第61話 リスナーとして残れ
「いっぱい買っちゃったな……意外とこの近くの模型ショップ、工具が揃ってるんだ。これは良い収穫かも」
誠はプラモデル用の工具や接着剤や塗料を大量に買い込んで寮に帰ってきた。
「あのアメリアさんのことだからお色気で売ってるアニメのフィギュアを僕に作れとか言ってきそうだからな……確かにSNSでそれっぽいキャラの自作フィギュアを上げて閲覧数を稼いだのは事実だけど」
それから数時間して誠は初日に行った月島屋のある商店街で見つけた小さな模型店で買った袋を下げて寮の自分の部屋の扉を開けた。
袋の手触りは紙の擦れる音と、細かな箱の重さが伝わる。休日の収穫を胸に、誠は鍵を回す手が少し震えているのを感じた。期待という小さな高揚感が、体に心地よい。
「あれ?出かける時に空調は止めたつもりだけど……」
ひんやりとした自室の空気に違和感を感じながら部屋の戸を開けると、誠はそこに人影を見つけた。
人影は、まるで日常の侵食者のように部屋の中に座っていた。だが侵食者の正体はやはり『同僚』であり、安心の木陰でもあった。
「よう!」
おかっぱ頭に黒のタンクトップにラフなダメージジーンズ。
そして左脇には愛銃『スプリングフィールドXDM40』がぶら下がっている。
それは西園寺かなめ中尉だった。出かける直前に島田とかなめの悪口で盛り上がっていたことを思い出し誠の背中に寒いものが走った。
かなめの存在はいつも予定外を連れてくる。だがその予定外こそが、寮生活のスパイスだ。彼女がいるだけで部屋の空気が一変する。気の強い彼女なら男子寮だろうが関係なくふらふら訪ねてきても少しも不思議でないと感じるのが誠にも不思議に思えた。
「なんだ、西園寺さんが来てたんですか……別に僕は島田さんと一緒に西園寺さんを怒らせて射殺されるような西園寺さんの悪口は言ってないですよ……ええ、言ってないです」
誠は誤魔化すようにそう言いながら手提げ袋を部屋の片隅に置いた。
「アタシの悪口?いいよ、今のアタシは機嫌が良いんだ。オメエみたいな一緒に居て楽しい部下が来るなんて聞いていなかったからな。完璧な人間なんて居ねえのはアタシも知ってたから好きに言いな。それに島田の馬鹿の言うことだ。馬鹿の言うことをいちいち気にしてたら世の中疲れてやってらんねえよ。それにしても……なんだ、男子下士官なんて戦場では消耗品でしかない兵隊に割り当てられた割にいい部屋じゃねえか。馬鹿の島田が寮長をやってるって聞いてたからもっと壁に落書きでもしてあるような部屋を想像してたのに」
かなめの視線は鋭くも無邪気で、誠の部屋を一瞥して評価する。外観や豪華さで価値を決めない誠にとって、その雑な観察はむしろ快い。
「なんでそんな最底辺のゲットーみたいなイメージなんですか?島田先輩は何者なんですか?ああ、あの人は暴走族上がりだからコンクリートの壁を見るとスプレーで落書きをしないと気が済まないとか言うところはありそうですけど」
さすがの誠もかなめの島田に対する偏見には異論を覚えた。それと同時に島田の行動パターンがあまりに誠が知っている『ヤンキー』や『不良』や『暴走族』のそれと一致しているのであながちかなめの偏見も全否定する勇気も誠には無かった。
「そりゃあヤンキー……じゃなきゃ元暴走族。ああ、東和陸軍に入ったら今頃は特殊犯罪に手を染めて塀の中にでもいたんじゃねえの?特殊詐欺の受け子とか……ああ、アイツは口が立つから掛け子の方が似合うか」
ベッドに腰かけて真顔でそう答えるかなめを見ながら誠は呆れたように立ち尽くす。
かなめの一言は単純だが、そこに含まれる意味は深い。ヤンキーとは単なるファッションではなく、仲間を守るための姿勢だ。誠はそれが嫌いではない。が、暴走族……そして特殊犯罪者となるともうすでに島田は社会の敵だとかなめは見なしているようなものである。
そんな誠はかなめの隣に置かれた意外なものに目をやった。
「あのー……それ、ギターですか?」
かなめの足元にあるギターケースを見てそう言った。いかにも年季を感じさせる黒いギターケース。乱暴者のかなめらしくあちこちに傷があるのが誠には少し安心感を感じさせた。
「なんだよ。アタシは楽器は得意でね。それともオメエはアタシが銃以外を持ってるのが不服か?ちなみにアタシは地球圏で作られた弦楽器のほとんどは弾けるんだぜ……特に最初にならったのは琵琶で次が琴。特に琴の腕は……たぶんアタシの弾いた曲は正月になると東和の正月番組のオープニングには必ず流れるからオメエも聞いたことがある。というかあの曲をレコーディングした時はアタシは15だったからその翌年から正月になると必ずアタシの演奏した琴の曲……ああ、『春の海』ってやつだ。正月になると嫌でも耳に入るだろ?アレをオメエは嫌だと言ってもテレビで聞いてきたわけだ。ああ、つまんねえ自慢話はアタシらしくもねえか」
かなめの問いは少しふざけているが、その眼には真面目さもある。人は銃だけでは生きられない。心の拠り所が必要なのだ。
「そんなことは無いですけど……それと琵琶と琴って……しかもあのお決まりの正月の曲って西園寺さんがあの琴を弾いてるんですか?というか西園寺さんは何者ですか?そんな東和のすべての放送局であの曲が流れるなんて……確かにただのSEだから誰が弾いてるかなんて考えたことも無いのは事実ですけど……それより、ギターの次はベースギターとかじゃないんですか?普通」
かなめは誠の言葉を無視してギターケースを開けた。
「他にも前の戦争からの友好国のゲルパルトではクラシックが盛んだから、バイオリン、チェロ、コントラバスなんてのは当たり前だな。まあ、お袋が『かえでが西洋楽器は一通り出来るんだからあなたもできるでしょ?』とか妹の付き合いでバイオリン以下はやってた。ただ、うちの御所に住んでた東和に憧れてる居候が弾いてたギター以上にアタシの心をつかんだものはなかった……だからギター以外は銃でも突き付けられなきゃ弾きたくねえな」
そんな独り言を言うかなめの手の中に年季の入ったアコースティックギターが納まる。
ケースの内張りは擦れ、弦の光は少し曇っているが、それでもギターは気品を失っていない。かなめの手に馴染む姿は、不思議な説得力がある。
「なんだかギターって……西園寺さんにぴったりですね……でも琵琶は……そう言えば隊長室には琵琶がありましたね……それと西園寺さんの話と関係あります?」
かなめはいつも黒いタンクトップに茶色いホルスターに銃。そしてダメージジーンズと言う姿である。今日も休日だというのに銃を持ち歩いているが、ギターを弾くときは邪魔になるというように、誠のベッドの上にホルスターは投げ捨てられていた。
ギターを弾くために銃を外す。
それだけのことなのに、誠にはそれが、かなめがほんの少しだけ鎧を脱いだように見えた。
「褒めてもなんもでねえぞ。それとうちの実家の話はうちではアンタッチャブルな事項だ。アタシが口にするまで言うんじゃねえ。それに今の神前の言葉は下手な世辞はアタシが一番嫌いなんだ。それとアタシとあの『駄目人間』の関係も詮索するな。それはアタシにとっては恥以外の何物でもねえ」
そう言って、かなめは笑いながらギターを軽く撫でた。
その仕草には無骨な優しさがあり、誠は思わず息を飲む。かなめの粗暴さは外側だけで、内側には繊細な層があるのだ。
いつものガサツなかなめとは違い、その手つきには優美さを感じさせた。
「好きなんですか?ギター」
誠は腕慣らしにギターをつま弾くかなめを見ながらそう言った。
「嫌いで弾く馬鹿はいねえだろ?それよりいつまで立ってるつもりだよ。そこに座れよ」
ベッドに腰かけたかなめは部屋の中央で立ち続けている誠にそう言った。
言われるままに誠がベッドに座ると、かなめはぎこちないが丁寧にギターを構え、指先で弦に触れた。音が柔らかく、部屋の余韻を満たす。
仕方なく、誠はその場に腰かけた。
「西園寺さん。でもいきなり僕の部屋でギターを弾くなんて……何かあったんですか?」
誠は改めて一度考えてみてなぜかなめがここにいるのか不思議に思ってそう尋ねた。
「何にもねえよ。涼しくなれば千要駅前の広場とかで弾くんだけど……この気温じゃ客も集まらねえ。それにアタシは自由人なの。ギターを弾きたいときに弾いて歌いたいときに歌う。それだけ」
そう言うとかなめはギターをかき鳴らし始めた。
予想外の旋律が部屋に広がる。かなめの声は低く、かすれていて、しかし奥の方に強さを秘めている。誠は思わずその声に耳を傾ける。
「聞いとけ。アタシの歌」
そう言うとかなめはゆっくりとした曲を弾き始めた。
導入のコードは懐かしさを誘い、そして歌は語りかけるように進む。かなめの歌声は、過去の痛みと諦観を含む一種の宣言だった。
初日にカウラの『スカイラインGTR』の中で聞いた二十世紀の女性シンガーの曲を思わせるどこか切ない旋律が誠の部屋に響いた。
『……アイツのことを……思いながら……アイツが誰かのものになる夢を見て……』
言葉は朧げで、しかし情景は鮮やかだ。かなめは自分の声を道具のように使い、歌で自分を表現している。
彼女のかすれたような歌声にマッチした悲しげな旋律だった。
『……アタシもいつの間にか違う男に抱かれて……それで良かったと安心してる……』
銃を持つ手と、弦を押さえる手が同じだということが、誠には不思議だった。
歌詞の断片が漂い、誠の部屋の空気が濃密になる。かなめの歌は、普段見せない感情の脈動をここに取り出している。
悲しいすれ違いの恋の歌。恋の歌のほとんど存在しないこの東和共和国から出たことのない誠にはある意味新鮮に感じる歌だった。
どこかかなめに似合っているようで誠は彼女の歌に聞き入っていた。
かなめが歌うのは道ならぬ恋に悩みつつ前を向いて生きていく強い女性の歌だった。
強さと弱さが同居する曲だ。かなめは鋭く、しかしどこか守られることを欲しているようにも見える。そのギャップが誠の胸を打った。
『西園寺さん……歌が上手いんだ……人にはこんな一面もある……僕が見ていた西園寺さんは西園寺さんの一部でしかないんだな』
誠はサビに行くにしたがって盛り上がっていくかなめのギターと歌声を聞きながらそんなことを考えていた。
かなめの絶唱が終わると、ギターの音が止み静寂が訪れた。
余韻が床に溜まるように、二人の間に小さな静けさが横たわる。誠はその静けさを大切にした。
「西園寺さん……」
誠は笑顔で気持ちよく余韻に浸っているかなめの顔を見つめた。
「これは昭和の歌手にインスパイアされてアタシが作ったアタシのオリジナル曲。いつもは『中島みゆき』や『森田童子』とかのコピーを弾いてるが、オメエにはアタシのオリジナルを聞いてもらいたくなった。路上でも聞けねえレアな曲だぞ。ありがたく思え。アタシは歌いたいから歌った。アタシは趣味で休日には駅前の路上でこんなことをしている。そん時はほとんど昭和歌謡のカバー曲ばかりだがな……ははーん。その顔はアタシがそんなことをするのは意外だって思ってる面だな」
ギターを仕舞いながらかなめは誠をいつものガラの悪そうな視線でにらみつけた。
その言葉の端に含まれる自慢と照れは、かなめの不器用な優しさだ。誠はそれを受け止め、ほんの少し顔が赤くなる。
「そんなこと無いですよ!強く生きていく女性を歌うのは西園寺さんに似合ってると思いますよ!」
取り繕うように首を振りながらそう言う誠をかなめは白けた瞳で見つめていた。
「今日ここに来たのはアタシの気まぐれだが……話は変わるが、オメエには残って欲しいんだ。うちにな。歌ってる間にアタシはそう思った。そんな時のアタシの勘は大体あってる。今までの所はな。オメエはここに残れ。ここを出てくより、うちに居た方が絶対マシだ。アタシはそう思ってる」
そう言いながらかなめはギターケースを膝に乗せて誠のベッドに腰かけた。
かなめの表情の裏に、言葉以上の誠への思いが滲む。気づかないくらい小さな示唆だが、それは誠にとって暖かく、根を張るようにじんわりと効く。前にパーラに『一緒に逃げよう』と言われた時とは、まるで正反対の誘い方だった。
「残って良いんですか?」
誠はかなめの本心から出たらしい言葉に少し心を動かされながらそう言った。
住み慣れない世界に根を張るには、誰かの一押しが必要だ。誠はその手をただ受け取るかどうかを試されている。
「そうだ。オメエをうちに根付かせるのが隊の方針だけど、それだけじゃねえ。アタシ個人の勘が、オメエはうちに必要になるって言ってる。理由なんざ後から付いてくる。アタシがそう思ったんだから、それで十分だろ?」
かなめの言葉には意外と確信がある。訓練の荒波に揉まれた彼女の直感は、当てにならないようで当たることが多い。誠はそれを心地よく感じた。
「必要な人間……ツッコミとしてですか?」
誠は気まぐれそのもののかなめの言葉に半信半疑でそう返した。
場が和む中で、誠の『ツッコミ』はチームの潤滑油になりうる。彼はそれを自負していないが、周囲はそれを期待している。
「確かにオメエのツッコミはうちに必要だが、それだけじゃねえよ。オメエの人柄がうちみたいなはみだしもんの寄せ集め部隊には必要なんだ。まずは、アタシのギターのリスナーとして必要だ。それだけの理由じゃ不満か?」
そう言うとかなめは立ち上がってギターをギターケースに仕舞うとベッドに投げ出されたホルスターを着用して帰り支度を始めた。
その言い方は不器用だが誠の胸には確かな温度が残る。かなめの優しさはいつもポーカーフェイスの裏でこっそり働いている。
ああ、たぶんこの人は、自分の歌を『分かってくれそうな相手』の前でしか歌わないんだろうな、とホルスターの位置を調整しているかなめの背中を見ながら誠は直感した。
「もう帰るんですか?」
慌ててそう言った誠にかなめは呆れたようなため息をついた。
「アタシの勝手だろ。アタシは好きに生きてるの。オメエがどうこうできることはねえよ」
そう言って笑いながらかなめは誠に背を向けて歩き始めた。
言葉通り、かなめの生き方は自由だ。だがその自由は、時に責任を伴う。誠はその微妙なバランスを見定めようとしていた。
「あの、寮の入り口まで送ります」
「いいよ。オメエも昨日は一日走って疲れてんだろ?しばらくは姐御の基礎体力トレーニングが続くから……そいじゃ!」
軽く笑ったかなめはそのまま誠の部屋を出て行った。
扉が閉まる音は小さく、その後に残るのは空気の温度の違い。誠はしばらく座ったまま、さっきの歌とかなめの言葉を反芻する。
「西園寺さん……あれがあの人なりの気の遣い方なんだな……『リスナーとして残って欲しい』か……それも悪くないかも」
誠はなんだか優しい気分に包まれながらかなめの座っていたベッドの縁に腰を掛けてぼんやりと部屋を眺めていた。
休日はいつの間にか夕方に近づき、静かな生活の小さな充足が心の中に積もるのを感じていた。




