第四十三話:柳原堤の青鬼女の冒険 〜 The Adventure of the Blue Demoness of Yanagiwara 〜
一部AIにより作成
【冒頭:ロンドン時代】
一八九三年、七月の末のことである。
ロンドンはその夏、珍しく晴れが続き、テムズ河沿いの遊歩道には日傘を差した婦人たちが連れ立って歩いていた。ベイカー街の居間は西日が強く射し込んで、暖炉は使わずとも十分に暑かった。
私、ジョン・H・ワトソンは窓を開け、微風を顔に受けながら、午後の茶を飲んでいた。ホームズは長椅子に背を向けて寝転がり、天井を眺めながら何やら独語を言っていた。
「河の怪物というものは」と彼は突然言った。「必ず人間の論理で解釈できる」
「また唐突だな」と私は言った。
「いや、ワトソン。今夜のイブニング・スタンダード紙に、テムズ河沿いで怪しい人影が目撃されたという記事が出ていた。白い衣を纏い、深夜に川面を歩いているように見えたという」
「川を歩く? それは幽霊だ」
「人が川面を歩くとすれば、浅瀬か、それとも水位を知り尽くした者の術か——いずれにせよ、そこには必ず人間の意図がある」ホームズはくるりと体を回して起き上がり、テーブルの上のパイプを手に取った。「怪物の目撃談は、その怪物の出没場所と時刻に必ず意味がある。場所と時刻——そこを押さえることが、全ての謎解きの第一歩だ」
「それで、テムズ河の幽霊を調べに行くつもりか」
「その前に、少し考えてみたい」
ホームズはパイプに火をつけ、煙を深く吸い込んだ。その目は天井の一点を見つめていたが、おそらく本当に見ていたのは、テムズ河の暗い水面であったに違いない。
「河の怪物に扮する者には、一定の目的がある」と彼はゆっくり言った。「人を近づけたくないか——あるいは、人の注意をある場所に引きつけて、別の場所で何かをしたいか。そのどちらかだ」
「後者なら、随分と手の込んだ目くらましだ」
「人間の欲望は、時として驚くほど手が込んでいる」ホームズは煙を吐き出した。「そこが面白い」
その夜、私たちはテムズ河の調査に出かけた。
ランベス橋の南詰で、ホームズが何かを確かめようと欄干に身を乗り出した刹那——足元の石組みが、長年の雨に腐食していたのか、突然崩れた。私は咄嗟にホームズの腕を掴んだが、二人とも揃って暗い水の中へ落ちていった。
七月のテムズ河は、思いのほか冷たかった。
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【本編:江戸での事件】
——和登三太の語り——
気がついたとき、蒸し暑い夜気が全身を包んでいた。
遠くで虫の声がしていた。コオロギとも、鈴虫ともつかない、しかし確かにロンドンでは聞いたことのない響きの虫音だった。土と草の匂いが濃く、大きな木の下に私は横たわっていた。
起き上がって周囲を見回すと、細長い堤の上にいることがわかった。土を盛り上げた緩やかな土手で、その脇には黒々とした堀の水が、月光を受けてかすかに光っている。
「また江戸だ」と、隣で捕霧七が静かに言った。
いつもそうだが、この男は私より先に状況を把握している。
「柳原の堤だな」と彼は続けた。「神田川沿いの土手だ」
「見覚えがあるのか」
「においと地形で判断した。ここは江戸でも古くから人の出入りが多い場所だ——昼間は古着の市が立ち、夜は、そう」と彼は少し間を置いた。「夜は、いろいろな者が出没する場所として知られている」
その言葉の意味を私が掴みかねていると、遠くから夜番の声が流れてきた。
「火の用心——さっしゃりませ」
拍子木の乾いた音が、蒸し暑い夜気の中に響いた。
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柳原堤というのは、神田川の南岸に沿って続く細長い土手で、江戸の北の縁にあたる場所だった。
江戸の町は、幕府によって厳密に区分されている。将軍の居城である江戸城を中心に、武家地が広く占め、寺社地と町地がそこに挟まるようにして存在する。柳原はちょうど町地と武家地の境目に近い、いわば「はざまの場所」で、昼間は古着屋の露店が並ぶ庶民の市場として賑わうが、夜になると人通りが途絶え、薄暗い水辺だけが残る。
ロンドンにも、昼と夜で顔を変える場所はある。コヴェント・ガーデンがそうであり、テムズ河沿いの波止場もそうだ。しかし江戸の柳原堤は、もう一つの「顔」を持っていた——怪異の伝説の場所、という顔を。
「昔から、ここには水の怪物や女の幽霊が出るという話がある」と捕霧七は教えてくれた。「それがこの夏、また騒ぎになっているらしい」
「また?」
「夏は怪談の季節だ、三太」と彼は静かに言った。「暑い夜に怖い話をすれば涼しくなる——江戸では、怪談は夏の風物詩のようなものだ」
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翌朝、私たちは長屋に戻ってから、近所の顔役を通じて事情を聴いた。
事の発端は半月ほど前に遡る。
柳原堤の端に、一軒の古びた仕舞屋——店を閉じて住まいだけになった家屋——があった。そこに一人の後家——夫を亡くした女性——が住んでいて、お熊という四十がらみの女だという。
お熊は神田界隈では少し変わり者として知られていた。夜中に出歩くことがあり、近所との付き合いもほとんどない。しかしそれだけならば、江戸の長屋には似たような隠者じみた人間が珍しくもない。
問題は、この夏から始まった奇妙な目撃談だった。
「堤の上に、青い女が立っているのを見た、というのでございます」と顔役の老爺が言った。「月のない夜に、青白く光って見えると——」
「青白く」と捕霧七は繰り返した。
「ええ。それも真夜中の丑三つ時——今で言えば夜中の二時ごろ——に、ふらりと現れて、ふらりと消えるそうで。初めは酔っ払いの見間違いかと思いましたが、神田の与力の家の若い侍も見たと言い、神田明神の神官の方も遠目に見たと——それで騒ぎになったのでございます」
「その青い女は、何をしているのか」
「ただ、立っているだけで。こちらが声をかけようとすると消える——と」
捕霧七は煙管を取り出して、しばらく火もつけずにその雁首を見つめた。考えているときの癖だ。
「お熊の仕舞屋は、今も人が住んでいるか」
「はあ、住んでおりますが——最近は姿が見えなくて。買い物にも出てこないと、豆腐屋が申しておりまして」
捕霧七の目が、ほんの少し変化した。
私にはわかった——この男がその目をするとき、何かが見えている。
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「三太」と、顔役が帰ってから捕霧七は言った。「青い女が出没する場所と、お熊が姿を消した時期が重なっている。これは偶然ではない」
「お熊が青い女だということか」
「それはまだわからない。しかし関係がないとも言えない。お熊の仕舞屋を調べる必要がある」
「どうやって。他人の家に無断で入るわけにはいかない」
「無断ではなく、理由をもって入る」と捕霧七は言った。「安否確認だ。近所の者が心配している——それは本当のことだろう」
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その日の昼下がり、私たちはお熊の仕舞屋を訪ねた。
柳原堤の東の端、神田川の水音が微かに聞こえる場所に、板壁の古い家が一軒、ひっそりと建っていた。雨戸——嵐や盗難を防ぐために窓の外側に立てる木の板戸——が全て閉まっており、昼間だというのに中の気配がない。
捕霧七は戸口の前に立ち、丁寧に観察した。
敷石の上の埃、雨戸の建て付けの具合、軒下に積もった落ち葉の量、そして——玄関の戸と土台の隙間から漂ってくる微かな匂い。
「三太」と彼は囁いた。「匂いがわかるか」
私は鼻を近づけた。油の匂いと、それから——かすかに、甘苦い、薬草のような香りが混じっていた。
「何かの薬草か」
「芥子の仲間だ」と捕霧七は言った。声が低くなった。「三太、中に人がいる可能性がある。しかし動けない状態かもしれない」
私は医師の本能で身構えた。
捕霧七は十手を腰から抜き、静かに戸を叩いた。
「お熊さん、いらっしゃいますか。近所の者から頼まれて参りました。具合はいかがですか」
返答はなかった。
もう一度。
やはり返答はない。
捕霧七は戸の掛け金を確かめ、それから周囲を見回してから、私に目で合図した。非常の場合に限られるが、岡っ引きには人命救助を理由とした立ち入りの裁量が認められている。
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中は薄暗く、夏の日差しを全て遮断した室内は、じっとりと蒸し暑かった。
土間——日本の家屋の入口部分で、土の床になっており、外から入る際の足洗い場のような役割を持つ——を越えて畳の間に上がると、奥の部屋から微かな呻き声が聞こえた。
「いる」と私は走った。
奥の六畳の間に、一人の女が横たわっていた。四十前後、やつれた顔色で、額に汗をびっしょりとかいている。呼吸はあるが、意識が朦朧としている様子だった。
私はすぐに診察した。脈は弱いが規則的。瞳孔の様子と皮膚の状態から、薬物による半昏睡状態と判断した。
「誰かに何かを飲まされている」と私は捕霧七に告げた。「催眠作用のある薬草の類だ。命には別状ないが、早急に適切な処置が必要だ」
捕霧七はその間も室内を観察していた。
「三太、これを見ろ」と彼は言った。
文机——書き物をするための低い机——の上に、一枚の紙が置かれていた。筆で書かれた文字が数行、乱れた字で綴られている。
私には読みにくかったが、捕霧七はすらすらと読んだ。
「『これ以上、言うことを聞かなければ、今度はもっと強い薬を使う』——脅迫状だ」
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私がお熊の看病をしている間、捕霧七は室内を隅々まで調べた。
二時間後、お熊が目を覚ました。
最初は私たちを見て怯えていたが、捕霧七が静かに十手を示して岡っ引きであることを名乗ると、彼女は細い声で話し始めた。
話は、意外な方向に展開した。
お熊の話によると、三年前に夫を亡くした後、彼女はひっそりと仕舞屋で暮らしていたが、半年ほど前から見知らぬ男に付け狙われるようになった。男の名は源次といい、かつてお熊の夫が奉公していた米問屋の手代——番頭の下の使用人——だった。
「亡くなった主人が、生きているうちに源次に預けた金があるのでございます」とお熊は震える声で言った。「二十両ほどで——返してほしいと申しましたら、それなら証文を出せと言うのです。しかし証文は主人が持っていたはずで、亡くなったときに見つからなくて——」
二十両というのは、ロンドンで言えば相当な大金だ。江戸の貨幣制度は複雑で、一両は四分、一分は四朱からなる金貨の単位で、一両は大工の棟梁が十日ほど働いた賃金に相当する。二十両といえば普通の職人が半年以上働かなければ手に入らない金額だ。
「源次は、わたしを脅して証文を諦めさせようとしているのでございます。そして——」とお熊は続けた。「柳原堤に出ている青い女も、源次が仕組んだことだと思います」
「なぜそう思う」と捕霧七は訊いた。
「源次が、何度か『堤で変なことが起きているそうだな。お前も気をつけろ、怪我をするといけない』と言うのです。脅しのつもりだと思います。わたしが怖がって外に出られなくなれば、訴えることもできない。まるでわたしを囲い込もうとしているようで——」
捕霧七は静かにうなずいた。
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その夜、私と捕霧七は柳原堤に張り込んだ。
夏の夜半、虫の音が厚く重なる中で、私たちは堤の木陰に潜んで待った。
江戸の夏の夜は、ロンドンより格段に蒸し暑い。海風と川風が時折吹くものの、それも生温く、着物の下に汗が滲む。捕霧七は涼しい顔で微動だにしないが、私は何度も手拭い(てぬぐい)で顔を拭った。
丑三つ時が近づいた頃——。
堤の東の方から、人影が現れた。
提灯も持たず、しかし確かに青白く光って見える。
私は息をのんだ。確かに異様だった。月のない夜の暗闇の中で、その人影だけが青白い燐光を帯びているように見える。
「捕霧七さん」と私は囁いた。
「見ている」と彼は静かに答えた。「動くな」
人影は堤の上を、ゆっくりと歩いてくる。近づくにつれて、女の姿であることがわかった。白に近い薄い衣を纏い、髪を乱したように垂らしている。
「あれは——」
「人間だ」と捕霧七は断言した。「歩き方を見ろ。幽霊は足がないと言われているが、あれは確かに足がある。そして歩き方に、疲れがある。演じているのだ」
その言葉と同時に、捕霧七は立ち上がって堤の上に出た。
「そこの方、少しよろしいか」
女の人影が止まった。
「岡っ引きの写楽捕霧七と申す者です。怪我はありませんか」
人影はしばらく固まっていたが、やがてがくりと膝をついた。
「もう……よいのですか」という、か細い声がした。
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その女は、源次に雇われた、浅草の見世物小屋の女芸人だった。
お咲という二十代の女で、蛍光を放つ夜光塗料——魚の磷から取れる燐光物質を溶かしたもの——を薄い白衣に染み込ませて着ており、それが夜の闇の中で青白く光って見えたのだった。
「源次に、一夜につき三百文で頼まれたのでございます」とお咲は泣きながら話した。「ただ、夜中にここを歩いてほしいと。人を騙すとは知らず——知っていたら断りました。でも、金に困っていたので——」
見世物小屋というのは、江戸の庶民の娯楽施設で、珍しい芸や奇妙な動物を見せる興行施設だ。ロンドンの見世物市場に近い。そこで働く芸人は日々の収入が不安定で、生活は苦しかった。
貨幣の話をすれば——江戸では銭が日常的な少額貨幣で、寛永通宝という銅銭が広く流通していた。一両は四千文に相当し、三百文は庶民の一日の食費に近い金額だ。追い詰められた女に、それは断れない誘惑だっただろう。
私は胸が痛かった。
「あなたは被害者だ」と私は言った。「悪いのは源次という男だ」
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翌日、捕霧七は担当の同心と連携して、源次を捕縛した。
同心の調べで明らかになったのは、源次はお熊から二十両を横領していただけでなく、同様の手口で他の未亡人からも金銭を脅し取っていたことだった。脅迫状、薬による昏睡、そして青い幽霊による恐怖——全て源次が仕組んだ、組織的な詐欺だったのである。
「見事でございました、旦那」と、顔役の老爺が深々と頭を下げた。「青い女が人間とは、誰も思いませんでした」
「青い女の謎は、最初から二つの疑問を提示していた」と捕霧七は答えた。「一つ——なぜ青いのか。もう一つ——なぜこの堤なのか。前者は物質の問題であり、後者は目的の問題だ。この二つを繋ぐものを探せば、人間の仕掛けが見えてくる」
「しかし旦那、青い光のことは——」
「磷の発光は、医学でも化学でも知られた現象だ」と捕霧七は静かに言った。「死体が腐敗するときに放つ光も、似た原理だ。墓場で見られる鬼火と呼ばれるものも、同じ類いのものだろう。自然界に青白い光は存在する——それを利用した者がいただけのことだ」
老爺はしばらく黙ってから、深くうなずいた。
「なるほど……怪物の正体は、化学でございましたか」
「化学と、人間の欲望だ」と捕霧七は言った。「その組み合わせが、最も厄介な怪物を生む」
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その夕暮れ、お熊が長屋に礼に来た。
やせ細った、しかし眼に力が戻った女で、深く頭を下げながら言った。
「おかげさまで、二十両も戻る見込みになりました。源次が持ち出した先を、同心の旦那が調べてくださるそうで——」
「よかった」と私は言った。
「主人が死んでから、ずっと怖い思いをしてきました。もうこれ以上は続かないと思っていたのに、旦那がたに助けていただいて——」
捕霧七はそれをじっと聞いていたが、やがて静かに言った。
「お熊さん、一つだけ訊いていいか」
「はい」
「あなたは最初から、青い女が人間の仕掛けだと気づいていましたか」
お熊は少し間を置いてから答えた。
「……気づいておりました。でも、一人では何もできなくて——怖くて、動けなくて——」
「そうですか」と捕霧七は言った。「一人では動けないときに、助けを求めることができる——それは弱さではない。賢さだ」
お熊は、静かに涙を拭いた。
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その夜、私と捕霧七は長屋の縁側で夕涼みをしていた。
柳原堤の方から、微かに川の音が聞こえるような気がした。蛍が一匹、暗い庭の端を青白く光りながら飛んでいった。
「捕霧七さん」と私は言った。「蛍も青白く光る」
「そうだ」
「あれも怪物に見えるか」
「見えない人間はいない。暗闇の中で突然光るものを見れば、誰でもどきりとする」捕霧七は煙管の煙を細く吐き出した。「しかし、近づいてよく見れば、それがただの小さな虫だとわかる。怪物の正体というのは、大抵そういうものだ——近づく勇気を持てれば、謎は消える」
「源次のような人間が、その恐怖を利用する」
「人の恐怖心ほど、利用しやすいものはない。それだけに、岡っ引きというのは——」と彼はひと呼吸置いた。「恐怖を感じながらも、それでも近づく仕事だ」
蛍はいつのまにか、庭の闇に溶けて消えていた。
どこかの寺の鐘が、夜を一つ打った。
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【結末:ロンドン時代】
気づくと、私はベイカー街の居間にいた。
七月の夜の風が、開け放った窓から入ってきた。テムズ河の臭いが微かに混じっている。ホームズは長椅子から起き上がり、パイプを口に咥えたまま、窓の外を眺めていた。
「ホームズ」と私は言った。「また江戸にいた」
「私もだ」と彼は答えた。振り返らずに。
「青い女が出ていた。柳原という堤に」
「燐光物質を使った偽装だろう」とホームズはすぐに言った。
「そうだ。よくわかったな」
「論理的にそうなる」とホームズは言った。「暗闇の中で青白く光り、人を近づけたくない理由がある——であれば、自然現象か人工の発光体か、そのどちらかだ。自然現象なら場所が固定されるはずだが、目撃談では移動している。ならば人工の発光体を持った人間が歩いていることになる」
「まるで江戸にいたかのような答えだな」
「いたかもしれない」とホームズは静かに言った。「あるいは、いなかったかもしれない。しかし結論は同じだ——怪物の正体を暴くには、怪物の論理ではなく、人間の論理で考えればよい」
窓の外、テムズ河沿いの街路灯が、霧の中でほんのりと光っていた。
「ホームズ」と私はまた言った。「あの蛍が綺麗だった」
「蛍?」
「江戸の庭で見た。青白く光って、闇に消えた」
ホームズはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと言った。
「Firefly——英語ではそう呼ぶ。火の蝿だ。しかし江戸の言葉では蛍——光の虫、という感じか」
「光の虫、か」と私は繰り返した。
「恐ろしいものが、近づいてみれば美しかった——そういうことは、意外と多い」とホームズは言った。「そしてその逆も」
川の向こうから、汽笛の音が長く引いた。
ホームズは窓を閉め、また長椅子に戻った。パイプの煙が、居間の天井に向かってゆっくりと昇っていった。
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本作は、アーサー・コナン・ドイル著『シャーロック・ホームズの冒険』および岡本綺堂著『半七捕物帳』への敬意と感謝を込めて執筆しています。
著:コナン・綺堂異流(Conan Kidoyle)




