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ホームズ捕物帳 ~ロンドンの名探偵、江戸に転生して岡っ引きになる  作者: コナン・綺堂異流


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第三十五話:捕霧七先生の冒険 〜 The Adventure of the Hashigo Master 〜

一部AIにより作成


挿絵(By みてみん)


【冒頭:ロンドン時代】


一八九四年、春のことである。


ベイカー街の居間に、珍しい訪客があった。


二十代とおぼしき若い男で、安っぽいフロックコートを着て、帽子を胸に抱えてぎこちなく立っていた。顔に緊張の色があったが、目だけは妙に澄んでいた。


「ホームズ先生」と、若い男は言った。「私はスコットランド・ヤードの駆け出しで、レストレード警部の下で働いております。先生のご高名は常々伺っておりまして——今回、どうしても自分では解けない事件が起きまして、思い切ってお訪ねした次第です」


ホームズは肘掛け椅子に深く沈んで、指先を合わせていた。目を半ば閉じたまま、若い刑事の言葉に耳を傾けている。


私、ジョン・H・ワトソンはその様子を観察しながら、ふと思った——ホームズが「先生」と呼ばれることに、いつから慣れたのだろう、と。


「話してみたまえ」とホームズは言った。


「ある旗本——いえ、失礼、紳士の家で、女中が一人消えました。消える前夜、屋敷の梯子職人が呼ばれておりまして、その職人も翌朝には姿を消した。女中と職人の間に何か関係があるのか、それとも——」


「梯子職人」とホームズは静かに繰り返した。「それと、紳士の家の若い息子の話はしなかったかね」


若い刑事は目を見張った。「なぜそれを——」


「してはいないが、そのような事件には必ず、若者の色恋が絡んでいる。つづけたまえ」


その夜、私たちは若い刑事に同行して現場へ向かった。ウォータールー橋を渡る途中、霧が深くなり、橋の上で突如として馬車が暴走した。私はホームズの腕を引いたが、間に合わなかった。欄干が崩れ、二人して橋の下の暗い水へ落ちた。


テムズの流れは冷たく、深かった。


そして——気がつくと、私はどこか別の場所にいた。




******




【本編:江戸での事件】


——和登三太の語り——


目が覚めると、梅の香りがした。


早春の朝の空気に乗って、白梅の香りがどこかから流れてきていた。ロンドンには梅という花がない——日本の梅は、ロンドンで言えばチェリー・ブロッサム(桜)に近い早春の花だが、より控えめで、より香りが強い。江戸の人々は梅を殊の外愛でる。「梅見うめみ」と言って、梅の咲く頃に公園や寺の境内へ花見に出かける習慣があり、これは春の訪れを体で感じる儀式のようなものだ。


「三太、今度は神田だ」


と、傍らで煙管を取り出しながら捕霧七が言った。


長身でやせた体に着物を纏い、腰には十手。足元には草履——竹の皮や藁を編んだ平らな履き物で、ロンドンのブーツよりはるかに薄く、地面の感触が直接伝わってくる。転生のたびに私はこの感触に慣れるかと思うが、いつまで経っても草の上を歩くような頼りなさが拭えない。


神田というのは、江戸の中心部に位置する商人と職人の町である。古くから学問の神様として知られる湯島天神や神田明神を擁し、本屋や古道具屋が並ぶ文化の薫り高い一帯だ。ロンドンでいえばブルームズベリーあたりの、知的で庶民的な雰囲気がある。


「今回は何の事件が」と私は言った。


「来客がある。待っていれば来る」


捕霧七はそう言って、すでに私たちの長屋の縁側に腰を落ち着けていた。煙管の刻み煙草に火をつけ、ひと吸いふた吸い。白い煙が春の朝の空気に溶けた。


——そして確かに、来客は来た。




******




やってきたのは、二十歳そこそこの若い男だった。


痩せた体に木綿の着物をきちんと着込み、腰に十手を差している。しかし十手の扱いがまだ慣れていないようで、歩くたびにわずかに揺れた。新米の岡っ引きだと、私にはすぐわかった。


「捕霧七先生でいらっしゃいますか」と、若い男は縁側の前で頭を下げた。「神田の辰吉たつきちと申します。旦那の岡田の同心さまに、先生のお名前を教えていただきまして——恥を忍んでお訪ねした次第で」


「座れ」と捕霧七は言った。


捕霧七が「先生」と呼ばれるようになったのは、いつ頃からだろうと私は時折考える。江戸に転生して以来、彼の評判は少しずつ広まり、今では界隈の岡っ引きたちの間で「難事件はあの人に訊け」という声があるという。ロンドン時代のホームズが「先生」と呼ばれることはなかったが——いや、若い刑事たちは内心そう呼んでいたかもしれない。


「梯子屋の娘のことか」と捕霧七は言った。


辰吉はぎょっとした顔をした。「なぜご存知で——」


「知らない。しかし梯子職人が絡む事件であることは、お前の下駄の跡でわかる。神田でも梯子屋が多いのは大工仕事の多い一帯だ。それと——お前の右袖についた白い粉は漆喰しっくいだ。梯子に登って壁の漆喰に触れた跡だな。昨日今日の話ではなく、現場をすでに何度か調べたということだ。しかし解けないから来た」


辰吉は呆気に取られたまま座り込んだ。


「……先生は本当に噂通りのお方でございますね」


「噂は大抵、現実より面白くなる」と捕霧七は言った。「話せ」




******




辰吉の話は、こうだった。


神田の裏手に、梯子屋はしごやを営む職人の家があった。梯子屋というのは、建築現場や火の見台に使う梯子を作る職人である。江戸の建物はほとんどが木造で、大工仕事の需要は尽きない。梯子職人は地味だが、火事の多い江戸では欠かすことのできない職業だった。


その梯子屋の親方、平助へいすけには、おりんという一人娘がいた。十七歳の、器量よしと評判の娘で、平助の自慢だった。


ところが二週間前の夜、おりんが突然姿を消した。書き置きもなく、荷物もなく、ただいなくなった。


失踪しっそうか」と私は言った。


「それが——」と辰吉は続けた。「前の夜に、おりんの家を訪ねてきた者がいるんです。旗本はたもとの家の若殿で、岡山藩おかやまはんの江戸藩邸に出入りしていた武士の息子、柳橋やなぎばし仙之丞せんのじょうという者で」


旗本というのは、将軍に直属する武士のうち一定の格式を持つ者で、ロンドンでいえばナイトや郷士に相当する。その息子が、梯子屋の職人の娘を夜分に訪ねてきた——身分の違いから考えると、これはただの交友ではあるまい。


「仙之丞と、おりんの間には、何か」と捕霧七は訊いた。


「……色恋の仲だったと、近所の者は言っています。しかし平助親方は知らなかった様子で——娘が消えてから初めて、そういう噂を耳にして、ひどく怒っています」


「仙之丞は今どこに」


「それが——おりんが消えた翌朝から、仙之丞も姿が見えないと、藩邸の者が言っています。二人して駆け落ちをしたのではないかと、もっぱらの噂ですが——」


「駆け落ち(かけおち)」と捕霧七は繰り返した。


駆け落ちというのは、身分や家柄の違い、あるいは親の反対などで正式な婚姻が叶わない男女が、二人して家を出て行方をくらます行為である。江戸では珍しいことではなかったが、武士の息子が町人の娘と駆け落ちするとなれば、藩邸にとっても平助親方にとっても一大事だった。


「しかし」と辰吉は眉を寄せた。「駆け落ちにしては、腑に落ちないことがあります。おりんの家の隣に住む棟梁とうりょうが、あの夜、おりんの家の方から言い争いの声を聞いたと言っています。それも、仙之丞とおりんの声ではなく——もっと年かさの男の声が、低く怒鳴るような声だったと」


「年かさの男」と捕霧七は言った。「平助ではないのか」


「平助親方はその夜、酒の席があって、遅くまで外に出ていました。帰ったのは四つ(午後十時)過ぎで——言い争いの声があったのは、その前のことだったそうです」


捕霧七は煙管の雁首を煙草盆に打ち付けた。灰が落ち、また詰め直す。


「仙之丞の父親は」


「岡山藩の江戸留守居役えどるすいやくを務める柳橋平右衛門へいえもんという方です。藩邸の中枢にいる方で——この件がもし外聞がいぶんに出れば、藩の体面に関わると、仙之丞の行方を表立って調べることを渋っておいでで」


留守居役というのは、参勤交代で領国に戻った藩主の代わりに江戸藩邸を守り、幕府や他藩との折衝を担う重職である。ロンドンでいえば大使館の一等書記官に相当するだろうか。体裁と外聞を何より重んじる立場だ。


「つまり」と私は言った。「藩は内々に片付けたい。しかし平助親方は娘の行方が心配で、岡っ引きに頼んできた」


「そういうことです」と辰吉は言った。「旦那の同心さまは、藩の顔を立てながらうまく調べろと言いますが——わっちには、どこから手を付けてよいか」


「現場を見よう」と捕霧七は立ち上がった。「三太も来い」




******




梯子屋の平助の家は、神田の路地の奥にあった。


木造の仕事場兼住居で、外には梯子の材料となる丸太や板材が積み上げられていた。江戸の職人の家は仕事場と住居が一体になっており、一階で仕事をして二階に家族が暮らす形が多い。ロンドンの職人街の工房付き住居とよく似ているが、江戸の場合は木と紙でできているぶん、より開放的で、より火事に弱い。


平助は五十がらみの、日焼けした頑丈な体つきの男だった。腕に梯子職人らしい古傷がいくつかある。捕霧七たちを見ると、強張った顔で迎えた。


「娘を見つけてもらえるなら、何でもお話しします」と彼は言った。


「おりんが消える前の数日、変わったことはなかったか」と捕霧七は訊いた。


「……実は」と平助はためらいながら言った。「三日前に、見知らぬ男が来ました。おりんに会いたいと言って。どこの誰かと訊いたら、岡山藩のお方だと——名前は言わなかった。おりんはその男と少し話して、顔色が変わって帰ってきました。何を話したか訊いても、何でもないと言って」


「顔色が変わった」と捕霧七は繰り返した。「その男の人相は」


「四十前後の、武士の格好をした人で。眉が太くて、目がきつい感じの」


「仙之丞ではない」


「仙之丞さんとは、面差しが全然違います」


捕霧七はそれから、おりんの部屋を見せてもらった。二階の六畳ほどの部屋で、着物箱と化粧道具、それから小さな文箱ふみばこが残されていた。


文箱というのは、手紙や書き物を収める箱である。


捕霧七はその文箱を手に取り、蓋を開けた。


中には数通のふみ——手紙——があった。仙之丞の字で書かれた恋文が数通。しかしその中に一通、明らかに筆跡の違う短い文があった。


「読んでよいか」と平助に訊くと、彼は黙ってうなずいた。


捕霧七はその文を読んだ。表情が変わった。


「三太、これを見ろ」と彼は言った。


私は文を受け取った。短い文面に、こうあった。


「仙之丞どのは今、我らの手中にある。娘が姿を消せば、仙之丞どのの命は保証する。姿を消さなければ——」


そこで文は終わっていた。


脅迫状きょうはくじょうか」と私は声を落とした。


「おりんは自分から姿を消したのではない」と捕霧七は静かに言った。「消えることを強いられた。そして仙之丞も——恐らく誰かに捕らえられている」




******




「柳橋家の内部に、仙之丞と対立する者がいる」と捕霧七はその夜、辰吉に言った。「脅迫状を送り、仙之丞を拘束した。目的は——仙之丞が梯子屋の娘と所帯を持つことを阻止することか、あるいは仙之丞自身を藩の権力争いで排除することか、どちらかだ」


「しかし、どうやってそれを調べれば」と辰吉は言った。


「藩邸の出入り業者を調べろ。梯子屋は武家屋敷にも出入りする。平助の仕事の記録を見れば、岡山藩邸との付き合いがわかる。おりんが仙之丞と知り合ったのも、恐らくそこからだ。そして——あの四十前後の武士の人相を、藩邸の出入り業者に当たって確かめろ。藩の内部で何が起きているか、業者の者は大抵よく知っている」


辰吉は熱心に手帳に書き留めた。


江戸の岡っ引きは手帳を持たない——そう思っていたが、辰吉は小さな矢立やたてと紙を持っていた。矢立というのは、筆と墨壺を一体にした携帯用の筆記具で、現代の万年筆に相当する。新米らしく几帳面に、捕霧七の言葉を書き留めている。


「もうひとつ」と捕霧七は言った。「おりんの行方だが——彼女は消えることを強いられた後、どこへ向かったか。脅迫状には行き先の指定はなかったはずだ。とすれば、彼女自身が選んだ場所がある。信頼できる者のところへ身を寄せているはずだ。平助に、おりんが子どもの頃から親しくしている者に心当たりがないか、もう一度聞いてみろ」


「わかりました」と辰吉は頷いた。




******




三日後、辰吉が長屋に駆け込んできた。


「おりんが見つかりました」と彼は息を切らしながら言った。「先生の言った通り、幼なじみの小間物屋の女将のところに隠れていました。そして——仙之丞さんの居場所も」


捕霧七は煙管を置いた。


「どこだ」


「岡山藩邸の蔵の一室に、監禁されていました。脅迫状を送ったのは、藩の江戸詰め用人ようにんの一人、黒沢くろさわという者でした。仙之丞が梯子屋の娘と所帯を持てば、黒沢の娘との縁談が流れる——それを恐れての仕業でした」


用人というのは、武家の家臣の中で主家の家政を取り仕切る役職である。ロンドンでいえば執事長に相当するが、武家の用人は財政から人事まで広い権限を持ち、主家に対しても相当な影響力を発揮することがある。


「縁談の障害を排除しようとした」と私は言った。「しかし仙之丞を監禁したのでは、本人の意思で縁談は進められない」


「黒沢の計算では、仙之丞が数日の軟禁の間に、おりんへの気持ちが冷めるか、あるいは怖気づくだろうと踏んでいたようです。しかしおりんが消えたことで、仙之丞は黒沢への疑いを深め、かえって意志が固まってしまった」


「人を動かそうとして、反対の結果を招く」と捕霧七は言った。「黒沢の読みが甘かった」


黒沢はその後、南町奉行所の同心が藩邸に出向き、藩側との折衝の上で処分が決まった。表向きは「不行跡ふぎょうせき」による役職剥奪——江戸時代の武家社会では、こうした内々の処理が一般的だった。おりんと仙之丞の行く末については、私には最後まで知らされなかった。


「二人は所帯を持てたのでしょうか」と帰り際、辰吉は捕霧七に訊いた。


「知らん」と捕霧七は言った。「それを調べるのが岡っ引きの仕事ではない」


「そうですが……心配で」


捕霧七は少し間を置いた。


「心配するのは悪くない」と彼は言った。「ただし、心配と仕事を混同するな。それがお前のこれからの課題だ、辰吉」


辰吉は深く頭を下げて去った。


その背中を見送りながら、私は思った。ロンドンのホームズも、スコットランド・ヤードの若い刑事に、いつもこういう言い方をしていた。論理的に、しかし温かみのある言い方で。


江戸でも、ロンドンでも——師匠というものは似たものだ、と。




******




春の夕暮れが、神田の路地の上に柔らかく降りた。


梅の花はもうほとんど散っていたが、どこかの枝にまだ一輪、白い花が残っていた。


「捕霧七さん」と私は縁側に並んで言った。「あなたは今日、辰吉に謎を解いてみせながら、同時に教えていた」


「そうでもない」と捕霧七は煙管を吹かした。「解いたのは辰吉だ。私はただ、どこを見ればよいかを言った」


「それが教えるということでは」


捕霧七はわずかに眉を動かした。江戸での彼の笑いに最も近い表情だった。


「ワトソン——三太、私はいつから先生になったのだろうな」


「いつの間にか、でしょう」と私は言った。「ロンドンでも、あなたはいつの間にかそうなっていた」


川の向こうで、夕鐘が鳴り始めた。




******




【結末:ロンドン時代】


気づくと、私はベイカー街の居間にいた。


暖炉の火が燃えていた。窓の外に、春の宵の薄明かりが残っていた。ホームズは肘掛け椅子にいて、例の指先を合わせる仕草で目を閉じていた。


「ホームズ」と私は言った。「また夢を見た」


「私も」とホームズは目を開けた。「神田の梯子屋の事件だ」


「君が辰吉という若い男に、謎を解かせた夢だ」


「解かせた、というのは語弊がある」とホームズは言った。「どこを見ればよいか、示しただけだ」


「それが教えるということでは」と私は言った。


ホームズは少し黙った。


「……ワトソン、私は師匠になりたいと思ったことは一度もない」と彼は言った。「しかし、若い刑事が訪ねてきたとき——あの目を見ると、断れない自分がいる。解けない謎の前で、しかし諦めていない者の目だ。あの目は——」


「放っておけない」と私は言った。


「そう」とホームズは短く言った。「放っておけない」


窓の外、ベイカー街に春の夜の霧が薄く流れていた。


遠くで馬車の音がして、それが遠ざかり、また静かになった。


「次の依頼者は、もう少し早く来るだろうと思う」とホームズは言った。「今夜の若者が、口を広めるはずだ」


「それは困るか」


「少しも」とホームズは言った。「それが仕事というものだ」




******




本作は、アーサー・コナン・ドイル著『シャーロック・ホームズの冒険』および岡本綺堂著『半七捕物帳』への敬意と感謝を込めて執筆しています。




著:コナン・綺堂異流(Conan Kidoyle)

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