を直感で告発することはできない。証拠がなければ、毒を持った手を特定することもできない」
女性は少し沈黙した。
「では、どうすれば」
「その疑わしい人物とは、どういう関係の方ですか」
「……主人の前妻です。正確には、前妻と名乗っている女、と言うべきかもしれません。その前妻の存在を、私は結婚後に初めて知りました」
ホームズは一瞬、目を細めた。
「なるほど」と彼は言った。「替玉の可能性がある」
「え?」
「替玉——つまり、その女は『前妻』そのものではなく、前妻に成り代わった別の誰かかもしれない、ということです。顔を知る者がいれば別ですが、前妻の存在を『伝聞』でしか知らない者には、見分けがつかない」
女性は顔色を変えた。
「そこまで考えていませんでした……」
その夜、ホームズは私に囁いた。「面白い案件だ、ワトソン。女の顔は変えられる。しかし女の手の癖は変えられない。明日、あの前妻とやらに会いに行こう」
翌朝——私たちは馬車でサウスウォーク方面へ向かった。テムズ南岸の道は霧で視界が悪く、橋のたもとで御者が判断を誤った。馬車は欄干に衝突し、私とホームズは川へ。
五月のテムズは冷たく、深く、そして——暗かった。
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【本編:江戸での事件】
——和登三太の語り——
目を覚ましたとき、私の耳に最初に届いたのは、鐘の音ではなく、女の声であった。
高く澄んだ、三味線に乗った声。どこか遠くの水茶屋から流れてくるらしいその音は、テムズの川底から浮き上がってきた私の意識を、ひどく穏やかに出迎えた。
私——和登三太——は、見知らぬ路地の石畳に横たわっていた。いや、江戸に石畳はない。板敷きの小道だ。
「三太」
捕霧七がすでに立って、空を見上げていた。
「春の終わりだ」と彼は言った。煙管を取り出して火をつけながら、何か考え込む顔をしていた。「吉原の近くだな。あの三味線の音はそちらの方向だ」
「吉原と聞くだけで、何か事件がありそうですね」と私は言った。半ば冗談で言ったのだが、捕霧七は至って真顔で頷いた。
「ロンドンで、替玉の話をしていた。江戸でも、それが待っていそうだ」
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吉原というものについて、私は少し説明しておかなければならない。
幕府公認の遊廓であるこの場所は、江戸の北端——今の台東区のあたり——に設けられた、囲い込まれた独立した区画である。ロンドンのナイト・ディストリクトの比ではない規模の、整然とした「夜の都市」が、堀に囲まれて存在している。大門という唯一の入口から入ると、仲の町と呼ばれる大通りが廓の中央を貫き、その両脇に引手茶屋や大見世と呼ばれる大型の貸座敷が並ぶ。
女たちは格式によって「花魁」「格子」「散茶」などと呼ばれた。最上位の花魁ともなると、豪華な衣裳に高下駄を履き、禿と呼ばれる少女を従えて廓内を練り歩く「花魁道中」で客を迎える——ロンドンのヴィクトリア女王の行列に、多少なりとも似た、しかしまったく異なる意味合いの行列である。
江戸の庶民にとって吉原は、単なる歓楽の場ではなく、流行の発信地でもあった。吉原の女たちが結った髪型や使った化粧法が、やがて江戸中の女たちに広まる。つまり、吉原は江戸の文化の一端を担う場所でもあった。しかし同時に、そこには借金と契約で縛られた女たちの、深い悲哀もあった。
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転生から三日ほど経った頃、私と捕霧七のもとへ、若い男が相談に訪れた。
名を鶴吉という、二十一、二の利発そうな顔の男で、神田の鍋具足屋——鍋や釜などを扱う金物屋——の手代であった。手代とは、商家の番頭より格下で、丁稚より上の中堅番頭見習いのような立場であり、ロンドンで言えば上級の店員に当たる。
「うちの若旦那のことで……」と鶴吉は声を落として言った。
若旦那というのは、鍋具足屋の主人・久兵衛の息子で、新三郎という二十四歳の青年だった。半年ほど前に縁談がまとまり、お節という娘を嫁に迎えた。ところが最近、その若い嫁が様子のおかしいことが重なっていると言う。
「どうおかしい」と捕霧七は訊いた。
「病と言って長いこと寝付いていたのに、ある日突然立ち上がって、旦那様——久兵衛様——の書斎に一人で入っていたところを私が見てしまいました。お節さんは人が変わったようになって、笑っているかと思えば泣く。食べないかと思えば過食する。そして——」鶴吉は声をさらに下げた。「お嫁に来る前の、お節さんの噂を聞いたんです。手癖が悪い、と。若旦那との縁談のきっかけも、御開帳の参詣の混雑の中で、財布を盗もうとしたスリをお節さんが見咎めたことだったと聞いていますが……」
「スリを見咎めた、か」と捕霧七は軽くつぶやいた。その目が、微かに光った。
私はその光を見た。
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御開帳というのは、説明しておくと、寺社が通常は非公開にしている御本尊や秘仏を、一定期間だけ公開する行事である。ロンドンの大聖堂での特別展示に似ているが、江戸では御開帳が開かれると、庶民は老若男女こぞって参拝に押し寄せる。東西から人が集まり、縁日のように露店が立ち並び、江戸屈指の雑踏が生まれる。
そういう人混みの中では、スリが横行する。江戸の町奉行所も警戒を強めるが、スリの技術は巧妙で、なかなか現行犯で捕まらない。
お節は、その混雑の中で若者の懐から財布を盗もうとしたスリの手を掴み、大声を上げた。それが縁で、被害を免れた若者——鍋具足屋の新三郎——に感謝され、やがて縁談に発展した。
「なるほど」と捕霧七は言った。「スリの手を掴んだ娘か。だが、その娘自身の手癖が悪いという噂がある」
「矛盾しませんか」と私は言った。「スリを捕まえた人間が、自分もスリだとは」
「矛盾しない」と捕霧七は静かに言った。「スリはスリの手口を知っている。だからこそ、スリの手が見える」
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翌日、私たちは鍋具足屋を訪ねた。
神田の大通りに面した間口の広い店で、軒先に鍋釜の類が吊るされ、奥に作業場がある。ロンドンの鍋屋と比べれば小ぶりだが、客の出入りは多く、繁盛している様子であった。
主人の久兵衛は、五十がらみのがっしりした体格の男で、一見して商売上手とわかる目をしていた。
「お節のことでしたら……」と久兵衛は言いにくそうに話し始めた。「私も少し心配しておりますが、嫁いで来た当初は申し分のない嫁でした。姑にもよく仕えて、料理も上手で——ところがひと月ほど前から、何か変わりました」
「何が変わりましたか」
「目が、です」久兵衛はしばらく考えてから言った。「優しい目をしていた娘が、いつの間にか、どこか冷たい目をするようになった。表面上の物腰は変わらないのですが、目が笑っていない」
捕霧七はそれを聞いて、少し間を置いてから、「お節さんのご実家は」と訊いた。
「浅草の方に父親が一人おります。磯野小左衛門という浪人者で、あまり良い噂を聞きませんが、娘は見かけがおとなしく、きちんとした娘でしたので、縁談を受けた次第で」
「お節さんは体の具合が悪いと聞きましたが、医者は呼びましたか」
「呼びました。医者は特に病はないと言いましたが——その後、お節は自分から床を上げて、正気を取り戻したようになったんです。でもどこかおかしい。気のせいかもしれませんが……」
捕霧七は黙って頷き、礼を言って辞した。
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路地に出てから、捕霧七はすぐに私に言った。
「三太、病から急に立ち直るということと、目が変わるということは、論理的には一つの仮説に収束する」
「替玉、ですか」
「そうだ」
私はぞっとした。テムズでホームズが口にした言葉が、江戸でも同じ形で浮かび上がってくる。
「つまり、嫁いできたお節と、今のお節は、別人だということですか」
「まだ仮説だ。証拠が要る」と捕霧七は言った。「だが、替玉というものを考えたとき、問題は動機だ。誰が、何のために、お節に成り代わるのか」
「もしそれが本当なら——病で床についていた間に入れ替わった、ということになる」
「お節が病だった間、見舞いに来た者は誰か。そして、体の具合が悪い間に頼りにした者は誰か」
私たちはその足で、お節の実家——浅草の磯野小左衛門のもと——へ向かった。
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浅草は、江戸でも最も庶民的な活気に満ちた地区の一つである。浅草寺を中心に門前町が広がり、芝居小屋、見世物小屋、茶屋が軒を連ね、江戸の庶民の娯楽と生活が凝縮したような場所だ。ロンドンのコベント・ガーデン周辺の賑わいに、多少なりとも雰囲気が似ている。
磯野小左衛門は、その浅草の裏通りの長屋に住んでいた。長屋は数軒が壁を共有して連なる集合住宅で、一間から二間ほどの狭い居住空間に、庶民の暮らしが詰まっている。ロンドンのスラムよりは清潔だが、それは江戸の下水管理と路地の掃除文化によるものであろう。
小左衛門は六十近い、やや猫背の浪人者で、かつては旗本屋敷に渡り用人——複数の武家に仕える非専属の家臣代理——として勤めていたというが、今は何ら定職を持たず、どこかで小銭を工面して暮らしているらしかった。
「お節のことですか」と小左衛門は少し驚いた顔をした。「どうかしましたか」
「お嬢さんはよく病気をされるのですか」
「いや、丈夫な娘ですよ」と小左衛門はあっさり言った。「鍋久で病だと聞いて、私もびっくりしました。今は良くなったと聞いていますが」
「最近、お嬢さんに会いましたか」
「……一月ほど会っていません」
捕霧七はそこで少し間を置いてから、「小左衛門さん、あなたは吉原とご縁はありましたか」と、唐突な質問をした。
小左衛門の顔が、一瞬だけ固まった。
「昔は……多少。若い頃の話です」
「大阪屋という店はご存知ですか」
今度は顔色が変わった。目の動きが、明らかに揺らいだ。
「……知りません」
「そうですか」と捕霧七は静かに言った。「ありがとうございました」
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大阪屋——その名が浮かび上がった経緯を、私は捕霧七から帰り道に聞いた。
「鶴吉が言っていただろう、お節さんの手癖が悪いという噂を。そしてスリを見咎めた縁談の経緯を。スリをよく知る者がスリを見咎め、品行方正に見える娘がじつは手癖が悪い——この矛盾の答えは、娘が複数の顔を持つことだ」
「ですが、それと吉原の大阪屋と、どう繋がりますか」
「逃亡中の女が、日陰の身で江戸に潜んでいるとき、誰かに玉として使われる。そういう構造が吉原がらみの事件には時々ある。大阪屋というのは、今は廃業した元の貸座敷の屋号だが、そこに花鳥という女がいた。放火の罪で八丈島に流されたが、島抜けして江戸へ戻ったとの風聞があった」
八丈島というのは、江戸から南方の海上にある島で、重罪人の流刑地として使われていた。ロンドンで言えばオーストラリアへの流刑に相当する。島破り——つまり島から脱走すること——は、死罪に値する重犯罪であった。
「花鳥が、お節を使って鍋久に入り込ませた、ということですか」
「いや」と捕霧七は言った。「最初はお節が入り込んだのだろう。だが途中から、お節と入れ替わった。なぜなら——花鳥には、もっと大きな目的があったはずだからだ」
「久兵衛を、殺す目的が」
「動機が問題だ。それを探る必要がある」
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その夜、捕霧七は珍しく部屋で煙を焚いていた。
この男の癖の一つで、考え事をするとき、香を焚く。ロンドンのホームズがパイプを燻らしながら思索に沈むように、この江戸の捕霧七は香の煙に包まれながら謎を解く。
「三太」と彼は静かに言った。「吉原の女と、旗本屋敷の渡り用人と、金物屋の嫁入り娘が、どう繋がるか」
「三者がかつて繋がっていた」と私は考えながら言った。「小左衛門が吉原で花鳥と馴染みだった。お節はその娘で、スリの技術を持っている。花鳥が島から戻り、三者が組んで鍋具足屋に狙いをつけた」
「動機は金だ」と捕霧七は言った。「鍋具足屋の久兵衛は、職人気質ではあるが蓄財に長けている。店の奥にかなりの金があるという評判を、私はここ数日で聞いた。しかしそれだけでは、わざわざ嫁入りという手の込んだ手口を使う理由としては薄い」
「ならば」
「証書だ」と捕霧七は言った。「久兵衛が持っている何らかの証書。あるいは誰かへの貸し証文。それを奪うために、書斎へ近づく必要があった」
翌朝、私たちは鶴吉を通じて久兵衛に会い、書斎に見慣れぬものがなくなっていないかを確かめた。久兵衛はしばらく考えてから、青ざめた顔で言った。
「……ありません。三年前に貸した金の証文が、消えています」
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事態は翌々日に動いた。
お節が書斎から出てきたところを、久兵衛が咎めた。口論の末、お節は家を飛び出した——という知らせが、夕方に鶴吉から届いた。そして翌朝、大川——隅田川のことである——の岸辺に、お節のものらしい着物が脱ぎ捨てられているのが見つかり、身投げとも失踪とも取れる騒ぎになった。
「川に飛び込んだにしては、着物が綺麗に畳まれていた、と鶴吉は言ったか」と捕霧七は確かめた。
「そう聞きました」
「三太、乱心して川へ飛び込む者が、着物を丁寧に畳むと思うか」
私は首を振った。
「着物を脱いで逃げた。川へ飛び込んだように見せて、姿をくらました」
「では、今のお節は」
「花鳥だ。お節に成り代わって証文を奪い、仕事が終わった今、逃げた。本物のお節はどこかに匿われているか、あるいは——」捕霧七は煙管を一服した。「最悪の場合は、すでに生きていない」
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その言葉の翌日、久兵衛が書斎で死んだ。
侍女が朝に発見したとき、久兵衛は椅子に倒れていた。外傷はなかったが、近くに空の茶碗が転がっており、医者は毒の可能性を言った。
町奉行所の同心が来るより前に、捕霧七は私を連れて現場を見た。
「書斎のどこかに、誰かが潜んでいた形跡がある」と彼は言った。襖の裏側を指で確かめ、床板の一枚を少し持ち上げて確かめ、それから灰皿の中の煙草の灰を匙で少し掬った。「この灰は、久兵衛のものではない。彼は煙草を吸わない。刻み煙草のものだ。女の使う煙草の量ではない」
「男が隠れていた、ということですか」
「三太、この事件は二人以上の人間が動いている。花鳥だけではない。久兵衛を毒殺するには近くにいる必要があった。花鳥が着物を脱いで逃げた翌日に久兵衛が死んだ——つまり、花鳥が逃げた日の夜、誰かが書斎に潜んでいた。その誰かが久兵衛を殺した」
「磯野小左衛門が」
「おそらく。花鳥と小左衛門は、お節を道具として使い、証文を奪い、さらに久兵衛を殺すことで借金の記録そのものを消した。それが本当の目的だった」
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捕霧七の読みは、ほぼ正確であった。
その後、私と捕霧七は奉行所の同心・徳次に協力し、品川方面で半介という山女衒——女性を売り買いする仲介人——を押さえた。この男が、花鳥と磯野の連絡役を務め、お節の「身投げ」を演出した着物の細工にも関わっていた。
山女衒というのは、表向きは奉公口の世話をする仲介業だが、実際には様々な形で女性を売り買いする、江戸の闇の一端を担う存在であった。ロンドンで言えば人身売買のブローカーに近い。
半介は取り調べに対し、したたかにも「自分は使い走りに過ぎない」と言い張ったが、持っていた証文の断片——久兵衛から奪った貸し証文の一部——が決定的な物証となった。
本物のお節は、品川の旅籠に生きて匿われていた。
花鳥と磯野小左衛門は、数日後に南本所で捕縛された。二人は北町奉行所に引き渡された。
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事件の後、吉五郎という先輩の岡っ引きが、私に一言言った。この人物は捕霧七の江戸での師匠格に当たる、口の悪い親分気質の男だった。
「捕霧七の旦那は大したもんだ。ところで、どこで大阪屋花鳥の名を思いついたんだい」
捕霧七は煙管を一服やって、静かに答えた。
「小左衛門が大阪屋の名を聞いて動揺した。それだけです。人は知らない名前には動揺しない」
吉五郎は少し驚いた顔をした後、「なるほどな」と言った。「化かしたのか、探りを入れたのか。同じことだ」
「探偵というのは」と捕霧七は私に向かって言った。「事実を積み上げることと、人の反応を読むこと、その二つを同時にやる仕事だ」
私はロンドンのホームズが何度も同じことを言っていたのを思い出した。
江戸の夕暮れが、大川の水面を橙色に染めていた。引手茶屋の三味線が、どこかでまた鳴り始めていた。
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【結末:ロンドン時代】
気づくと、私はベイカー街の居間にいた。
窓の外は夕靄で、ガス灯が一つ、霧の中で揺れていた。
ホームズはデスクに向かって何かを書いていた。私が目を覚ましたのを気配で知ったのか、ペンを止めずに言った。
「ワトソン、あの依頼人の女性の言っていたことを覚えているか。前妻が替玉かもしれない、と言ったとき、彼女は初めて本当に怖い顔をした」
「覚えている」と私は答えた。
「替玉というのは、顔の話ではない」とホームズはペンを置いて振り向いた。「手の癖の話だ。顔は変えられるが、スリはスリとしか動けない。どれほど化けても、手が語る。江戸でも同じことを、今日確かめてきた気がする」
「夢で、ですか」
「夢か否かは問わない」とホームズは言った。「ただ——替玉を見破ったのは、結局、一人の手代少年が感じた『目の違和感』だった。論理より先に、人間の感覚が正しかった」
「直感を侮ってはいけない、とあなたが言っていた」
ホームズは少し笑った。
「あの依頼人の女性に、明日謝りに行かなければならんな。直感は証拠と別物だと言ったが——直感は、証拠を探す出発点だった」
窓の外で、ロンドンの霧が、厚く、静かに、街を包み込んでいた。
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本作は、アーサー・コナン・ドイル著『シャーロック・ホームズの冒険』および岡本綺堂著『半七捕物帳』への敬意と感謝を込めて執筆しています。
著:コナン・綺堂異流(Conan Kidoyle)




