第93話 決意より強かったもの
ハンガーで待ち受けていたのは、火気厳禁のはずの格納庫で平然とタバコをくゆらせている島田だった。
しかも、いつものにやけた笑みまで浮かべている。
島田は逃げ出した誠を責める様子もなく、ただちらりと一瞥した時に目をギラリと光らせて凄みを見せて威嚇しただけで、すぐに満面の笑みで、黒いライダーズスーツ姿のかなめに目をやった。
「やっぱ連れ戻したんすね、西園寺さん。さすがっすねえ。俺が出て行ったら神前の野郎の気合いを入れると称してぶん殴ってそのまま殴り殺しちまうかもしれないところを殴り殺さずに連れ戻すなんて……さすが言葉責めのプロの『女王様』だ。ランの姐御に『オメーは口より先に手が出るから言葉責めだけで男を虜にした西園寺に任せろ』って言われた時には俺も半分疑ってたんですけど本当にそうだったわけだ。それに神前の馬鹿も『租界』一番の『女王様』の言葉責めプレイをタダで体験できたうえに、駅まで行って多少外の空気を吸えば気が変わるでしょ……まあ、遅かれ早かれ神前の奴は危ない思いをすれば逃げ出すとは俺も思ってたんですが……まあ今日がその日だったということですかね?」
整備班が一列に並び、軍手を腰に挟んだ島田がにやけ顔で敬礼まがいの手振りをしながら、誠を引きずってくる様子を見守っていた。
天井クレーンの鈍い駆動音。鋼鉄の巨人が三機、睡眠中の獣のように固定されている。
「島田、アタシについての余計な話はどうでもいいんだ。それより神前……オメエも前に見たろ?オメエの乗る同型のシュツルム・パンツァー05式だ。オメエの好きなメカだ。それも、タイマン勝負に特化した世にも変わった設計思想を持ったこの隊でしか運用していない人型機動兵器だ。理系で、機械を弄ってきた人間なら血が騒がねえか?別に敵が誰だろうがコイツには関係ねえんだ!だったらオメエにここを抜ける理由は何もねえはずだ!このマシンを手に入れる。しかも遊園地の遊具みたいに一回乗るたびに金を払う必要もねえんだ。オメエに何一つ損がねえのになんで辞めるなんて言うのかアタシには理解できねえな!」
かなめは先ほどの殺気をさっと引っ込め、営業スマイルのように明るく笑う。
「シュツルム・パンツァーをジェットコースター扱いですか……僕は本当に乗り物に弱いんでそもそも遊園地は歩いて行ける『華屋敷』しか行ったことありませんし、あそこのジェットコースターは古くて揺れるからそもそも乗ったことが無いです。それに別に……僕が機械好きとか嫌いとか、もうどうでもいいじゃないですか。僕の代わりに西園寺さんが人殺しを引き受けてもその人は死ぬんでしょ?だったら結果は同じことじゃないですか。05式に乗っても同じことをするんでしょ?死体が見えないからマシだと言いたいんですか?でも、被弾したシュツルム・パンツァーのコックピットの中がどうなるかくらい、僕にだって想像できますよ。僕がこの前見た死体よりひどいことが起きる……戦争になればそうなることですよね?僕がこの隊にいる限り人が死ぬかもしれない。そして僕がいる限りあの人殺しをしても何の反省も無い地球圏の人間とこの東和が戦争を始めるかもしれない。そんな世界なんて僕は望んだわけでは無いんです。だから僕はこの隊を辞めたんです。それに僕はもうここを出て行った人間なんで僕にはもう、関係ないことですから。それにこれってさすがに軍事機密ですよね?そう言って僕を調子に乗せて無理やり隊に残そうって意図がばればれですよ。鈍い僕でもそんな思惑に簡単に乗ると思ったんですか?馬鹿にしないでくださいよ」
言いながら、右腕の痺れをぶんぶん振ってほぐす。視線は自然に、オリーブドラブの標準色をまとったカウラの機体へ吸い寄せられていた。
パネルに墨のような影を落とす恐らくECM攻撃用と思われる特製アンテナ。脚部の装甲に走る擦り傷。痕跡は全て、戦うための生まれだと語っている。
島田は誠を見ると奥のオリーブドラブの東和陸軍と共通の塗装のカウラ専用の05式電子戦仕様機を指さした。そこには、どこまでも誠の面倒を見ると決めた時の、島田らしい自信に満ちた笑みがあった。
「西園寺さん、今の整備の状況ならカウラさんのなら、神前でも『動かせる』んじゃないっすかね?ランの姐御のはシート小さすぎてデカい神前にはそもそもシートに座るのも無理だし、西園寺さんのは……小脳直結デバイスが要るんで、生身じゃただの狭い箱の中の椅子でしかないんで。神前が乗りたいのはちゃんと操縦桿で操作できるシュツルム・パンツァーでしょ?だったらカウラさんの機体しかうちには無いでね。まあ、あのコックピットのメカ感は独特と言うか……神前の乗ることになる予定だった乙型よりも電子戦の制御装置とかECMの発生システムと管理画面とかが表示されるんでより機械の操作が好きな人間には嵌りそうな機体なんで丁度良いんじゃないですかね?」
島田がカウラの機体を見上げながら相変わらずのとぼけた笑顔でそう言った。
「ああ、別にアイツも神前の奴をうちに引き留めるために使うってことなら文句も言わねえだろうよ。元々、カウラには『自分の専用機』って意識が薄いからな。この機体の色だってあたしがいくら自分の専用機らしく髪の色みたいにエメラルドグリーンにしろって言ったってそのことで性能に関わるかってお構いなしなんだ。おい、神前……乗ってみるか?05式の実機に。オメエが05式に乗るのはこれが初めてだろ?シミュレータには散々乗った?そんなもん実機の重厚感に比べたらまさにさっきオメエが言ってた『華屋敷』の子供用ゴーカートみてえなもんだ。東和宇宙軍の教習用のシュツルム・パンツァーは89式を教習用にデチューンしたのを使ってるが、アレは飛行に特化した機体で軽武装だから武器の操作系やなんかはまるで別もんだぜ。あんな旧式の空戦に特化した飛べるのが売りのただの的じゃねえ本当の戦う機械だ。そいつに乗れるんだ……嬉しいだろ?」
かなめが唐突にふる。誠の喉が、わずかに鳴った。確かにかなめとの格闘戦オンリーの戦いで勝った時に乗ったシミュレータのコックピットはこれまでの東和宇宙軍のパイロット養成課程で乗った練習機のどれとも違う視界の広い全周囲コックピットを採用していた時点でかなりの興奮を覚えたのは事実だし、より高機能な電子戦専用機と聞けば誠の興味は惹きつけられるのは無理も無かった。
「確かに興味が無いと言えばうそになりますけど……本当にいいんですか?クバルカ中佐の許可とか……確かに乗りたくないわけじゃないのは事実です……けど……クバルカ中佐がそれを理由にいろいろ言ってくるのは僕には嫌なんで。確かに乗りたいかと言われれば……乗りたいですけど……でもそんな事では僕の決意は揺らいだりはしませんよ。丁度いい隊を辞めるきっかけとしてそれを考えるだけの話ですから」
そんな嫌がるようなことを言いながらも誠の胸は早鐘を打っている。シミュレーターの座り心地は知っている。だが実機は別格なのは誠も教習用の89式に乗った時に感じていた事実だった。誠は自分の心が少し揺らいでいるのを感じていた。
島田は誠の心の奥底を見透かしたようににやにやのまま、かなめに視線で合図を送る。
「ランの姐御の意見なんてどうでもいいんだよ!逃げたいなら逃げればいい。怖えなら怖えでいい。でも、好きなもんまで無かったことにすんな。オメエ、機械好きなんだろ?要はオメエが乗りたいかどうかだ!何でも姐御のせいにすんな!……心配すんなって。ちゃんとその上司である叔父貴に許可は取ってあるから。今逃したら、一生シュツルム・パンツァーのコックピットに触れる機会なんてねえぞ。しかも05式は東和陸軍も採用を諦めた機体だから、東和陸軍の基地祭なんかで展示されて簡単に乗れるような機体じゃねえんだ。こんな機会はもう二度と来ねえかもしれねえぞ。こんな機会を逃すなんて馬鹿のする事だ。それくらいのことは東和宇宙軍で、地球圏に対する軍事的優位の最大の理由である電子戦対応シュツルム・パンツァーを何度か見たことがあるオメエなら、分かるはずだろ?オメエなら分かるはずだろ?違うか?」
耳元に口を寄せてそうささやくかなめの言葉に誠の除隊の決意は確実に揺らいでいた。
「そうだぞ、巨大ロボは漢のロマンだ」
かなめのささやくような口調と島田の軽口を背に、誠は鉄の巨体を見上げた。
失敗作と揶揄され、量産もされなかった05式……それでも、重装甲のフォルムは理屈抜きに胸を打つ。
『これと同じ機体が、僕に配備されるはずだった……』
その事実だけで、胸の奥が熱くなる。
『僕専用の05式乙型……法術師用の特別仕様機……』
辞める。
その決意を固めたはずなのに、機械を見る目だけは、まだ子供のままだった。
誠は思った。別に、乗ったからといって残ると決めたわけじゃない。
辞めるのは、そのあとでも遅くない。
一度くらい実機を見ても損はない。
怖さは消えていない。
死体の記憶も、銃口の冷たさも、まだ胸の奥に残っている。
それでも、目の前の機械を見たいという衝動だけは、その恐怖とは別の場所から湧いてきた。
……そう、自分に言い訳しながら、誠は足をエレベータへ向けていた。
足場がぎぃと鳴り、コクピットハッチの高さまで上がる。
「すげえだろ?燃えてくるだろ?」
かなめの声が、いつになく素直に聞こえた。
今の誠の心を言い当てたかなめの言葉が誠には少し恥ずかしく照れ臭かった。
「『燃える』って柄じゃないですが……凄いのは確かです。……開きます?コックピット」
誠の心臓が目の前の重厚な装甲板を見て自然に高鳴ってくる。そんな誠の様子を察したかのように笑顔のかなめは背後に向けて叫んだ。
「島田!」
「了解」
ピンロックが外れる乾いた金属音。厚い装甲が重たげにスライドし、わずかな油と金属の匂いを伴って暗がりが口を開ける。
「メカですね……当たり前のことですけど」
誠は体を横にして狭い開口から滑り込み、肩をすぼめながら座席へ腰を落とす。
全周囲モニタは今は黒。パネルの縁取りは緑の独特な艶が静かに起動の時を待っている。スロットルとレバーの配置は最初にかなめとの模擬戦をした時に乗ったシミュレータ準拠している……だが、実機特有の『密度』が違う。明らかに『実戦』を前提とした特有の雰囲気が誠を包み込む。
実機の持つ圧倒的な迫力に誠は息を飲んだ。そして同時にこの『現場の手ざわり』だけで、誠の中でさっきまでの決心が少しずつ形を崩していくのを、自分でも苦笑した。
「うちのシミュレータは05式を完全再現してるんだ。実機とシミュレータの機能がほぼ同じなんてことは当たり前だろ?ああ、オメエのは『乙型』のコックピットでそのカウラの『甲型電子戦用』には電子戦を行うECM発生装置のスイッチ類や高感度レーダー、あと指揮官用の指向性赤外線通信機なんかがあるから微妙に違うかもな」
かなめの声が上から降ってくる。
「こいつは『05式特戦甲型・電子戦仕様』。小隊長機だ、通信系が盛り盛り。指向性ECMのおかげで、マニュアル要素の薄いシュツルム・パンツァーや飛行戦車は一撃でお釈迦になるという代物だ。東和宇宙軍以外でそれだけ強力な指向性ECM発信装置を積んでるのはこのカウラの機体だけだ」
パネルをなでる指先に、誠の視線が吸いつく。
シミュレータで見たことのない追加モジュール。波形の粗い表示。隣接するレバーの戻りバネの硬さ。
「東和の『お家芸』、電子戦ですか。確かにこの広範囲ECM発生装置なんて東和宇宙軍の自慢の電子戦専用機と同スペックですね。見て分かりますよ……こんな広範囲でECM攻撃を仕掛けられたら敵機は何もできずに全機能が停止してパイロットは何起きたかも理解できずにそのまま窒息死ですから。それとこのレーダー範囲……これも東和宇宙軍標準のレーダーですよね?これだけの範囲をカバーできるなんて……確かにこれまで僕が乗った練習機の時代遅れのレーダーなんかこれの前ではおもちゃみたいなものですね。でもこれ、同盟司法局の持ち物ですよね?東和宇宙軍、よくこんな最新装備の配備を許しましたね……あの技術って東和宇宙軍の独占技術でしょ?なんでうちなんかにそんな技術の提供をしてくれたんですか?」
東和宇宙軍と言えば紛争の拡大が東和共和国にまで及ぶ可能性があるとみるといち早く飛行禁止宙域を設定して電子戦専用機を飛ばして参戦国に警告を与え、それを無視するような行動をとれば問答無用で指向性ECMによりその機体のすべての機能を停止させる電子戦を行うことで知られていた。そんな任務は落ちこぼれのパイロットである誠には無関係の事と諦めていた機能を搭載した機体に、今誠は乗っている。
「うちは軍事警察機構。警察任務に必要なら、東和に断る理由はない。東和の国是は『中立不可侵』。理想のためなら、悪魔にも技術を売るってわけだ」
かなめは笑い、指でコクピットのフレームを軽く叩いた。




